She Takes
大学時代に書いた小説のアーカイブです。
Nothing's Gonna Change My World
「香津実さあ、お前、どうして音楽を続けているんだ」
行きつけのライブハウスの控え室。一人でうなりながら詞を考えていた俺に、ライブハウスでの先輩、加藤小春さんが話しかけてきた。つかみ所のない性格の人だと思っているが、今日はいつにも増してどこか遠くを見ているような、複雑な表情を浮かべている気がする。若者達から神のように崇拝されているカリスマからは想像も付かない、弱気な印象だ。その虚ろな瞳を少し見上げながら、俺は率直に答えた。
「どうしてって、そりゃあ小春さんみたいな売れっ子ギタリストになるためですよ」
このライブハウスでは絶対的に越えられない壁。まだまだ下っ端の俺だけではない、他の誰ですらこの天才――加藤小春を追い越す事は絶対に出来ない。白いシャツをラフに着こなし、クリーム色のGibsonレスポールカスタムを自由自在に操って曲芸のような速弾きを披露する様子はステージ上で他を圧倒する存在感を放っている。しかし、現実からの逃避でここに音楽を聴きに来る心に闇を抱えた若者の心を絡め取るのはそれではない。若者の心に癒しの傷を与えるのは小春さんの、魂を切り裂く悲痛な叫び――詞だ。
「いやあ~いつもカッコイイですよ。ホント。ステージに上がるだけで俺の何倍も声援を貰ってますし。速弾きで客を痺れさせ、言葉で失神させる。たまらないっすね」
そう言いながら俺はイングヴェイ風に左足を蹴り上げ、エアギターで速弾きのマネをした。
「ライブ後のネットアンケートでも人気は一位。俺も一位になってみんなからキャーキャー言われたり、スポンサーに付いて貰ったりしたいっすよ」
言い終わってから
(少し褒めすぎたかな)
と思う。しかし、この尊敬は本物だ。俺はこの人のように人気者になりたい。そしてこの人に認められたい。
しかし、あれだけ褒められたにもかかわらず、小春さんは乾いた笑いを浮かべながら一言。
「そうか」
としか言わなかった。
「そうか、って何ですか。興味なさそうに。小春さんから聞いたんですよ、この質問」
自分勝手だが、あれだけ褒めたのだからもう少し人間らしい反応を取ってくれても良いと思う。いつだってどこか遠くを見ている浮世離れしたこの人をたまには困らせたい、人間らしい反応を見てみたい。俺は小春さんに質問をする。
「じゃあ、そう言う小春さんは何でギターを弾いているんですか。教えて下さいよ。教えないと夕飯のカップ麺あげないっすよ」
普段から自分のことを全く話さない小春さん。そして、カップ麺。これで少しは困惑するだろうか。小春さんの弱点はこれくらいしか思い浮かばない。カップ麺を三食欠かさずに食べる(らしい)ほどのカップ麺好きの小春さんに対する最大限の攻撃だ。さすがに少しは効いたのか、小春さんは小さなため息をつく。
「お前、本当に……ガキだな」
馬鹿にされても俺は負けずに、しつこく追撃をする。
「俺はガキっすよ。はな垂れ十九歳っすよ」
鼻をほじりながらふざけてみると、小春さんはさっきのため息よりもますます深いため息をついた。これは、落ちるか。俺は小春さんをじっと見つめ、無言の重圧を与えてみる。しばらくにらみ合いが続いたが、ついに観念したのか小春さんは視線を落とし、俺に言った。
「俺はさ、将来アコースティックギター一本を持って、枯れ果てた老人の前で演奏したいんだ。ボロボロの椅子に座ってさ」
粘って訊きだした小春さんの答え。正直、意味が分からなかった。
「はあ」
答えになっているんだかなってないんだか分からない言葉に、俺は間抜けな声を出してしまう。その反応を見た小春さんは満足げな表情を浮かべ、控え室を後にしようとする。
「いや、ちょ、待って下さいよ、カップ麺いらないんすか」
こんな答えでは納得がいかない。俺は小春さんを引き留めようと、カップ麺を再び人質に取る。けれども小春さんは、
「いらねえよ。今日は、な」
と言い残し、その場を去って行った。
結局、小春さんの本心は分からずじまいだ。さっきの若干ポエマーチックな答えだって、ステージ上で小春が歌う歌の歌詞みたいな、深い意味を推測できそうな印象を受けた。もしかしたら小春さんの心の底からでた本心かもしれないし、俺を適当にあしらうための冗談かもしれない。しかし、何回も聴いたであろう小春さんの歌詞ですら本心かどうか分からない俺には、控え室でぽっと出た話題の真意を見抜くことが出来るはずもなかった。
その真意も、俺がもっと小春さんに迫るほどのギタリストになれば訊ける。小春さんと対等の立場になれば、きっと本音で語れると。そう思っていた。いや、同じ立場になれば訊かずとも分かるだろうとも思っていた。
だけど、その願いは一生叶わない。
次の日、小春さんは自殺した。カミソリで体中を深く切り裂いて、失血死だったらしい。
小春さんの本心は、誰にももう分からない。
The Man Who Sold The World
何となくでも頑張っていれば、夢は叶うと思っていた。
「クソがああああああああああッッッッ!!」
ギターはいつも好きな曲で適当に練習、メトロノームに合わせて指を一本ずつ動かす退屈なフィンガートレーニングなんて一切やらなかった。どこかで聞いたことのあるメロディを適当に組み合わせただけで作曲を続けてきた。美しいメロディを奏でるスケールの理論やコード進行なんて考えたこともなかった。それらは俺にとって、ただの面倒な勉強でしかない
適当な練習でも、好きな曲を演奏するのが面白くて、時が経つのを忘れるほどに楽しかった。楽しみながらでも目標はいつもあって、その目標をいつかは追い抜けると、そう思っていた。
「てめえらはよおおおッ本ッ当にクソだなあああああッ!!」
けれどもそれは甘い幻想で、俺が思うよりも世の中は不条理だった。指がつりそうなフィンガートレーニングの末にステージ上で六連符の速弾きをするようなヤツは、わざわざ音大に通ってまで習ったクラシックの理論をロックに応用するようなヤツは、適当に練習しているだけの俺をあっという間に置いてけぼりにする。ふと気がつけば、そいつらは既に水平線の彼方だ。影ですら俺に踏ませてはくれない。
そんな俺にはとても追いつけないヤツらですらマッハで追い越していた小春さんは、死によって水平線のさらに先、俺たちが常軌を逸さなければ絶対に到達不可能な境地へと旅立ってしまった。
「何のために生きてるんだよおおおおおコラあああああ!!」
ステージ下の、世の中に対するもやもやとした不満を抱えたクズ野郎どもの崇拝を浴びるように受けていた小春さんが、自分から命を絶つだなんて。このアンダーグラウンドな世界では地位も名誉も獲得していた小春さんが自ら全てを捨てるなんて。成功の先が自殺だなんて。
そんなの、不条理に決まっている。
何の努力もしない、ライブハウスに逃げ込む事でしか怒りを発散できないクズ野郎こそが、小春さんの代わりに自らの下種な血にまみれて死ぬべきではなかったのか。
「俺がブチ殺してやるぞクズめらがあああああああああああああ!!」
小春さんの自殺は連日ニュースで放送された。未来ある若者の自殺は社会の闇を突きやすく、マスコミが取り扱う内容としては格好の的だったのだろう。そのニュースで見た、ぐちゃぐちゃの血文字で『平和、愛、共感』とだけ大きく書かれた小春さんの遺書は視聴者に怒りと虚しさを届けたのだろう。小春さんの死により空席になってしまったアンケート一位の座を狙うバンドマンをますます熱狂させた。
自分もこうなりたい。ここまで報道されたい。これだけ神のように崇められるには、まずはライブハウスでナンバーワンにならなければならないと、あらゆるバンドマンがそう思うようになった。
「クズは、焼却してえええッなあああああああああッ!!」
だけど、俺はもうダメかもしれない。
「おい。あいつ、ちょっとやべえんじゃねえの? 目が逝ってやがるぜ」
この世にはあまりに不条理が多すぎる。いや、俺にとっては多すぎた。
絶対的な目標だった小春さんが死に、虚しさだけが俺の心に残る。小春さんの死では、どうしても熱狂することができなかった。
連日続いたプライバシーの侵害も甚だしい報道を見続けて頭が狂ったバンドメンバーとはきっぱりと袂を分かった。もう誰も俺とステージに立つことはない。奴らとは、たとえ大金を積まれたとしても二度と同じステージに立ちたくはなかった。
挙げ句の果てに、父親の会社が突然の倒産。これこそ、一番の不条理だろう。小春さんの死も音楽も俺の意志も全く関係のない、俺に対する害。倒産の原因は先物取引の失敗。両親と三人暮らしの我が家は大量の借金と、失敗の原因である『大量のしいたけ』の在庫をおよそ一トン――段ボールではおよそ千箱分も抱え込むことになった。
意味が分からなかった。唯一の嫌いな食べ物がしいたけである俺にこの仕打ちなんて、不条理と言わず何という。どうして俺が、もっと不幸に落ちるべきどうしようもないゴミクズは、このライブハウスに沢山いるじゃないか。
「やべえ! しいたけを喰いながらエレキギターって、どんなパンクだよ!」
「うぇえっ、げええっっ、おええげえええええっ!!」
「うええ! ゲロをまき散らしてやがる! 汚えっ!」
家族が借金を抱えた俺に、ライブハウスで演奏するためのお金と時間の余裕は無い。そんな余裕はあるはずもない。ギターに使えるお金があれば家計に回し、ライブをする時間があったらアルバイトをする。そうしなければ、普通に生活することですら難しいのだ。だから、このライブ――小春さんが死んでから、初めてのライブイベント。これが最期だ。
「おらああああああああああああああああああああっ!!」
「持ってるギターも叩き折りやがった! ……今時マジかよ……もったいねー」
大勢のバンドマンがアンケート一位の座を狙っているが、俺には関係ない。元々、俺には無理なことだったんだ。才能も無く、努力もしない俺には。
そんな負け続けの人生も、今日で終わる。いや、俺が終わらせてやる。灰に、誰もが同じ、努力も才能も金も関係のない、真っ白な灰に――
「燃えちまえクソがッ! 死ねッ! 死ねえエエッ!!」
「火だ、しいたけに火を点けているぞ!」
「止めないとヤバイんじゃないか!?」
「バカヤロウ! 止めるな、燃やせ!」
「止めろ! 死ぬぞ!」
赤い。視界が赤い。もう、何も見えなかった。観客も、光も。
「ウゲーッ! 煙がっ! 苦しいっ!」
「ウヒャヒャヒャヒャ! もっとやれ!」
「クレイジーだぜ! 投票して欲しかったらもっとキチガイなパフォーマンスを見せろ!」
