第53話 竜人王女編 『フレア、真・暗黒冥王眼を攻略する』
「ぬおおおおおーー、ありえねええっ」
マルクスがものすごい勢いと形相で逃げていた。
背後から追ってくるのは空を飛ぶ竜が20体。それもそれぞれが全長15メートルほどの巨体だ。
見た目から感じる迫力は常人なら失神するレベル。
戦術的撤退はやむ無しだ。
「マルクス、右に避けてください。ブレス、来ます」
「こなくそーーーー」
後ろを振り向く余裕がないマルクスはフレアの指示に従って大きく飛ぶと、さっきまでいたところに炎がまかれていく。
そして、火を受けた地面は赤く赤熱しやけどしそうな熱波が伝わってくる。
地面が焦げる異様な匂いは恐怖を助長していく。
「ひいぃぃ」
「直撃したら骨も残りそうにありません」
「言うなよ。怖くなるだろうが」
思わずフレアに八つ当たりっぽく返事をするマルクス。
それでも背中のフレアの方が危険と判断し、小さな体をぽんと跳ね上げると手前から抱き上げるお姫様だっこに体勢を変える。
隣に追いついたレイがそれをみては充血と嫉妬のこもった目で悔しがる。
「フローレア様をお姫様抱っことか、うらやましすぎます」
「代われるものならマジで代わって欲しいわ!?」
「いやっ、マルクスがいい」
レイはまたもショックを受けつつもキッと上空の竜に向かって殺意をぶつける。
「おのれ竜ごときがっ、貴様らが追い詰めるから。そもそもフローレア様に攻撃するなど許せん」
もはや八つ当たりだが憤怒で力が増したレイが上空の竜に向かって跳び上がり戦闘を始めた。
実際、竜の腹に大穴を開ける大ダメージを与えている。
「おおっ、レイもやりますね。竜の胴体を一撃で吹き飛ばしてます」
「おおっ、すげえなあいつ」
「それでマルクス。あとでそんなレイとほんとにリアルファイトする気ですか?」
「……検討中だ」
更にカロンも迎撃に加わり竜は撹乱され、距離が離れていく。
「おおっ、これなら竜からは逃げ切れそうですね」
「それは良い知らせだぜ。……って待て!! ――竜からは?」
恐る恐るマルクスがフレアに尋ねると、
「地上をものすごいスピードで走る犬型の魔物が追ってきています」
「犬って大きさはどのぐらいだ」
「……7メートルぐらい?」
「それもう犬じゃねえよ。大狼だろ」
「なるほど。じゃあそれで」
「どれぐらいまで迫ってる?」
「今すぐ跳ばないとケツにかじりつかれるくらいですか」
「なにっ、ってうおおおーー」
マルクスは背後から聞こえる獣の息遣いからとっさに前に跳躍する。
間一髪。
マルクスはズボンの尻部分が大狼の牙に半分持っていかれる程度で済んでいた。
「ぬおおおっ、いまケツかじられたよな!?」
「大丈夫です。まだ半尻が見えてる程度です。よかったですね」
「良くねえよ」
フレアはマルクスの背後に顔をだして確認し、
「大丈夫、怪我もないきれいなお尻でした」
「恥ずかしすぎるわっ」
そこでフレアは亜空間ポケットから裁縫道具を取り出して言った。
「あの、裁縫道具持ってますから縫いますか?」
「てめえは今の状況が分かってねえのか。まずはお前の魔装銃で牽制しろ」
「それはできません」
「何でだ!?」
「半竜人化の影響で盗難防止のセキュリティが誤作動してしまうようです。使うとマルクスも一緒に防犯用の電気スタンを浴びます」
「つかえねえな、おい」
そこでフレアは亜空間ポケットから化学薬品のピンを取り出すと犬に投げ入れた。
すると大狼は苦しげな雄叫びを上げてひるむ。それでも動きを鈍らせた程度で追撃を再開する。
「おい、何をした」
「凝固剤の一種を使いました」
「何のために?」
「いえ、水も固めれば再生できないかなと思いまして」
「効いてるのかよ?」
「恐らくは。一度倒してみれば分かります。マルクス。自慢の筋肉の出番ですよ」
「相手は7メートルもある化け物だぞ、できるかっ」
そうはいうマルクスだが正面に見えてきた光景に顔つきが変わった。
目の前には大きな教会があり、多くの子供連れの親子が避難している。警備兵もいるがあまりにも心許ない。
