第104話 魔技研編 『魔技研の最後』
ダグラスに代わってレイスティアが裁判の会場に立つと緊張で張り詰めた静寂に包まれる。それはレイスティアが北の準公爵であることもあるだろう。加えて息をするのも忘れてしまうような美貌を持つがゆえだ。
万人を魅了する美しさに見惚れている間にレイスティアは激しい憤りを隠した笑顔で語り出す。
「さて、裁判長イヤン殿。あなたは司法の番人としてその勤めを正しく果たしていると神に誓えますか」
「どういう意味かね」
レイスティアはにこりと微笑む間にダグラスが大きなスクリーン画面を用意する。レイスティアはその手に魔導カメラを持った。
「これはグローランスの商品で視覚と音を同時に記録できる魔導カメラというものです。またこの魔導具で記録した映像を瞬時に遠くへ送り、情報を共有することができるのです」
傍聴席の技術者からは『それが本当ならばすごいことだ』と感心する声が上がる。
そして、裁判官らはレイスティアの意図が読めず首をかしげていた。
「実は勝手ながらこの裁判の様子を撮影し王都中に配信しているのです。この裁判がいかに公平で素晴らしい裁判なのかを王都の民にも見てもらおうと行ったものですが……」
「「「なっ!?」」」
とんでもない告白に裁判官たちは一様に顔を青くするとその場で立ち上がる。
「やめなさい。そんなものは認められない」
「これもグローランス商会の技術力が本物であることを示す証拠提示の一環です。そもそも裁判の映像を外に流してはいけないなどという規則はないはずですよ」
それはそうだ。そもそもこの世界は映像の録画と放送などという概念すらない。規制できようはずもない。
畳み掛けるように用意した大画面のスクリーンを起動する。すると臨場感溢れる王都の様子が鮮明に浮かび上がる。
傍聴席の技術者たちはその技術力の高さに目を見張る。まるで夢でも見ているかのような技術に身を乗り出し、子供ように目を輝かせた。一方でこの裁判の内容をみられて後ろめたい者は脂汗が止まらない。
こうしている間にも王都の中央広場には大勢の民が魔導具の大画面前に集まっている。最初は不思議な道具に好奇心が刺激され集まった王都の民だ。
『本当に時間差もなく王都の中央広場と映像がつながっているみたいだぞ。映像の中のスクリーン画面に映っている裁判の様子が同期している。間違いない』
傍聴席の若い技術者がそう指摘する。映像の中の映像から裁判の実況映像が流れていて、これがまさに現在進行形でつながっていること証左となった。
レイスティアは魔法通信機を耳に装着すると中央広場にいる協力者セシルに呼びかける。
「セシルさん、聞こえますか。レイスティアですがそちらの様子を伝えてもらえますか」
裁判の会場に設置されたスクリーンには小さいながら商会を仕切り、ベルカで今大成功おさめている若き大商人セシルが応じた。
『はーーい、こちらは王都の人通りが集中する中央広場からの中継だよ』
「本来は公になることはない裁判ですが王都の人たちの反応はどういったものですか?」
『あはは……、それが裁判の内容があまりにひどくて王都の人たちはびっくりしてるみたいだよ。怒りの声が上がっていてちょっと怖いくらいだよ』
セシルが周囲の声を拾うべくマイクを向けると次々に辛辣な意見が耳に聞こえてくる。
『おいおい、最初から裁判官は魔技研びいきじゃないか』
『司法は公平だとばかり思っていたのに』
『もう司法なんて信用できない!!』
『訴えられてる方はまだ小さな女の子じゃないか。かわいそうに泣いてるじゃないか。あれが大人のすることか?』
最初から魔技研を勝たせるための裁判であることは誰の目にも明らかであった。裁判のひどすぎる実態を知り、人々の怒りは膨れ上がる一方だ。明日は我が身かもしれない、という恐れも人々の結束を高める要因となっている。
さらには司法の腐敗ぶりが国に対する不信にまで波及し始めていることが問題だ。国王はこの現状を知っているのかと不信感が広まる。
この様子を別室でうかがっていたビスラードはほおが引きつり固まっていた。一足遅れて近衛将軍ダールトンが泡を食ったように報告のため駆け込んだ。
「陛下!! 大変です。今王都中で裁判の様子が流れています。このままでは暴動に発展する恐れもありますぞ」