意識も、瞬き一つで消えていく。最期に、全て吐き出そう。そう思ったら、何だか俺の心はとても落ち着いて、ぼおっとした赤の中に光の広がりを見た気がした。
「死ねええエエエエエエエエエエエエエエええええええ!! お前ら全員地獄に墜ちろおおおおおおおおおお!! ゴミがっ! クズがっ! 存在することしか脳がないタンパク質がっ! 生きたきゃ死ねっ! 死ねっ! 俺が殺してやるっ! 殺すっ! 銃を持ってこいっ! 灯りを消せっ! 楽しめっ! 売春婦がっ! お前らしくなれよっ! 一度でぶち壊してやるっ! 俺に、どう生きろっていうんだあああああああああッッッッ!!」
Sappy
「うーっ……寒い」
季節は十二月。灰色の空からゆらゆらと牡丹雪が降り注ぎ、街を白く染める。ライブハウス周辺の白に覆われた路地裏を、俺はオレンジ色のコートを着て歩く。右肩に革製のギターケースで包み込んだ、赤いフェンダー・ムスタングを背負いながら。わざわざ裏道を通って来たんだから、誰にも見つからずにライブハウスにまで行きたいと切実に思う。
「右よーし、左よーし、俺強―し。うはは」
周囲に誰も居ないと心がすがすがしく、気分が良かった。誰にも気を遣う必要がない。俺は、いつだったかテレビで見たコマーシャルを適当にマネながらライブハウスへと歩みを進める。しかし、ライブハウスに続く最後の道へと曲がった時だ。
……前方五メール先に三人組みの女性が居た。不幸な鉢合わせ。彼女らは三人とも黒いダッフルコートを着ている。おそらく学生だろう。顔面通信簿を作るならば、右から△×○。
俺が眼をキョロキョロと動かしていると、不意に真ん中の×と目が合ってしまった。途端、×はキャーキャーと発情期の猿の如く騒ぎ出す。
「ま、前よろしくない……」
背筋が急に薄ら寒くなってきた。突然の人間襲来に驚き、身体が固まってしまった俺に向かい、×が雪道にもかかわらず猛ダッシュで駆け寄ってきた。後ろからは△と○も続いている。その様子はまるで、いつかテレビで見た某ジェットストリームアタックそのものだった。某テレビアニメそのものは見たことがないが。
「あ、あのっ! 『She Takes』の香津実さんですよねっ!」
ああ……またこれか。俺はウンザリしながら、相手に気取られないように小さくため息をつく。そして一言。
「チガイマス、本城香津実は今、トイレでゲロ吐いてますヨ。ソレジャ」
適当な発言。俺は速くライブハウスに行って、控え室でのんびりとしながらカップ麺を食べたかった。こんな流行り物大好きオーラをプンプンと漂わせたクソビッチの相手をするのは時間の無駄。そう判断した俺は、自分から嫌われる発言をして相手を立ち去らせようとさっきの意味不明な発言をしたのだ。これでこいつらも消えるだろう――
と思っていたら突然、×に俺の右手首をがっしりと掴まれてしまった。この×、ブチ殺してやろうか……。
「キャーッ! もっと言って! もっと! もっと!」
俺の適当発言を聴いた×が、突然飛び跳ねながらテンションを上げ始めた。俺の右手も一緒に上下して痛いのだが。×の身体から溢れる熱気たるや、俺にマサイ族の儀式を思い起こさせた。△と○も俺の周囲を取り囲み、ギャーギャーと耳障りな声を上げ始めた。同じマサイ族として、何かの共鳴をしているのだろう。
「ちょっと、香津実様の手を図々しく握るんじゃないわよ! 香津実様の、その手は、みんなの物よっ!」
「あの、サイン下さい! 私のiphoneに大きく!」
こいつらの瞳を覗き見ると、虚ろに揺れる黒目は俺の姿をまるで捕らえてはいなかった。俺の迷惑を考えないのだろうか。俺が、時間を潰されることで、怒りを、全く感じないと、本気で思っているのだろうか。その無神経に態度に腹が立つ。
俺は、そいつらを追っ払う策を再び考える。そして思いついたら悩まずに、すぐさま実行フェイズに移った。
左ポケットに予め用意して置いた干ししいたけを左手で掴めるだけ取り出し……。
一気に自分の口へと押し込む。
「うげっ! うごおおっ! うげっ、げろげろげろげろげろげろげろげろっ!!」
突然干ししいたけを突っ込まれた俺の胃袋はエマージェンシー。非常事態を乗り切るために胃液を逆流する指示を脳みそに与える。白い雪の絨毯を醜く汚す汚物が俺の口から放たれた。
マズイ。未だしいたけは大嫌いだ。食べるものとは思えない黒色と言い、容易にかみ切れないために味が長く残ってしまう食感と言い、俺はしいたけを食べる度にゲロを吐いてしまう。
他人にゲロを間近で吐かれ、気持ち悪いと思わないはずがないだろう。マサイ族が着ている黒いダッフルコートも被害を被っていた。これでこいつらもどこかへ消える――
「キャーッ! 香津実様が私の目の前でゲロを吐いたわーっ! もっと吐いてーっ!」
――と思ったが、そんなことは無かった。人のゲロを見てキャーキャー喜ぶなんてこいつら、とてもじゃないが同じほ乳類とは思えない。強いて言うなら生ゴミを漁るウルトラ害虫だ。
気味の悪さとゲロの余韻で頭がくらくらしてきた。もう策を練る余裕は無いだろう。
「また来世ッ!」
俺は×の右手を振りほどくと、捨て台詞を残してウルトラ害虫三人組から逃走を図った。三人組みはまた何か騒ぎ声を上げていたが、その声はもう聞こえなかった。聞きたくもなかった。
Heart Shaped Box
小春さんが死んだ後に行われた、空席になったアンケート一位を決めるライブ。そのライブの後、俺はライブハウスを出禁にされた。
無理もないことだった。バンドメンバーとは袂を分かった俺は、打ち込みの音声で作ったドラムとベース音をバックに一人でステージに立った。当然、それだけならば問題は無い。
しかし俺は、もしもバンドメンバーが一緒のステージに立っていたら、絶対に止めたであろうパフォーマンスをしてしまったのだ。
ギターアンプのつまみをフルテンにセッティングし、金属を切り裂いたかのようなノイズを掻き鳴らす。メロディも意味のある歌詞もない、キチガイ、ヨツ、底脳などの放送禁止用語を並べた歌を歌いながら。さらには借金と一緒に抱え込んだしいたけを嫌いにもかかわらず喉の中に押し込み、カップラーメンが混ざったゲロをステージ上にまき散らした。愛用のエレキギターは剣道の上段の構えからステージに叩き付けてへし折った。そして、仕舞いには予めステージ脇に用意していた段ボール十個分のしいたけ全てに業務用サラダ油をぶっかけて、ヘアスプレーとライターを火炎放射器のように使用してそれに火を点けたのだ。
こんな大騒動があったにもかかわらず、ライブハウス側の迅速な対応によって幸いにも大火事にはならなかった。しかし、防音の為に分厚く作られた扉が付いている狭い出入り口に煙から逃げ惑う客が殺到し、会場は阿鼻叫喚と化した。騒動の原因になった俺は警察に連行されてこっぴどく絞られたが、建物の全焼や死人が出なかったこともあり無事に留置所から解放された。しかし、ライブハウスからは当然の如く出禁を言い渡されてしまった。
許せない不条理が立て続けに続き、やけになっていた俺は死ぬ覚悟だった。だからこそ火を点け、気に入らないゴミども一緒に死のうと、そう思っていた。だが、俺は今でも生きている。いや、生きながらえていると言った方が正しいだろう。そして、あの時に最後だと思ったライブハウスでの演奏すら今でも続けている。その理由には、数奇な運命があった。
ライブハウス側は後日、一応ネットアンケートを行った。俺の出番はラストから二番目、俺の前に演奏していたバンドを評価させる意図があったのだろう。ところが、ライブハウス側の意図とは裏腹にネットアンケートではライブを破壊した俺が一位になってしまったのだ。二位のバンドにトリプルスコアの大差をつけて。
人気の理由は、常軌を逸したパフォーマンスだった。ゲロと炎、しいたけをミックスさせた意味不明なパフォーマンスは、小春さんの自殺を報じたニュースを見て頭が狂ってしまった若者の心を魅了して離さなかったらしい。
二位のバンドにトリプルスコアをつけるあまりの人気に、ライブハウス側は俺に言い渡した出禁をすぐさま取り消した。金を稼げる人間だと思えばすぐに悪事を帳消しにする、都合の良い奴らだ。不幸にも俺に小春さんの陰を見出してしまった熱狂的ファンからは、『破壊したギターの代わりに使って下さい』と書かれた手紙と共にエレキギターが十本届いた。
俺に起こった環境の変化はそれだけではない。インターネット上の掲示板には、どこから漏れたのか、『本城香津実の父親がしいたけの在庫を大量に抱えている』と書き込まれていた。それを見たファンは何を思ったのか『香津実様が食べてゲロを吐いたしいたけが欲しい』と訳の分からないことを書き込み、俺の実家の前でオフ会が開かれてしまった。そして実家の前に集まったファンは、普段は一切買わないであろうしいたけを大勢で大量購入。山ほどあったしいたけは何と完売してしまったのだ。その利益によって父親の借金は奇跡的にゼロとなり、今ではファンからの貢ぎ物で俺は父親の会社が倒産する前よりも若干裕福な生活をしている。
ライブハウス側は、俺に音楽活動の支援をしてくれた。打ち込みの音では迫力が出ないと、バックバンドを付けてもらった。さらには、欲しかったコンパクトエフェクターも好きなだけ買い与えられた。
どれもこれも、俺には有り難すぎるものだった。しかし、それらの支援には代償がある。
支援を与える代わりに、俺は一つの約束をライブハウス側から交わされた。
『ライブでは必ずアンプをフルテン、放送禁止用語を連呼、しいたけを食べてゲロを吐くように』
と――
I Hate Myself And Want to Die
胸に『Touch Me I'm Sick』と書かれたオレンジ色の半袖Tシャツ、そしてズタボロのブルージーンズを穿いて、俺はまだ薄暗いステージに上がる。ぼんやりとした俺の陰が観客席から見える頃に、ステージの真上に付いているカラフルなスポットライトは激しく点滅を繰り返し、サイケデリックな光で観客の正常な感覚を狂わせていく。クズ野郎どもの脳みそはトリップ状態に陥り、脳内麻薬で興奮に包まれたテンションで歓喜の声を上げる。
俺の登場SEは映画『続・夕日のガンマン』の名曲『Ecstasy of gold』だ。Metallicaのライブにあやかっている。特別Metallicaが好きなわけではないが、オーケストラで演奏されるこの曲はたまらなく良い。聴くだけで決闘に挑むガンマンのような気持ち、勇気と悲哀が俺の心にあふれ出る。その緊張感はライブに挑む俺の気を引き締めてくれる。
