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She's So ×××(改稿版)  作者: 青月クロエ
シーズ・ソー・ビューティフル
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シーズ・ソー・ビューティフル(23)

(1)

 

 施設からバス停までもと来た道を、気が遠くなる距離を再び歩く。行き道は気持ちいいくらいの青空の下を歩いていたが、今度は西日のオレンジに染まる景色の中を悄然と歩く。

 涙で少し腫れた目元、涙が伝った頬が風に晒されヒリヒリ痛む。何度目かに目元と頬を指で軽く擦りあげる。果たして、あれで良かったのか――、これもまた何度目かの自問を胸中で繰り返していた。










「何してるんですか?!今すぐ離れて下さい!!」 


 肩をきつく掴まれる感触、怒鳴り声に近い叫びによってフレッドは我に返った。

 やや低い位置から男性看護師が睨み上げてきたので、咄嗟にアビゲイルの身体を引き離す。アビゲイルは顔面蒼白な女性看護師に肩を抱かれてフレッドを見上げていた。


「アルフレッドったら、一体どうしちゃったの??こんなに大きくなったのに……、ずいぶんと泣き虫さんねぇ」

 緊迫する空気などお構いなし、呑気に笑うアビゲイルに対して涙は更に溢れでてくる。

「オールドマンさん。面会終了時間にはまだ早いですが、もう病室から出ていただけますか……??」

 女性看護師が震え声で怖々と、フレッドに退室を促してくる。肩を掴んだままの男性看護師も目線でそう訴えかけていた。アビゲイルを刺激するような真似はやめて欲しい、と。

 フレッドとは違う意味で動揺する彼らの様子に、図らずも平静を取り戻していく。


「……わかりました。取り乱してしまってすみませんでした」

 手の甲で雑に涙を拭うと、フレッドはアビゲイルに背を向ける――

「待ってよ!アルフレッド、一体どこへ行くの??ねぇ、あたしを置いていかないで……」

 悲壮感さえ湛えて、弱々しく引き止めるアビゲイルの声。背中を突き刺すだけでなく、背中を突き抜けて心臓までをも貫いた。

 決して振り返ってはいけない。今振り返ったら、きっとここから離れられなくなる。

「……母さん。俺には、俺の帰りを待つ家族がいるから、ここにはずっといられないんだ」

「イヤよ、イヤ!貴方まであたしを置いていくの?!」


 悲痛な叫びは力強さを増し、怒りや苛立ちが混ざっていく。

 トンプソンさん落ち着いて、と、女性看護師の宥める声、早く出て下さいと、焦りを含んだ男性看護師の声と腕が背中を押してくる。扉のすぐ目の前まで押し出されたところで、フレッドは立ち止まった。振り返ることなく白い扉の木目を見つめながら。訥々と、アビゲイルに告げる。


「ごめん、母さん。俺はもう行くよ。……でも、ただ置いていく訳じゃない。いつか、母さんが昔みたいに元気になったら必ず迎えに行く。そしたら、俺の家族やサスキアと一緒に暮らそう??」

「……本当に??」

「……あぁ、本当だよ……」

「じゃあ、あたし、良い子で待ってる!!」


 背中を向け続けるのに耐えられず、最後にそっと振り返った。

 アビゲイルはやはり笑っていた。無邪気な幼子のように。

 全ての憂いや悲しみから解放されたからこその笑顔は、皮肉なことに誰よりも美しかった。


 アビゲイルの様子からして正気に戻る可能性はほぼゼロだろう。

 しかし、彼女はこのままでいた方が幸せではないかと、フレッドは思ってしまった。だから嘘をついた。正しいか間違っているかは分からない。もしかしたら、とてつもない残酷な仕打ちかもしれない。でも、せめて――、せめて気持ちだけでも、アビゲイルが笑顔で余生を過ごせるようにしてあげたい。これが、フレッドが息子としてアビゲイルにできる精一杯だった。








(2)


 滞在時間よりも移動時間の方が遥かに長い施設への旅を終え、街に戻る頃には夜の帳が降りていた。最寄りのバス停から慣れ親しんだ茶色い煉瓦造りのセミデタッチまで戻った時、全身の力が抜ける程に心底ホッとした。

