~金の腕~Case:1
ーー愛とは形の無いものだが、人それぞれ形が違うらしい。
どこかの偉い博士が言った、彼に似合わない言葉。
8月24日、照り付ける太陽は天から消失し、世界は黒く塗りつぶされた。
代わりに上空からは発光する金の腕が生えた。
蒼を失った人々は、声も無く立ち尽くす。
そして誰かが呟いた。
星の終わりだ、と。
*****
カラン、コロン。
久しぶりの客人。
一面に広がる、長閑な自然の森の中。
内側からは鳥と葉と青空しか見えないここは、森に秘匿された氷の城。
ここに寄せられるのは、不思議な力でもなければ開くことのできない鍵の掛った品物だけ。
私の名はベアトリス・フォスター。
この広すぎる豪邸に住む、鍵開けの魔術師だ。
私を知る人からは、『鍵開けのベアトリス』と呼ばれている。
フォスターは、古い名家だった。
今やこの豪邸しか残ってはいないけれど、かつてはもっとたくさんの財を持っていたらしい。
代わりに無口なお爺様と、古株執事のロス、そしてその娘のリザの4人で暮らしてきた。
それも今や3人だけ。
数年前、唯一の肉親だったお爺様が亡くなった。
無口な人だった。
けれどもたまに思い出したように口を開いては、お母様とお父様のことを語る。
愛おしそうに、目を潤ませて。
私はそんなお爺様が誇らしく、大好きだった。
またじんわりと目頭が熱を持つ。
まるで昨日のことのように、思い出すことができる。
この豪邸は、かつて本当に城だったらしい。
それを長い時を経て買い取ったのがフォスター家。
栄華を極めた王権の根城は、今や年端も行かない少女とその執事たちの住処でしかない。
私が鍵開けを始めたのは、この城をもっと多くの人に知られてほしいからでもある。
鍵開けに来るお客様に、フォスターと城のことを覚えて貰えるように。
ーーさて、今日のどんな品物かしら。
*****
玄関の扉を開ける。
現れたのは、年配風の男。
「やあ、はじめまして。君が鍵開けの魔法使いかな?」
男はクオリスと名乗った。
偽名なのだろうか。
クオリスという発音は口にする度に発音が揺れている。
「私もね、実は魔法使いなんだ…ヒッ」
男はふざけた調子で、そんなことをいう。
冗談のつもりなのだろう。
私の鍵開けの魔術は、もちろん魔法なんかじゃない。
昔から鍵開けが必ずできる、それだけ。
お爺様も、これは魔法でも魔術でもないと言っていた。
「ご依頼は、そちらですか?」
「え?ああ、そうだよ…ふふ…」
男の依頼は、開かないアタッシュケースを開いてほしい、という内容のようだ。
不気味な男の態度に身構えていたけれど、いつも以上に簡単かもしれない。
アタッシュケースのロックに触れる。
ただそれだけ。
それで、開いたという感覚があった。
この感覚は、魔法みたいで楽しい。
しかし、次の瞬間。
パチンという音とともに、脳が痺れた。
「あれ…?」
今までにない感覚に、瞬きをする。
気のせいだったのか、それ以上の痛みも怪我もなかった。
いつも通り、鍵は開いている。
「…幻覚?」
今日は疲れているのかもしれない。
これまでこんなことなかったのだけれど。
アタッシュケースが開くと、男は本当に嬉しそうに、心からの笑みを浮かべる。
男の笑顔はなんだか不気味だ。
ニコニコというよりはゲヒゲヒと言った感じ。
誰が見ても不審に感じるのではないかと思う。
中身は、装飾が美しい本だった。
まるでお話に出てくる魔導書みたいな。
分厚く、そして表紙には読めない文字が書かれている。
まるで悪魔でも出てきそう。
「ありがとう、ありがとう」
礼を言うと、男は本を乱雑に取り出し、思い出したようにこちらに封筒を差し出す。
封筒に包まれたお金は異様に多く、最後まで怪しさが拭えない。
思わず男を目で追うと、男は興奮気味に電話をかけていた。
うっすらと聞こえた電話の声は、4や金の像だとか、聞いたこともない単語ばかりだった。
男は電話の主に、抑えきれないとばかりに大声で叫んだ。
「これですべて終わりだ!」
*****
そんな不気味な日の後も、平穏な時は続いた。
庭の手入れも、優秀な執事たちが毎日恙なくこなしていて、私の出る幕はない。
豪邸に、鐘の音が響く。
エントランスの音だ。
また久しぶりに、客人が訪れたらしい。
現れたのは、小さな兄妹だった。
彼らが開きたいのは、父親の形見だという、小さな宝箱だ。
手をかざせば、それは開く。
我ながら、まるで魔法のようだと思う。
けれどこの世に魔法などない。
魔法があるのは人の心と本の中だけ。
「ありがとう…。」
中身はおもちゃの指輪だった。
少女は指輪を、両手で大切そうに持つ。
少年は一礼すると、何かをこちらに差し出す。
「ベアト、あなたにこれを。」
小さな人形だ。
お土産として持ってきてくれたのだろうか。
遠慮しようとしたけれど、少女と少年は頑なだった。
「ありがとう。じゃあせめて、お金は良いわ。お礼は貰ったから。」
少女は納得したように、財布を鞄にしまう。
「困ったら、12区に来てね。」
彼らは倭国という、遠い東の国から来たらしい。
12区というのは、その中心で、彼らの通う学校のある場所だという。
倭国のことは、聞いたことくらいはある。
四季というのが、とても綺麗だと聞く。
いつか、行ってみたいな。
「ありがとう。アカツキ、サクラ。」
◇
最近、不思議な事ばかりだ。
連日のように、お客さんが訪れる。
ましてや、今日は12人目。
「君が例の子か…。」
見たこともない紫がかったような白髪の青年が、しかめっ面で言う。
青年は決して暗い性格には見えないが、表情はとても深刻そうだ。
「あの、私って有名なのでしょうか?」
ーーどこかで誰かが宣伝してくれている…とか。
青年は、さらに眉間の皺を深くする。
怒らせてしまったのだろうか。
やがて覚悟を決めたように、こちらをまっすぐ見据える。
思わず自分も、身を正す。
「…君、この本に見覚えは?」
胸元から取り出された写真は、数日前に見た、あの魔導書のような本だった。
「つい数日前、お客さんがアタッシュケースから取り出していました。」
本来ならば、お客の情報をぺらぺらと話すべきではないが、幸い口止めの類はされていない。
それにあの男は、思い返してみても怪しかった。
何か騙されたんじゃないかって。
「あの、それは何なのでしょう?盗難品とか…ですか?」
青年は、水のように、言葉を紡ぎ始めた。
「君は魔法を知っているか?」
風が靡く。
何故だかわからないが、遠い異国を想った。
桜という桃色の花が沢山咲くという東の国。
遠い地には、もしかしたら、魔法だってあり得るのだろうか。
倭国とは一体、どんな国なのだろうか。