でじゃぶ
“満点の”とまではいかないものの、都心にしては美しい星空の下、高層ビルの屋上に、一人の男が上がってきた。黒い革靴と新品のスーツを着た彼は屋上を囲むコンクリート製のへりに自分が持っていたコーヒーの缶を置き、重々しく呟く。
「俺、やっぱり駄目なのかな……」
それは誰にともなく言った言葉。しかし、この時ばかりは届いていたのだろう、だって背後から声がしたんだから。
「うん、駄目だと思う」
でも、それは聞きなれない声で、若い男が驚き振り返る。すると、そこには知らないおっさんがいた。
「え、誰!? 」
※―――※
第二話
「でじゃぶ」
※―――※
若い男に問いかけられたおっさんは、そのくたびれたスーツの襟を正して両手を腰に当てる。
「ふふ、問われたならば答えねばなるまい……私の名は鈴木! 町田運送の窓際社員だった男! しかし、その実態は!? 」
堂々と語る彼だが、当然、聞かされる方の男にはなんの事だか分からない。彼は可哀想なことに混乱して、
「急に口上始めた!? 」
と目を丸くしていた。
それに、その後続いた鈴木の口上がこれである。
「自殺したい君を助ける正義の使徒! 鈴木広文だっ! 」
「しかも、普通にヤバイ人だった! 」
若い男は思わず叫ぶように声を上げて、頭を両手で抱えた。しかし、鈴木その体格に似つかわしくない高速移動でこちらに歩み寄って、平然と話し相手の肩に手を置く。
「さぁ、君も自殺したいんだろ? そうだろ? なぁ? 」
若い男は慌ててその手を振り払い、鈴木の問いかけに何度も頭を横に振った。
「いや、悩んでただけで別に自殺したい訳じゃないっすよ!? 」
すると鈴木は一瞬意外そうな顔をしてから笑顔を作り直し、
「まぁまぁ、そう遠慮しないで! 僕たちは仲間じゃないか! ほら、怖くないよ! ちょっとダイブするだけだから! ちょっとべちゃっとするだけだから! 」
と、ここぞとばかりに説得を次の段階に進める。これには若い男の方も、もう悲鳴を上げていた。
「いや、聞けよ!? なにこの人! 三途の川飛び込み教の信者なの!? 」
鼻息荒くずいずいと身体を押し付けてくる鈴木と、それを両手で押し返す男、そんな暫しの攻防の後、鈴木は急に身体を数歩分離して自分の胸を右手で叩いた。
「よぉし、分かった! 先輩たる僕がお手本を見せてあげよう! そうすれば怖くないだろ? 」
彼の自殺行動、読者の方はもう見飽きてるかもしれないが、彼の紆余曲折を知らない若い男は当然ながら、
「え!? ちょっ! まっ!? 」
と慌てた声を上げる。それに、こちらも彼には初見であっただろう。
「させるかボケぇ!! 」
傾いた鈴木に盛大な飛び蹴りを浴びせて彼の身体を屋上中央へと吹き飛ばす死神の姿。若い男は突然過ぎる鎌を持った危険人物の登場に驚き、後ずさる。
「えええええ!? 今度は何!? 」
驚く男に死神は、空中で直立してそこから丁寧にお辞儀をした。
「あ、どーも死神です」
今までとは違う冷静な返し。
これには、つい相手も、
「ああ、そうですか、死神さんですか……」
と一瞬普通にお辞儀を返しかけたが、
「……ってどういうこと!? 」
そこにまだ正気は残っていたようで、彼は直ぐに本来の反応に戻る。すると、今度は男の左から、
「今がチャンスだ木下くん! 僕を突き落としてくれ! 」
と倒れながらへりに手を伸ばす鈴木の声。木下 (?)はもう面倒になって頭を掻いて鈴木を怒鳴った。
「やるわけねぇだろ!! 後、俺は木下じゃなくて枝野ですから! 」
それでも、まだこの茶番は終わらず、そうこうしてる内に次が来る。
しかも、次に来たのは、
「枝野くん、この辺で死んだ方がいい上司とかいない? 明日の朝までに一人抹殺しないといけないのよ」
という危ない女の言葉だ。息を切らしながらも、枝野は的確に叫ぶ。
「居たとしても言いませんよ!? 」
当然、続く鈴木の、
「じゃあ、死んだ方がいい僕とか知らない? 」
という言葉にもだ。
「死んだ方がいい僕って何!? 」
このままでは埒があかない。
疲れて座り込む枝野の前で死神は、
「はぁ、情報なしね。ま、その辺のいちゃついてるカップル殺ればいいか」
とさっさと結論を下した。枝野はフィットネスクラブに行った後の様に呼吸を乱しながらも、まだ頑張る。
「カップルに何の恨みが!? 」
そんな枝野に、鈴木はいつの間にか接近して、彼に耳打ちした。
「枝野くん、リア充への恨みはリア充でないという事実からしか沸き上がらないだろ。つまりね、彼女はボッ……」
最後まで言うことは出来ず、腹ををグーで殴られたけど。影のある笑顔で死神は髪を掻き上げる。
「『ボーイフレンドが選ぶほど居るの』って? ありがとね」
「……アッハイ」
枝野はもう逆らわないことにした。のだが、階段から二人が現れてしまったことによって事態は急変する。
「おーい、枝野ー! 」
「枝野くん、何してるのー? 」
現れた二人は社内ナンバーワンイケメンの吉田さんと、社内ナンバーワン美人の斉藤さんというキラキラカップルだ。枝野はただならぬ危機感を覚えて二人を遠ざけようとする。
「吉田さん、斉藤さん!? こっちに来たら駄目ですよ! 」
「え? なんで? 」
ただ、それが二人に伝わるわけもなく、彼らはこちらに歩いて来てしまう。死神は鈴木の顔を見て言った。
「……人間、分かっているわね? 」
鈴木も、死神の眼差しを確認して頷いた。
「おーけい、この命に変えても! 」
そして、二人は片方がライターをもち、もう片方が大砲に弾を込めて奮迅する。
「「リア充爆発しろぉ! 」」
しかし、着火した途端に吹き飛んだのは、
「あ」
なせが死神と鈴木だったのだが。
「「あーーー! 」」
唖然とする吉田と斉藤の前で枝野は星に加わった二人を見上げ、ぽつねんと呟く。
「……俺、まだ大丈夫な方かも」
世の中にはもっとヤバイ世界がある。
彼はひとつ、それを学んだ。
※―――※
全身に痛みを感じながら目を覚ます。
あれ、ここは何処だったか。
目の前の赤はなんだろう?
《つづく》
さぁて、次回の「おしわす」はぁ?
不幸とは突然降りかかるもの……それは誰にでも等しく……。そろそろ真面目に仕事しよう。次回、「不運は突然に」、お楽しみに!
※本編は予告とは異なることがございます。