しかし、案山子程度の脳みそしか持たないクズ野郎どもには音楽の良さ、心は伝わるはずも無かった。奴らは長髪を気違いの様にぐるりぐるりと振り回しながら、言葉にならない心のもやもやを叫ぶだけだ。
気にくわねえ。
俺はバックバンド――命令すれば『メリーさんの羊』も演奏するだろう――に右手を挙げて『演奏を始めろ』のサインを出し、演奏する曲名を客席のクズどもに向けて叫ぶ。汚く、金属を掻きむしったような声で――
「She Takesッッッッッ!!」
『She Takes』。ローマ字読みで『しいたけ』。あまりもアホすぎる曲名だが、これはライブハウス側の命令、約束のために作った曲だ。もしもこの曲を演奏しなければ、ライブハウス側は俺を決してステージには立たせないだろう。こんな馬鹿げたタイトルと大人の事情が混ざった曲ですら、観客は何も考えずに大喜びするんだから俺は演奏せざるを得ない。
『She Takes』は大して難しい曲ではない。曲の構成はミドルテンポでスリーコードのリフをひたすら繰り返すという、演奏している分には退屈でワンパターンな曲だ。ギターソロは僅か十六小節。けれども、俺のライブでは一番盛り上がる人気曲だ。
「おげええええっっっっげげっげええうごおおおっっ!!」
その理由は、俺がギターソロを弾きながらステージにゲロをまき散らすからだ。ステージに横たわり、這いつくばりながらしいたけを口に押し込んでゲロを吐く。俺がギターソロを適当に弾いても、ゲロを盛大に吐いてさえいれば観客は何も文句を言わない。どこまでやれば文句を言われるかと思い、歌詞を適当にアレンジして歌ってみたが、誰もそれを気にしなかった。
結局アイツらは、俺の音楽なんて端から聞いていなかった。
あのクズどもは、俺のゲロを、しいたけを、破壊されたギターを見に来ただけであって、心のモヤモヤさえ解消できればそれでオールオッケー。決して誰が演奏しているだとか、何を思って演奏しているのかというこちらの事情は一切気にも留めないのだろう。そんな内面的事情はややこしくて、ストレス解消の妨げになるからだ。
こんな茶番劇、俺はすぐにでも止めたかった。しかし、もしも俺がゲロを吐くことを止め、まともなパフォーマンスで観客を楽しませようとすれば、俺は誰にも必要とされなくなる。だれも俺に、まともなパフォーマンスを期待していないからだ。
俺が金を生み出さないとなれば、ライブハウス側は俺の活動支援を絶対に止めるだろう。バックバンドを止めさせ、機材も買い与えられない。そうなってしまえば、今のように音楽を続けることは絶対にできない。ファンも俺に失望して、他の気違いバンドに乗り換えるだろう。
かつて、自由に音楽を演奏していた頃の俺はまるで人気が無かった。ステージに上がっても歓声の一つも上がらず、静かな会場で無心に演奏を続けていた。誰にも注目されず、誰からも必要とされない。ある程度は注目されるためにステージに立つ人間として、注目されないことは何よりも辛く、音楽への情熱を奪っていく。
だが、今の俺は違う。ライブ後のネットアンケートでは文句なしの一位、ファンの応援も注目も浴びるように受けている。
注目される。小春さんのような売れっ子ギタリストになる。そんな俺の目標がようやく叶ったはずなのに、どうしてこんなに、こんなにも虚しいのか。どうして、俺の音楽を聴いてくれていると思えないのか。どうして、音楽への情熱を失っていくのか。
不快なゲロの臭いに包まれながら、今日のライブも大盛況に終わる。ライブハウス側が物販として販売している干ししいたけは、今日も完売した。
You Know You're Right
「お疲れさん。速く出てけッ! ゲロまき散らされてえのかッ!」
ライブが終わり、控え室で休んでいた俺のバックバンド二人をキチガイの振りで追い出した俺は、控え室のソファーに深く腰を掛けて深いため息をついた。ステージ上でゲロを吐き、若者の支持を圧倒的に集める俺はもう居ない。ここに居るのは目標を失った、ただのろくでもない人間の絞りカスだ。
「……何やってんだ、俺」
情けない俺に対して呟く。俺一人しか居ない控え室の静寂がより一層深くなったような気がした。このままでは気が滅入ってしまう。気分転換のため、何か面白い物は無いかと控え室の中を見渡してみるが、ここにあるのは名前も知らないバンドマンがサインを大量に書き殴ったドレッサー、ロキノン系のバンドが紹介されている音楽雑誌が無造作に積まれた机、生ゴミの悪臭が漂うゴミ箱。夢見る若者の残り香が漂うこれらは俺の苦しみを紛らわせない。それどころか、見ているだけで何か後ろめたい物を感じてしまう。俺がやりたいことは――
「……詩、作るか」
――とてもこの空間には無かった。好きな曲をギターで演奏できれば気晴らしにも成っただろうが、俺を神のように崇めるヤツに見つかってしまうかもしれない恐怖。音楽好きが集まるここで、俺の好きな曲を自由に弾けるはずも無かった。見つかったら失望のあまりに刺されるような気がする。
仕方なく、俺はライブハウスに指示された通りに詩を作り始めることにする。何もしないより、つまらなくとも何か作業をしていた方が気も紛れるだろう。
ライブハウス側の指示は『矛盾だらけで面白い、怒りに満ちた詩』だ。しいたけでゲロを吐くパフォーマンスをする俺が思うのも難だが、どんな詞を書いたら指示に該当するかが見当も付かなかった。
「矛盾、怒り……殺す? いや、普通だな。犯す……もう少しこう、犯せ?」
犯せ。今の俺にぴったりの言葉だ。人に必要とされることから逃れられない愚かな自分、情けない俺を犯せ。俺を傷つけろ。侵害しろ。俺はそうされるべき人間なのだから。
心がどこか深い所に落ちていき、視界がぼんやりと暗い。しかし、俺は心地よかった。誰かに犯されたい俺は自分自信に犯され、罰を受けているのだから。もやもやとした頭の中で、血の温度が上がっているのを感じる。
「友よ、俺を犯せ。友よ、俺を殺せ。Nirvanaのパクリか? うはは」
ぶつぶつと呟いて自分を罰するだけでは物足りなかった。叫びたい。精神に溜まった毒を、ゲロを吐くようにして吐き出したい。大量に吐き出した毒で自分をドロドロに溶かして、理想の自分と現実の自分との境目を無くしてしまいたい。
自然と目が大きく開いていく。叫ぶか。叫ぶしか無いだろう。ライブハウスと言うくらいだから、控え室には防音機能くらい付いているはずだ。それに、もしも誰かに聴かれたとしても大丈夫だろう。俺は、ここでは唯一無二のキチガイなのだから。
俺は勢いよくソファーから立ち上がり、腹に力を入れるために腰を深く下ろした。そして、自分の、自分への怒り、苦しみを、心の奥から絞り出すように大声で叫んだ。
「俺を犯せ――――――ッッッッッあああああ君ぃぃぃぃ俺を犯せぇぇぇぇぇぇ――――ッッッッッッ!!」
「あの、し、失礼しま……って、きゃあ! 失礼しましたっ!」
俺が気持ちよく叫ぶと同時に控え室のドアが開き、その隙間から黒髪ポニーテールの女の子が見えた気がした。しかし、控え室のドアは既に閉まっている。
「……はい?」
俺は腰を下ろした体制のまま、さっきの出来事を思い出して思考を巡らせた。
黒髪ポニーテールで、華奢な体格の女の子が控え室に入ろうとしていたのは気の所為か。いや、気の所為ではないだろう。俺は恥じらいの混じった叫び声を確かに聞いたのだから。
しかし、叫ぶ前は気が大きくなっていたのか、どんな痴態を誰に聴かれても良いと思っていたが、いざ自分の心を他人に聴かれてみると恥ずかしいものだった。
しかも、それを女の子に。
静寂が痛々しく身に染みるのを感じる。
「わはは、はっ、はっ、はっ、……はあ」
恥ずかしさから、俺は誰に対してでもなく笑ってごまかした。が、頭の狂ったのパフォーマンスでクズどもをごまかすことはできても、自分の情けなさを笑ってごまかすことは出来なかった。そもそも、それが出来ていたらさっきのように叫んではいなかっただろう。
あまりの恥辱は、時間と共に虚しさへと変わっていった。血の温度がスーッと下がっていくのを感じると、俺は肩をガクリと落とし、ため息をつきながら再びソファーに深く座り込んだ。
「女の子、女の子ねえ……」
それにしてもさっきの女の子は何だったのだろう。出演者の控え室に入ってくらいだから、おそらくライブハウスの関係者なのだろう。しかし、俺は今まで彼女をライブハウスの中で見たことはない。もっとも、最近は面倒なコミュニケーションを避けるためにいつも控え室で引きこもっているから、彼女がライブハウスに居ても気がつかないだろうが。
もしも、仮に彼女がライブハウスの関係者としても、出演者という感じには見えなかった。偏見だが、俺の叫び声を聞いて逃げ出すような人間がステージ上で自分を表現できる図太さを持っているとは思えない。同じ理由で、控え室に押しかけてサインをねだるような腐れビッチでも無いだろう。そんな人間は、さっきの叫び声で生ゴミを見つけた害虫のように喜ぶはずだ。
考えれば考えるほど、この場には不釣り合いな女の子だった。
「うむむ」
もやもやとした疑問に俺がしばらくうなっていると、不意に控え室の扉から小さいノックの音がコン、コンと響いた。
「はーい?」
考え事をしていたため、思わず素で対応してしまう。俺がドア越しに応答すると、消え入りそうな女の子の声が部屋の中に聞こえてきた。……控え室はそれほど防音では無かったのか。
「あの、先ほどは、ノックをせずに扉を開けてしまい、済みませんでした……。その、香津実さんに訊きたいことがありまして、な、中に入ってもよろしいでしょうか……」
俺のことをどう思っているかがわからない、得体の知れない相手。どう対応したものか。
「OKOKOK牧場ッ! さっきのアレはちょっとアレだから忘れてくれ」
一先ずは高いテンションを維持してみよう。テンションさえ高ければ多少なりともイメージを損なう発言をしても、『そういうパフォーマンス』と思ってくれるにちがいない。
「失礼します……」
俺の願いが通じたかはともかく、ドアをゆっくりと開けて先ほどの女の子が、小さくお辞儀をしながらに控え室に入ってきた。
身長は見た感じ、俺より頭一つ分くらい低い。おおよそ百五十センチメートル程度だろうか。服装は、冬なのに何故か白い袖無しのスポーツウェアを着ていた。スポーツウェアの縫い目には太い水色のラインが走っていて、非常にさわやかな印象を受ける。しかし同時に、華奢な体に薄着では見るからに寒そうな印象も受ける。
「あの、私、美空茜と言いますっ。その、香津実さんは、どんな食事をしているのかな、なんて、思いまして……」