「やべえ、このままいけば巻き込んじまうぞ」
途中の角を曲がろうとするマルクスにフレアが慌てて制止する。
「マルクス、曲がってはいけません」
「なぜだ」
「敵がそのままこっちを追ってくれる保証はありません。そうなれば正面の子供たちが犠牲になります」
「っ!? そうか」
マルクスは教会の100メートル手前で踵を返して迎え撃とうと覚悟を決めると嫌な予感が的中した。
大狼はマルクスを飛び越えてまっすぐ教会の人々に向かっていく。
「ちぃい。マジかよ」
そのときには大狼の接近に気がついた人々から悲痛な叫びが脳に響く。
兵士も驚きのあまり腰を抜かして対応できるとは思えない。
子供たちの悲鳴を聞き、マルクスの顔が漢の顔に変貌する。
「『日夜欠かさず鍛えあげた筋肉美』」
マルクスは自らの奥義ともいる魔法の詠唱に入る。
「『それははち切れんばかりに隆起する男の勲章』」
詠唱のたびに筋肉は膨れ上がり瞬発力も跳ね上がる。それによって大狼に追いすがっていく。
そして、ついには追い越して人々に迫ろうとする直前で立ちはだかった。
「『うおおおぉっ、《筋肉無双》!!』」
フレアを横に降ろすとマルクスは内側から筋肉が盛りあがり、上着の制服をはち切れんばかりに引き延ばすとはじけ飛ぶ。
「ガキに手を出してんじゃねえよ。この犬っころがっ!!」
7メートルはある大狼はマルクスにあっさりと止められ動きが抑え込まれる。
そして両手を組んで大狼の頭に振り下ろす。
「おおおおっ、マッスルハンマーーッ!!」
大狼はマルクスの一撃で砕け散り消滅していく。フレアの凝固剤の効果なのだがそれを知らない人々はすべてマルクスの力によるものだと錯覚した。
最初は度肝を抜かれたようにしーーんと静まりかえったが、理解が追いついてきた頃には大歓声が上がった。
『おおーー、何だあの青年は? あれほどの水の魔物を一撃で?』
『何者だよ。あんなすげえ騎士がいるなんてきいてねえぞ』
大人たちの驚きようもそうだが特に子供たちの熱狂ぶりが凄まじい。
『筋肉すげえ。かっこいい』
『きゃあ、きゃあ』
『俺、将来あの人みたいになりたい』
『あのお兄ちゃん、すきーー』
あまりの騒ぎにマルクスは引き気味だったがフレアがツンツンと腕をつつく。
「……なんだよ」
「よかったですね。ベルカでもきっと大人気ですよ」
それには頬が引きつっていくマルクスだが次なる脅威が目にうつる。
「おいおい、マジかよ」
「そりゃあ、きますよねえ」
今度は先ほど引き離した竜18体。
「ほむ。2体減ってますよ。レイとカロンが頑張ったようですね」
そこにレイとカロンが合流してくる。
「すみません。ほとんど削れませんでした」
「しかし、もう後がありませんね。民を守りながらとは厳しい戦いになりそうですよ」
「おい、フローレア。なんとかならねえのか。俺じゃあ空の敵は無理だ」
「そうですねえ」
フレアは考え込む。
(あの竜の詳細な情報が欲しいところですが……)
もっと情報が欲しい。そう思い目をこらしてじっと迫る空の竜を見つめていると熱が入る。
実際に魔力でフレアの目は真っ赤に輝きだす。
それを見てマルクスたちは驚き、カロンに至っては天がひっくり返ったかのような衝撃が走った。
「そ、それは《神龍眼》!? ばかな、ありえない」
「何がありえないんだよ」
「竜種にはゾルダークのような特殊な力を持つ魔眼系の能力に目覚める者もいます。ですがフローレア様のそれは存在すら疑われる伝説の魔眼。いえ、神眼の一種です」
「神眼だって!?」
「私も詳しくは知りませんがその力は神すら打倒しうるとされるもの」
「マジかよ」
そんな会話も今のフレアには耳に入らない。敵の情報なら少しも逃すまいと集中していた。すると脳裏にとんでもない表示が現れた。
【おめでとうございます。《神龍眼》が覚醒しました】
「はっ?」
思わずフレアは変な声を漏らした。
【あなたは《知の女神の加護》を受けることができます。同意しますか?】
フレアは胡散臭そうな目でその表示を眺めていた。
(あやしすぎる。これって無視した方がいいのでは?)