「あやつ、やりおったわ!!」
ビスラードはフレアに向けて怨嗟混じりの叫びを上げた。ズキズキと痛む頭痛を手で押さえながら、フレアのグローランス商会謹製の頭痛薬を懐から取り出し、複雑な心境で飲み下した。これがまたよく効く頭痛薬なのだから手放せない。
「裁判を止めますか?」
「よせ。それこそ収拾がつかなくなるわっ」
「フローレア、王族に迷惑はかけないと言っていましたのに……」
ティアナクラン王女は後でフレアに説教することを固く心に決める。シルヴィアはポーカーフェイスを装いながらもフレアたちの反撃を痛快だと更なる攻勢を期待していた。
「お父様、このまま静観しますの?」
「いや、このまま何もせず座して見ているのもまずかろうよ。王族の意思は示す必要がある。それに”あのとき”の提案はすべてこのときのための布石であったのだろうな。クラウディオの孫め。アルフォンス公のいうように魔王に見えてきたわ」
以前に魔導カメラの導入に際して既にフレアはこのことを予見し、司法に対して手を打っていたのだ。まさかこのような事態になると予想していなかったビスラードは自らの浅はかさを呪いつつ、重い腰を上げて裁判の会場に向かうのだった。
その頃。レイスティアは裁判官たちに向けて問いかける。
「裁判官の皆さん。あなたがたに王都の民の失望と怒りの声が届いていますか?」
レイスティアの声は一変して裁判官らを気遣い、そして良心に訴えかけるものだ。司法の正義を示して欲しい。その願いを感じ取り自らを省みた裁判官はどれほどいただろうか。
裁判官たちの誇りと権威を取り戻す最後の機会は裁判長のイヤンによって遮られてしまった。
「ふん、くだらない。民が怒ったから何だというのだ。貴族の怒りを買うことに比べれば痛くもない。一般の民に何ができるのだ」
「……そうですか。残念です」
イヤンの言葉はあまりに先が見えていない軽率な答えだった。説得を諦め、レイスティアはすぐに話を修正する。
「ブリアント王国は王と議会、司法がそれぞれ独立しています。これは互いに監視し合うことで国という組織の腐敗を防ぐために始まった制度です。しかし、私はこの裁判を見届け確信しました。司法は早急に改革しなければならないと」
その発言は司法の批判を意味している。司法のひいては彼らの自尊心すら否定する言葉に裁判官たちは一様に怒りを滲ませる。
「失礼な。すぐに発言を撤回したまえ」
レイスティアは注意されても止まることなく話をまくし立てる。
「そこで北と西の貴族連合は陛下に新しい枠組みを提案致しました。それは司法を民に監視させるというものです」
「はっ?」
イヤンはぽかんとしていたがはっとした。民の監視とこの裁判風景が実況されている現状が結びつく。嫌な想像が脳裏に浮かぶ。
「その監視とは、今のように裁判を公開し、定期的に裁判官の信任を投票で問うという方法です」
「な、なんだとっ!!」
裁判官たちの予感は最悪の方向で的中してしまった。
レイスティアの発言に裁判官たちの顔色は悪化し今にも死んでしまいそうなほどに青ざめる。
「ビスラード陛下におかれましては既に色よいお返事を頂いており、王都の皆様もどうか落ち着いた行動を切に願う次第です。陛下は民を軽んじることはなさいません」
「――その通りである」
そこでビスラードが裁判の会場に現れた。威風堂堂たる歩みに見えるがその顔にはわずかに苦渋が見て取れる。
ちらりとフレアに向けて恨みがましい視線を向けている。それをフレアは無知を装う子供ような笑顔で受け流す。
王都の人々に向けた魔導カメラを見つけて前に立つとビスラードは混乱を抑えるために民に呼びかける。
「このたびの裁判は余も最初からみておった」
王に見られていたと知った裁判官と魔技研の高官たちは震え上がる。
「すぐに王令による法案を議会に提出するつもりだ。王令は半数の承認で可決となるため北と西の貴族連合の力で問題なく通るだろう。準備が整い次第、裁判官の信任を問う投票を行う。今日より裁判は公開を原則とし、裁判官はより励むことになるだろうな」
ギロリとビスラードに睨まれたその場の裁判官たちは生きた心地がしなかっただろう。それだけの自覚が彼らにもある。
