第46話 竜人王女編 『エクリスの尾行』
「物足りない」
不満を吐き出し、ふてくされたような顔で椅子に腰掛けるエクリス。
夜も深まったところで王国側高官との話し合いが終わり、エクリスはベルカで賓客をもてなす旅館に戻っていた。部屋に灯されているのは質の良いランプである。おかげで部屋の内装は煤で汚れた形跡もない。匂いも気にならない程度である。
「グローランス商会支店の客室を使用したかったがな」
エクリスが宿泊する旅館は外交用に用意された最高級の部屋とスタッフ、警備体制がとられている。王国側が用意できる最大級の待遇だ。
それなのにグローランス商会の建物の方があらゆる面で優れている。
照明にしても油ではなく魔導具によって照らされることで日中のように明るく屋敷を照らし出す。それに比べれば旅館の明かりは薄暗く見劣りしてしまう。
「旅館の警備よりもグローランスの警備の方が格段に優秀だ。メイドの配慮もスカウトしたいほどに行き届いていた」
残念がるエクリスにレジーナが入室してきた。
「失礼致します」
「うむ、報告を聞こう」
書類を手に持ち入るレジーナにエクリスは報告を促す。
「一週間前より始まった竜人の病の感染拡大はただの病ではありません」
「やはり竜人で問題になっているあれか」
レジーナは重々しく頷く。
「竜人を悩ませる例の呪い、その新型亜種であるというのが医師の見解です」
当たって欲しくない回答にエクリスは苦々しい顔を浮かべる。
「我が種族を縛る呪い。子を残すのさえ煩わしいというのに新型か」
「問題は感染経路が分かっていないということ、それと治療方法ですが」
「急ぎ調べろ。恐らく背後には《ホロウ》どもかそれに連なる者どもがいるはず。見つけ出し生け捕りにしろ。呪いを解く手がかりがあるかもしれん」
「畏まりました」
話が終わるとエクリスはため息をつく。
「どうかしましたか」
「いや、フローレア嬢の食事が恋しくてな」
「会談ででないのですか」
「出されるのは王国の貴族高官が用意した料理人たちのものだ。まずくはないが、こうやはりレベルが違う」
「貴族にもメンツがあるのでしょう。自分が用意した料理人でエクリス様の憶えもよくしたいのでしょうね」
こぼれるエクリスの溜め息を聞けばむしろ逆効果だとレジーナにも分かる。
(フローレア様の料理は確かに竜人の心を掴みますからね)
乾いた笑みを浮かべるレジーナの余裕はエクリスにとって不可解に感じた。
(妙だな。あのレジーナが会談で美味しい料理を出されると知りながら食いつかないとは)
報告書に目を通しながらエクリスはあることに気がつく。
「そういえば貴様の直属の部下は被害がほとんど出ていないな」
「……はい。どうしてなのでしょうね」
なぜか視線をそらした様子にエクリスは疑惑の視線を向ける。
「本当に心当たりがないのか?」
「はい」
そこでエクリスはレジーナの部下たちの最近を思い出していく。
「そういえば近頃のお前の部下たちはいつにも増して元気だな」
「そうですね」
「士気が高い。その秘訣を教えてもらえないだろうか」
「ええと、それは……」
どうにも歯切れの悪い様子にエクリスは更なる追求をおこなう。
「貴様の部下たちは人間の復興に精力的に手を貸していると聞く」
「今後の同盟を考えてのことです」
「誇り高い竜人が不満も持たず貴様に従い士気が高い」
「私の部下は忠誠心の塊ですからね」
「嘘をつけ。貴様の部下たちも食欲の塊であろう」
レジーナの裏切りとも呼べる行為を確信したエクリスはギロリと問い詰める。
「さては食べたな。――食べたのだな。貴様も! 貴様の部下たちも!!」
それにはついに観念してレジーナが白状する。
「はい。復興を手伝うとフローレア様が労働の後にまかないを出してくれるのです。部下たちはここ数日フローレア様の食事しか食べていません」
それにはくわっと目を見開く。それはもうレジーナにつかみかからん勢いで訴える。
「きさまあ、わらわが退屈な会談に時間を費やす中で何という贅沢を。決めた。わらわも明日からはそちらに行くぞ」
「会談はどうするのですか」
「貴様が代理で出席しろ」
「断固断ります」
即きっぱりのレジーナにエクリスが叫んだ。
「忠誠心の塊はどこに行った?」
「私から食欲を取ったら何が残るというのです」
「自分で言うな、愚か者っ!!」
そこで仕事のなすりつけあいが始まり、2人はリアルファイトに突入する。
レジーナの部下たちが無事なのはフレアの料理と関係あるのでは?
