その10 もうたくさんよ
「いらっしゃいませー」
店員さんの明るい声が響く。店内もいたって普通だった。
幸い、この町には普通にいるはずのモンスターの住人の客もいない。そのことに玲奈はホッとする。
「玲奈ちゃんは座ってて。わたしが買ってくるから。あっ、何ピース食べたい?」
「私は1ピースでいいわ。それと、ジャスミンティーを」
「分かったよ」
実際に疲れていたから、ここはもみじの好意に甘えることにした。玲奈はテーブル席へと腰を下ろす。
「普通だわ……」
小さく呟いてみる。安心感に包まれるような、そんな気がした。
「お待たせー」
しばらくして、トレイを持ったもみじがやって来た。トレイには、飲み物のグラスが2つと、フライが5ピースも入ったカゴが置かれている。
「そんなにたくさん?」
「うん、わたしもお腹空いちゃったから。丁度、割引のクーポン券も持ってたしね」
もみじが玲奈の向かい側の席へと座った。
「はい、どうぞ。好きなの食べていいよ」
「分かったわ」
まずはジャスミンティーで喉を潤す。こちらは普通のジャスミンティーだった。問題はフライの方だ。
玲奈な適当なピースを手に取った。恐る恐るそれを口へと運ぶ。
ごくごく普通の鶏肉の味だ。
「ふ、普通だわ」
最大限の褒め言葉として、玲奈はその言葉を呟いた。
「普通かあ。わたし、お店選び、失敗しちゃったかなあ」
もみじが落胆の息を吐く。
「違うわ。普通に美味しいって意味よ。今の私にとっては、一番嬉しい味なのよ」
玲奈のフォローに、もみじが破顔して喜ぶ。
「良かったあ。玲奈ちゃんが気に入ってくれて」
雑貨店、ペットショップとあんなに驚かされてきたもみじだ。少しぐらい落ち込ませたままでも良かったのかもしれないが、ついついフォローしてしまうあたり、玲奈もお人良しではあるようだ。
「この町にも、ちゃんと普通の食べ物があったのね」
何よりも驚きなのは、この普通の食べ物を、もみじが自信も普通と認識していることだ。
これまでのズレから考えると、まさに奇跡と言えよう。
(さすが、KFCだわ)
会ったこともないカーネル・サンダー氏にお礼を言いたくなる玲奈。
前の町に暮らしていた時のことを思い出す玲奈。学校帰りに、友達と一緒にこうやってKFCに寄ったこともあった。
(その時の友達は、こんなにモリモリ食べてなかったけれどね)
早くも2つめのピースを食べているもみじを見て、玲奈はそんなことを考えた。
「このお店には、たまに我宇羅くんと一緒に来るんだ。我宇羅くんなんてすごいよ、ひとりで20ピースぐらい食べちゃうんだから。お小遣いのほぼ全部を肉に使っちゃってるって言ってたかな。あ、我宇羅くんは明日、学校で紹介するね」
ひとりで20ピースを食べる友達が、普通の人間には思えなかったが、今この場でその真偽を確かめる気にはならなかった。
今はただ、この普通の空間、普通の味にひたっていたかったのだ。
気付くと、最初に手に取ったピースはもう食べ終わっていた。
普段なら1ピースで満足するはずなのに、悲鳴の上げすぎでカロリーを使ったのか、もう少し食べたい衝動にかられてしまう。
チラチラとまだ残っているピースに目を向けてしまう玲奈に、もみじが笑顔で言った。
「いいよ、玲奈ちゃん。遠慮しないで食べてよ」
「いいの?」
「うん。玲奈ちゃんに喜んでもらえるのが一番だから」
「……ありがとう」
おそらく本日初めて、もみじに心から感謝をしながら、玲奈は残った2ピースのうちの小さな方を手に取った。
見慣れない長細い形をしていて、
(クリスピーでも混じっていたのかしら?)
