第93話 魔技研編 『魔法学新理論の悪夢再び……』
屋内演習場にて。魔法の実習授業が始まる少し前のこと。
レイスティアと仲良くなったパティが積極的に話しかけていた。特にレイスティアが持ち歩いているウサギの人形から会話に花が咲いていた。
「うわああ、ティアちゃん。それはとってもウキウキでズキューンなことだよお」
「ありがとうございます。確かにカナン商会のぬいぐるみは質が高く、お手頃な子が多いですね。ですがこの『キラリ』はフレアちゃんの手作りで初めてくれたお友達なのですよ。私の宝物です」
「うわあ、それはワクワクハッピィなことだね。後で、ぎゅーーんていって、もふもふな話をしようよ」
「放課後カナン商会のお店にですか? フレアちゃんも誘ってみましょう」
「それはとってもイケてる提案だね。みんなもぐいってこうよ」
「そうですね。皆さんにも声をかけてみましょうか」
こうした2人の会話を聞いていたアリアとセリーヌは首をひねった。パティの言動があまりにも謎すぎる。そして、意思疎通ができているレイスティアの理解力がちょっとおかしい。
「し、信じられません。どうしてあの意味不明な”パティ語”で会話が通じるんですかねえ」
「……逸材ですわね。あのパティさんを相手して普通にしていられるなんて恐ろしいコミュ力でしてよ」
今もレイスティアはニコニコと笑顔を崩さずパティのお花畑な会話について行けている。それがどれほどすごいことなのか、セリーヌは身にしみているだけに感動で泣きそうだった。
「きゅ、救世主ですよお。あの理不尽の塊の相手を代わりにしてくれるだけでわたしの被害が激減します。わたし、ティアさんに何かあったら全力で助けますね」
「それってパティさんを押しつける人がいなくなるのが困るからではなくて?」
「悪いですか? そもそもこのクラスそのものが魔窟なんですよお。鬼個性の塊みたいなクラスで生き抜くにはティアさんのような良識派は貴重です。アリアさんだって助かるでしょう」
それにはアリアが過去をふり返って痛む頭を手で押さえた。我ながらよくこのクラスの委員長を務められたものだと自分を褒めたくなる。
「その通りですわ」
短い言葉だがそれゆえに苦労が深くにじむ。セリーヌはそんなアリアをいたわってあげた。
そうこうしているうちに今度はロザリーがレイスティアに声をかけている。シスターとして布教と寄附を呼びかけクラスメイトに迷惑をかけていた彼女はレイスティアの公爵家という立場に目をつけたのだ。
「ティア様、どうか教会に寄附をお願いします。今も恵まれない子供たちのため是非にお願い致します」
突然の話にもレイスティアはにこやかに応じる。
「それはとても素晴らしい活動ですね。ロザリーさんの活動を応援させてください」
「でしたらどうか、ど、う、か、お金を下さい」
もはや寄附ではなく、お金と言ってしまっている辺りに欲望が隠しきれいていない。聞いている周囲の生徒たちもあきれた様子で見守っているが助ける様子はない。なぜなら、ロザリーに絡まれるのは面倒だからだ。
「ごめんなさい。寄附はできません」
「どうしてですか。公爵家ならお金はたくさんあるでしょう。ああ、それとも私の態度がいけなかったのでしょうか」
そうだね、態度が良くない。
聞いていた生徒はそう思うも言葉にはしない。理由は先にも同じくロザリーが面倒だからに他ならない。
「寄附もまともに集められない私はシスター失格です。ああーー、神よ。こんな無能な私はお食事を抜いて少しでも恵まれない子供たちの食費の足しに……」
無能っていうか寄附集めにかけてはむしろ敏腕だろう、と誰もが突っ込みたくなる。ロザリーが集める寄附の額は実はとんでもない。後ろ向きな発言で同情と罪悪感を刺激して大量にお金を巻き上げる(訂正:善意を集める)のだ。
大抵の人はここで折れるのだがレイスティアは心の芯に折れない信念がある。だからこう切り返した。