訊きたいことは俺の好きな食べ物だった。……そんなくだらないことを知りたがるのは……俺の音楽を聴こうともしない、ゲロ好きの下衆なファンだけだ。
俺は女の子の質問を適当にあしらうと決めた。適当にあしらって、さっさと帰らせよう。
「しいたけ」
これで満足か。この単語を聞きたかったんだろう。さあ、下等生物らしく何も考えずに喜べよ。
しかし俺の予想と反し、ポニーテールの女の子――茜は俺の言葉を聞いても喜ばず、『しいたけ』という答えに対し目を丸くして驚いていた。
「ステージでしいたけを食べて吐いているのにですか!?」
こいつ、俺をおちょくっているのだろうか。ギャグと分かっていながらはらわたが煮えくりかえりそうだったが、心を落ち着かせて慎重に答えを返そうと務める。普段なら怒鳴り返しているところだが、華奢であまりにも弱々しい茜に怒鳴りつけるのは気が引けるからだ。
「……うん」
今度は、無難な相槌を打って相手の出方を窺ってみることにした。しかし、茜の対応はさっきと変わらず。こちらの言葉に心から驚いている様に見えなかった。
「な、なるほど……そこまで努力をしないとアンケート一位にはなれないんですね……わ、わかりました。勉強に、なりますっ」
この対応、何かがおかしい。茜のおどおどとした態度は、今朝のウルトラ害虫三人組の如く適当にあしらわれているのを喜ぶ感じでは無いだろう。むしろ、あしらわれているのに全く気づいていない、そんな印象を受ける。また、俺と話している害虫三人組のテンションはマサイ族のようだったが、茜は緊張を悟られないようにと、無理にテンションを上げているような気がする。それでも、アフリカ人に比べれば茜はまだまだおとなしい方だろうが。
もしかしたら、茜は俺の熱狂的なファンでは無いのかもしれない。アイツらはこっちの都合を無視して俺を祭り上げ、言いたいことを好きなだけ話すと挨拶もせずに去っていくという傲慢な態度だったが、茜はあくまでこちらの態度を窺う、非常に謙虚なスタンスだった。そう考えると、俺には茜を冷たくあしらう理由がない。むしろ、わざわざここに訪ねてまで俺に質問をする茜への興味が再び湧きあがってくるほどだ。
今度は、こちらから質問をしてみようか。
「えっと、茜、で良いかな。立ち話も何だからさ、そこのドレッサーの椅子にでも座れよ」
「あ、ありがとうございますっ」
茜はペコリと一礼をしてから、相変わらずおどおどした様子で椅子に座ってくれた。
「……で、茜はどうしてここに入れたんだ? ただのファンだったらここは立ち入り禁止のはずだろ」
俺の質問を聞いた茜は瞬きを素早く繰り返し、少しどぎまぎした。やはり、何らかの理由で緊張をしているのだろう。それでも茜は、何とか質問に答えようとしてくれた。
「え、ええと、その、何から話したら良いか、私、今日のライブで出演していんですけどっ……覚えていませんか?」
「出演者!? えーっと、茜が、出演者?」
思わず茜を指さし、さっきの言葉を確認してしまった。意外や意外。今までのおどおどした様子を見る限り、何か別の物に例えるならば『小動物』がぴったりの茜、その茜が、ステージ上で堂々とライブパフォーマンスをする様子なんてとても想像出来なかった。むしろ、顔を真っ赤にして棒立ちのまま泣き出しそうなものだが……。
「は、はいっ! そ、そうですけど……な、何かっ!?」
茜は前のめりになって答えると、そのまま体を硬直させてしまった。前のめりになったときに茜の短めなポニーテールが少しだけ揺れ上り、髪を縛っている水色のリボンがちらりと見える。
「いや、その、そう言うタイプには見えなくてさ。ええと、スマン」
突然の大声で驚かせてしまったのかもしれない。俺が謝ると茜は落ち着いてくれたのか、再びおどおどしながら言葉を続けてくれた。
「私、香津実さんみたいな、人前でも堂々としていられる、そんな人になりたくて、それで、頑張って勇気を出して、今日初めてライブに出てみたんです」
『そんな人になりたい』。茜がその言葉を口にした瞬間、俺の身体に得体の知れない悪寒が走った。
「一応、ピアノは演奏できるので、電子オルガンでパーカッションを鳴らしながら、『スターウォーズ』を独奏して、みました」
一人でステージに立つ。それは茜にとってはどれだけ恐ろしいことだったのだろう。『人前でも堂々としていられる、そんな人になりたい』。その願いは、裏を返せば人前でそれが出来ないと言うことなのだから。しかし、演奏した曲が『スターウォーズ』……。自分では気づいていないだけで、茜には十分に度胸があるような気もする。
「だけど、あまり上手くいかなかくて……。恥ずかしくて、緊張して、演奏が止まってしまったんです……。とっても、ステージに立っているのが辛かったです」
ステージに立っているのが辛かった、と茜は言う。その点では俺もこの子と同じだな、と思った。
「もう止めよう、そう思いました……だけど、ステージで演奏するだけなのに、こんなにも緊張してしまう自分が、嫌でっ、もっと勇気が欲しくて……だから、少しだけ勇気を出して、香津実さんの控え室に言って、何か話が聞けたらと……思いました」
息を出し切るように言葉を紡いだ茜の顔は、本心を緊張からかさらに赤みを増していた。茜の話を聞く限り、たったこれだけの台詞を言うことですら膨大な勇気が必要だったのだろう。
しかし、苦しみながらも勇気をひねり出している茜は内気の割には大胆というか、ステージでゲロを吐く俺を見て控え室に行こう思うなんて、まともな精神じゃあない。よっぽど今の自分を変えたいのだろうか――自分を苦しめてまで。
話を聞いた俺は、一つだけ茜に訊いてみたいことがある。しかし、それを言葉にするのは何故か、どうしようもなく恐ろしかった。何だかわからないが、俺が目を逸らし続けている……考えないようにしていることが、その質問の中に含まれているような、そんな気がする。それでも、俺は茜にどうしても確認したかった。
「じゃあ、茜がステージに立つ理由っていうのは……俺みたいな、いや、堂々とした人間になるためってことか?」
ただでさえここに来て緊張しているはずの茜に俺の動揺を見せてしまうと、自分が何か失礼な事をしたかと考えてますます緊張してしまうだろう。これ以上精神に負担を掛けるのは良くないはずだ。俺は声と表情を整え、できるだけ動揺を隠しながら質問をした。
その質問に茜は俺の瞳をまっすぐに見つめながら、笑顔で答えてくれた。
「はい。香津実さんみたいに、アンケートで一位を取れるような、立派な人になるためです。ステージに立つのはっ、緊張して、辛いですが、私は、そんな自分をっ、変えたいんですっ!」
『辛くても音楽を続ける』。そう語る茜の澄んだ瞳が、濁りきったであろう俺の瞳と重なった。
今はまだ目標がある。目標があるからこそ、辛くとも前に進めるのだろう。しかし、こんなにも純粋に上を目指している茜も目的を達成してしまったら、俺のような、何が楽しくて音楽を続けているのか分からない、音楽をする上で大事な何が消え失せた人間へと変わってしまうのだろうか。そんな悲しみが頭の中を通り過ぎる。
「そうか……ありがとな」
茜の言葉に俺は、乾いた笑顔でしか感謝を返せなかった。
漠然とだが、茜の苦しみを、目標を、何とかしてあげたいという気持ちはある。しかし、俺は茜に何て言葉を掛けたら良いのかが、まるで分からなかった。今の苦しむ自分にさえ、掛けてやる言葉が見つからないのだから。
単純に『俺を目標にするな』では違うだろう。小春さんを追いかけていた頃の俺が小春さんにそう言われたとしても、絶対に小春さんを目標にすることを止めなかったはずだ。それほどまでに、目標に対する憧れは人を盲目にする。
『どうしてって、そりゃあ小春さんみたいな売れっ子ギタリストになるためですよ』
小春さんとの会話を思い出す。
『香津実さあ、お前、どうして音楽を続けているんだ』
小春さんとの最期の会話。あの時、小春さんは俺に何て言っていただろうか。
『俺はさ、将来アコースティックギター一本を持って、枯れ果てた老人の前で演奏したいんだ。ボロボロの椅子に座ってさ』
小春さんの言葉。あの時はただの冗談だと思っていた。しかし今思えば、小春さんは何かを俺に伝えたかったのでは無いだろうか。あくまで推測だが、俺が自分を目標としてくれる茜に何かを伝えたいように、小春さんも俺に何かを伝えたかったのかもしれない。
小春さんが音楽を続ける理由が、そして伝えたかったはずのメッセージが、あの冗談のような言葉だったとしたら、今の茜と同じように、ただただ上を目指していた俺に、小春さんが本当に伝えたかった事とは――
「あ、あのっ。どうかしましたか?」
心配そうな茜の声で、俺の意識は控え室の中に戻されてしまう。少し物思いに耽りすぎたか。まだぼんやりとしている意識の中で、俺の目を心配そうに見つめている茜の瞳が見えた――その澄んだ瞳。
そうだ、小春さんはもう俺に言葉を伝えることは出来ないが、俺はまだ茜に言葉を伝えられる。小春さんが俺に伝えられなかったこと、かつての俺を、そして茜の何かを変えられる言葉を。俺を――純粋な瞳を、もう二度と薄汚れた色にはしたくなかった。
俺はソファーから立ち上がると、茜の瞳を見つめながら茜のすぐ側まで近寄る。そして、自分の両手を茜の両肩に置いた。突然の俺の行動に茜は瞬きを繰り返して驚いているが、気にしない。
「ひっ、あっ、あの……」
再び、茜の顔に赤みが増していく。それでも俺は、茜の瞳を見つめ――
「おいっ! ……聞きたいことがあるならいくらでも俺に聞いても良い。だから、次のライブイベントが終わったら、またここに来てくれないか? カップ麺なら……奢る」
――言いたいことがまとまらなかったから、先送りにした。
結局、俺は小春さんが伝えたかったことの答えをまだ見つけてはいない。だから、また茜と話して、糞面白くもないライブもこなして、何としてもその答えを見つけてやる。見つかったらすぐにでも茜に伝えて、何かを変えてやる。しかし……小春さんもだったけど、俺もカップ麺が大好きだ。茜の瞳にかつての俺に宿るモノと同じモノを感じた俺は、茜を引き留めるためとはいえ、とっさに変なことを言ってしまったか。退かれないかが心配だ。
茜の両肩に自分の両手を置いたまま、茜の返事をじっと待つ。いつの間にか、茜の顔がますます赤くなっているのに気がついた。これは、殆ど茹でタコ状態だろう。視線もキョロキョロと泳がせている。
そう言えば、両肩に手を置き、瞳を見つめるこの状況……なんだか、愛の告白みたいになっている。まさか、そのように、誤解されたのではないかッ!? だから、茹でタコ状態に……!?