【あ、ごめんなさい。無視はやめて。マジで凹むから。人とお話しするの久しぶりなのーー】
(女? そもそも誰かが私の精神に干渉してるってことですかね。悪趣味です。やっぱり無視……)
【わかったわ。この戦闘が終わって落ち着いたら面と向かってお話ししましょう。今は《ホロウ》のせいでこうやってしか意思伝達できないの】
(ふむ。直接会話はぜひお願いしたいですね)
相手の正体が分からないのでは話が進まない。
【今は時間が無いでしょ。お試しで能力の一部を解放してあげる。話はあと】
(確かに、竜が迫っていますからね)
その後脳裏の表示には神龍眼の能力が表示される。
【神龍眼LV1 身体強化LV1(解放条件:救世主経験値10万)
神龍眼LV2 亜空間操作(解放条件:救世主経験値20万)
神龍眼LV3 鑑定スキル初級(解放条件:救世主経験値30万)
以下救世主経験値に応じて順次解放】
(救世主経験値?)
フレアはツッコミどころ満載ではあるがすぐにその能力を知ることになる。
竜の知りたかった情報が表示されていく。
【《ホロウウォータードラゴン》:あの御方によって操られ堕とされた契約精霊の一種。生態はアクアドラゴンと共通するところが多い。五感もその1つ。魔法に長けた者は彼らのあげる悲鳴に感化され悲しみに捕らわれる】
(っ!! これって何気に凄い情報ですよ。あれは精霊なのですか?)
【対処法:浄化攻撃が有効(可能ならば精霊を助けてあげてください)
ベルカに迫る上位精霊を解放することで配下の精霊も助けることが可
能】
その情報を読み終えたあと、フレアの顔は怒りに染まっていた。
「この情報が本当だとしたら――許せません」
他者を操るなど外道の行いであり、確かに水の魔物から悲痛な感情が伝わっているのは分かっていた。
それが意志に関係なく戦わされているのだとしたら許しがたい。
それは前世でフレアが体験したトラウマを想起させるものだ。
ぎゅっと両拳を強く握り熱くなる思考を必死で押さえ込む。
「おい、フローレア。どうしたんだ」
「マルクス。私に考えがあります」
そういって渡したのは魔法薬だ。
「これは?」
「遠距離が苦手な騎士用に開発した魔法薬です。これを飲むと竜のように強力なブレスで攻撃することができます」
「おい、まじかよ。すげえ発明じゃねえか」
「一錠飲むと3分ほど効果が続きます。マルクス、頼みます」
「おう、任せろ」
マルクスは疑いもせず魔法薬を1つ飲み込んだ。
「10秒も経てば十分です。竜のようにマルクスの強靱な肺活力で空の竜にブレスをお見舞いしてください」
「おっしゃああ、やってやるぜーー」
マルクスは前に出ると意気込んで大きく胸を張り息を吸い込んでいく。
その間、フレアはいそしそと亜空間からガスマスクを取り出して装着した。
それにはレイが訝しげに尋ねる。
「フローレア様、その姿は一体?」
「安全のためですよ」
その頃にはマルクスが勢いよく空に向かって息を吐き出していった。
だが、無色の息が勢いよく吹くだけだ。それには期待で見守る周囲が白けた視線をマルクスに集中させた。
「な、なんじゃこりゃあ。不発かっ?」
慌てるマルクスを無視してフレアが上空を凝視していると、にやりと笑みを浮かべる。
「いえ、成功です」
一泊遅れて次々に空を支配していた竜がその地位を追われて地に落ちていく。大きな質量が地面に衝突するたびたたらを踏みそうになる。
落ちた竜は体を痙攣させ失神していた。口から泡を吹き苦しそうな様は痛々しかった。
それを見たマルクスは何が起こっているのかと振り返ってフレアに言う。
「フローレア、一体何がどうなっていやがる」
「あっ振り返っては駄目ですよ」
「どういう意味――」
そこでマルクスの近くにいたカロンが突然嘔吐いた。
「ぐほっ、げえぇーー。おえっ」
苦悶の表情を浮かべてカロンはその場で倒れ、
「う、美しくない……」
と気絶した。
「マルクス、3分効果が続くと言ったではないですか。振り向いてはいけません」
フレアは慌ててマルクスの顔を竜の方に向けさせる。
「説明しろ」
「いいでしょう。これは通称《臭い砲》といいます。その魔法薬を飲んだ者は巨大な生物すら失神させる強烈なブレスをはくことができるのです」
