~金の腕~Case:10
「ひとまず、資料としてまとめたので、詳細はそちらを。」
黒江さんは、新しい資料の束を、片付いて空いた机に乗せる。
わざわざ同じ資料を人数分用意している。
「この机にあったのは一条のいくつかの研究のアイデアメモでした。ただし、内容としては不可解なものが大半です。今回は金の男についてと断定できる単語を含むものと、それらと時期が近いものをまとめています。」
少し冊子を捲ってみたものの、確かにわからないものも多い。
『晴れ』『子ども』『kkoarmeinmaor a kkakourjoisteurnui』『cloneはやっぱりありだと思う』
ロートルさんが目を通すまで時間があるため、わからないながら自分でも目を通してみることにする。
金の男については、基本的に共通語ではなく、読めない。
ロートルさんなら、読めるんだろうか。
それ以外のメモで目を引くのは、頻出する『子ども』というフレーズと、『神話について』と書かれたメモだ。
子どもについては、途中のページにあるように、今の肉体が朽ちた際の代わりを探していたようだ。
ただ一条博士はよく使う単語だったようで、『制作物は皆我が子だ』というような、そのままの意味でない文脈のものもある。
神話については、神話での金色に注目しているメモだ。
『神秘を金色で表現している?』だとかいろいろな走り書きがある。
「まだできないのか!」
ヒステリックな声が、やけに響く。
それもそのはず、ここは奥が見えないほど広い。
パイプオルガンの音と、せわしなく働く人々。
オルガンの奏者は、無我夢中で鍵盤を弾く。
それにさらに腹を立てたのか、高尚なローブの男は、近くの燭台を、オルガンのすぐ近くに投げる。
ガン!!!!という音に、演奏者はようやく手を止めて、男を見下ろす。
「どいつもこいつも舐めやがって…!いいかっ!これ以上遅れてはお父様に顔見せできん!!3日だ!すぐに術式を解読しろ!何人殺したって良い、不完全でも解読できた分を3日後に起動させろ!」
鼻息を荒く、小さな男は喚く。
元より短気なのだろう。
普通ならば飛んでもない言い草に、不満の声は上がらない。
それどころか、先ほどまでに働いていた人々は、まるで時間が止まったかのように、静止している。
数百人という人が。
ブツブツと悪態を吐きながら、男は帰っていく。
男の姿が見えなくなるころ、演奏者は誰にも聞こえぬよう、一言囁いた。
「よく肥えた汚い音だ」
しかし次の瞬間には、猫の手を作り、鍵盤に向き直る。
これこそが生きがいであるかのように。
男の音楽で、やがて階下の人々は活動を始める。
彼らはこの後も、音をバックに、虚ろな目で机の紙を何度も何度も読み返す。
たとえ命が尽きようとも。
彼らの多くは、誘拐や望まぬ人身売買、捨て子。
この非人道的な研究に関わるものにまともな人間など、一人もいない。
いかに美しくオルガンを奏でようと、誰も音を聴くことはない。
だというのに、男はこれを好機と思う。
これから彼らは、私の音楽に身をゆだね、命をささげる。
自らこそが、この救われない魂を掬うことができる。
それはなんと甘美なことか、と。
「ふふ…!あははははははは!神は素晴らしいッ!私は、私だけは!邪教にあっても貴女様をたたえましょう!唯一神アリアよ!」
「目を、通しました…」
静かな書斎に、声が響く。
ロートルさんは、いつの間にかかけていたらしいメガネをずらし、眉間を押している。
けれど次の瞬間には、強い目をする。
「直接的な写しはありません。ただし、ここからは金の男を作った一条の思想を想像することができます。」
ロートルさんは、ひとつ深呼吸をする。
彼としても、動揺しているように思う。
「金の男とは神使いの3神獣・アニアスに匹敵する怪物を、一条の魔法と科学で擬似的に創ったものです。」
擬似的な神獣…。
そんなことが、可能なんだろうか。
一条博士が天才だとしても、神話の生物の再現…。
しかし、桜ちゃんは取り乱したように体を後ろに引いて驚く。
「そのための魔力は!どう実現してますの…。」
それを聞いてようやく、理解する。
11区の邪教の活動報告を思い出す。
彼らもまた、4区の異常者が集まった成れの果てだ。
元とは言えば、一条の研究に携わっていた集まりなのかもしれない。
「非人道的な手段を含んだものなのは、間違いない。そんなリソースは、神本人でもなければ、地上のどこにだってありはしません。」
人の命で人の命を奪う兵器を作る。
いくら天才といえども、善とは程遠い。
むしろ実現する頭脳がある分、たちが悪い。
静まった中、黒江さんが口を開く。
「今は時間がありません。続きを。」
その通りではある。
時間は無い。
これから更に多くの人が死ぬかもしれないのだ
それは、避けなければならない。
桜ちゃんと理事長も、険しい顔で頷く。
その行いを受け入れるわけではない。
けれど、今はやるべきことをしなければならない。
「では、続けます。…といっても呪術書の写しなどはないようです。ただ、基本的には相当大掛かりな魔法のはずですから、あの呪術書の記述は、金の男を生み出すための呪文の羅列が大半でしょうね。」
ロートルさんは、質問は、と促す。
「その、2つ。どうして金なのでしょうか。それから…神獣を生み出すのはどうしてですか?」
貴乃下さんが、照れがちに聞く。
グラメスさんとのやりとりを詳細には聞いていない以上、当然の疑問だ。
とはいえ、聞いていた私でも、疑問だ。
「良い質問です。金の男を作った目的は、神を喚び出して人間を新しく作り直してもらうためのようですが…金と神獣については一条特有の神話の解釈が出ていると思います。」
ロートルさんは近くの本棚にある一際分厚い本を3冊取り出し、机に並べる。
神代神話という本、創世神話という本、人代神話という本。
それぞれ上・中・下と振られている。
これがおそらく、話によく出てくる神書なのだろう。
パラパラと上巻を捲り、1つの絵を開く。
そこにはたくさんの神のような生物たちと、悪魔のような生物たち、そして後ろに小さく人のような生物たちが描かれている。
人が少ない世界?
