ある経営者の栄光と挫折二部作 2栄光は短く挫折は長く
ある経営者の栄光と挫折二部作
2 栄光は短く挫折は長く
一
彼のホームレス生活も既に二十年近くになる。横浜市内の駅の近くの、地下通路が彼の移住地である。大きな段ボール2~3枚を箱形に組み立て、ガムテープでつなぎ目や角を留めて、住まい代わりにするのである。
一カ所にあまり長居は出来ない。長居をすると、彼云う処の警察の手入れで、退去させられるからである。彼の携帯は登山用の寝袋、僅かな金の入った財布、小形のラジオ、レコードプレーヤーとレコード一枚である。小型のレコードプレーヤーは、電池式である。レコードは、藤田まさと作詞、長津義司作曲、そして田端義男の歌う、大利根月夜である。彼はしょっちゅう大利根月夜を聞いている。彼は聞くだけでは無く、自身でも歌う。或時は浪曲調で、ある時はオペラのテノール風であったりする。テノール風は気分の良い時で、普段は浪曲調である。浪曲調は哀調を帯びもの悲しい。こんな彼を仲間たちは平成の平手神酒と呼んでいる。
日中は歓楽街で、空き缶を集めている。それを金に換えて、それで食べ物を買っている。何となく品の良い顔立ちと、他のホームレスに比べ、浮浪者らしからぬ清潔感の様な物が漂っている。
大利根月夜流に言うと、元を質せば彼は資産家の家に生まれた。東京麻布に二百五十坪の家であり、近くにはフランス大使館等があり、彼が生まれた当時は無かった、地下鉄広尾駅迄も十分は掛からない。裏には有栖川公園があり、夕方は静か過ぎて怖い位の超高級住宅地である。近くには東京で指折りの私立大学の付属小学校があり、彼はそこに通っていた。中高校は横浜にある同じ私立大学の付属校に通っていた。大学はそのまま私立大学に入る。経済学部である。そして卒業すると家業を継ぐ。
彼の実家は銀座に店を構える老舗の和菓子屋である。彼はそこで七年ほど店で働く。時代は丁度1980年代後半も終わりに近い大好景気の終了も間近い時代であった。そんな時代にも関わらず、余り変化の無い和菓子屋に彼は不満を抱いていた。
「不動産屋をやりたいな。六畳一部屋に小さなキッチンと風呂トイレ一体の五坪位の小形のマンション」彼は本気の様である。
「一部屋五万五千円のスモールマンション。独身が済むにも良いしオフィスにも良い。これなら投資にも良い」
父親に話をすると一蹴されてしまう。経験の無い者が上手くやれる程、不動産は甘くないというのが理由であった。しかしヒョンな事から彼の夢は実現する。父親が脳卒中で亡くなるのである。
彼は自身の夢の実現に向けて動き出す。和菓子屋を店ごと同業者に百億円で売却し、自宅も五十億円で売却する。1990年の始めは未だバブルが弾ける前の状態に有る。従って彼の不動産は異常な高値で売れる。百五十億円を元手に新橋の小さなビルの一階に株式会社スモールマンションの事務所を設け、自身は矢張り新橋の賃貸マンションに移る。
二
彼の現実に戻そう。今日の塒は関内の地下道である。夕食も済み寝袋に入り、これからレコードを聴こうとしている。この瞬間こそ彼にとって至福の一時である。平手神酒が利根川の流れを眺める、平手神酒はどんな気持ちだろうと彼は考える。彼も平手神酒と同じか、いやそうではないのかと、いろいろ考えを巡らす。
「平手神酒はつらかったんだろうな。彼が生きていくには、刀に頼るしかない。何でヤクザの用心棒に落ちてしまったんだろうなあ。酒を飲んだ位じゃ癒されないよな。この歌のお陰で俺は随分癒されるよな」平手神酒が現在の自分にダブル様である。今日は浪曲調で一番を歌い出す。