俺は慌てて茜から離れ、しどろもどろになりながらも必死で弁解をした。
「いや、その、これは告白ではないっ! 茜ともっと話したいだけなんだっ!」
って、この言葉はッ! まるで照れ隠しのようではないかッ!
「あの……」
「は、はひっ!」
茜の一言に俺の意識は再び正気に戻された俺は、何故か『気をつけ』の姿勢を取ってしまう。俺の過剰に畏まった様子を見て冷静になったのか、茜は一呼吸置いてからゆっくりと話し始めた。
「あ、あのっ、その……ありがとうございますっ! その、嬉しい、ですけれど、恥ずかしい……私、今日は帰りますっ! し、失礼しましたっ!」
初めはゆっくりとした喋り出しだったが、後半は舌を噛みそうな早口になっていた。言葉を言い切った茜は俊敏なお辞儀をして、そそくさと控え室から立ち去ってしまった。
「あ、違うっ! いや、気をつけて帰れよっ! あと、歯ぁ磨けよっ!」
立ち去っていった茜に、俺は扉越しから別れの挨拶をした。完全に頭が沸騰していたのか、ドリフ的な言葉になってしまったが。
茜の居なくなった控え室は、俺が作詞をしていた時と同じ静寂に再び包まれた。俺はソファーにぐったりと座り、深いため息をつく。
――俺は茜に何かを伝えられるのだろうか。そして、今の自分に掛けてやる言葉を見つけられるのだろうか。それはまだ分からない。だったら、今は目の前にあるつまらない作業を早めに片付けて、それをゆっくり考えようと思う。
俺はポケットからメモ帳代わりに携帯電話を取りだして、作詞に使えそうな言葉を思いつく限りに入力していった。
Serve The Servants
あの告白とも取れてしまう恥ずかしい約束から二週間。あれからライブイベントは二回あったが、その度に茜は俺の控え室を訪ねてくれた。正直、あの言葉でよく来てくれたと思う。
おどおどとしながら控え室を訪ねて来る茜に、こっちは緊張を解そうとくだらない冗談で対応。俺の冗談で次第にリラックスしていった茜は、俺に質問をどんどん投げかけてくれる。例えば、『どうして今のパフォーマンスをやるようになったのか』とか『パフォーマンスを続けるための心遣いは』とか。
その質問に対してこちらが正直に『実は止めたい、けれど止めたら音楽も、まともな生活も続けられない』なんて話せばこれまたバカ正直な茜はショックのあまり、二度と控え室まで来てくれないかもしれない。俺はやんわりと『こうしないと注目されないからね』の様に半分だけ真実を答えておいた。茜にショックを与えて音楽を止めさせたいのではない。ただ、目標を叶えたにもかかわらず苦しんでいる俺のようになってほしくないだけだ。
控え室での会話を続けていくうちに、茜の事情も少しだけ聞くことができた。幼い頃からピアノを習っていた茜は、資産家の両親にとても大事に、カゴの中の鳥として育てられたらしい。そのためかはわからないが、同年代の人間に虐められることも多かったとか。
茜の人間性も少しずつだがわかってきた。例えば、俺がおどけながら『本人の中身を見ずに、イメージだけで差別をする。人間ってゴミクズだなぁと思う。俺も含めて』と言ったとき、茜は複雑そうな顔で『そう、かもしれません。だけど、私が一番悪いんです……』と答えていた。
茜は自分を卑下しすぎている。絶対にありえない事だが、もしも俺の言葉を小春さんが言っていたとしたら、俺は『そうっすよね! 人間はゾウリムシにも劣るっすね!』とでも相槌を打っていただろう。俺も含めて、殆どの人間は自分に責任があるとは考えないだろう。どうしようもない責任転嫁をしてでも自分の正当性を守るはずだ。
卑屈で臆病な自分が嫌で、それを変えようと苦しみながらもステージに立って音楽を続ける茜。茜が演奏していたライブは二回とも見たが、その身体はあまりにも小さかった。小春さんが当時の俺を見て言葉を伝えたように、俺も茜に何かを伝えたかった。
しかし、茜と出会ってから二週間が経っても俺は相変わらず何を伝えたら良いのかが分からなかった。『どうして音楽を続けているのか』。その答えを探すことは、俺にとっては雲をも掴むようなことだった。
考えても、考えても、思考は『苦しくても音楽を続ければ注目される、だけど苦しい。音楽を続けられないのは苦しい』の堂々巡りを続けてしまう。試しにステージ上でしいたけを燃やしながら『さくら』を歌ってみたが、答えは掴めない。俺の音楽をまるで聴かないクソ野郎どもは大爆笑だったが。
「あの、し、失礼しますっ」
「お、おお」
そして、今は三度目のライブイベントの開演一時間前。二回目の会話をした時に『もっと話したいからライブの前にも会おう。これは断じてやましいことではないッ!』と茜に言っておいたので、早い時間に話すことができそうだ。ドアがゆっくりと開け、お辞儀をしながら茜が控え室に入ってくる。
「失礼するよぉ。香津実ちゃーぁん」
突然、ドスのきいた声が控え室の中に響いた。茜の後ろから、見知らぬ大男が控え室に進入してきたのである。
「きゃあ! な、何ですか!?」
大男の声に振り返った茜は驚きのあまりに大男の前から飛び退き、開かれた控え室のドアの陰に隠れてしまった。どうやらこいつは、茜が連れてきた客人というわけではないらしい。見た感じ身長が百九十センチメートルを越えるそいつは、スーツ姿とポマードを塗りたくった黒髪で格好をビシッと決めており、その姿はどう見てもヤクザにしか見えなかった。
控え室に侵入してきた大男はニコニコと不気味な笑顔を浮かべながら、お辞儀もせずに俺に向かって自己紹介をしてきた。
「実は初めましてかなぁ~? オジサン、このライブハウスを経営している一番偉い人間、麻田彰。どうぞよろしくねぇ~香津実ちゃーぁん」
ガタイの良い男がニコニコとしている様子を見ていると、いつだったかステージの上から見た汚らしいゲイ野郎を思い出して気分が悪くなってきた。その嫌悪感を表情に出さないように務めながら、俺は麻田に適当な挨拶をした。
「はあ、よろしくお願いします」
「あ、あの、よろしくお願いしますっ」
突然の事に驚きながらも茜はドアの陰からおどおどと現れて、深々とお辞儀をした。しかし麻田は、挨拶を返すどころか茜には目すら合わせてはいない。
「で、その一番偉い人が俺に何の用ですか」
その傲慢な態度腹が立った俺は、強い口調で麻田を威圧する。しかし麻田は俺からの威喝を全く感じていないのか、ニコニコとした表情を全く崩さないままでゆっくりと俺に近づいてくる。……ゲイ野郎に近寄られていると思うと本当に気分が悪い。麻田――いや、ゲイ野郎は俺の前に立つと、油で鈍い輝きを放っている汚い顔を俺の顔面から拳三個分ほどの距離まで近づけてきた。そのままの状態で俺は、瞳をじっと見られた。
「な、何すか」
その行動の意味がまるで読めなかった。ますます気味が悪い。ゲイ野郎は困惑している俺の様子を楽しむかの如く口角をにんまりと上げながら、俺に話し始めた。
「香津実ちゃーぁん、ここ一ヶ月半の君の活躍がねぇ~オジサンは素晴らしいと思うわけぇ。ライブをやる度にしいたけを完売するギタリストなんて、オジサンは聞いたこと無いのぉ」
「……はあ、ありがとうございます」
ゲイ野郎に臭え息の降りかかる距離で褒められてもまるで嬉しくはない。褒める内容が嫌々やっていることだったら尚更だ。