という非常に重要な可能性に思い至るのは1時間後のことである。
次の日、フレアは思いも寄らない被害を受けることになる。
それは《ストーカー》だった!!
フレアは不意に背後から視線を感じて振り返る。すると霧のように気配も姿もかすんで消えるので首をひねった。
「おかしいですね。気配には人一倍敏感なはずなのですが」
気のせいではないのと思うのだが姿が捕捉できない。フレアは何度か繰り返しても同じ結果だった。
しばらくすると物陰からエクリスが顔を出す。
「魔法も使えない一般人と聞いていたが鋭すぎないか?」
例え一流の武人でも気づかれない自信がある。なのにエクリスは何度もフレアに勘づかれていた。
エクリスが密かに尾行するのには理由がある。フレアを観察しあわよくば体液を入手しようというのだ。
「待て、体液では変態のようではないか」
エクリスはおもわず誰にでもなくツッコミを入れる。正確にはフレアの血液が手に入れば最良である。血には多くの情報が存在する。魔法学的に調べることで竜人の呪い問題を解決に導けるかもしれない。
それはフレアの手料理を食べたレジーナたちの証言や調査に基づいた仮説である。
「まあ、フローレア嬢の血液を得て少しでも手がかりがつかめれば御の字だ。この問題は長年竜人が取り組み、芳しい成果がほとんどなかったのだからな」
問題はどうすれば怪しまれることなく、自然に血液を入手できるかだ。
(まさか、バカ正直に話すわけにもゆくまいよ)
「それにしてもフローレア嬢はどこに向かっているのだ」
そのままフレアが向かった先は整備された植物公園だった。
この日、フレアは待ち合わせ場所に向かっていた。
植物公園のモニュメントの前では既に2時間も先にたどり着いたルージュがいた。そわそわした落ち着かない挙動でフレアの到着を心待ちにしている。
ルージュの不安を含んだ表情。シャルが見れば偽物だと疑うような態度であった。
「お待たせしました。ルージュさん」
待ち人の声にぱあっとはじけるような笑みを形作っては出迎えた。
「気にしないで。今来たところよ」
ウソである。ルージュは楽しみで2時間前から待っていた。フレアと2人で買い物することが楽しみで仕方なかったのだ。
「ではいきましょうか」
フレアが先導しルージュはスキップを踏みそうな程ご機嫌でついていく。
「買い物に付き合って欲しいと言ってましたがベルカに欲しいものでもあるのですか」
(欲しいのはフレアさんとの2人の時間なのだけれどね)
悲しいかな。フレアは恋愛ごとには朴念仁の傾向がある。言っても伝わるはずがないのでルージュは曖昧に笑顔で濁す。
「そんなところよ。さあ、いきましょうか」
自然とルージュはフレアの手を取って商店街に歩いていく。
様々なお店に入ってはショッピングを楽しんでいたのだがエクリスはこのときになって失策を嘆く。
(あのルージュという魔法少女、――隙がない。これでは事故を装っての血の採取も難しいではないか)
こんなことであれば早々に仕掛けていれば良かったと後悔しても遅い。
加えて更なる困難がエクリスに降りかかる。
「……あなた、何をしているの?」
あからさまに不審者を見る目で問うティアナクランが目の前にいた。
「何、気づかれただと!?」
「いや、どうして気づかれないと思ったのか逆に聞きたいわ」
人通りの多い賑やかな商店街で物陰に隠れながら移動するのは余りにも目立つ。何よりエクリスの王者としての覇気や息を飲むような美しい顔立ちは嫌でも目立つというものだ。
「普通視線が合えばそ知らぬ顔で去っていくぞ」
「それはあなたにおびえて逃げているだけだと知りなさい」
「――っ、そうだったのか!!」
「あなた、意外と天然なのね」
少し呆れた後でティアナクランは改めて質問する。
「それで何をこそこそしているのかしら?」
「こそこそとは人聞きの悪い。特定の人間をつけ回しているだけだ」
「それこそストーカーではありませんか」
なぜに胸を張っているのか理解できないがティアナクランはエクリスに注意する。
「ストーカーなんて最低の行為ですわよ。即刻やめるよう抗議します」
「しかし、これには訳があってだな」
「訳? 一体誰を尾行していますの」
ティアナクランがエクリスの視線を追うとはるか遠くに辛うじて見える人影を視界におさめる。よく目をこらしてフレアだと理解する。
それを見てはティアナクランはすぐさま杖を手にエクリスに問いただす。
「フローレアに何をする気ですか」
「なぜそこまで怒る?」
「フローレアはわたくしの大切な…………友人です。守るのは当然です」
それを聞いてエクリスはますます任務が困難になったことを悟った。
(弱ったな。ますます血の採取が難しくなった)
日を改めようかと思ったそのとき、バキンッ、という音を聞いてはっとする。ティアナクランが金属製の杖を片手でへし折ったのだ。しかもぐちゃぐちゃの粘土のように無残な残骸が地面に転がっていく。
(おおい、何があった?)