それには青ざめつつもマルクスがフレアに叫んだ。
「これじゃあ俺が生物兵器じゃねえかっ」
「殺しはしません。むしろ人道的生物兵器です」
「詭弁だろ」
またも振り返ろうとするマルクスに主に大人たちがおびえて後ずさっていく。
「おおい、地味にこれはきつい」
「嘆いている暇はありませんよ。竜はまだ8体残っています」
「ああ、もうどうにでもなれ」
マルクスはやけになって空の竜にまたもブレスを吹きかけていく。
「いけーー、臭い砲!!」
そして、今度は一体残らず竜を撃ち落としてみせたのだ。
それには子供たちが興奮しすぎて大騒ぎとなった。
『臭い砲すげええええ!!』
『きゃ、きゃ』
マルクスに駆け寄ろうとする子供たちを大人たちが慌てて引き留める大混乱へと陥ったのだ。
「マルクス、臭い砲好評ですね」
「ガキばっかじゃねえか」
フレアはそのまま失神する竜たちに近づくと哀れんだ。
「ごめんなさい、できる限り助けるますから許してください」
そう言ってフレアは動かなくなった竜たちを亜空間に引き込んでいく。生き物を取り込めるのか不安があったがうまくいった。
(動きを止めればどうにか亜空間に捕獲できそうですね)
生き物だと取り込むのに時間がかかったが問題はなさそうだとフレアは判断する。そこにゾルダークがフレアの前に姿を現す。
「くくくっ、我が魔眼の最初の犠牲者は貴様か?」
《暗黒冥王眼》
他者を幻術で操るゾルダークの奥義である。
レイとマルクスが慌てて駆け寄ろうとする。
「来てはいけません。操られてしまいますよ」
「くくくっ、その通りよ。我は地獄から這い上がり、さらなる力に目覚めた。それも《真・暗黒冥王眼》だ」
そこでフレアは亜空間からクマのぬいぐるみを引っ張り出す。
「ひぃっ、こ、怖くないぞ」
「いや、50メートルも後ずさって何言っているんですか」
フレアの追求に顔を羞恥に染めながらもゾルダークは強がった。
「ふふふ、侮るなよ。《真・暗黒冥王眼》は効果範囲が広くなっている。ここからでも十分よ」
「足震えてますよ」
「うるさい。貴様は怖くないのか。我が術にかかれば意のままにされるのだぞ」
「それ、私には通じませんよ」
「はっ?」
ゾルダークは呆けた顔をした後、語気を強めていった。
「はったりだ。我が魔眼は貴様の脳を確実に惑わす幻惑の奥義よ。あのパティとかいう化け物もいない。どうやって防ぐつもりだ」
「私が惑う? ありえませんね」
「くくくっ、面白い。ならば貴様のその余裕、打ち砕いてみせよう」
ゾルダークは左目を黒く禍々しい魔力で輝かせながら幻術を発動した。
そして、くわっと目を見開き戦慄いた。
「な、なんだこれは?」
ゾルダークはフレアに対して幻術をかけたにも関わらず全く手応えがない。まるでより強い術によって無効化されているような感覚だ。
その正体を確かめようとして深く踏み込むと強烈な情報の波にのまれてゾルダークは放心する。
ただ一言にするなら『魔法少女』。
フレアの脳裏にはそれだけしかない。
「ど、どういうことだ。なぜ幻術にかからない?」
「幻惑とは幻に惑うと書く。私はあなたの薄っぺらい設定などに惑うはずがない」
「何だと?」
「私は産まれたときから魔法少女のことしか頭にありませんから」
ガツンと頭を殴られたような衝撃をゾルダークは受けた。
マルクスは『おいおい』とあきれ顔だ。
「産まれたときからだと。ウソをつくな」
「ウソではありません。むしろ前世から魔法少女に心奪われっぱなしです」
「ぜ、前世だと」
ゾルダークは更によろめいた。
そこでフレアがマルクスに叫ぶ。
「今です。マルクス、臭い砲をお見舞いしてください」
「お、おう」
フレアはまたもガスマスクをかぶる。マルクスはそれを確認し遠慮なくブレスを発射する。
無色の臭い砲はフレアを通過し、ゾルダークに直撃した。
「――――ぶほぉ、くっさっ」
鎧竜鱗も臭い砲までは防ぎきれない。ゾルダークは気の毒なくらい顔をゆがめて気絶してしまった。
臭いと言われてマルクスも地味に精神ダメージを負いその場で膝をつく。
「虚しい勝利でしたね」
こうやって勝ってみると臭い砲は邪道だと気がついたフレアはこの魔法薬の封印を決定した。
子供たちに血を見せなかったことだけが救いだ。