「だからぁ~オジサンはぁ、香津実ちゃーぁんをメジャーデビューさせてあげようと思ったわけぇ。今日をライブは地上波生放送にしてぇ、香津実ちゃんのデビューを派手に演出するよぉ」
メジャーデビュー。その言葉を聞いた途端、俺の胃袋が不意に持ち上がった。
音楽を趣味にする人間ならば、一度は夢見る一つのゴール。それでも、それをイメージしただけで俺の心には黒い靄が掛かっていく。もう俺には、叶える夢がない――
「あ、あー。そうすか。ありがとうございます。嬉しいっす。ただ、気持ちはありがたいんですが……」
「香津実ちゃーぁん、君ぃ、どうして音楽を続けているのぉ?」
ぞわっ、とした。ゲイ野郎が俺の言葉を遮っただけなのに。メジャーデビューの件を遠回しに断ろうとした俺の言葉を、ゲイ野郎がほんの少し遮っただけなのに、俺は心臓を強く鷲摑みにされたような気分になってしまう。
あの時、小春さんが言った言葉を、俺が悩み、茜に伝えたいことをどうして、このゲイ野郎が、まるでその答えを知っているかの如く、軽々と口にするのか。
「分からないかな~? 君は若いから仕方ないかもねぇ。だったらオジサンが教えてあげよぉかぁ? それはねぇ――」
俺は乾ききった喉で、唾をゆっくりと飲み込んだ。
「皆の注目を浴びて、人気者になって、お金をガッポリ稼ぐためさぁ」
違う。
しかし俺は、それに反論することが出来なかった。嫌々ながらも、注目されなくなることを恐れてステージに立ち続ける俺には、ゲイ野郎の言葉を否定できるはずも無い。いや、反論できる言葉が思いつかないのだ。
「そしてオジサンは、君みたいな才能溢れる若者を世に送り出して、お金をガッポリ稼ぐためにライブハウスを経営しているんだよぉ。香津実ちゃーぁんは注目を集めて、オジサンはお金を稼ぐ。お互いの利益が一致するなんて、こんなにも素晴らしいことは無いねぇ~」
ゲイ野郎の人を舐るような言葉に、俺の頭の中はユラユラと揺らされていた。ゲイ野郎の言葉を否定できずに、何を信じていたのかが解らなくなってしまった俺の思考は芯を失っていく。
何が間違っていたのだろうか。間違っていたのは俺の方だったのではないか。俺は物を貢がれるほどの人気者で、物販を完売できるほどパフォーマンスでお金を稼げて、プロとしてやっていくには何の問題も無い実力じゃないか。一体、何の不満があるって言うんだ――
「あの、ち、違うと、思います……」
突然茜の声が聞こえ、俺は正気に戻った。これで、茜の声に助けられるのは何度目だろうか。茜はゲイ野郎の後ろからでも、気丈に立ち向かっていた。茜の怯えた声が、俺の頭をクリアな状態に戻していく。
しかし、ゲイ野郎は違った。突然、さっきまでニコニコとしていたのが嘘のように怒りの形相を浮かべるとゲイ野郎は振り返り、茜と対峙した。
「なんだぁ、お前。誰だっけぇ? 俺が知らないって事はぁ、つまりはそう言うことなんだなぁ。大して人気も無いくせに偉そうだなぁ、お前ぇ。じゃあ、言ってみろよぉ。お前は何で音楽を続けているんだぁ?」
茜は震える両手を握りしめながら顔を上げると、ゲイ野郎をキッと見つめて口を開いた。
「わ、私は堂々とした人になりたいから、自分を変えたいから、ステージに立ちますっ! そんな、お金だなんて……」
「何を言ってるんだキミはぁ!」
ゲイ野郎は茜の言葉を遮って怒鳴り声を上げた。
「要するに注目を飽きるほど浴びて、快感を得たいんだろうっ! 飽くほどの快感でぇ、お前は自分の苦しみを打ち消したいんだろぉがぁ! ゲスな自分を崇高な存在ににすり替えるなっ! この自己愛性人格障害者がぁっ!」
「ひっ、そ、その、」
汚い言葉で罵られた茜の瞳にはうっすらと涙が浮かんでいた。それでも歯を食いしばり、涙を流さないようにこらえているが、長くは持たないだろう。何とか、助けてやりたい。だが、あのゲイ野郎に対抗できる言葉なんて俺の心の中にあるのだろうか――
「キミもアイツ、知ってるよねぇ、ニュースに沢山流してやったからねぇ。自殺した加藤小春みたいなことを言うんだねぇ」
加藤小春みたいなことを言うんだねぇ?
小春さんが、お前に何を言った?
「おい」
俺は心の底からドス黒い気持ちを声に込めてゲイ野郎に一言だけ言うと立ち上がり、茜を威圧するゲイ野郎の右肩に左手を置いた。体格に差がある分、こちらが少し見上げる形になってしまっている。喧嘩になったら体格差のためにまず勝てないだろうが、それでも俺は対峙する。
こいつに対抗できる言葉を思いついた訳じゃないが、このゲイ野郎が、音楽を続けている人間を食い物にするこいつが小春さんの名前を侮辱するならば。俺はこいつを殴り飛ばさないと気が済まない。
「ん、何かなぁ~香津実ちゃん」
俺の声を聞いたゲイ野郎は、ゆっくり振り向くと濁りきった眼で俺を睨む。ゲイ野郎の表情はいつの間にか茜に罵声を浴びせていた時のものとは正反対のニコニコとしたものになっていたが、その濁りきった瞳からは依然として不愉快な気持ちが感じ取れた。
俺は濁りきった瞳から目を逸らさずに、毅然として第一声を放った。
「イジメ、反対っす」
一先ず、思いついた言葉だ。何も攻撃の糸口を掴んでいない今、無策で質問攻めや非難をしてしまえば狡猾なこいつは絶対に倒せないだろう。のらりくらりと俺の攻撃を躱し、再び茜に矛先を向けるはずだ。ならば今は、中立な発言でこいつから攻めに転じられる何らかの情報を引き出してやる。
『イジメ反対』という今時は子供ですら言わないであろう俺の言葉が面白かったのだろうか。ゲイ野郎はますますにこやかな表情になった気がする。しかし、相変わらず目は笑ってはいなかった。瞳の澱みもますます深みを増していき、俺は思わずゲイ野郎の肩から手を離してしまう。するとゲイ野郎は自分の肩を、凝りを解す仕草でぐるぐると回ながら俺に話しかけた。
「何も虐めてるわけじゃないよぉ。このライブハウスの有名人、加藤小春を例に挙げてぇ、現実を知らない小娘を教育しようとしただけさぁ」
ゲイ野郎は再び茜を見下すと、舐るような言葉遣いで話を続けた。
「加藤小春。実はぁ、あいつにもぉメジャーデビューの話をしたんだよぉ。今のスタイルで音楽を続けろ。そうすれば、もっと金を稼げるってねぇ」
初耳だった。そんな話は誰からも、当然の事ながら小春さんからも聞いたことがない。
「そしたら何だ、さっきの香津実ちゃんみたいにさぁ、加藤小春も困惑した表情を浮かべた訳よ。だからオジサンはぁ、こう言ったんだぁ。『お前は何で音楽を続けてきたんだぁ? 売れたかったからだろぉ? だから過激な詞だって歌えたはずだ。だから俺が指示した曲も演奏したはずだ。だからぁ、今回も俺の指示に従え』ってさぁ」
話の途中、ゲイ野郎の声色が一時的に変わっていた。それほどまでに、小春さんの態度に怒りを感じていたのだろう。もっとも、こちらも話を聞いているだけでゲイ野郎をぶん殴りたい気持ちになったが。まさか、あの小春さんにまで指示をしていたなんて。
「でぇ、オジサンがそう言うとぉ、加藤小春はぁ、何て言ったと思う? 『今の音楽は楽しくない。俺は、もっと自由に音楽を続けたい。金はもういらない』、だってさぁ」
楽しくない? 小春さんが、今の俺と同じように?