ティアナクランの視線を追うとルージュが仲良く手をつなぎ、必要以上に腕を組んで歩く様子が見えた。
そして、ティアナクランの表情はみるみる険しさを増していった。
「……本日は日が悪いようだ。帰らせてもらおう」
動物的本能で危険を察知したエクリスは即時撤退を決断。きびすを返す。
「どこに行くというのです」
エクリスはティアナクランに手首を掴まれ逃げられない。そのままフレアたちの後をつけ始める。
「後を追いますよ」
「待て貴様。ストーカーは駄目だという話ではなかったか」
「そうですね。たまたま足がとある人物の行く先に向くだけです」
それは屁理屈ではないかとは思うのだがどうにもティアナクランは機嫌が悪い。ここは大人しく従うことになったのだ。
そんな様子を不思議そうに眺めていた人物がいた。
「……あれはティアナクラン殿下。追っているのは――フレアさんっ!?」
気になったユーナもまた後を追った。奇しくも尾行は連鎖していった。
ベルカは芸能の都。
演劇もその1つである。大きな格式ある劇場で行われる演劇をフレアとルージュが要人が座る隔離された特等席にて観賞していた。
薄暗く優美な演奏の中、演者が会場に染み入るようなよく通る台詞を歌い上げている。そんな中でルージュはフレアと密談を始めた。
「エクリス王女訪問の陰で暗躍する組織がいるわ」
「そうですか。詳細は分かりましたか」
「いいえ。《ホロウ》という名前だけ。まだ輪郭も満足につかめていないわ。このことから王国外に存在する巨大な組織とみるべきね」
国内では完全な諜報網を敷きつつあるグローランス商会。情報が手に入らないとなると自然とその結論に至る。
「厄介ですね。敵が見えていないのはまずい。今後は国外にも手を広げますか」
「ええ、でも今回の竜人の遠征メンバーに構成員とつながっている者がいるわね」
『何だと!!』
「んっ?」
フレアはどこかで聞いたことがある声をかすかに拾い、周囲に気を配る。
しかし、ここは完全に観客席とは隔離した場所。誰もいるはずがない。
「フレアさん、どうかしたの?」
「いえ、空耳でしょう。なんでもありません」
実は近くにはティアナクランとエクリスが潜んでいる。ティアナクランが王族の権力を使って潜入していたのだ。
「話を続けるわね。ホロウの目的は不明だけれど良くないことを画策しているのは確かよ」
「もしや、竜人が近頃倒れている件は」
「無関係とは考えにくいわね」
「決めつけるのはまずいですが手を打った方がいいですね」
ルージュもフレアの意見に賛同する。
「わたくしはベルカにいる『ホロウ』の構成員とやらを追ってみるわ」
「頼みます」
その後、ルージュは表情を改めてフレアに真剣な面持ちで話す。
「ホロウは何年も前からとある人物を血なまこになって探しているみたい」
「それは誰ですか?」
「マコト・ホージョー」
その名を聞いたとき、フレアは思わず動揺し、手に持っていたカップから紅茶をこぼしてしまう。
「あちちっ」
ルージュは予想していたようにすぐに指を鳴らし、魔法でこぼれたフレアの膝部分に冷水をかけると乾燥処理と治癒を走らせていく。
「フレアさん、今明らかに動揺したわね」
「そ、そんなことは……」
否定するフレア。しかし、確信を持って見返すルージュに思わず目をそらしてしまった。
「前々からおかしいとは思っていたの。フレアさんは切れ者ではあるけれど11歳にしては経験値がありすぎる。知識とは違う裏打ちされた言葉の重みがあるのね」
一体どこまで勘づかれているのか。フレアは思考が纏まらずあたふたするしかない。
「えっと……」
混乱しているフレアにルージュはずいっと寄って問い詰める。
「わたくしにも隠していることがあるのでしょう。それが何なのか教えて欲しいわね」
「…………」
フレアは言いよどんだ。自分には前世の記憶がある。
話したとしても頭がおかしいのではないかと思われるかもしれない。
何よりある事情から誰にも話さないと決めていたことなのだ。
