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She's So ×××(改稿版)  作者: 青月クロエ
エピローグ
93/93

エピローグ(2)

 西日のオレンジ色に染まる石畳に、大小二つ並んで歩く影が長く伸びていた。


「やっと寝たか」


 アルフレッドは歩道を歩きながら、エイミーの腕の中で眠るベネディクト、彼を抱くエイミーにちらりと視線を寄こす。エイミーは少し疲れた顔で頷いた。


 ベネディクトがアルフレッドのテーブルに寄ってきて程なく、試験を終えたエイミーが会場にようやく姿を現した。すると、それまで大人しかったのが一転、母の顔を見るなりベネディクトは急にひどくぐずり始めたのだ。『おうちかえりゅ!』『イヤイヤ!』と半泣きでエイミーにべったりひっついて離れなくなり、やむなく途中(エイミーに至っては滞在時間30分足らずの短さだった)でパーティーを抜ける羽目に。ちなみに楽器等の機材はサスキアに預かってもらい、後日引き取りに行くことになった。


「慣れない場所、それも大勢の知らない大人に囲まれていたし疲れたんだろうな」

「あと、眠たかったんじゃないかな」

 エイミーの歩速がアルフレッドよりも半拍遅れている。アルフレッドが一旦その場で立ち止まると、つられてエイミーも立ち止まった。歩道を行き交う人々の流れを横目にエイミーへと両手を伸ばす。

「お前も疲れてるだろうし、俺が抱っこするよ」

「え、でも」

 エイミーは、アルフレッドの左肩から斜めに掛けた大きめのショルダーバックをそれとなく見やった。外出時の子供用品を詰め込んだバッグはパンパンに膨らんでいて見るからに重そうだ。ちなみに右肩にはエイミーの肩掛けトートバッグを掛けていた。

「ベネディクトの抱っこお願いする代わり、自分の鞄かショルダーのどっちかを持つよ。さすがに全部持つのはアルフレッドがきついと思うから」

「わかった。じゃあ、トートバッグは持ってくれ」

「ん」


 通行人の邪魔にならないよう、歩道脇の街路樹の一本へ移動する。さわさわと揺れる木陰で右肩から外したトートバッグを先に渡した後、エイミーの腕から息子をそっと抱き取った。荷物とは比べ物にならない重みと共に、人肌の温もりと健やかな寝息が両腕にかかる。

 以前はバギーを使用していたので移動も今よりかは多少楽だった。しかし、歩くことを覚えてからバギーを嫌がるようになり、二歳半を過ぎた頃にはてこでも乗ってくれなくなった。元気がある内は率先して歩いてくれるが、疲れると途端に抱っこをせがむ。しかも疲れた時、眠たい時の抱っこはエイミーじゃないと駄目で、アルフレッドや他のものが抱っこしようものなら全力で泣き叫ぶのだ。

 いくら我が子が可愛くて大切だとしても、完全なるママっ子ぶりや幼子特有の我が儘に辟易する時も正直ある。あるけれど――、彼が胎内で育つ過程、生まれた時の状況を思い起こせば、元気でいてくれるのがどれだけありがたいだろうか。


 三年前、切迫流産の危機を越えて安定期は順調に過ごせていた筈だったのに。エイミーの体重は増えても子の体重はなかなか増えず、臨月に近づきつつあっても小さいままだった。おまけに早産の可能性も高くなり、九か月目に入るか入らないかの時期に陣痛が始まってしまったのだ。そこからがまた長かった。

 陣痛が微弱で半日経過しても子宮口が開かない。やむなく陣痛促進剤を打ったにも関わらず、逆に弱まる始末。最初の陣痛から丸一日以上過ぎてやっと開いてきたので、ようやく分娩に移れたのだが。