ゲイ野郎の瞳と表情が、明らかに不機嫌なものへと変化していった。もはや感情を隠しきれないほどの怒りなのだろう。
「恩知らずなヤツだよねぇ。折角、活動を支援してやったのにぃ。知ってるぅ? あいつ、両親が離婚しているんだってぇ。それでぇ、定職にも就かずに飲んだくれている父親を助けるためにぃ、バンドで生計を立てようとしたんだってさぁ。父親も父親だけどぉ、子も子でちょっと頭がおかしいよねぇ。だけど、才能があったから人気が出ちゃってぇ、お金を稼げちゃったんだぁ。だからぁ~オジサンが支援をしてやったんだよぉ。もっと金を生み出せるように、ねぇ」
あの浮世離れしたしている様にすら見えた小春さんですら、自分を守るために音楽を続けていた。俺の中で、何かが崩れていくのを感じる。
「それでぇ、メジャーデビューの話をしたらぁ、加藤小春、何でか分からないけれど自殺してさぁ、投資が無駄になって、オジサンもさすがに怒ったよぉ。だからぁ、加藤小春の遺書をさぁ……おっと、これ、言っちゃいけないんだっけぇ。とにかくぅ、それからすぐにぃ、香津実ちゃんが台頭してくれて本っ当に良かったよぉ」
ゲイ野郎が、また腐った眼で俺を見やがった。
「香津実ちゃんは加藤小春や、そこの小娘とは違うよねぇ。お金も、注目も、欲しいだろう。だからぁ音楽を続けているんだろう。最近のバンドマンはぁ、どいつもこいつもそれをごまかしているからいけないんだよねぇ。自分が醜悪な存在だなんてぇ、認めたくないのかなぁ。オジサンに言わせればぁむしろぉ、ごまかしている方がよっぽど醜悪、腐臭を放つ末代までの恥さらしさぁ」
ゲイ野郎が、再び顔を近づけてやがった。
「だけどぉ、香津実ちゃんは違うよねぇ。金を貰えるからぁ、注目されるからぁ、音楽を続けている。そんな自分を解っているんだぁ。だからぁ、メジャーデビューをしようよぉ。あ、ちなみにぃ、断ったって良いんだよぉ。君の代わりなんてぇ、産業廃棄物のようにいくらでも現れるんだからさぁ。ねぇ、どうなんだい――」
「黙れ、ゲイ野郎」
控え室の空気が、一瞬にして固まった。
音楽を続けている人間を見下し、続けることの悩みを一切理解しようとしないゲイ野郎。俺はもう、我慢できるはずがなかった。俺の突然の攻撃に、さすがのゲイ野郎は呆気にとられたようだった。茜も、何が何だか分からないといった様子で俺を見ている。少し、攻めるタイミングを間違えてしまったようだった。
「あ……違います。『ダダ漏れ、民芸野郎』って言ったんすよ」
今すぐこの腐れゲイ野郎の内蔵を引きずり出してやりたい。死んでいった小春さんを、ひたむきに努力する茜をここまで侮辱するようなヤツは、思いっきり殴り飛ばさなければ俺の怒りが収まりそうにはなかった。
だけど、ここじゃない。
ここで刃向かったら、俺も小春さんの様に利用されてしまう。このゲイ野郎は人の死さえ笑いながら利用する最低最悪のスカベンジャー野郎だ。もしも誰の目にも付かない所で俺がこいつを殴れば、この腐れ脳みそは『経営者をも殴るカリスマロッカー』だの何だのと装飾した情報をネットに流し、ますます俺の異常性をアピールして人気を集めさせるだろう。自分が怪我をしている写真も流せばさらに完璧だ。
『加藤小春の遺書をさぁ……』
小春さんの遺書を流出させたのか捏造させたのかは知らないが、プライバシーを無視してまでマスコミに流してアンケート一位を狙うバンドマンを熱狂させたはずのこいつなら、絶対にもう一度同じようなことをやるはずだ。もしかしたら、俺の家庭状況をネットに流してファンを集めさせたのもこいつかもしれない。音楽やる人間の気持ちを踏みにじって利用するこいつだけは、絶対に許してはいけない。
「……オジサン、女の子が好きだからぁ、ゲイ野郎って言われても気にしてないよぉ。お金を生み出す音楽もぉ、みんなオジサンの恋人さぁ」
ゲイ野郎はいつの間にかニコニコとした表情に戻っていた。俺の言葉で少しは冷静になったのだろう。その表情からは、さっきの様な怒りを感じ取ることはできなかった。相手が冷静になった今が逆にチャンスだ。俺は立ち向かう、茜のため、小春さんのため、そして、他の何者でもない俺のために。覚悟を決めて、俺はゲイ野郎に言う。
「すみません! 俺、本当はお金大好きです。麻田さんの言うとおりです。だから、メジャーデビューをさせてください! 今日のライブも精一杯、気狂いピエロを演じます!」
もしかしたら、予想外の言葉だったのだろうか。ゲイ野郎は一瞬だけ戸惑いを見せた風にも見えたが、それも一瞬だった。ゲイ野郎の顔が、まるで軟体生物のように醜くにやける。
「おっ、何だか急にやる気が出たねぇ。これもオジサンの人生教育のおかげかなぁ」
俺の熱心な様子を見たゲイ野郎は、高らかに笑い出した。そんな訳あるか、スカベンジャー死骸地球外生命体野郎。
「じゃあ、ライブ、楽しみにしてるねぇ」
そう言ったゲイ野郎は、軽い足取りで控え室から去っていった。もちろん茜を一瞥し、怒鳴りつけるのを忘れなかったが。茜はあれだけ酷いことを言われたにも関わらず、頭を深く下げて平謝りだ。
こうして控え室の嵐は過ぎ去った、が、俺の戦いは――ここからだ。
「茜……すまない」
俺は侮辱される茜を助けきれなかったことと、策のためとは言え茜の心を裏切ったこと謝った。顔を覗き見ると、茜は大粒の涙をこぼしていた。
「そんな、ことは良いです……それより、香津実さん、どう、して、あんな事を……」
嗚咽が混じり、途切れ途切れで話す。そんな茜の言葉からも、俺に対する失望はひしひしと伝わってきた。本当に、すまない。俺は悲しむ茜に精一杯の言葉を伝える。
「茜、俺、お前に伝えたいことがあったんだ。今、分かった気がする。だから、今日のライブは、しっかりと――見ててくれ。か、勘違いするなよっ! これは決して愛の告白では無いっ!」
駄目だ、真面目に話そうとするとついつい告白みたいになってしまう。
俺は茜の反応を待たずにソファー脇に置いてあるギターケースを抱えると、ステージに向かって走り出した。
Old Age
大歓声だった。うっすらとしたスモークの陰だけしか見えない暗闇。そこは、現実に居場所のないクズ達の、狂乱の宴。日々の不満、抑圧をぶつける罵声だけが飛び交っていた。その罵声を切り裂くように、大音量で『Ecstasy of gold』が鳴り響く。俺の登場だ。ギターを抱え、ステージ上へと歩き出す。
ステージ上はまだ暗い。『Ecstasy of gold』で客を焦らし、極限まで熱狂させてから俺にスポットライトを当てるという演出を予定しているからだ。普段、最初から最後までバカげた演出ばかりをしている俺らしくもない、シリアスな演出。ステージ下の暗闇をじっくりと見れば、観客席の脇にケーブルをびっしりと繋いだ巨大カメラがスタンバイをしていた。こんなカメラは今まで見たこともない。それだけゲイ野郎は今日のライブに本気、ということだろう。
俺がステージの真ん中に立つのと同時に『Ecstasy of gold』が終わる。すると、観客の罵声がますますヒートアップしていく。今か、今かと、俺のゲロを待ちわびる若者達。俺はこれからその期待を裏切る――スマン。
ステージの真上にある五つのスポットライトが俺を同時に照らした。その光は、立ちこめる暗闇を一気に切り裂いて俺の姿を顕わにする。
その刹那、観客の声援が消えた。
俺が肩に抱えるのは――モーリスのアコースティックギターと、クッションが破けてしまったパイプ椅子。
「よう……まあ、楽しんでけよ」
――誰のためでもない、全てを捨てる為の演奏を。
Smells Like Teen Spirit
「何をやっているんだぁ! 香津実ぃ! これは生放送だぞぉ! CMだって長くは持たないんだぞぉ!」
Metallicaの名バラード『Nothing Else Matters』をクリーンなアルペジオで弾き語る俺に対して、観客席のカメラの横からゲイ野郎が怒鳴りつけてきた。その顔は遠目から見ても赤く、頭に血が上っているのが一目で分かった。
それも当然、ステージに現れた俺がクリーントーンでアルペジオを弾き始めた瞬間、当然ハードな演奏をすると思っていたバックバンドは困惑のあまりに何も出来なくなってしまい、観客は『これは新しいパンクでは……?』と逆に深読みをして俺の演奏に聞き入ってしまっている。いつもの俺のライブらしくもない静かな様子は俺を過激なイメージで売り出したかったゲイ野郎にとって、あまりにも予想外の展開だろう。
「何って、演奏っすよ。邪魔しないで下さいよ」
俺は一旦歌を止め、ゲイ野郎にマイクを使って話しかけた。
「馬鹿野郎ぅ! そう言うことを言ってるんじゃない! 何故いつも通りのパフォーマンスをしない! ゲロを吐かない! 金がいらんのかぁ!?」
金、金、金か。こいつは口を開けばすぐに金。ゲイ野郎の言葉に我慢をするのはもう、うんざりだ。
「うるせぇんだよ! 腐れスカベンジャー死骸野郎ッッッッ! 死ねッ! こんなパフォーマンスが望みならお前のためだけにやってやるッッッッ! ケツの穴にシールド突っ込んでてめえをアンプにしてやったって良いんだぞッッッッ!」
俺は大声でゲイ野郎に怒鳴りつけていた。声の音量をマイクが極限まで増幅させる。静寂に包まれていた会場を切り裂く俺の声にさすがのゲイ野郎も不意を突かれたのか、ビクンと体を震わせていた。俺の怒号を聞いて期待が満たされたのだろう、観客は一斉に熱狂し始める。
「なんてな、そんなのは楽しくねえ……楽しくねえんだよ」
俺が弱気な発言に、観客は再び静まりかえる。楽しくない。小春さんが言った言葉。……ゲイ野郎からの又聞きなのが非常に不愉快だが。
「そうだよ。俺、楽しくねえんだよ。だってさあ、お前ら、誰も俺の音楽を聴いてねえだろ。いや、耳では聞いてんだろうけどさ、そう言うことじゃ無えんだよ。そりゃあ、音楽を作ることに喜びを感じられなくもなるわな。連日続くこんなライブはさあ、俺にはまるで義務教育みてえなもんだったよ」
俺の説教を聞いて観客がざわつき始めたが、それを無視して話を続ける。
「だけど、お前らには感謝してる。中身がこんなシケたクソ野郎の腐れゲロパフォーマンスですら喜んで、応援してくれたんだから。だから、本当にありがとうな」
「こらぁ! 何を青春バンドみたいな戯言を言っているぅ! やめろぉ! そんなことを望んでるヤツは誰もおらんのだぁ!」
