第0話 ある男の末路
北条真は締め切られた薄暗い部屋に閉じこもっていた。
彼の胸中はその部屋よりも更にどす黒く彩られている。
彼ははめられたのだ。
彼が立ち上げ手塩にかけて育てたベンチャー企業が乗っ取られたのである。原因はイケメン実業家と恋人に裏切られたせいだ。不正のぬれぎぬを着せられ,わなにかけられた。
今は電話を片手に弁護士の先生と相談していた。
「そうですか……。よろしくお願いします。せめて『あの子』たちだけでも取り戻さないと」
相談した弁護士の話では相手は軍需産業も手がける大手企業。彼の会社の乗っ取りは周到に計画されていたものだった。
もはや、会社を取り戻せなくてもいい。
彼はあることが気掛かりだった。
開発していたのは感情を持つアンドロイド。
現代社会において技術革命を起こしうる世紀の発明がいちベンチャー企業で起こりえてしまったのである。
彼の技術者としての天才的な頭脳と、それを可能とする熱意は異常なものだった。彼の創造したアンドロイドは人間に近い姿で人よりはるかに優れた身体能力と知能をみせる。新しい時代の到来を予感させる発明に目をつけられるのは当然といえたであろう。
北条真の人生は裏切られることの連続だった。それは彼がお人よしでありながら優秀すぎたが故に起こった悲劇だった。
それでも彼女――皐月だけは信じていた。なのに裏切られた。彼は気が触れそうだった。
「昔から俺の人生は『イケメン』に狂わされてきた。小学校の頃からやってもいない濡れ衣を着せられてクラスで孤立したこともあったな」
何をしても、訴えても人気ものの男子は守られてきた。世の中は不公平だった。
「ふ、ふふふ、そして最後にイケメン実業家にすべてを奪われた。――だがっ」
今度奪われたのは娘のように情が移ってしまった少女型のアンドロイド。会社とともに奪われた子供たち(アンドロイド)。その無念は決して収まることなく時間が経つにつれ焦燥感はふくれあがるばかりだ。
「子供たち(アンドロイド)は何があっても取り戻してみせる」
壊れた笑みを浮かべた彼だが部屋の周囲に張られたポスターにはっとする。
描かれているのは煌びやかな衣装で着飾る魔法少女たち。
ずっと裏切られ、人間不信に陥りかけた彼の心を救ったのはアニメに出てくる清き少女たち。
彼女らは愛と友情と優しさを行動の核として胸に抱き、戦い、そして決してくじけない。その強き心と勇姿を見て何度救われたことか。
「あの子たちは俺の届かぬ夢。『魔法少女』の意志を継ぐ希望だ」
あいにくと現実に魔法少女は存在しない。それでも魔法少女の影を追いアンドロイドに求めていくようになる。強くてまっすぐな心、それをリアルに求めない。既に人間という種の救いようのない醜さに愛想を尽かした。そういう意味で彼の心は既にゆがんでいた。
突然、部屋の中に肌寒い風を感じる。
いつの間にかベランダの窓が開け放たれてカーテンが風によってたなびくように揺れていた。窓を閉め切っていたはずだった。なのに開け放たれている事実に不吉な予感が脳裏を過ぎる。跳ね上がるような心臓を自覚しながら彼は視線を向けた。
月明かりの闇夜に少女の影が射している。異様だったのは彼女の手には体格に不釣り合いな大型ナイフが手にあったことだ。
月明かりを背に表情をうかがい知れないが瞳が異色をはなっている。淡く青の輝きを帯びているのだ。人ではあり得ない様子に北条真は気がついた。
「ヒカリ、なのか……」
1番初めに作り上げたアンドロイドの試作機。アンドロイドの中では最も稼働時間が多く、それゆえに人間以上に清い心を持つに至った彼の希望。
その少女から涙を代替するマシンオイルが一筋流れ月夜にきらめく。
「パパ、お願い逃げて。体が、いうことをきかないの」
娘の言葉を聞いて彼はすべてを理解した。彼女は頭をいじられ殺人兵器として自分に差し向けられたのだと。
「ああ、何てことを。何てひどいことを……」
彼にとって魔法少女のごとき心を持つアンドロイドを生み出すことが夢となっていた。
それなのに、これは許し難い。彼にとって本当に許し難いことだった。
「ぬおおおーーーー、あのイケメン、絶対にゆるさんっ!」
憤死でも引き起こしそうな叫びが天にとどかんばかりに鳴り響く。しばらくして少女の慟哭がなりやまなかった。
それを聞いた周辺の住民は胸が締め付けられるような感情におそわれたという。
――3日後。
北条真の葬儀がつつましやかに行われる。
「かわいそうに買収、乗っ取りだけならまだしも……殺さなくても」
「おいよせ。俺たちも何されるか分からないぞ。あれは事故なんだ。ロボットが暴走しての、な」
参列者の中でヒソヒソとある大企業の社員たちがうわさする。
葬儀には彼を慕う元社員らが訪れていた。
「ひどすぎる。大企業だからって、何をしてもいいのか」
男は涙ながらに語る。
「仕方ない。アンドロイドに関する法律なんてまだないんだ。命令したやつらは法で裁かれることはない。それどころか……」
それ以上は口を紡ぐ。下手なことを言えば自分たちも危ういのだから。
やや遅れてよどんだ瞳のまま遺影の前で泣き崩れる女性がいた。
「ごめんなさい、ごめんなさい、真さん。私、取り返しのつかないことを……ううぅ」
その女性は皐月といい、北条が最も信頼していた人だった。
北条真はこの世を去った。犯人であるアンドロイドの少女は失踪したまま。警察の必死の捜査もむなしく捕まることがなかった。