「我が公爵家のお金は民の血税。寄附とはいえど自由にはできません。責任ある公爵家の者としてその血税は民のため大事に使わせてもらいます。そこには恵まれない民への救済も含まれているのです」
「「「おおーーーー」」」
「うぐっ、手強い」
レイスティアの言葉に聞いていた生徒たちは拍手し、ロザリーはたじろいだ。
そして、レイスティアはまるで女神のような慈愛を持ってロザリーに手を差し伸べる。
「ロザリーさんの行いと思いは素晴らしいとおもいますよ。ですからせめて私の真心と祈りを送らせてください。どうか、民が幸せになりますように」
「いやあああーーーー、眩しいぃーーーー」
ロザリーにはレイスティアから聖なる光が広がっているように感じられた。物欲を洗い流すような言葉にロザリーの心にすくう悪魔サイドが消えていく。
シスターであるロザリーがレイスティアの純真に屈した瞬間である。ロザリーは己の修行不足と卑しい心を恥じてその場に崩れ落ちていった。
見ていたセリーヌはひきつった顔でレイスティアをこう評する。
「神対応ですね。あの人本当に人間ですか?」
一方でアリアもなぜレイスティアがパティと通じ合えるのか、その理由に気がつき納得する。
「なるほど。パティさんと気が合うはずですわ。根っこの本質は一緒なのね。ピュアすぎるほどにいい人なのですわ」
『神対応』
レイスティアの対応ぶりから始まったその言葉はクラスの間でちょっとしたブームになったという。
魔法の演習授業。今回は編入生のためにおさらいも兼ねていた。
例によってルージュがフレアのためにホワイトボードを組み立てて用意するとフレアの授業が始まった。
「本当は対ホロウの『絶対魔法障壁』について対処法を説明するはずでした。しかし今日はシルヴィア様とティアちゃんのために魔法学新理論の復習も兼ねた内容に変更します」
ティアナクランは最初の聞き慣れない名称が気になって挙手をする。
「待ちなさい、フローレア。絶対魔法障壁とは何のことですか?」
「ティアナは以前ベルカで戦った上級精霊のホロウに対して苦戦しましたよね」
「ええ、わたくしは遠距離魔法タイプ。ホロウは魔法砲撃を無効化してしまうので実力を発揮できませんでしたわ」
「その通りです。ティアナの魔法は強力で戦術級に匹敵する魔法を数多く所有しています。それでもホロウの上位種には魔法砲撃が通じません。直撃しても遠距離魔法を無効化してしまうからです」
「なるほど、その遠距離魔法無効化能力が絶対魔法障壁なのですね」
フレアが頷いた。
「まあ、そっちも気になるでしょうが私の考案した魔法学の『新理論』はいろいろと衝撃が強すぎますからね。先に無詠唱魔法の習得方法を編入生に知ってもらおうというわけです」
ああ~~、それもそうだね。
生徒たちからは口々に納得の声が上がる。かつてGクラスの生徒たちが直面した驚きの事実は下手をすれば正気を失いかねないものだった。
あのときのことを思い出したのか、ティアナクランは濁った瞳で焦点が定まらない物思いに耽ってしまう。光の大精霊に大爆笑され、世界中に拡散したというティアナクランの暗黒の歴史。ティアナクランの心の傷は未だ癒えていないだろうことがうかがえた。
新理論の正体を知らないシルヴィアは自信にあふれた様子でフレアに提案する。
「おほほほほ、私は竜人の王女です。共和国最新の魔法学をおさめておりますわ。竜人故に無詠唱も短い期間の詠唱訓練で習得するのです。そのような気遣いは無用ですわよ」
それにはティアナクランがシルヴィアに忠告する。それはもう本当に相手を気遣っての言葉だ。
「悪いことは言わない。早めに知っておいた方が傷が浅くて済むわよ。絶対にきいておけば良かったと後悔することになりますから」
「王国の魔法学に共和国が劣るとは思えませんが?」