 長い陣痛でろくに食事も睡眠も摂れずにいたエイミーの体力が落ちていたこと、産道が狭かったことで難産となり、一時は母子共に危険な状態に。

 アルフレッドは三十数年生きてきて初めて、心の底から神に祈りを捧げた。乞い願った。


 どうか、どうかお願いだ。

 妻と我が子を助けて欲しい。


 必死の祈りが、願いが、聞き届けられたのか。

 エイミーが分娩室に移って二日目の朝、『元気な男の子が産まれました!奥様もご無事です!』との朗報が届いた――






「見ろよ、この寝顔。さっきあれだけぐずっていたのが嘘みたいだ」

「余計なことして起こさないで」


 呆れ半分でベネディクトの鼻先を撮もうとするも、横から鋭い声で窘められた。三角に吊り上がった色違いの目が怖いので大人しく指先を引っ込める。それを満足そうに一瞥すると、エイミーは華奢な肩からずり落ちそうなトートバックをさっとかけ直した。元々が一〇代前半の少女並みの小柄な体格に加え、ハードな出産経験、仕事と勉強の両立、毎日が運動会状態の育児で出産前よりも随分と痩せてしまっていた。食事は毎日きちんと摂っているのに、『ちゃんと食べてる??』と心配されるのもザラである。


「お前、また痩せた??さっきから、やたら鞄が肩からずり落ちるし。前はそんなんじゃなかったよな??」

「え、そ、そうかな……??あ、でも!先月受けた健康診断の結果は良かったよ!……た、体重以外は、ね……」

「……まぁ、病気とかじゃないならいいけど」

「体質の変化って怖いねぇ。太り易いのが悩みで、体型維持に苦労してたのが嘘みたい」

「笑いごとじゃないだろ。貧血とかには気をつけろよ」

「うん、ありがと。じゃ、そろそろ歩こっか」


 もう一度だけトードバックを肩にかけ直すと、エイミーは街路樹を離れて歩道の人波の中へ戻っていく。以前より薄くなった背中に続いて一歩踏み出しかけて、腕の中でベネディクトがむにゃむにゃ呟いたのに気付く。寝言だと思い、踏みとどまった足をもう一度進めかけた――、が。


「…………パパ??」


 今度こそ、ベネディクトの声色にはっきりとした意識を感じ取った。後についてこないアルフレッドを怪訝そうに振り返ったエイミーも、覚醒したベネディクトに気づくと再び人波を外れてアルフレッドの元に戻ってきた。

 寝起きで意識がはっきりしていないせいか、短時間でも眠ってすっきりしたからか。エイミーではなくアルフレッドに抱かれていても、ベネディクトは特にぐずったりはしなかった。


「もうちょっとでおうちに着くから、あともうちょっと。あと、もうちょっとだけ大人しくしてて、ね??」

「ぼくも、ありゅく」

「え??」

 エイミーと揃って息子の顔を覗き込む。すでに寝起きのボーっとした様子はなく、ばっちり目覚めている。

「パパとぉ、ママとぉ、ぼく!ありゅく!いっしょ!!」

「歩くって言っても……」

 言葉を濁すエイミーと思わず顔を見合わせる。現在地点から自宅まで10分程度。でも、それは大人の足で歩く場合だ。子供の足に合わせて歩けば時間もかかるし、距離感覚も変わってしまう。

「ぼく、がんばるもん!いっしょにありゅくの!!」

 両親の困惑などお構いなし。ベネディクトは、フンス!フンス!と息巻いてはアルフレッドの腕から身を乗り出さんばかりの勢い。落っこちないようにとベネディクトを抱える腕に更に力が籠る。籠らざるを得ない。


「ねぇねぇ!おろして!!ありゅきたいぃ!!」

 あぁ、また始まった、と、エイミー共々げんなりする。 

 歩かせること自体は構わない。エイミーと二人掛かりで手を繋いで歩けば、急な飛び出しも人混みでの連れ去りも阻止できる。問題は一つだけ。

「下ろすのも一緒に歩くのもいいけど、お家に着くまでちゃんと歩けるか??途中で歩くの疲れた、嫌!とか、抱っこして!とか言わないか??」

「いわないもん!」

 むぅううっと頬を膨らませた顔が、頬袋に木の実を詰め込んだリスみたいでつい表情が緩みかけるのを堪える。代わりに厳しい声音で言い聞かせれば、これまた笑ってしまう程の真顔で「ちゃんとおうちまでありゅくもん!」と応えてくれた。

 確認の意味を込めてエイミーを見返せば、「しょうがないなぁ、もう」と肩を竦められた。

「よし、わかった。ベネディクトも一緒におうちまで歩こうな??」

「うん!!」


 大小二つの影の間に、更に小さな、小さな影が一つ加わった。


 どこにでもある、ありふれた光景。ありふれているけど、美しい光景。美しいからこそ、守りたい光景。




(了)

これにて完結です。

最後までお読み下さり、ありがとうございました。



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