~金の腕~Case:15
目覚めると、何もない白い空間にいた。
上も横も、部屋の終わりは見えない。
誰も居ないのかと少し恐ろしく思った時、足元に小学生くらいの兄妹が居た。
「サクラ、アカツキ。どうしてここに…?」
サクラは、初め見るような天真爛漫な笑みを浮かべる。
「やっと貴女を見つけられたの!助けてあげたかったから!」
彼女には決して悪意はない。
この空間も、薄ら寒いものではなく、無性に温かい。
母の愛とか、父の愛とか、兄弟の愛とか。
家みたいだと思う。
ロスさんたちは元気かな。
賛同するように、兄も答える。
「ここは家族の本の中。世界は金の男に滅ぼされるかもしれないけれど、ここは安全だ。唯一神が金の男を止めるまで、ここにいたらいい。」
ただあの時出会った。
それだけでこんなに良くしてくれるなんて…。
「ね、ベアトリスさん。私たちと一緒に待ちましょう?そしたら神様はちゃんと助けてくれるわ!」
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「桜、平気か?」
男は、らしくない声を出す。
それに答えようと喉を動かすけれど、音はうまく出せなかった。
けれど彼の魔法なら、聞き取れるだろう。
"らしくないですよ、そんな声"
聞き流すように、不服そうな問が投げかけられる。
「大体…何でそんなにやる気なんだ。去年の学校対抗戦の呪いだって…万全じゃないんだ」
ついつい、笑みが溢れる。
これではますます怒らせてしまうだろうか。
「僕が言うのもなんだけど…キミばっかり戦う必要ないだろ」
確かに、この戦いでここまで体を張る必要はない。
足止めしなくたって、死者を出さないような戦い方は見つかるかもしれない。
そもそも足止めも、抑えきれなくなるのは見えていたことだ。
けれど。
天を見上げる。
金の空と、歪な化物。
"金の男は、愛を知らない男…なのでしょう"
生みの親に封印され、目覚めさせた人々は兵器以外に見てはいないだろう。
私達にとっても、あれは災害でしかない。
神話の獣達は、女神の愛を受けて三神獣となる。
けれどこの怪物は、その席には至れないだろう。
唯一神にあっさりと消され、望まぬ生を終える。
それがほんの少しだけ、悲しいと思った。
私だって死ぬ気はない。
ただ、せめてディアリアの魅了を与えたかった。
足止めではあるけれど、あの魔法は幸せな夢を見せるものだから。
「なんだよそれ。…なんでもいいけどさ。あれが僕に似てるとかは許さないからね」
大好きな人は、天を仰ぎながら、馬鹿にしたように笑う。
けれど不快そうには見えない。
思わず、目を細める。
目の前に立つ人は、倒れ込んでいる私を隠すように立つ。
鈍い怪物がこちらに辿り着くのは、まだ先だろう。
しかし、着々と世界は更地になっていく。
これほど打ち解けられるとは、初めて会ったときは思っていなかった。
思い返して、また口元が綻ぶ。
黄金の染まる街と、神獣による審判。
畏怖すら抱く、幻想的な神話の再現。
しかし現実には、それは緩やかな終焉だ。
時の感覚すら、忘れてしまうほどに。
◇◆◇◆◇◆◇◆
今までの私なら、何と答えただろうか。
けれど今の私の答えは、決まっている。
「私は、ここに残れないわ」
素敵なお誘いだと思う。
彼女たちに聞きたいことはいくつもある。
家族の本にだって、本当は興味がある。
けれど、一番に思い浮かぶのは、この街の人たちだ。
弟だといった少年は、今もきっと耐久戦をしているのだろう。
優しい親友は、最前線で怪物を止めようとしている。
クラスメイト達も、今も手はないかと、必死で探していると思う。
元々、この騒動は私が始めたことだ。
私は鍵開けの危険性を、何もわかっていなかった。
その尻拭いのために、たくさんの人が今も苦しんでいる。
私だけ逃げるなんて、許されない。
「出ていって、何ができるんだ」
黙り込んでしまった妹に変わり、兄が手厳しく指摘する。
きっとその言葉は正しい。
「ただ、死ぬだけかもしれないね。」
できるだけ素直に答える。
彼女たちを傷つけたいわけではないから。
「それなら…!」
サクラちゃんは、尚も心配だと追い縋る。
それほど良くしてくれるのに、申し訳ない気持ちになる。
「それでも行かなくちゃ。死ぬかもしれない人たちの、一人分くらいの盾にはなれるかもしれないから…」
素直に答えたことで、彼女は大きな瞳を潤ませる。
まるで博愛だ。
家族の本と言うくらいだから、彼女たちは相当愛が深いのだと思う。
「うう……どうしても、いくのね」
ついには泣きだしてしまう。
なんと声をかけていいのかわからないまま、宙に浮いた手を持て余す。
ひとしきり泣ききったあと、ぐしぐしと乱雑に目を擦る。
「アカツキ」
妹は、兄を呼ぶ。
その目は、未だ潤んではいるけれど、覚悟の目だ。
「わかったよ。ベアトリスさん、戻るなら、もう止めない。」
私は、まっすぐ頷く。