 引き摺るようにポーチの段差を上がり、力が入らないなりに玄関扉の鍵をこじ開ける。ふらふらと靴からスリッパに履き替え、廊下を摺り足で進む。

 リビングに顔を覗かせると、ブランケットに包まってエイミーがソファーで眠っていた。彼女の足元、同じくソファーの上で黒とサビ色の毛玉がマーブル模様を描いている。ローテーブルには布をかけたティーセットと菓子類が。フレッドが帰宅次第、すぐにお茶が飲めるように準備していたのだろう。


「エイミー、今帰ったよ」


 エイミーの頭がある方の床にしゃがんで声をかける。顔を覗き込んで二回目に声をかけても起きる気配がない。足元の毛玉達、もとい、ヴィヴィアンとアンバーはもぞもぞ身じろぎしていた。ちなみに、あんなにもアンバーを拒絶していたヴィヴィアンだったが、意外にも翌日には(若干諦め入りつつ)受け入れる姿勢を見せてくれた。一か月経った今では、共に寄り添って眠るのが定例と化している。


「エイミー、」

 三回目に呼びかける途中でエイミーの目がぱっちりと開いた。薄緑と榛色の色違いの双眸と視線が合った瞬間、「ぎゃあっ!」と叫ばれた挙句、飛び起きたエイミーの頭頂部が顎に直撃した。フレッドの視界に星が散る。

「いったぁあい!ねぇ、今、勝手にキスしようとしてたでしょ?!」

 エイミーは涙目で頭を擦りながら、顎を抑えて悶絶するフレッドにすかさず抗議した。

「はぁ??帰宅した夫への第一声がそれかよ??頭突きアッパー食らわせといて何を言い出すかと思いきや……、ただ起こそうとしただけだし妊婦の寝込みなんか襲うか!」

 フレッドとエイミーの大声に猫達まで飛び起きる。ヴィヴィアンは飛び起きただけだったが、アンバーはソファーからぴゅーっと飛び降り、キャットタワーの最下部の影に隠れてしまった。

「ほらぁー、アンバーがびっくりして隠れちゃったじゃない!」

「ちょっと待て、なんで俺のせいなんだよ??」


 さては寝起きで頭が回ってないな、こいつ。

 馬鹿馬鹿しくなってきたフレッドは口を噤み、エイミーが凭れかかるソファーの肘掛けに腰を下ろす。


「わっ……、重っ!」

「なんでだよ、俺は身長の割には体重少ないぞ」

「そういう問題じゃなくない??私はともかく子供が」

「あんたが俺の背中に凭れりゃいいだろうが」

「あ、そっか。そう言えば、ごめん。言うの忘れてた、おかえりって。おかえり」

「あぁ」


 互いに背中を合わせる形に落ち着くと、フレッドはアビゲイルとの再会についてエイミーに語り出した。全てを話し終えて息苦しいまでの緊張に満ちた沈黙の後、エイミーは一言だけ呟いた。


「……お疲れ様。貴方は充分頑張ったわ」

「……エイミー、俺が母さんにしたことは間違っているか??」

 エイミーは一瞬だけ返答に詰まったが、躊躇いがちに小さく答える。

「……そうね……。どちらとも言えない、と言うのが、私の正直な気持ち。でも、アルフレッドがその時どうしてもそうしたかったんだから、結果はどうあれ正しかった……、って、私は思う」

「……そうか……」


 二人の間に再び沈黙が訪れる。だが、先程とは違って息苦しさは微塵にも感じない。

 代わりに、何にも代えがたい充足感がフレッドをふわりと包み込む。


「エイミー」

「ん??」

 振り返ったエイミーの柔らかな眼差し、背中越しに伝わる一回り小さな温もり。

 ぽっこりと膨らんだ下腹部へ、無意識に添えられた華奢な掌。

「……何でもない。ただ、俺は誰よりもお前達が大事なんだと、今日改めて思い至った……、それだけだよ……」

「……ねぇ、今、『お前』って言った……」

「……はあ??」


 人が真面目に話しているのに、何言ってんだこいつ。

 思わず眉間を顰めるフレッドに構わず、エイミーは嬉しそうに口許を緩めていく。

 慈愛さえ湛えた柔らかな笑顔は、世界で一番優しく美しかった。


これにて本編終了、エピローグ(二話予定)の後に本作は完結となります。

今しばらくお付き合い下されば幸いです。

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