「きっとこの場にいる裁判官らも職務に邁進することだろう。このたびの裁判結果も民は注目している。きっと素晴らしい判決が聞けることだろうな」
皮肉たっぷりの言葉を言い残しビスラードは裁判の会場を後にしていく。
レイスティアは魔技研に向けて言った。
「さて、魔技研の皆さん。まだやりますか?」
魔技研の高官らはうなだれ言葉もない。もはやぐうの音も出ない完敗を期したのだ。
裁判初日が終わり次の日のこと。
ジャッカスとゴーマンは不機嫌を隠すこともなく魔技研本部へ出勤した。大股で歩く靴音が閑散とした施設内によく響く。
「おのれええ、グローランス嬢。あそこまでやるのか。汚い奴だ」
「全くでゲス。えげつないにもほどがあるでゲス」
自分たちのことを棚に上げておきながら2人は言いたい放題だ。先に裁判官を買収し、汚い手を使ったのはジャッカスたちの方だというのに。
「こうなれば裁判官らにはその後の生活の保障、それに一生遊んで暮らせるだけの富をちらつかせ、強引に一週間後の判決を勝訴と持っていくしかないな」
「ゲショショ、金はかかるでゲスが魔技研の権力と金の底力を見せつけてやるでゲスよ」
彼らはまだ裁判に勝つつもりでいた。だがそれはもはや不可能となっていた。
なぜなら……。
魔技研の施設を歩いていているとジャッカスが違和感に気がつく。
「……静かだ。いや、静かすぎる」
「ゲショ? 確かに。下っ端どもがサボっているでゲスか。これからはもっと効率化と価格競争に対抗するため、奴らを馬車馬のように働かせてやるでゲス」
ゴーマンは技術者たちの集まる工房に向かって早足に駆け込み、乱暴に開け放つと怒鳴り散らす。
「なーにやってるでゲスか。サボらず働くでゲス……よ?」
ゴーマンは言葉尻の力を失い、目の前に広がる光景に驚き叫んだ。
「ゲショーーーー!?」
「何だ。何があった」
ジャッカスが遅れて工房に足を踏み入れるとそこには誰1人いないだだっ広い工房があるだけだ。いつもは若く、腕の良い技術者たちが時間に追われて、ただ黙々と作業する職場だったはずがみる影もない。
「これは……何が起こっている?」
『た、大変です』
魔技研の高官らは各所から集まりジャッカスに状況を伝えてくる。
『魔技研の下っ端どもが全員辞表を書いて辞めてしまいました』
『研究員も、学者も、事務員も全て辞めてしまっています』
『機材も資料も持ち出されています』
「ばかな、すぐに連れ戻せ」
『駄目です。辞めたほとんどがグローランス商会に逃げ込みました。あそこは王族直轄で手が出せません』
このままでは魔技研が請け負っている製品の納品すら危ういことに気がついたゴーマンは慌てて高官らに指示を出す。
「まずいでゲス。とりあえず次の商品の納品を急がせるでゲス。お前たちがやるでゲス」
『いやあ、仕事は全部部下に丸投げしてきたからな。どうやるんだ?』
『お前やれよ』
『できるわけねえだろ。仕事できる奴皆辞めたんだぞ』
『俺は部下の功績自分のものにして出世したからな。何もできねえ』
もはや仕事のなすりつけ合うレベルですらなかった。他人を蹴落とし力量もない人材ばかりがこの場にのこっているのだ。まともに機能するはずもない。
この情けない現状にジャッカスは気が遠くなりそうな意識を気合いで押しとどめる。
「このカスどもがっ!!」
ジャッカスの一喝に高官らは身を固くして怯え出す。
「だったらどこでもいい。とりあえず技術者をよそからスカウトして集めてこい。名誉ある魔技研の職員になれるのだ。喜んで集まるだろうがっ」
『『『は、はい』』』
蜘蛛の子を散らすように逃げていく高官らはしかし、上手くいかなかった。
去った技術者たちは辞める前から国中の技術者に人脈を通じて魔技研の腐敗ぶりを知らせ情報共有を行っていた。賃金もまともに払わず、過剰な労働を強いていた実態が世に広まったのである。その情報を得ている国中の技術者たちは魔技研に応じることはない。
魔技研はその権威を下支えしてきた人材に見放され、組織として機能を失っていた。金に目敏い南の貴族連合はいち早く察知し、魔技研を見限り、保身に引きこもる。
これは買収したはずの裁判官にすら見放される結果となり、一週間を待たずに魔技研の訴えは棄却されることになる。