黒沢明の傑作時代劇映画用心棒。映画の主役である三船敏郎演じる主人公が、彼にとって平手神酒とダブル。三船敏郎演じる主人公は、対立するヤクザの両方を亘り歩く。そしてお互いを喧嘩させて自滅に追い込む。平手神酒は利根のヤクザの話である。悪玉飯岡助五郎と善玉笹岡重蔵の縄張り争いである。悪玉飯岡助五郎は岡引きとヤクザの二足の草鞋を履いている。しかも平手神酒は悪玉飯岡助五郎の用心棒であり救い様がない。救いの無い男、それは彼と同じだと彼は考える。只し平手神酒の方が彼より救いがあると彼は考える。平手神酒は酒があるが、彼は酒を一滴も飲めない。
「平手神酒は良いよな。酒が飲めるんだから。俺は、酒はからきし駄目だからな」酒を飲めない自分を自虐しながらも、一人事を話続ける。
「しかし俺にだって酒に代わる物があるぞ。このレコードだよ。こいつがあれば酒なんか糞食らえ。酒は金が掛かるがこいつはタダだからな。後二十年分位の針はあるしな。酒とレコード、どっちが良いかわからねえ」
彼が一部屋五万五千円のスモールマンションを始めたのはバブル景気の分岐点になる1990年である。それ迄の大好景気が弾け、失われた十年あるいは失われた二十年の起点となる年である。高額商品が売れず、財布のヒモが厳しくなる時代である。
三
話を再度過去に戻す。「一部屋五万五千円のスモールマンション」を実現する為に、彼は預金の一部を担保に商工を相手の金融機関に十五億円を借りる。そして横浜市内、千葉市内、埼玉市内に各百坪の土地を十カ所ずつ購入する。それぞれにマンションを十個建てる。マンションと言うと聞こえは良いが、個人の住宅と同じコンクリート住宅である。一個のマンションは三十戸分である。マンションが出来上がるのを待って、彼も活動を始める。
彼の営業戦略は広告である。特にテレビを使った宣伝広告である。「一部屋五万五千円のスモールマンション。敷金入居代一切必要なし」を徹底的にアピールする事である。各テレビ局の広告を毎日一回は必ず広告を出す。
安さが時代のキーワードとなった時代に彼の戦略は当たった。九百戸全て完売となった。三十カ所のマンションの土地建物を担保に再び商工を相手の金融機関に十五億円を借りる。預金の中の三億円を加え十八億円として再度横浜、千葉、埼玉各市内に各百坪の土地を十カ所ずつ購入する。それぞれにマンションを十棟建。前回と同じマンションである。一棟のマンションは同じく三十戸分である。
彼は依然広告が営業の柱である。特に依然と同じようにテレビを使った宣伝広告である。「一部屋五万五千円のスモールマンション。敷金入居代一切必要なし」を徹底的にアピールする事である。但し建物が出来る迄、時間があるので今後は予約販売である。各テレビ局の広告を前回同様毎日一回は必ず広告をだす。
完成したマンションを売り出す。二回目も再びマンションは完売となる。九百戸全て完売となった。
十カ所のマンションの土地建物を担保に再び金融機関に十五億円を借りる。預金の中の三億円を加え十八億円として再度横浜、千葉、埼玉各市内に各百坪の土地を十カ所ずつ購入する。それぞれにマンションを十棟建てる。前回と同じマンションである。一棟のマンションは同じく三十戸分である。
完成したマンションを売り出す。三回目も同じように九百戸全て完売となった。同じ事を繰り返し、十カ所のマンションの土地建物を担保に再び再び金融機関に十五億円を借りる。預金の中の三億円を加え十八億円として再度横浜、千葉、埼玉各市内に各百坪の土地を十カ所ずつ購入する。それぞれにマンションを十棟建てる。前回と同じマンションである。一個のマンションは同じく三十戸分である。
完成したマンションを売り出す。四回目も同じように九百戸全て完売となった。同じ事を繰り返し、十カ所のマンションの土地建物を担保に再び再び金融機関に十五億円を借りる。預金の中の三億円を加え十八億円として再度横浜、千葉、埼玉各市内に各百坪の土地を十カ所ずつ購入する。それぞれにマンションを十棟建。前回と同じマンションである。一棟のマンションは同じく三十戸分である。