「その認識は改めたほうが良いわね。というよりも確かに王国の魔法学は共和国に劣るのでしょう。ですが新理論は王国のものではありません。あの”フローレア”の魔法学なのです。絶対に知っておくべきですよ」
あまりにも真に迫った説得にシルヴィアも『一体何なのですか?』と不満そうだが仕方なく応じた。
「まあいいでしょう。その新理論。共和国に勝るものとは思えませんが聞いてあげましょうか」
随分と上から目線な物言いではあるがクラスの面々が気分を害している様子は見られない。むしろ、同情に満ちた視線が集まるばかりだ。
「ありがとうございます。シルヴィア様。ティアちゃんも聞いてて下さいね」
「はい、分かりました」
するとフレアはホワイトボードにせっせとペンで書き進めながら説明を始めた。
背が小さいので高いところに届かず、つま先立ちしてもスペースを使い切れていない。ぴょんぴょん跳ねるように苦心して書いていく様にカレンがなぜか鼻息が荒い。フレアは背筋に悪寒が走るもふり返らない。それこそ身の危険を感じるのだ。
ルージュがそばから離れないことからフレアの勘は間違っていないのだろうと察する。
「ええっと、魔法は魔力を用いて法則と術式で引き起こす超常現象だというのが従来の理論ですが、皆さんはそれが根本から間違っていること周知のことでありましょう」
「……はっ?」
フレアの冒頭からしてシルヴィアは過剰な反応をみせる。表情からは何を言っているのだ、という困惑が見て取れた。
だがフレアの続く言葉にシルヴィアはますます混乱を深めていく。
「魔力とは森羅万象どこでも存在し、自然そのものから生じます。これも既に理解してるものと思います」
「ちょっと待ちなさい」
「はい、何でしょうか。どこか分からないことでも?」
「いえ、むしろわからないことだらけですわ」
「そうなのですか。共和国は王国よりはるかに進んでいるらしいのでこの程度は解明済みとばかり……」
「おかしい、おかしい、おかしいですわ。魔力は心を持つ生命体に宿り、その身に宿る魔力を法則に乗っ取って運用するのが魔法ですわよ。無詠唱なのも口にしないだけでちゃんと短縮するための理論があるのです」
普通はそう思うよね。
生徒たちからはそのような声が上がった。世界に伝わる魔法の常識に土足で喧嘩を売るようなフレアの暴挙をこのクラスの生徒たちは平然と受け入れている。
フレアはどこか落胆したような様子で肩を落とすと吐息を漏らす。
「残念です。共和国もたどり着いていなかったのですね。魔法とは精霊が起こす奇蹟のことなのですよ」
「はああああーーーーーー?」
「百聞は一見にしかずといいます。これを使って下さい」
そこでフレアはシルヴィアに2つの魔導具を渡す。見た目は眼鏡にしか見えない道具と耳に当てる通信用魔導具のようにもみえる。
「これは何ですの」
「レンズのついた方が精霊感知の補助道具《精霊時計》を改良した《精霊鏡》です」
フレアがシルヴィアに装着させてあげるとシルヴィアは自分の目を疑った。眼鏡越しには大気中に存在する下級の精霊たちが光り輝き、うっすらとだが人の形を取っているようにも見える。
「改良型ですのでただの光としてだけではなく人型に補正して精霊の存在を認識できます」
「精霊……」
シルビアは胡乱な目つきでじっとみつめ、無邪気にそこらを飛び回る精霊を認識すると徐々に飲み込んできた。そして、理解したときには驚きの叫びを抑えることはできなかった。
「ええーーーー、精霊イターーッ!!」
フレアはうんうん、と頷いた後で捕捉する。
「通常弱い精霊は認識できないのですがこの魔導具があれば精霊を感じることができます。これが魔法を知り、無詠唱を習得する第一歩ですよ」
フレアは自分の発明をすごいでしょと子供のように褒めて欲しそうだったがシルヴィアはそれどころではない。今、彼女の中で揺らがないはずの強固な常識が音を立てて崩れる。いや、常識が爆裂魔法でいっきに消しとばされたような衝撃を受けて呆然とした。