後にジャッカスは『このカスどもがっ』と怒り狂ったという。
ビスラードは魔技研の取り潰しを決定。ジャッカスをはじめとした高官ら全てを近衛将軍ダールトンに命じて捕らえさせた。彼らには重い処分が言い渡されることになるだろう。
魔技研の機能は一時グローランス商会が引き受けることとなる。魔技研に代わる新たな国の機関が設立されるまでフレアは国の技術を統括する大任を引き受けることとなったのである。
フレアが裁判に臨んでいたときと同じくして。
ホロウの幹部であるマーガレットは魔導研究が行われているアルゴスの地下階にやってきた。
薄暗いひんやりした地下空間で、奥の厳重に管理されている1室にたどり着くとマーガレットは正面に見えるガラス張りの柱に目を奪われた。
人がまるまる収まるような試験管の中身。その魔法溶液で満たされたものの中にマーガレットの愛しい存在とよく似た抜け殻が漂っている。
「ああ、マコト」
マーガレットの目元にはうっすらと涙が浮かび、コツンと額をガラスにふれあわせた。
そこで待っていたソフィアが現状を説明する。
「まもなくマコト様の仮の体が完成します。情報では別の人間と体を共有しているらしいわ。とても危険な状態よ」
「むしろ、よくいままで持ったものだ」
「その人間というのがあの女の娘だという話よ」
マーガレットはピクッと反応し、瞳にどす黒い殺意が宿る。
「そう、マコトの魂を器に回収したならその娘、すぐに殺したいところだ」
「駄目ですよ。殺すにはしかるべき舞台を用意しなくてはなりません」
「分かっている。今回の最優先任務はマコトの確保だ」
「それと帝国の大天使も動いたとの情報があります」
「……そうか」
「……」
マーガレットとソフィアもエレンツィアのことを思い押し黙る。
「……一筋縄ではいきそうもないか」
「そのようです」
「準備が整い次第その体は魔導具に格納させよ。ブリアント王国にしかけるぞ」
「はっ」
マーガレットが動くその一方で、同じくホロウの幹部であるドローベが幻術によってあらわれた『あの御方』によって命令を受けた。
「マーガレットは必ずやマコトを手に入れるだろう。優しい優しいマコトは偽りとはいえ母代わりのマーガレットに決して手は出せないわ」
幻術によって不鮮明な虚像を晒す『あの御方』と呼ばれる存在。全身を深いローブで覆っている。深くフードをかぶり顔すらうかがえない。
しかし、ローブの袖口からあらわになる手首から先。ドローベに指し示される指先は瑞々(みず)しい肌が光沢を放ち美しかった。そのことから『あの御方』とは少なくとも見た目はうら若き乙女なのでは、と推察できた。
「とはいえマーガレットも情にほだされて手を緩めるかもしれません。そのときはお前が力尽くでマコトを確保するのよ」
ドローベとしては偉そうに筆頭を気取るマーガレットに対して意趣の思いもある。だが念のために確認する。
「いーっひっひっひ。そりゃあ願ったりな任務だけどね。マーガレットは側近だわさ。そんな不信を与える命令を出していいんですかい」
「構わない。全てはマコトの確保を優先する」
「わたしゃあやるとなったら容赦しないよ。王都もうっかり滅ぼしてしまうかもね。いーっひっひっひ」
「……やることさえこなしたら咎めません。正し」
『あの御方』はドローベの頭に指先を合わせると強烈な殺意が圧力となって素早くドローベの額を突き抜けた。
「マコトに傷1つつけたらただではおかない。死なせてみろ。楽に死なせてもらえると思わないことだ」
ドローベは膝がガクガクと震えた。もう立っているのがやっとの状態だ。幻術ごしでもこの威圧。『あの御方』の力のほどは計り知れない。
「き、肝に銘じましてごまいます」
その場で深く、額をこすりつけんばかりにへりくだった。
「確かに言い渡しましたよ」
それから光の残滓を残しつつ『あの御方』の姿は消えていった。
「ひいーー、おっかないねえ。まあいいさね。この任務を成功させればおぼえもめでたいだわさ」
ドローベは歳を重ね、しわの深い顔を醜悪に歪めて笑い出す。
「あんな小国、その気になればいつでもホロウは滅ぼせるということを教えてやるだわさ。いーっひっひっひ」