と思いながら、口へと運ぶ。
「あら!?」
玲奈の口から驚きの声が漏れた。
「これ、すごくおいしいわ。なめらかで舌ざわりが良くて」
「あ、玲奈ちゃん。それ、当たりの部位なんだよ。尻尾で決まりだね」
もみじがはしゃいだ声を上げる。
「尻尾?」
玲奈は、少々怪訝そうな顔をした。
KFCのピースが、鶏の部位ごとに分かれていることは玲奈も知っていた。
そのすべてを知っているわけではないが、尻尾という部位はなかったような気がするのだ。
「玲奈ちゃん、KFCのピースの部位の名前って知ってる? わたし、通ってるからもう覚えっちゃってるよ」
もみじが得意気に知識を披露し始める。
「まず持ちやすくて食べやすい『足・ドラム』でしょ。それから、ちょっと小骨が多いけど、脂身が少なくてヘルシーな『あばら・リブ』。パサパサしてて好きじゃないって人はいるけど、コリコリした軟骨も食べられる『胸・キール』。ちょっと小さいけど味が凝縮されてる『手羽・ウイング』。そして脂身たっぷり、食べ応え抜群な『腰・サイ』。そして最後が、上品な味わいで大人気の『尻尾……」
「ちょっと待って」
淀みのない口調で説明をするもみじに、玲奈は待ったをかけた。
「それ、おかしいわ。だって尻尾の部分は腰に含まれるんじゃないの? そもそも、尻尾って言い方もおかしいし。尾のことでしょ? 食べるところなんてないでしょ?」
「何言ってるの? 玲奈ちゃん! 腰と尻尾は別でしょ? それに『尻尾・スネーク』の部分は食べ応えだって十分だよ。だって長いんだから」
「…………」
いやな単語が飛び出した。
それは、玲奈を日常から非日常へと強引に連れ戻すキーワードだった。
「尻尾……スネーク?」
「そうだよ」
「どうして尻尾が、スネークになるの?」
「だって尻尾はスネークでしょ?」
また埒が明かない会話の始まりだった。
「少し落ち着かせてね」
大きく深呼吸をしてから、玲奈は重大な確認をした。
「ここは、KFCよね。ケンタッキー・フライド・チキンよね」
「えっ、違うよ。KFCは合ってるけど、チキンじゃないよ」
もみじは平然とした顔で恐ろしい答えを口にした。
「ケンタッキー・フライド・コカトリスだよ」
ファンタジーにうとい玲奈でも、コカトリスがどんなモンスターなのかは知っていた。
鶏の体に、蛇の尻尾を持つ、モンスター。
(それじゃ、私が美味しいと思って食べていたのは……そして、今この手の中にあるのは……)
ゆっくりと視線を、持っているピースへと向ける。
少し玲奈が齧ったことで、衣が剥がれて中身が姿を見せていた。
それはもう、ええそれはもう、立派な立派な、蛇!!! だった。
しかも頭も落とさず揚げられているから、蛇の頭が口を半開きにして玲奈を白く濁った瞳で見つめていた。
「尻尾は頭もおいしいんだよね」
もみじのアドバイスも、玲奈の耳には入らなかった。
「うーん」
今回は悲鳴を上げる暇もなく、玲奈は意識を遠のかせる。
「ちょっと玲奈ちゃん、玲菜ちゃーーん!」
★
どうにか意識を取り戻した玲奈と、もみじはKFCを後にした。
「KFCは全国チェーンだと思ってたけど、それはフライドチキンの方だったんだ。知らなかったなあ。玲奈ちゃん、びっくりさせちゃってごめんね」
神妙な顔つきで謝るも、
「でも、蛇もおいしかったでしょ?」
と悪びれもせず笑顔で言うもみじ。悪意がないものだから非常に、非常に質が悪い。
そんなもみじの態度が、玲奈を余計に苛立たせた。
「じゃあね、次の場所は……」
「……よ」
「え?」
「もうたくさんって言ったのよ!」
半ば叫ぶようにして玲奈が言った。
「雑貨屋も、ペットショップも、KFCも、全部全部、普通じゃなかったじゃない!」
「ごめんなさい。でもわたし、知らなかったから……」
「そうよ。もみじ、あなたは知らなかったのよ。あなたはあくまであなたにとっての普通を紹介してくれただけ。問題は、この町の普通が私にとってはまるで普通じゃないってこと! この町の異常さが、極まってるってことなのよ!」
感情を爆発させ、玲奈は続けた。
「わたしは駅に戻るわ。そのまま電車に乗ってこの町を後にする。2度と来ないから!」
「えっ、それじゃ学校は? 玲奈ちゃんは明日からうちの高校に来るんでしょ?」
「転校の話は断固として断ることにするわ。遠い親戚でも頼って、どうにか他の高校に通えるようにする。そこがどんな高校であろうとも、こんな町の、おかしな高校よりはずっとマシなはずよ!」
さらに玲奈は叫んだ。
「この町は、私が足を踏み入れていい場所じゃなかった。私みたいな普通の人間が、住めるような場所じゃなかったのよ! もみじ、あなたみたいな感性の異常な人だけが……」
そこで玲奈はハッとする。さすがに言いすぎたと思ったのだ。
「とにかく、無理って言ったら無理なのよ!」
玲奈なクルリともみじに背中を向けると、小走りに駆け出した。
「玲奈ちゃん……」
寂しそうな顔で玲奈の後ろ姿を見つめていたもみじだったが、あることに気付いた。
急にあたりが霧がかって来たことに。
「霧だ。こんな時に歩き回ると大変なんだよね。玲奈ちゃんもじっとしてくれてると思うけど……」
そこでもみじはある可能性に気付いた。
「ちょっと待って。もしかしたら、玲奈ちゃんの知ってる普通の霧は、わたしの知ってる普通の霧と違うとか?」
だとすると、少々問題だった。
「大変! このままじゃ玲奈ちゃんが!」