彼は再び十五億円で都内十五カ所に各百坪ずつの土地を購入する。十五カ所に三階建てマンション十五棟を建、一棟のマンションは同じく三十戸分である。全部で四百五十戸である。都内のマンションも完成すると、横浜や千葉、埼玉と同じように売りに出す。販売の方法は、従来通りテレビ広告である。
東京、横浜、千葉、埼玉のマンションを「一部屋五万五千円のスモールマンション。敷金入居代一切必要なし」のテレビ広告で売り出す手法は同じように大当たりする。バブルが弾け財布の紐が堅く成る時代では、安さは最大の魅力と映る。
四
話を再び現実に戻す。今日は快晴で多摩川の川沿いにいる。余程気分が良いと見えて、大声で大利根月夜を歌っている。それも珍しくテノール調である。大利根月夜をテノールで歌う。彼にとっては珍しくない。元々彼は昔オペラファンであった。
九十年頃からレコードに代わり、CDが急速に出回る。其れと同時にレコードでは廃盤物がCDで復刻する。彼はそれを買い集める。彼のお目当ては五十年代のイタリアオペラである。特にデル・モナコとマリア・カラスである。デル・モナコの強靱な声に彼は感嘆する。特に嫉妬に狂った男の役は他の追従を許さないと彼は言う。オテロ、パリアッチ、カルメンのドン・ホセデある。マリア・カラスにも彼はうるさい。評論家はマリア・カラスの事を二十世紀最高のソプラノ歌手と言う。一世紀も生きた訳でも無いのに、いい加減な事を言うなと彼は言う。マリア・カラス以上の歌手がいたかもしれないし、いないかも知れないと彼は言う。マリア・カラスの偉大さは二つだと彼は言う。一つは声の高低の幅広さである。高いソプラノから低いアルト迄。二つ目これこそ最も重要だと彼は言う。マリア・カラスの歌う演じる女性は全て魔性の女である。時には悪魔の様に、時には怪しげな女の様である。魔性の女に男は弱い。しかし現実のマリア・カラスは男に遣られっぱなしである。彼はマリア・カラスの伝記物を四、五冊読んだと言う。オペラを引退した後、ギリシャの船舶王オナシスと恋に落ちる。そこへ現れたのがケネディ元大統領夫人ジャクリーン。三角関係はジャクリーンの勝利へと。傷心のマリア・カラスは日本のガラコンサートへ。これが予想以上の大歓迎。自信を付けたマリア・カラスはオペラの復帰を考える。舞台は日本。公演の同行を長年の相棒ステファーノに頼む。マリア・カラスはあわよくばステファーノを奪う事を考える。今度はステファーノ夫人とマリア・カラスのつばぜりあいである。遊び人ステファーノも最終的に家族を選び同行を拒止する。傷心のマリア・カラスはやがて病死する。舞台では悪女を演じ続けたマリア・カラス。しかし現実では、悪女にはなりきれなかった、と彼は言う。彼が仲間のホームレスに、オペラの話をすると皆離れて行ってしまう。
演歌の大利根月夜を浪曲調で歌うのは分かる。しかしオペラ調で歌うとはどんな歌い方なのか。全体のトーンを上げて、高音で歌うそうである。ホームレス仲間にオペラの話は不評でも、オペラ調の大利根月夜は好評である。
五
昔の話に戻す。再度都内十五カ所に各百坪ずつの土地を購入。十五カ所にマンション十五棟を建てる。一棟のマンションは同じく三十戸分である。全部で四百五十戸である。横浜や千葉、埼玉は各百坪の土地を十カ所購入。各十カ所にマンション十棟を建てる。一棟三十戸分である。全部で千三百五十戸分。同じように繰り返し購入し、同じように売り出す。これを繰り返す。販売の方法は、従来通りテレビ広告である。
東京、横浜、千葉、埼玉のマンションを「一部屋五万五千円のスモールマンション。敷金入居代一切必要なし」テレビ広告で売り出す手法は売れに売れる。バブルが弾け不毛の十年あるいは不毛の二十年と言われる時代。この時代は企業特に大企業は好調なのである。何が不毛なのか、一般の消費者である。