「あ、それでそれで、もう一つの方は《精霊回線機》といいます。耳に装着するとそこら中にいる精霊とお話し出来るようになるのですよ」
それはもうキラキラした瞳で発明を披露するフレア。一方でシルヴィアは無言のままもう一つの道具を耳に装着し、可変マイクを口の方に持って行くとかしましい精霊たちの声を聞いた。
一気に大勢で話しかけてくるものだから騒がしいといったらない。
なかでも1人の火の精霊の女の子が前に出て特に良くしゃべる。
『ねえ、おしゃべりできるようになった? だったら聞いてよ。私たち人間とおしゃべりしたくてしょうがなかったんだーー。ようやくフレアちゃんがそのための道具を完成させたんだね。あなたは竜人だけどこの際細かいことは気にしないで。あ、返事はしなくて良いよ。もうとにかく話したくて仕方ないの。あなたとは特に火属性の親和性が高いから私と仲良くしておくとお得だよ。魔法もサービスしちゃうよぉ~~。本来なら上級魔法1つに大体魔力1000マナ(魔力の単位)くらい頂くところだけど、今なら……わあお、超お得プライス。20%オフの800マナでのご奉仕。これからのお付き合いでもっとお勉強だってさせていただきますとも。どうですかお客さん!!』
まあまあ良くしゃべる。つい思考が停止して長々と聞いてしまったシルヴィアだがいい加減うるさいと精霊回線機を一度切った。
話ができなくなって火の精霊は文句を言っているふうだが聞こえない。というよりも目を背けて現実逃避したかった。
「フローレア様、幻覚と幻聴が聞こえるようになったようです。今日はもう帰らせてもらいますわね」
「まって。それは現実です。目を背けないで下さい。これが魔法の真実ですから」
「いやああーーーー、信じたくないーー。だっていま精霊が魔法の商談を持ちかけてきましたわよ。こんな現実知りたくなかったですわーーっ」
頭を抱えてシルヴィアは叫ぶ。レイスティアの方が動揺が少ないように見える。フレアに見惚れているせいで内容が入っていないだけかもしれないが。
そこにティアナクランが悟ったような目でシルヴィアの肩に手を置いて警告する。
「シルヴィア様、これはまだ序の口よ。これからあなたはもっと残酷な真実を知ることになるわ」
「どういうことです?」
「魔法は精霊が起こす奇蹟。私たちは精霊にお願いして魔力を代償に奇蹟を起こすの。だったら詠唱は精霊と意思疎通するための手段の1つに過ぎないのよ。本来詠唱は魔法に必要なかったの」
「……何が言いたいのかしら」
「詠唱で魔法が発動したということは精霊が聞き届けたということ。つまりどんな恥ずかしい詠唱を叫んだとしても発動したなら聞かれたということなのよ」
これでも頭の回転は悪くないシルヴィアである。それが何を意味するのか瞬時に理解した。同時に過去にさかのぼり、自分が口にした恥ずかしい詠唱の数々が頭を巡った。
(まさか『天に頂く獄炎の星々よ。我が声に応え、塵も残さず焼き尽くせ』なんかも聞こえてたというの)
その心の声を拾った火の精霊が、
『ああ~~、それ私聞いたことあるよ。私が力貸してあげたんじゃん』
などと信じられないことを言っている。ぎょっとしたと同時に精霊回線機を強く耳に押し当てて念じる。
(まさかとは思いますが、マコト様を思って練習していた戦術級炎熱魔法の『我が心に抱くは無限の愛。我が胸を焦がす熱き情熱よ。世界を覆い尽くすこの情熱を糧とし敵を焼き尽くせ』という詠唱も聴かれていたというの?)
『あ、その詠唱聞いたことがあるよ、火の精霊の王族が気に入ったって周囲に言いふらしているらしいよ』
その言葉は致命的だ。羞恥心を徹底的に刺激され、精神はあっという間に瀕死の淵まで追いやられていく。
(終わった。……私の人生は終わった。そして、私の恥ずかしい詠唱を言いふらしてるその精霊の王族――死なすっ!!)