ゲイ野郎は何としても俺の言葉を止めようと、必死になって横やりを入れてくる。挙げ句の果てには、ステージの上に上がり込もうと危険な人混みを無理矢理裂いてまでして俺に近づいてきた。だが、それも無視する。
「人間、一回注目されたりちやほやされたりするとさあ、どうしてもそれに縋っちまって、クソつまんねえ事でも毎週、いや、毎日だってやれちゃうんだぜ。馬鹿みてえだろ。だけど、お前らもそうなんだろう?」
俺はマイクだけを持ってステージ上とアリーナとの境界線まで歩き出す。そこは手を伸ばせば握手が出来てしまう程に、観客が近かった。
「辛くて、ライブハウスに逃げ込んで、何となく楽しんで、そしてまたライブハウスに行くためにクソつまんねえ日常を過ごす。結局、どっちも捨てられねえんだよ。だけど俺は、捨てる。縋り付いたものを捨てるのは辛いけどよぉ、捨てちまえば、意外に楽しいんだぜ。今だって、会場の空気が凍り付いているけれどよぉ、俺は新鮮な気分で滅茶苦茶楽しいだからさあ。だからお前らも、クソつまんねえ日常なんかやめたらどうだ?」
「何を自分勝手なことを言っているぅ! 香津実ぃ! お前を殺すっ! 人間としても、社会的にも殺してやるぞぉ!」
俺が気持ちよく言葉を続けていると、遂にゲイ野郎がステージの上まで上がり込んできた。ゲイ野郎の瞳は怒りに満ちている。殺意をむき出しにして、俺をにらみ付けていた。俺のすぐ側まで迫ってきたゲイ野郎を恐れずに。俺は最後の攻撃をする。
「そう言えば、えーと、名前何だっけ? ゲイ野郎! お前言ったよなあ! 『金を生み出す音楽は恋人』だの何だの気持ち悪ぃことを。イケメンが言えばクソビッチは大喜びだろうが、ゲイ野郎が言うだけで気持ち悪さが三割増しだな! ま、気持ち悪ぃけれどそこまで攻めねえことにするぜ。だって、俺も音楽が恋人だしな!」
「な、な、何を言うぅ! ならば燃やせ、吐け、恋人を使って金を生み出すのだぁ! 金が欲しいだろう! お前の代わりはいくらでも居るんだぞぅ! 捨てられたくなかったらなぁ――」
俺はゲイ野郎に中指を立てた。
「うるせぇ風俗通いッ! ステージでゲロを吐くのが大好きな変態野郎がいくらでも居るんならそっちを使えッ! 俺の恋人はなぁ、お前の恋人みてえな貢ぐだけのノータリンサイフ女じゃねえ! 俺の恋人は、全てを捨て、何も無くなってしまった俺の側で、俺の心を高みに持っていってくれる天使のような存在。つまり――」
俺はズボンの右ポケットから干ししいたけを取り出して、観客に向けて高々と掲げた。
「――She Takes Me Higher。俺を高いところに持って行ってくれる女性、ってかぁ。なんつって」
そう、音楽を続けるのに、人気者になりたいとか、金が欲しいとか、そんなしがらみなんていらない。ただ、音が楽しいこと。音楽に限らず何だって、それが一番大切なことなんだ。そんな単純すぎるに答えに気がつかなかったなんて、俺はどうしようもない馬鹿だ。
「な、な、何を駄洒落で説明しているぅ! 許さんぞぉ、お前の生活を――」
「いい気になるなよ下衆がッ! 金なんてバイトして稼いでやるわ! いつまでも調子に乗っていられると思ったら大間違いだぞッ! このスカベンジャー太陽系外軟体物質野郎マークツーセカンドがッッッッッッ!」
人気、金、それらのしがらみを捨てた俺はもうゲイ野郎に従う必要がない。俺は右手の干ししいたけを、ゲイ野郎の臭え口の中に前歯ごと叩き込んだ。
「グゲッッ!」
俺の右ストレートを喰らったゲイ野郎は蛙のような汚ねえ声を上げると、観客の海の中へ沈んでいった。突然の出来事に、観客は固唾をのんで見守ることしかできなかったのは言うまでもない。
終わった。俺は心の内を全てさらけ出したんだ。もう、無理してこのステージに立つ必要も無くなったんだ。俺の心には喪失感よりも安心感が湧いてくる。だが俺は、その余韻に浸ることはできなかった。
「てめーコラ! ふざけんなボケ! くだらねえ駄洒落を言うんなら金返せ!」
「お前がゲロを吐くから見に来たんだろうがあああああ! 死ねえええええっ!」
「引っ込め! 二度とここに来んな! クズ!」
今まで俺が取ってきた一連の行動は、過激なパフォーマンスを期待していた観客にとって意味不明なやりとりだったのだろう。ストレスが発散できない怒りと『She Takes』を上手いこと文章に改変して言った駄洒落に対する怒りが混ざり、強烈な罵声となって俺に降りかかってきた。
「帰れ! 帰れ! さっさと帰れ!」
「くたばれゲロ男ッッ! ゲロの海に溺れて溺死しろッッッッ!」
「お前に貢いだ一万円、どう責任取ってくれんだよッッッッ!」
ステージ上に、まだ氷の入っている紙コップが投げられた。それにしても、いくら観客への執着を捨てたとは言え、少しは心が痛いな。俺に対する罵声はますますヒートアップしていく。何故か、喧嘩も始まっていた。
「バカヤロウウウウ! アレが香津実さんのパンク精神なんだよ! マジパネエっす」
「目を覚ませ! ボケッッッ! このメクラ野郎がッッッッ!」
「うるせえええええええええ! 奇形児のペーパーアシッドを舐めまくる薬チュウがああああああああああああ!」
「金を生みださんかぁぁぁぁ!」
「黙れッ! それより、お前ケツ出せよッ! キックアスしてやるぜッ! このスカム野郎ッ!」
「な、なにをするぅぅぅぅぅぅ! やめんかぁぁあぁぁああぁあっ!」
俺の味方をした一人の言葉を皮切りに、怒りが有り余っている若者達が殴る、蹴るの大乱闘。会場には女の叫び声が響き、返り血が水しぶきのように飛び交っていた。まさに阿鼻叫喚、地獄絵図だろう。俺のバックバンドはいつの間にかステージ上からダイブをして観客に飛びかかり、スリーパーホールドをしながら相手の頭をぶん殴っていた。過激な俺のバックバンドをやるくらいなのだから、元々暴れるのが好きだったのだろう。
「っていうかー、何で今更Metallicaなの? ダサッ!」
「うるせえええええええええ! 俺は元々なあ! 押尾コータローみたいなアコースティックギターの音楽が好きなんだよッ! だけど、あいつの曲は意味不明に難しいから簡単なMetallicaを弾いたんだッ! 文句あるかッ!」
一人のギャルが俺に言った言葉に、俺も本気で対応する。初めて本気で、ステージ上で会話をしたかもしれない。そんなくだらないことが、俺は楽しかった。
皆がそれぞれ好き放題暴れている。もう俺を見ている人間は誰も居なかった。だけど、これでいい。俺は満足だ。もう誰かのために音楽をやる必要はないのだから。
俺はアコースティックギターをステージ上に残し、観客席の脇を通って開場を去ることにした。俺が客席の近くを歩いても、誰も俺には気づかなかった。
「か、香津実さん……」
ただ一人を除いては。会場の出口では、少しうつむき気味の茜が俺を待ち構えていた。俺は茜に近づくと、最後の言葉を言った。
「茜、お前は凄い。初めから自分のために音楽をやっていたんだ。金や人気に目が眩んでいた俺とは、まるで違ったんだよ。だから、心配はいらなかったのかもな」
俺は茜の小さな頭に、右手をポンと置いた。
「だけど、辛かったら止めていいんだ。気楽に音楽を楽しめよ。ステージに立つのは辛かったろうけれど、上手くいったときは楽しかっただろ。それでいい、それでいいんだ。もっと練習しろよ。……じゃあな」
俺は頭から手を離すと、茜を置いて出口へと向かった。途中、俺の背中に茜の声が届いた。
「香津実さん! ありがとうございますっ! その、私、絶対に待ってますから! 香津実さんがもう一度、楽しくステージに立てる日をっ!」
俺は振り向かずに、右手を振って別れを告げた。
茜も、俺を高みに連れて行ってくれる存在だったんだな。
Endless, Nameless
ディスプレイの中で動く俺は、ボロボロの椅子に座りながら俺はアコースティックギターで演奏をしている。曲は押尾コータローの『ボレロ』だ。まだまだリズムがよれよれだが、昔に比べれば自信がある。そんな俺の横から『へたくそwwwwwwやめて帰れwwwww』という非情なコメントが流れてきた。
「くっ、くやしいっ……でも、感じちゃうっ!」
あのライブハウスでの出来事。あれから俺は、アルバイトをしながら自分の演奏を動画共有サイトにアップロードする日々を送っている。忙しいが、それなりに楽しい毎日だった。小春さんが俺に伝えたかったのは、これだったのだろうか。老人の前でアコースティックギターを弾きたいと言っていた小春さん――全てを捨てたかった小春さん。その思いが自殺へと繋がってしまったのは悲しいが、それも一つの答えなのだろう。結局、生きている限りは苦しみが無くなることなんて無いのだから。それでも俺は音楽を続けていたいと、そう思った。
だが『へたくそ』と言われてニコニコしていられるほど俺はおめでたい人間ではない。俺がさっきの批判に反論するコメントを考えていると、続けてもう一つの言葉が流れてきた。……まあ、折角だからこれも楽しんでおくか。
『またライブやれよ、ガキ』
※このあとがきは大学時代に書いたあとがきそのままです。
あとがき
こんにちは。一番好きな音楽はメタル。勝賢舟です。本作『She Takes』はいかがだったでしょうか。
もしかしたら気づいている人は居るかもしれませんが、本作は九十年代の初頭に自殺したギタリスト『カート・コバーン』をイメージして書きました。メタラーなのに。八十年代のメタルを終演に追い込んだグランジのギタリストをテーマにするなんて許されるのだろうか!?
それは置いておいて。作中に放送禁止用語を大量に書けたので執筆中はとても楽しかったです。やはり、音楽はこう過激であるべきかと。日本でもアメリカでもそうですが、愛だのLOVEだのを連呼するアーティストが多いのが気になります。レコード会社の命令もあるのでしょうが……たまには、『人間は骨を何本折れば人間では無くなるかの歌~一本で~も人間~二本で~も人間』みたいな歌を聴きたいのです。売れなさそうですが。
本作ではレコード会社の命令が愛だのLOVEだのとは逆のベクトルでしたが、『命令は関係無しに、好きなことをやればいいんじゃないの?』と思っていたので、こんな話になりました。
最後に、〆切りでゴタゴタしてすみませんでした。五十九ページも書いてすみませんでした。次はもっといろいろと管理します。文学研究部のみんなに感謝。