「一部屋五万五千円のスモールマンション」を更に発展させる為に、彼は再度預金の一部を担保に再び金融機関に十五億円を借りる。預金の中の三億円を加え十八億円として横浜市内、千葉市内、埼玉市内に各百坪の土地を十カ所ずつ購入する。それぞれにマンションを十個建てる。マンションと言うと聞こえは良いが、前にも述べた様に個人の住宅と同じコンクリート住宅である。一個のマンションは三十戸分である。マンションが出来上がるのを待って何時もの様に、彼も活動を始める。
彼の戦略は常套手段となった広告である。特にテレビを使った宣伝広告である。「一部屋五万五千円のスモールマンション。敷金入居代一切必要なし」を徹底的にアピールする事である。各テレビ局の広告を毎日二回に増やした広告をだす。
財布ヒモの堅い、安さが時代のキーワードとなった時代に彼の戦略は当たった。九百戸全て完売となった。三十カ所のマンションの土地建物を担保に再び金融機関に十五億円を借りる。預金の中の三億円を加え十八億円として再度横浜、千葉、埼玉各市内に各百坪の土地を十カ所ずつ購入する。それぞれにマンションを十棟建。前回と同じマンションである。一棟のマンションは同じく三十戸分である。
彼は依然広告が営業の柱である。特に依然と同じようにテレビを使った宣伝広告である。「一部屋五万五千円のスモールマンション。敷金入居代一切必要なし」を徹底的にアピールする事である。但し建物が出来る迄、時間があるので予約販売である。各テレビ局の広告を前回同様毎日二回は必ず広告をだす。
完成したマンションを売り出す。再びマンションは完売となる。九百戸全て完売となった。
十カ所のマンションの土地建物を担保に再び再び金融機関に十五億円を借りる。預金の中の三億円を加え十八億円として再度横浜、千葉、埼玉各市内に各六十五坪の土地を十カ所ずつ購入する。それぞれにマンションを十棟建てる。前回と同じマンションである。一棟のマンションは同じく三十戸分である。
更に預金を担保に十五億円で都内十五カ所に各百坪ずつの土地を購入する。十五カ所に三階建てマンション十五棟を建、一棟のマンションは同じく三十戸分である。全部で四百五十戸である。都内のマンションも完成すると、横浜や千葉、埼玉と同じように売りに出す。販売の方法は、従来通りテレビ広告である。
東京、横浜、千葉、埼玉のマンションを「一部屋五万五千円のスモールマンション。敷金入居代一切必要なし」のテレビ広告で売り出す手法は同じように大当たりする。バブルが弾け財布の紐が堅く成る時代では、安さこそは最大の売りである。
完成したマンションを売り出す。同じように九百戸全て完売となった。同じ事を繰り返し、十カ所のマンションの土地建物を担保に再び再び金融機関に十五億円を借りる。預金の中の三億円を加え十八億円として再度横浜、千葉、埼玉各市内に各百坪の土地を十カ所ずつ購入する。それぞれにマンションを十棟建てる。前回と同じマンションである。一個のマンションは同じく三十戸分である。
完成したマンションを売り出す。同じように九百戸全て完売となった。同じ事を繰り返し、十カ所のマンションの土地建物を担保に再び商工相手の金融機関に十五億を借りる。預金の中の三億円を加え十八億円として再度横浜、千葉、埼玉各市内に各百坪の土地を十カ所ずつ購入する。それぞれにマンションを十棟建。前回と同じマンションである。一棟のマンションは同じく三十戸分である。
彼は再度預金を担保に十五億円で都内十五カ所に各百坪ずつの土地を購入する。十五カ所に三階建てマンション十五棟を建、一棟のマンションは同じく三十戸分である。全部で四百五十戸である。都内のマンションも完成すると、横浜や千葉、埼玉と同じように売りに出す。販売の方法は、従来通りテレビ広告である。
