~金の腕~Case:3
「あ、その前に…その、私は何をしてしまったのでしょう?あの魔導書は…一体…」
伯場翡翠が、こちらを見据える。
切りそろえられた黒髪は、彼が言葉を発するのに合わせて、さらさらと揺れる。
「君はつい最近、とんでもないことをした。」
彼もまた、彼の使い魔のように、表情を曇らせた。
「倭国には、第4区と言う、工場や研究施設が立ち並ぶ場所があってね。」
ガイドブックには、13区と4区は立ち入り禁止区域であると書かれ、説明がほとんどなかった。
代わりに、有名な一条博士、という男の人を称えるコラムが組まれていた。
「一条という博士、彼は天才的な魔術師でね。短い人生の中で、良いものをたくさん生み出したんだ。」
彼は目を閉じながら、流れるように語り掛ける。
本の一条博士のコラムは、最後にこう、閉められていた。
「その、本には、『彼は去年亡くなってしまった』と…」
彼は少し痛ましそうな笑顔を浮かべる。
まるで気づかなかったことへの後悔、のような。
「…そう。全く厄介なことだよ。彼が生み出したものはね、なにも良いものばかりじゃなかったんだ。」
翡翠の話は、複雑だった。
一条の生み出した悪いものが、彼の死後に突然明らかになったらしい。
秘匿されていた彼の研究所は、大量の負の遺産であふれかえっていたのだ。
その大抵のものは、彼にしか解除方法がわからないものばかりで、それ故に、研究所の解体時に誤って解除してしまい大怪我をした例も相次いでいるらしい。
魔法の秘匿の観点から、翡翠も含めて、隠蔽に非常に苦労させられているという。
「けど一番厄介なのは…一条が亡くなったとき、彼の研究所から、いくつかの物品が盗難されたんだ。」
私が開けてしまったアタッシュケースは、そのうちの1つなのだろう。
あの魔導書は、まさしく魔導書だったなんて…。
「しかもね、君が開けたあの魔導書は魔導書でも、あれは呪術書だ。大勢の人を死に追いやる力があるとびきりの負の遺産。」
あのアタッシュケースは、相当厳重な魔法のロックを掛けられていたらしい。
「君にあのアタッシュケースを開けるように依頼した連中は、
"そういう連中"なんだろう。魔法使いの中でも世を恨む連中。」
大勢の人が死ぬ。
この世界は『全て終わりだ』と。
「あの呪術書は金の男という本でね。少なくとも、彼のメモにはそうあった。」
金の男とは、あの男の電話でも聞いた単語だ。
「君はおそらく、大きな罪に問われる。…でも弟としては、なるべく助けてあげたい。知らなかったわけだし。」
問題が起きるまで、考えもしなかった。
鍵開けの危険性を。
私自身に悪意はなくても、悪意のある相手に依頼されないとも限らないのだ。
当たり前のことだとしても、山奥に篭っていた世間知らずの私には、思いつきもしなかった。
「そこで、だ。まずは魔法について学園で理解してもらう。その後、君自身も解決に動いてほしいんだ。」
伯場家の情けに感謝しなければならない。
弓咲学園というトップレベルの場所に異分子を紛れ込ませるなんて、どんな手を使ったのだろう。
「もし解決できなければ、君どころか皆死に絶えるかもしれないから、魔法協会も慎重だ。自由に動けるのは君しかいないかもしれない。白蛇も君に悪意はないと見ているし…やり直しは、まだ間に合うよ。」
*****
私が頷くと、すぐさま学生寮へとワープをさせられた。
もともと身支度は解いていなかったから、ただ移動だけだ。
白蛇から聞かされたのは、弓咲学園の裏の顔だった。
弓咲学園には2つの目的がある。
まず1つは、この国の頂点の頭脳を集め、磨く学園として、将来を担う若者を集めること。こちらが表の顔。
2つ目は、若い魔術師達の保護を担う隔離所だという。
皆魔法の知識や制御をここで身につけ、一人前の魔術師として羽ばたく。
そしてそのどちらの生徒達も、いつかは必ず学園、ひいては国を支える。
何故なら弓咲学園の地下には、この国を管理するAIシステムの核が存在するから。
皆それにまつわる仕事をするのだ。
すべてシステムが管理する、倭国という場所で。
部屋のドアを叩かれ、徐に開く。
「君、ちょっといいかな。」
立っていたのは、にこやかな中年の男。
おじ様、というフレーズの似合う、オシャレな人だった。
もしも親戚ならば、人として好意的に感じるであろう。
しかし今はただ、このお金持ちに冷や汗が止まらなかった。
彼が誰なのかは、一目瞭然だ。
「理事長のフラウロスだ。今後の大切なお話をさせてもらうよ。」
彼自信は優しそうな人で、心配があるわけではない。
けれど、彼の左右にたつボディーガード。
彼の腰に付く剣でも仕込まれていそうなステッキ。
ここは、人様の城だ。
それも、鍵開け程度の手品師の出る幕ではない、魔法の国の頂点なのだから。
理事長の話は、身内の翡翠が言うよりも手厳しい、現状の説明だった。
「申し訳ないけれど、君に与えられるチャンスは1ヶ月だ。奴らが呪術書を起動するのは、明日かもしれないわけだからね。」
そうだ。書を手にした以上、早いとこ行動を起こしたいと思うのが敵の考えだろう。
何かを待つ必要など無いのだから。
「けど、奴等だって万能じゃないからね。一条の呪術書は読むことも魔法の展開も容易じゃない。少なくとも、準備の期間はあると思うのよ。」
敵の準備がどれ程掛かるか、それだけが命綱となる。
「だから1ヶ月だ。この学校の資料は自由に見て良いし、何処に入っても、外で何をやらかしても、大体どうにかしてあげよう。揉み消そう。…けどね」
理事長の目が、さらりと落ちた前髪に隠れる。
その一瞬だけ、瞳を見ることができなかった。
「君の失敗は、このままでは許されない過ちとなる。それだけは忘れちゃいけない。
決して君に迷う権利はない。」
きっと、恐ろしい目をしていたのだろう。
彼は正しく、そして冷静だ。
しっかりと頷く。
大勢の人が死ぬ。
そんなのは絶対嫌だ。
理事長の顔が、雪解けのように解れる。
「まあ、脅すのはここまで。僕らも君とは別口に行動していくから、少しは安心してねぇ。一緒に何としてでも平和を繋ごう。君がやらなくても、奴らは他の誰かに開けさせたのだろうし。」
にこにことした顔は、先ほどとは別人のようだ。
「君の力は、調査には大きく役立つだろう。期待しているよ、鍵開けの魔術師。」
今は、役に立つことを祈るしかない。
災害を、何としてでも防ぐために。
怒涛の1か月が始まる。