「わたくしは何を聞いても離れたりしない。ずっと傍にいると約束する。信じて欲しいの」
どこか哀しげにも見えるルージュにフレアは罪悪感を覚えてしまう。
「それともわたくしは頼りないかしら。今回踊らされて遠征に来た間抜けなエクリス王女と違ってーー」
『きゃあああーー。飲み物こぼさないでよ』
『ぬうう、わらわが間抜けだとーー』
「静かになさい。聞こえるわよ』
「……ルージュさん」
フレアの促すような視線の先。ルージュは良いところだったのにと溜め息をこぼし立ち上がる。
そして、音もなく声のした方に向かうと扉を開けて正体を暴いた。
「あなたたち、何をしているのかしら」
怒りを通り越して恐ろしく冷静になったルージュの声。ドスのきいた響きに良くない空気を感じ取り、ティアナクランとエクリスは固まっていた。
「盗み聞きとは王族はいつからこんなにお行儀が良くなったかしら」
2人っきりの時間に水を差されてこれ以上なく気分を害したルージュ。
これよりしばらく真の天才によるお説教の時間が続いたのである。
ルージュに愛されているフレアは彼女に怒られたことがなかった。その筆舌に尽くし難い罵り具合に心底震えあがり、あれで迫られたら絶対に前世のことを話していただろうと確信する。
話すべき時がきたらルージュには真っ先に伝えよう。フレアは心の中でルージュに手を合わせていた。
その日の夕方、ベルカの中でも治安の悪い裏通りを抜けて傷だらけの竜人が体を引きずるように歩く。
「エクリス殿下に、、くっ、急いで、お伝えしなければ……」
息も苦しそうにあがっている。辛そうな、それでいて切迫した言葉がこぼれる。
カロンは追っ手の気配を感じ取るとなりふり構わず道ばたのゴミの山に入りこみやり過ごす。そして気配が遠のいた後に先を急ぐ。
しばらくして裏通りを抜けカロンはめまいを感じると地面に倒れ込む。体はだるく気を張っていないと意識が遠のく。
それでも気力で必死に這って進む。
「誰か、誰でもいい。私を、エクリス殿下の元に……」
道行く人はまばらで、しかも助けを求めるのが自分たちを襲った竜人と知ると離れていく。傷だらけの所を連れてあらぬ誤解を受けてはたまらないと誰もが距離を取る。
カロンはそれを見て絶望した。自分が恐れられていることも。自業自得だということもわかる。それでもこの辛いとき誰も同情の視線すら向けないことに衝撃を受けた。
(当然の報いか。ベルカを襲い、恐れられて当然のことをしたのだ)
それでもこのことを伝えないと取り返しのつかないことが待っているのだ。
「誰、か。――頼む」
手を前に向かって伸ばしているとそこには小さな少女がいた。しかし、彼女を目にしてカロンは諦観が心を支配する。
なぜなら、その少女はカロン自身の手でお店を壊してしまった店主のセシルだったからだ。セシルは長い時間カロンを見つめたまま時を過ごし、カロンは気を失ってしまったのである。
――――
――
セシルはカロンを見ると、怒りや恐怖、様々などす黒い感情が浮かんだ。良い感情などあるはずがない。
未だに謝罪もないカロンが許せないのは当然だ。
「あなたのせいで私も、店の従業員もみんな悲しんだの」
いい気味だと思おうとしてセシルは不意に魔法少女のことが脳裏に浮かぶ。
ついこの間に誓ったばかりのことが脳裏に浮かんできた。
『困っている人がいたら助ける』
そのことを思い出すとセシルは自分が許せなくなった。それでは自分が受けた善意も、感動も否定することに思えた。
「私が今するべきことはきっとこうすることだよね」
セシルは勇気を持って一歩踏み出す。
「私はあなたを許したわけじゃない。それでもここであなたを見捨てることは違うと思うの」
ぎゅっと拳を握りしめた後、セシルは涙ながらに語る。
「私はあなたを見捨てない。困っているあなたを助けます」
その涙がいかなる涙なのかはセシル自身も分からない。それでもセシルはカロンの手をしっかりと握ったのである。