東京、横浜、千葉、埼玉のマンションを「一部屋五万五千円のスモールマンション。敷金入居代一切必要なし」のテレビ広告で売り出す手法は同じように大当たりする。何度も繰り返すがバブルが弾け財布の紐が堅く成る時代では、安さこそ最大の魅力であり売りである。
大好景気の80年代にアメリカを視察した経団連の一人が、
「もはやアメリカから買う物は無い」と豪語した。それから数年後には不毛の十年である。すると一転して弱きになり、日本の発展の基盤である終身雇用をかなぐり捨ててしまう。欧米流の合理主義が幅を利かせ能率給が採用される。しかし正社員は未だ良い。個人の所得が上がらないのは、特に派遣法の改正が大きく影響している。給料は一ヶ月大体二十万、交通費やボーナス無し、解雇は実質自由で。九十年代に改正された派遣法は尽く経営者に有利なものになっている。これでは四割近く迄多くなった国民の所得が上がるはずは無い。所得が上がらないだけでは無い。会社に対する忠誠心や責任感など望み様がない。技術系の会社では技術の劣化となり、ルール違反や法令違反を繰り返す事に成ろう。頭でっかちの経済学者や何も知らない評論家の意見に乗って、目先の利益しか考えない経営者の乗る日本丸は破綻の航海へ進み出す。
消費者のヒモは益々堅くなっている。財布の紐が堅く成れば成る程の時代では、安蹴れば安いほど良い事いであり、最大の魅力と映る事にもなる。
「一部屋五万五千円のスモールマンション。敷金入居代一切必要なし」と社長自身がテレビに出る。テレビ広告による商法は当たり、マンションは売れに売れる。マンションは作る側から売れる。売れに売れる事で、商工系の金融機関は担保の数十倍の融資をする様になり、やがては担保無しの融資となる。
会社創業から四年も経つと、彼は不動産業界の寵児としてメディアにも取り上げられる。テレビ広告にも彼自身が広告塔になってテレビに出る。彼は和菓子屋の時代から汗水流して働いた事がない。テレビ広告に芸能人張りに出る事は、彼にとって天職にも思える。メディアにも芸能人と一緒にテレビ出演している。時には報道番組のキャスターとして、時にはバラエティー番組の一人として、時にはテレビ局を掛け持ちする忙しさであった。
六
話を再び現実に戻す。今日は関内の地下道である。彼は育ちの良さが影響しているのかホームレスにしては綺麗好きである。根城の段ボールもそれ程汚れてはいない。段ボール内で横になり、例によって大利根月夜のレコードを聴いている。大利根月夜を聞きながら珍しく浪曲に思いを馳せている。和菓子屋の創業者である彼の祖父は浪曲が好きで有った。彼は浪曲よりも大好きな祖父への思いから浪曲に思いを馳せている。祖父は戦後では寿々木米若と戦前の浪曲黄金時代の四天王、三代目鼈甲齊虎丸と木村重友と初代天中軒雲月それに東家楽燕が非常に好きであった。木村重友は天保六花撰と寛政力士伝である。初代天中軒雲月と東家楽燕は忠臣蔵である。天保六花撰は6人の悪党の話であり、寛政力士伝は雷電為衛門の話である。三代目鼈甲齊虎丸は安中草三郎の話である。天保六花撰も安中草三郎も悪党の話では有るけれど、やられる相手はもっと悪い相手である。一種の義侠伝で聞き終わると心地良さがある。
寿々木米若は昭和七年に出た佐渡情話のレコードで一声を風靡しました。佐渡のお光と柏崎の吾作の恋物語です。佐渡で遭難した吾作はお光の父に助けられ、お光と将来を約束し一旦柏崎に帰ります。しかし中々戻らない吾作に恋い焦がれるお光は気が狂ってしまう。佐渡に戻った吾作の一心不乱の法華経の祈りにより、お光は元に戻り吾作とめでたく一緒に成るという話です。翌年小唄勝太郎が矢張り佐渡を舞台にした恋物語島の娘の歌謡曲のレコードが大変な人気に成りました。昭和八年満州事変が起こり日中泥沼戦争にのめり込む事に成ります。重苦しい時代に当時の人々は恋物語に救いを求めたのでしょうか。