せめて戦って死ななければ、父さんにも母さんにも、お爺様にだって顔向けできない。
「ベアトリスさん、オリジナルに…桜と暁によろしくね。それからその人形…忘れないで」
そう言って、2人は消える。
白い空間は、いつの間にか一本道に変わる。
道の先には、人影があった。
黒い髪を後ろで結った、大きな丸メガネの男。
白衣からして、偉い研究者なのだとわかる。
「一条、博士…?」
男はびっくりしたような素振りをしたあと、照れ笑いを浮かべながら振り返る。
「どうやら、過去の私のせいで大変なようですね」
写真で見たままだ。
そうか、この本の父は、一条博士なんだ。
母は彼の想い人。
たくさん聞いてみたいことがある。
だけど、時間がない。
私は単刀直入に聞く。
「金の男を倒す方法、無いんですか!」
製作者だからとか、頭がいい人だからとか、もう何でも良かった。
この道の先には、あの怪物が居る。
その前に、知恵を借りたかった。
「それはもう、知っているはずです。」
手元にあるそれを、男は指差した。
光の方へ駆ける。
きっと人生でも、これほど大きな仕事はない。
だってたくさんの命を背負っている。
失敗は絶対にできない。
金の空と、壊滅寸前の街。
遠目で見つけたデカブツに、私は力いっぱい叫ぶ。
「でてこーーい!!あなたのほしいものは、ここだーー!!」
人生で初めて、こんなに大きな声を出した。
遠すぎるのか、怪物は気づきもしない。
けれど、返事があった。
『アンタ、なんでここに』
黒江さんの、テレパスだ。
良かった、2人は無事なんだ。
後は、やり遂げるだけだ。
「あの、金の男を倒す方法がわかりました!金の男をこちらに引き寄せてもらえませんか?」
黒江さんはしばらく考えるように無言になる。
『まあいいや。どうせ他に何も手段はないし。こっちは魔力の限界だ。あまり期待しないでよ』
それだけ言うと、テレパスは途切れる。
金の男を目視で確認すると、とんでもないことが起きていた。
黒江暁の魔法は、この世界の外の法則である金の男には通用しない。
しかし、金の男は、空を舞っていた。
放物線を描くように。
黒江は金の男が居た地面を、こちらに飛ばしたらしい。
金の男によって書き換えられた地面よりも、さらに深い地中深くごと。
書き換えられたテスクチャも、流石に乗るように飛んでくる。
怪物は私を飛び越し、後ろの建物に突き刺さった。
「うわわわ!近い!雑すぎません!??」
これほどの声では、恐らく黒江さんには届いてはいない。
そもそもとんでもない芸当だ。
残りの魔力を使い果たしてくれたのかもしれない。
飛んできて倒れている怪物は、何が起きたかわからないのか、まだ起き上がらない。
これは、またとないチャンスだった。
私は、握りしめていた人形を見つめる。
不思議と心配はなかった。
彼女たちは、この時のためにくれたのだと、気づいてしまったから。
「ありがとう、家族の本。力を貸してください。」
人形を持って、怪物の側に寄る。
怪物には目も口も耳もない。
一体どのように知覚しているのはわからない。
それでも、あの真っ白い空間を思う。
あそこはいるだけで、温かかった。
怪物の手に、人形を渡す。
指先を曲げて、掴ませる。
人形を手放して怪物に触れると、心臓を掴まれるように苦しさに苛まれる。
けれども、私は人形を握りしめるように促す。
怪物は、ようやく握りしめる。
実際は握りしめているのか、静観しているのかはわからない。
「金の男、これが君の探していることだ。」
怪物は静かに人形を見つめる。
その所作はまるで、赤子のようだ。
しばらく時は止まる。
それはとても長く感じられた。
これが見当違いの行動であるならば、きっとここが私の終焉。
私は祈るように、目を閉じる。
消えてくれ、ではなく。
怪物があの温かさに、触れられるように。
長い沈黙の中、やがて怪物は歩みを止める。
力を抜いたように、人形を掴んだ手を地面に下ろした。
私の頬に、涙が流れる。
怪物のそばに、彼の家族が見えたから。
父と母、兄と姉。
そんなどこにでもいるような…。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
幕引きは、あっという間だった。
人形を持ったまま動かなくなった怪物は、何時間もそのままだった。
やがて、迎えが来る。
それこそ、神話の再現だった。
あれが、唯一神アリア…。
天使のような輪と、大きな翼を持っている。
黒い髪はどこか、クラスメイトの杭都さんに似ている。
けれど纏う空気は、神そのものだ。
赤子のような怪物は、手を引かれるまま消えていく。
それは実際のものなのか、神が見せたものなのかはわからない。
ただ、夢や幻のような光景だった。
金の男は、最後まで人形を大事そうに抱えていた。
親や想い人への愛は、それぞれ格別だ。
創造物は創造主を愛するもの。
金の男もまた、生みの親である、一条の愛を欲していたのだろう。