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She's So ×××(改稿版)  作者: 青月クロエ
シーズ・ソー・ビューティフル
86/93

シーズ・ソー・ビューティフル(18)

(1)

 

 院内全体に空調が行き届いている筈なのに。相対する四人が醸し出す緊迫感が入り口から続く廊下の温度を引き下げていた。


「さぁ、サスキアさん。屋敷に戻りましょう??」

 花が綻ぶような、事情を知らぬ者なら見惚れてしまいそうな笑顔で、ナンシーは一歩、二歩……と、サスキアに近づいていく。サスキアはナンシーが一歩近づくごとに一歩ずつ後ずさった。

「ここは貴女がいるべき場所じゃないわ」

「なぜサスキアがこの病院にいると分かったんだ」

「サスキアさん、先生も私も怒らないから。早く私達の所へ来て頂戴」


 ナンシーはフレッドの問いなど聞こえていないかのように、否、彼がこの場に存在していないかのように彼を無視し、サスキアへと呼びかけては歩み寄っていく。彼女が進む度にパンプスの細いヒールがカツン、カツンと反響する。

 自分を完全に無視するナンシーに腹が立たないと言えば嘘にはなる。だが、ナンシーよりも、彼女の後ろで他人事のように傍観するマクダウェル氏の方が気になっていた。


 じりじりと、着実に距離を詰めていくナンシーと、距離を詰められるごとに後ずさっていくサスキアの攻防を横目に、フレッドはマクダウェル氏(生物学上の父親)をさりげなく観察してみる。

 切れ長の薄灰の双眸もすっきりと通った鼻筋も薄い唇も、確かに自分とサスキアによく似ている。似てはいるが――、下がり気味な細い眉尻といい、おっとりとした目つきといい、薄く開かれた唇といい、冷たくきつい印象を持たれがちな自分達と違い、全体的に気弱で頼りなさげな印象を受けた。

 改めて思い返してみれば、マクダウェル氏を見たのは彼がアビゲイルを連れ去る際、一瞬だけ振り返った時だけである。遠目でしか目撃していない、アビゲイルから散々刷り込まされてきた『パパ』の情報で瓜二つだと思い込んでいたのだ。面相や神経質そうなところはそっくりだが、これまで送ってきた人生の違いが細かな表情一つ一つに映し出されていた。


「先生。先生からも何か言ってあげてくださいな。サスキアさんは私では絶対言う事聞いてくれないですから……」

 立ち止まって振り返ったナンシーの甘えと媚びを含んだ懇願に、サスキアは憎々しげに鼻先を顰めた。フレッドの眉間の皺も一層深くなる。兄妹揃っての渋面にナンシーもマクダウェル氏もまるで気づいていない。例え気づいたとしても、彼らは何の感慨も抱きやしないだろうが。

 マクダウェル氏は仕方なさそうに一歩踏み出すと、どこか芝居がかった、それでいて投げやりな態度でサスキアへ手を伸ばした。


「サスキア。ナンシーから聞いたぞ。労働者や低位中流が集まる区域なんかに自ら進んで足を運ぶなんて……、呆れたものだ。おまけに舞台で低俗な曲を演奏したそうじゃないか。くだらない。私は、そんなくだらないことをさせるためにピアノをやらせていた訳じゃない。いつまでたってもナンシーに馴染もうともせず反抗ばかりで……、二十歳にもなっていい加減大人になったらどうなんだ」

「先生、私のことはお構いなく。でもね、サスキアさん。演奏する曲や場所、一緒に演奏する相手を選ぶべきなのは私も先生に同意します。貴女の才能が本物なのは確かだからこそ、所かまわず安売りしてはいけないわ」

「……なんで知っているのよ……」

「貴女が出て行ってすぐ先生に連絡して後を追いかけたの。例の小学校に到着した時にはもう演奏は終わっていたけれど、体育館内では『突然舞台に現れて一曲だけ演奏した、眼鏡を掛けた若い女性』の話題で持ちきりだったのよ。急いで舞台裏に回ってみたら、『ギターボーカルの男性と一緒に聖×××病院へ向かった』と、係員の方から聞かされてね」

 受付の方から不躾な視線と微かなざわめきが聞こえてくる。声は抑えているものの、間近で始まった愁嘆場に受付の女性達は興味津々なのだろう。ナンシーもその空気を感じ取ったのか、更に声を落としてもう一歩サスキアに詰め寄った。