浪曲に思いを馳せながら祖父を思い、当時の事を懐かしむのである。レコードの大利根月夜の主人公平手神酒を巡る物語は利根のヤクザの話である。この平手神酒の浪曲もある、天保水滸伝の玉川勝太郎である。悪玉飯岡助五郎と善玉笹岡重蔵の縄張り争いである。悪玉飯岡助五郎は岡引きとヤクザの二足の草鞋を履いている。しかも平手神酒は悪玉飯岡助五郎の用心棒である。しかしながら祖父は余り玉川勝太郎を好きでは無かった様である。例によって今日の最後は大利根月夜を浪曲調で歌う様である。今日は木村友衛調であり、この時の彼は正に至福の一瞬である。
七
昔の話に戻る。創業から五年が経ち、相変わらずマンションは売れに売れる。売り上げも年間300億円に達する。広告の量も増え、経営者自身の彼が出演した事から益々話題を呼ぶのである。テレビの出演も多くなり、殆ど毎日どこかのテレビ局に出ている。彼にとっては本業より芸能人の様にテレビ局に出ている方が居心地がよい。テレビ局のスタッフ全員を引きつれて銀座のクラブで大判振る舞いをしたりもしている。
彼の父親に生前、彼が不動産業をしたいと言った時、父親が不動産業の経験の無い者が上手くやれる程、不動産は甘くないと駄目出しされた事がある。父親の指摘が正しかった事が徐々に証明される事になる。
売り上げ年間300億円と言っても殆ど利益が無いのである。採算を無視したマンション一戸の家賃五万五千円と言うのは最初から無理だったのである。決算を粉飾することで何とか切り抜ける。商工相手の金融機関数社からの借金も売り上げの五倍の規模に達するのである。
悪い事は重なるもので売り上げも七年目から徐々に減り始める。一部屋五坪というのは所帯持ちには狭すぎるのである。派手な広告で消費者にアピールしても所詮限界が見える事に。
十年目に成ると入居していた住人が次々に退出し始める。借金の返済の為に又借金をする、綱渡りの様な自転車操業は遂に破綻の時を迎える。彼は突然思い切った行動に出る。社員に会社存続が不可能に成った事を説明し、社員全員を解雇し了解を取る。五年以上の勤務者には半年分の給料を、五年未満の勤務者には三ヶ月分の給料を退職金として払い、社員の中には会社再生の際には再度雇用して欲しいと頼む社員もいた。事務所も契約解除するのである。
翌日東京地方裁判所に、彼個人の自己破産と会社破産の申請手続きをするのである。会社破産を選択したのは商工相手の金融機関では入居者にどんな負担を掛けるか不透明の為である。取り敢えず裁判所の管理下に置くことが入居者を守るのに一番安全と考えたのである。
自己破産と会社破産から三ヶ月後に免責が認められ裁判所に住まいも明け渡す。自己破産と会社破産はニュースとして小さく取り上げたテレビ局はあるものの、テレビの出演依頼は一件も無い。大半のテレビ局はタレント紛いの落ち目の経営者の事など無視同然である。テレビ局の人間に電話しても何となくよそよそしい。彼には避けている様に映る。
「落ち目に成ると分かる人の真心、とは良く言った物だ。それにしてもテレビ局の人間というのは薄情な奴らだ。俺は只のスポンサーだからな。金の切れ目が縁の切れ目か寂しいもんだな」珍しく彼は愚痴っている。
虚飾で着飾るテレビ局の人間に所詮真心を期待する方が無理である。一年位は元の家の賃貸マンションに住めるのを葎義な彼は直ぐに家を出る。1ヶ月分位のお金と彼の携帯は登山用の寝袋、僅かな金の入った財布、小形のラジオ、レコードプレーヤーとレコード一枚である。小型のレコードプレーヤーは、電池式である。レコードは、藤田まさと作詞、長津義司作曲、そして田端義男の歌う、大利根月夜である。大きな段ボール2~3枚とガムテープである。
