幕間 『共和国の竜人と帝国の精霊神子』
神聖オラクル帝国の首都の外れに堅牢な宮殿が存在する。
一般人の立ち入りは禁止されている神聖な地に他国の王女が礼装で訪ねていた。
その人物はファーブル翼竜共和国の第一王女エクリス。
烈火のごとき色の髪を束ね武人の纏う険のある鋭さをにじませる顔立ち。更に瞳の奥に見える瞳孔は爬虫類のように縦に収縮し一層異様さを引き立てる。
まるで竜のような翼と尻尾、そして頭に二つの角を持つ彼女は半分人、半分竜の竜人と呼ばれる種族。
竜人は人をはるかに凌駕する強靱な肉体と高い魔力耐性を持つ。
ファーブル翼竜共和国は竜人が支配する強国である。国力を背景に他国を属国化してきた帝国ですら隣り合いながらも不可侵としてきた経緯がある。
「フン、まるで牢獄だな」
宮殿を見て語るエクリスの言葉はある意味正しい。施設は外寄りの防備よりも中にいる人物を逃さない意図が大きい。
神聖な壁画が連なる廊下をひたすら歩く。たどり着いた先で屋内に噴水すらあるなんとも贅沢な大部屋がみえてきた。備え付けられた調度品もすべて一流の職人が仕上げたものばかり。宮殿の主の力を垣間見ることができる。
「来てやったぞ精霊神子イーリスよ」
帝国の重要人物がエクリスの声に反応する。目を閉じたままの可憐な出で立ちの少女がエクリスを恭しく出迎える。
光り輝く魔法の衣を纏う少女はとてもこの世のものとは思えぬ神聖さを内包している。いや、本当に人ではないのかもしれない。彼女の髪は魔力が流れ常にエメラルドに光り輝く。
そして、透き通るような真っ白な肌はあまりにも現実離れした風貌を強調する。
「わざわざお呼びだてして申し訳ありません、エクリス様。私は立場上ここより動けませんので」
「《封印の儀》は知っている。それより用件をきこうか。ここにいると息が詰まりそうだ」
「――まずは皇帝代理からの依頼を申しあげます」
「ほう、この私に依頼するとはな」
「失踪した皇妃様を見つけ出し無事連れ戻して欲しいとのことです」
「失踪とはよくいう。逃げられたのだろうが」
イーリスはそのことに関して明言を避ける。
「加えて皇妃様は皇帝の子を身籠もられていました。できればそのお子様を丁重にお連れして欲しいと」
「つまりは次期皇帝候補というわけか。11年前のことだぞ。何を今更と思ったが後者が本命か?」
イーリスは相変わらず目を閉じたまま首肯する。
「その通りです。逃亡先はおおよそ見当をつけています」
「どこだ?」
「ブリアント王国。かの国の王族が匿っているようです」
「なるほど、だから我が国に話をもってきたか」
「理解が早くて助かります」
エクリスの表情には不機嫌さがにじみ出ている。とはいえこれは駆け引きである。
「面倒なことだな。――わらわを使おうというのだ。相応の見返りはあるのだろうな。返答によっては帝国を潰すぞ」
最後は実に楽しそうな口調で物騒なことを言う。むしろ、帝国との戦を臨んでいるようでもある。
「それはもうのぞむがままの財宝を用意すると」
「そんなものはいらん。食糧をよこせ。帝国兵糧の10パーセント分を毎年納めてもらおうか、それも10年間だ」
イーリスは特に驚いた様子がない。
竜人はたくさんの糧食を必要とする。にもかかわらず自国の自給力は低く不足しがちだった。
とはいえ、帝国とて食糧は潤沢とは言えずむしろ兵糧で食い潰し余裕がないはずであった。それでもイーリスは了承する。
「分かりました。それでかまいません」
それにはエクリスがへえ、と興味深そうに喜色を浮かべた。割合無茶な要求だったがあっさりと了承された。皇帝代理よりそれだけの裁量が予め決められていたことが予想された。
(それだけ皇妃、いや皇帝の子供を確保したいって訳か? 少し背景を調べてみた方がいいな)
内心を口に出さず黙っているとエクリスは本題を切り出す。
「そんなことは私にとっては重要ではありません。これから話す依頼を第一にお願いします」
皇帝代理の依頼をそんなことといった。そのことにエクリスは興味を引かれる。
「はっ、珍しいな。貴様がそれほど熱を上げて話すのは初めて聞いたぞ。興味が湧くな」
「私の依頼も人捜しです」
イーリスは事情を説明する。それを聞いたエクリスは喜色に満ちた表情を隠せなかった。
話を終えた後エクリスは早々に城を出る。ここにいても息が詰まるからだ。
「イーリス……あいつはとんだ狸だ」
皇帝代理の依頼を興味なさげに語ったが演技だろうとエクリスは予想する。
(それにあの堅物が感情を乱す相手か。実に興味深い)
イーリスの探し人は聞くに強いらしい。それはエクリスにとって吉報である。
「気に入ったら引き渡さないでそいつと子をなすのもいいな。竜神の血を引く私に性別は意味がない。だが一族にとって強い子孫を残すことが何よりも優先する」
それには竜人の抱えるとある問題が関わってくる。だが秘事のため迂闊に口にできない。
エクリスはもともと色を好む。相手を想像し胸が躍る。
「そいつが美少女だったらいうことはない」
イーリスの探し人も保護し連れてきて欲しいとの依頼だがエクリスは気がついていた。探し人に対する隠しきれない殺意があったことに。
「もっとも探し人がイーリスを敵に回してもかまわない器量ならばの話だ」
城外に出ると突然空に異変が起こる。真っ暗だった夜空が突如として赤く輝き幻想的な光景を描き出す。それは晴天よりもまぶしくてエクリスの瞼に焼き付いた。
それを眺めてエクリスは無邪気な瞳を宿す。
「この光、魔力の波動か。ブリアント王国の方角からだな」
端正な顔が喜悦に歪んでとまらない。
「ふははは、一体誰がやったんだ? 素晴らしい力じゃないか。我が伴侶にするにふさわしい。天を塗り替える力か。直々にさらってくれる」
城に乗り付けた全長15メートルの巨大な竜。肌は赤く硬い竜鱗に覆われた荒々しい気性を持つ空の王者。
その名は《レッドドラゴン》。
エクリスは竜すら乗騎として従えている。
レッドドラゴンの鞍にまたがり鐙に足をかけ轡の手綱を引くと竜は空へと舞い上がる。
「待っているがいい。我が伴侶よ」
はやる気持ちを抑えられずエクリスは全力でレッドドラゴンを祖国へと向けさせた。
ブリアント王国に介入する工作を少しでも早く成すために。
一方、イーリスは隠し扉を抜け、地下空間を1人歩く。入り組んだ迷宮を踏破した先に大きな研究施設を思わせる空間にたどり着く。
さらにその奥には静謐かつ、神聖な祭壇があり1つの棺が存在する。まるで聖人か救い主でも納めらているかのように丁重すぎる装い。
イーリスは棺に向かって声をかける。
「絶対に見つけてみせるから」
その後イーリスからあり得ない人物の名が漏れ聞こえる。
「――まこと」
それは偶然なのか、フレアの前世と同じ名であった。