だが時間が経つほどに羞恥心が殺意を上回り、シルヴィアは頭を抱えて悶え苦しんだ。
「し、しにたい。いえ、誰か私を殺してぇーー」
「分かります。死ぬほどその気持ち分かりますとも」
ティアナクランが涙混じりに崩れ落ちるシルヴィアを慰める。
シルヴィアが会話できるほど回復するまでには授業の半分の時間が必要だった。ちなみにレイスティアも恥ずかしがっていたが回復はシルヴィアよりもずっと早かった。
レイスティアの話ではこうである。
「考えてみれば詠唱はフレアちゃんを思っての言葉が多かったですね。恥ずかしいですが誇らしくもあります」
などというものだからフレアの方が顔を真っ赤にして照れてしまっていた。
聞いていた生徒の中には『熱っちいーー』などと冷やかす声なども聞こえたのは余談だ。
その頃、王都ではブリアント王国国王ビスラードと相談役のアルフォンス公が王城の執務室で頭を悩ませていた。
それは南の貴族連合と魔技研が結託して暴走した件である。司法を動かしグローランス商会を強制捜査したことで王都にいる民が不安を抱き治安の低下にまで発展している。
「厄介なことをしてくれたものだ」
ビスラードは言葉の端々に苛立ちをのぞかせた。
深く椅子の背にもたれかかるビスラードにアルフォンス公も同意する。
「その通りですな。グローランス商会は王族の管理下。そこに法をねじ曲げて強制捜査とは南の貴族どもはバカなのでしょうか」
「お主もそこまでいうか。だが困ったことよ。現在の司法は南の貴族どもの思うがままだということが露見してしまった。大半の司法官が南の貴族どもに屈したと見て良いだろう。グローランス商会はこのままでは冤罪で潰されることも考え得る」
実に悲観的な未来を予想しビスラードは苦々しい表情を作った。だが、一方でアルフォンス公の反応は違っていた。
「甘いですな、陛下。あの小娘がこの程度の逆境でどうにかなるとは思えませぬ」
「どういうことだ。絶望的な状況であるぞ。残念ながら余は口出しできん。仮にしたとしても司法の独立性を余自ら崩す真似はできんよ」
そうではないとアルフォンス公は首を振った。
「あの娘はブリアントの悪魔と呼ばれておりますが儂から言わせればそれすらも生ぬるい。魔王とでも言うべきでしょうな。そもそもこの状況すらあの娘は予見し自ら呼び込んだ窮地かも知れませぬ。そうだ、これを機に逆に魔技研を完全に潰すつもりなのでは?」
それは幾ら何でもあり得ない、深読みしすぎだ、とビスラードは笑って否定する。
「仮にも息子の婚約者であろう。言い過ぎではないか」
「いいえ、過言ではありませぬ。儂はあれが義理の娘になった時のことを想像するだけで恐ろしゅうて震えが止まりませぬ」
これで実際にガクガクブルブルとふるえているのだからビスラードは大げさだと溜め息をつく。なんとも情けないと思ってしまったのだ。
「どれだけクラウディオの孫を恐れておるのだ。跡継ぎの嫁として考えるなら頼もしい限りではないか」
それにはくわっ、と目を見開きアルフォンス公が詰め寄った。
「陛下は知らぬのです。あれはあの娘がレイスティアとの婚約の件で王都の別荘にいる儂へ挨拶にきたときのことですじゃ」
ビスラードは長くなりそうだと回想に入ったアルフォンス公をみて2度目のため息をつく。長期戦を予想し冷めかけた紅茶を口にする。
「あの娘は今回のように貴族に冤罪で訴えられ、婚約に追い込まれたことにひどく怒っておった。当時の儂は煮えたぎるマグマのような怒りを押し殺し、子供らしい天使のような仮面をかぶったおそるべき魔王だというのに安易に屋敷へ招いてしまったのです。あれがそもそもの誤りであった」
「……いきなり辛辣な始まりよな」
「恐ろしいまでの美辞麗句を並び立て、相手を持ち上げるための素晴らしい貢ぎ物の数々も全てがわなであった。我が公爵家をおだて王族すら持ち得ないような富と美術品を差し出しながらもあやつはその裏で儂を地獄に落とすためにあざ笑っておったに違いない」