彼は東京でも飛び切り有名な私立大の出身である。彼が頼めば直ぐにも就職先を世話してくれる友人は居るのである。それをするには彼のプライドが許さない。彼は一つの事を除いてどんな苦しみ辛さにも耐えられると思っている。一つの例外とはプライドである。プライドこそ生きる支えで有り活力である。
彼の最も好きな言葉は、武士は食わねど高楊枝、である。
「動物と人間の違いは何か。人間には動物に無い精神性の高さ」と言うものがあると彼は考える。町人と武士を分けるもの、それこそ食としての米では無く、武士にはある忠義と言う精神であると彼は考える。其れこそが今の彼のプライドと共通のものと彼は考える。
八
話を現実に戻すと、今日も関内の地下で物思いに耽る。黒沢明の映画用心棒の主人公と浪曲天保水滸伝の平手神酒とレコードの大利根月夜の主人公平手神酒の違いである。映画用心棒の主人公は二人の親分を上手く戦わせる。両者とも敗れ彼だけが生き残る。映画用心棒の主人公は勝者であり成功者である。従って彼とは明らかに違うと考える。浪曲天保水滸伝の平手神酒はどうか。悪玉飯岡助五郎の用心棒である事は確か。勿論侍で有り、剣術の腕が凄い事も分かる。但し天保水滸伝の平手神酒はそれ以上の事は分からない。過去に栄光が無いのである。ここが彼と決定的に違う点で有り共感出来ない点でもある。浪曲天保水滸伝の平手神酒と大利根月夜の平手神酒の違いはどうか。侍で有りながら用心棒と言うヤクザであり、剣術の腕が凄い事も共通している。しかも大利根月夜の平手神酒には浪曲の平手神酒には無い過去の栄光がある。それが彼自身の過去の栄光とダブリ共感出来るのである。
「藤田まさとの歌詞は凄い。企業を起こした企業人の成功者は一握りだろう。大部分はそうでない人だろう。落伍者か脚光を浴びる事も無く埋もれて行く人達だろう。その人達の気持ちを代弁しているのが藤田まさとの歌詞だよな。藤田まさとの歌詞は正に無念の涙が隠っているよな」
彼はレコードを聴きながら深い眠りに入る。深夜一時過ぎに三、四人の少年が手に鉄パイプを持って彼を襲いに掛かる。ホームレス狩りと称して無抵抗のホームレスを襲う事件が頻発していた。彼は頭を大怪我し通報を受けた警察と救急車によって近くの病院に運ばれる。病院の必死の手当もむなしく彼は二時間後に息を引き取る。
翌日「ホームレス襲われ死亡」のニュースが新聞に載る。それから数日経つと彼の事が新聞や各メディアに取り上げられる。彼が銀座の老舗和菓子屋の御曹司であり一時不動産業で成功するものの、最終的には失敗しホームレスに転落した事等詳細に報道する。只共通するのは「殺されたホームレスは老舗和菓子屋の御曹司」「不動産業界の寵児ホームレス襲われ死亡」「哀れ老舗和菓子屋の御曹司にして不動産業界の寵児ホームレスとして死亡」「無惨ホームレス栄光の過去」等派手なタイトル付きと云う事。なかには、「短い栄光と永い挫折の後、不幸なホームレスに転落した末に無惨に殺される」と報道したメディアもある。彼が破産した時のメディアは無視したくせに、彼が死んだら各メディアは大騒ぎしている。彼は三途の川を渡り乍ら、
「馬鹿な奴らだ」笑っていよう。
どの報道も現在ホームレスのまま死亡した彼に同情的である。彼が襲われ死亡した事は正に同情されるべきである。しかし彼がホームレスである事に同情は全く必要ない。ホームレスである事を転落とした報道は間違いである。何故なら彼はホームレスである事に大いに満足し、日々平穏に暮らしていたからである。老舗和菓子屋の御曹司でいた頃も、不動産業の経営者でいた頃も心が休まる安堵する事は一日足りともなかった。それに比べホームレスでは大利根月夜のレコードを毎日聴いたり歌ったりし、至福の時を過ごしていたのである。
<了>