ロートルさんは、その絵の空から降る金を指す。
そして、今度は中巻を取り出し、また絵を開く。
金色から降り立つ2つの頭を持つ蛇が描かれている絵だ。
「まず、作中の金の表現を調べたところ、必ず神性の高い者が現れるシーンだとのメモがある。一条は現れたから金の空が出るのではなく、金は神秘を喚びだす土壌と捉えているようなメモも複数ある。」
絵では順序がわからない。
それ故に必ずしも一条の解釈が間違いとは言えないのだろう。
絵と反対の見開きのページにも、空については触れられていない。
「そして神獣についてですが、中巻の創世神話は人を襲う怪物を倒し浄化し、神使いの神獣とする話です。要するに、一条は神話の再現をすることで神を喚び出そうとしているのではないかと。」
多くの人が死ぬ災害を起こせば、神が助けに来る。
来なかったらどうする気だったのか。
いや、だからこそ生前使わなかったのかもしれないが。
けれどこうなった以上、何という危険物を遺していったのか。
そもそも、例えそれが事実だとしても、神様を使おうとするなんて…。
「私も質問しよう。魔導書の解読は、この国最高の頭脳を持ってしてどれくらい掛かるのかな。それから、解析の途中で扱われた時、どれくらいの被害が出るのかな。」
重要な話だ。
あとどれくらいの時間があるのか。
それは、強化明日の可能性もあるのだから。
「どれほどの頭脳があっても、完全な解析はほとんど不可能でしょう。ただし、不完全な起動は…3日でも可能かもしれません。」
3日……!
それなら今日にだって起こりかねない。
もう既に3日など過ぎている。
「金の男を具現化する呪文とそれを実現するための魔力の起動が、あの本の内容のはずです。少しでも具現化し、それを実現する魔力を用意すれば、あとは最終章を無理やり読むだけでも兵器としては機能します。」
つまりまだ起動していないのは、魔力の確保の時間…。
一体どれだけ、残りの時間があるのだろうか。
「どれくらい必要なんですか……?」
犠牲になる数が、多すぎる。
一体全体、どれだけの命が失われるのか。
「具現化する量にもよりますが…黒江さんや宮川さん達のような規格外な魔力量の方はさておき、一般的な魔術師なら、500人でどこかの部位なら、といった程度でしょうか。」
あまりの話に部屋は静まり返る。
書斎は話の後だと気味が悪い。
一条には、人並みの心は無いのか。
突然、爪で引っ掻くような音がする。
あたりを見回して気づいたが、奥に立っていた篝くんの目が、猫のようになっている。
表情は、怒りとも焦りともとれるような…。
「失礼。篝クン、どうしたのかな」
理事長が不思議そうに声を掛ける。
確かに、ただならぬ様子だ。
「社の近くで何かが起きた。複数の気配が、消えた。」
社とは、なんだろう。
隣りに居た桜ちゃんに、聞いてみる。
「11区には神話でクロキアが唯一神から貰った社がありますの。」
桜ちゃんも、机を隔てて篝くんの方へ身を乗り出す。
他の人もそうだ。
「何が起きているか、わかりますか?」
篝くんは首を振る。
しかし体を完全な黒猫に変える。
「魔導書を解析してる連中だと思う。生贄を求める悪意が感じられる。」
本能がざわつく。
「行こう!」
考えるよりも先に、体が動いた。