「お主、言いたい放題だな」
ここまで来るとビスラードは一体何があったかと興味を持った。フレアがなにをして北方貴族たちから恐れられる老練のアルフォンス公を震え上がらせたのか知りたくなったのだ。
「会話にも和やかな空気が流れ、儂はすっかり油断しておりました。そのときです。あの娘が突然言ったのです。
『世界に轟く雷鳴の主よ。我が高貴なる血筋の声に耳を傾け力を貸せ。グレイトデュークサンダー!!』と」
ちょうど紅茶を再び口につけていたビスラードが思わず吹き出しかけた。
「な、なんだその恥ずかしい詠唱は?」
だがそこで詠唱の内容からビスラードはとある推測が浮かぶ。まさか……という気持ちでアルフォンス公を見ると。
「お察しの通り。これは若かりし儂がかつて唱えた恥ずかしい詠唱でした」
「おおう、それは効くのう」
同情に満ちた視線でビスラードはアルフォンスをみる。
「恐ろしいのは儂が遠距離魔法を撃てないものかと研究していた誰にも聞かせていないはずの詠唱であったことです。それも、当時あの娘が生まれているはずもない過去のもの。それをどういうわけか一字一句違わずあの娘が申したのです」
「…………」
それを聞いてビスラードは言葉を失った。だが話はこれで終わらない。
「それからあの娘は数々の恥ずかしい詠唱をそらんじ、しかも、公爵家の秘密を口にしたのです。その後あの娘はこう言いました。
『裏で何やら画策してくれたようですが次はありませんよ。この意味、よくおわかりですよね』
そう言ってあの娘は帰っていったのです」
「な、なるほど。お主が恐れる理由がよく分かった……」
「まだ続きがあるのです」
「まだあるのか?」
「部屋に取り残された儂は恐ろしゅうてすぐに駿馬を駆りたて行きつけの店に逃げ込みました。きっと夢だと現実逃避したかった。なのに儂が来ることを分かっていたかのようにあの娘が駿馬より早く先回りし待ち構えていたです」
ビスラードもこれはホラーかと紅茶カップを持つ手が小刻みに震えた。話に引き込まれるようにただ続きを待った。
「あの娘は静かに礼をすると、
『お待ちしておりました。きっとアルフォンス公はここにいらっしゃると予想しておりました』
そういって調べ上げた儂の暗黒の歴史と秘密を本にまとめた物を手渡されたのです。儂は確信しました。ここに至るまで全てあの娘の手のひらの上であったのだと……」
執務室には重苦しい静寂が訪れ、まるで冷却の魔法でも唱えたのかと錯覚するほど肌寒く感じられた。
2人は揃って身震いをする。
「あの娘はほんに11歳と侮ってはなりませぬ。その手管まるで熟練の策士。儂には今度の件あの娘が一人勝ちする未来しか思い浮かばぬのです」
「きょ、興味深い話だったな。なるほど、余は子に年頃の男子がいなかったことを幸運に思うべきか。でなければ何も知らず政略結婚で取り込むことを考えていたかも知れぬ」
「陛下、後生です。あの娘王族で引き取って下され」
情けなくすがるアルフォンス公にビスラードはとんでもないと内心思う。そのような話を聞いて王族に迎え入れるなど考えられるはずがないのだ。
そんな思いを隠し皮肉めいた態度でビスラードは言い逃れる。
「ふははは、まこと残念よな。クラウディオの孫が男子であれば我が娘ティアナクランと政略結婚させていたかもしれぬ。だが女子ではな。非常に残念だ。ふはははは」
「ぬうう、あの娘、男子になってくれぬものか」
「おい、縁起でもないことを申すな。竜人の王族でもあるまいに男子になるなどあり得ぬわ」
このときの会話が後にブーメランとなって返ってくるとはビスラードも考えはしない。軽率な発言を後悔することになるのだが、それはまだ先の話である。