「さ、車も待たせてあるから早く行きましょ。いくら声を潜めて話していても病院に迷惑かけることになるでしょう??さ、早く……」


 ナンシーの声に明らかな焦りと苛立ちが混ざり始めたが、サスキアは微動だにしない。ナンシーの口元がひくり、僅かに引き攣った。

 音もなく静かに、一気に距離を詰めると、ナンシーはサスキアが後ずさる間もなく腕を掴む――、掴み取る寸前でフレッドがナンシーの腕を掴んで引き止めていた。


「セクシュアルハラスメントという言葉をご存知じゃないのね。気安く触らないでもらえます??」


 ナンシーの微笑みは一分の隙も見当たらなければ、威圧にも取れた。一〇年以上前、彼女と交際時のフレッドであればすぐさま手を引っ込めただろう。しかし、フレッドは醒めた目で一瞥したのみだった。すでに過去の女性であるナンシーに臆する理由など一つもない。

 ただ、気高かった彼女が垣間見せた異性への媚びた態度、弱きを貶めて自身の存在価値を上げようとする様は少し、ほんの少しだけ、見るに耐えなかった。


「そりゃ失礼。だが、その台詞はサスキアのものでもあるよな。セクシュアルハラスメントは同性でも適用されるだろ??」

「何が仰りたいのかしら??」

「サスキアはあんたに触れられたら間違いなく不快になると思う。あんたが今俺に不快感抱いたようにな」

 ナンシーから笑顔が消え失せた代わりに、頬にカッと朱が走った。羞恥ではなく怒りによってだが。掴んだ細腕にぎゅっと固力が入る。

「お兄様、放してあげて」

「サスキア」

「アレンさん、私も一緒に帰るから。お兄様を許してあげて」


 先程までの強張った表情から一転、サスキアの顔から一切の表情が消えており、思わず二度見してしまう。サスキアの方に気が逸れたせいか、ナンシーの腕を掴んでいた掌の力が抜けていく。その隙にナンシーはさっとフレッドの掌を振り払った。


「そう、それでいいのよ、サスキアさん。もちろん、訴えるなんてしないから安心して頂戴。さ、行きましょ。お父様もお待ちかねよ」


 再び華やかな笑顔を浮かべるナンシーの後ろを、力無い足取りでついていくサスキアを呆然と見送る。二人を待つマクダウェル氏はあくまで他人事といいたげな、茫洋とした表情だった。ナンシーが言うように、サスキアを待ちかねているようにはとても見えない。

 きっと、サスキアが出て行った後で騒ぎ立てるナンシーを宥めるためだけに、渋々サスキアを連れ戻しに来ただけなのだろう。事実、サスキアが二人の元に戻ってきても失望を込めて一瞥くれたのみ。叱りもしなければ宥めもしない。サスキアなど、本当は傍にいてもいなくてもどっちでもいい癖に。


「愛してもいない癖に縛りつけるんだな」

 三人が揃って背中を向けた瞬間、口をついて出てきた。

 独り言のつもりで吐き捨てたのに、しっかりと耳に届いていたらしい。三人共に揃ってフレッドを振り返った。

「あの女に対してもそうだったのか??」

 自分と顔立ちだけは似ているグレイヘアの男の目を正面から見据え、問いかける。

「君は何を言っているのかね??」


 マクダウェル氏は、心底訳が分からない、と言いたげに首を傾げた。細い眉尻が益々頼りなげに下がり、さりげなくフレッドから視線を逸らした。

 恍けている、にしては余りに演技が下手すぎる。ひょっとしたら、なぜ自分が責められるのか本気で理解できていないのか。

 不服そうに突き出された唇、きょときょとと視線を彷徨わせ、無意識なのか、胸の前で突き合わせた指先を落ち着きなく交互に動かしている。五十過ぎの男にしては些か仕草が子供じみてなかろうか。


「あんたにとっちゃ、女は自分の孤独を癒してくれるペットみたいなもんでしかないって言いたいだけさ。だが、ペットだってただ生きているだけじゃない。気に入らなければ引っ掻くし噛みつく、仕事の邪魔もするしわざと粗相をしでかすこともある。単なる我が儘やきまぐれの場合もあるが、理由あっての行動の場合が多い。あんたはどうなんだよ??妻や娘が抱える問題の原因はどこに、何にあるのか、ちゃんと向き合ってみたのかよ。どうせ面倒がって逃げてばかりいたんじゃないのか」

「ちょっと、貴方、失礼にも程が」

「ナンシー、気にしなくていい。言葉の遣い方も知らない、礼儀知らずの話になど耳を傾ける価値はない」


 マクダウェル氏はフレッドが話している間、一度も彼をまともに見ようともしなかった。アビゲイルを連れ去った時と同じだ。だが、あの時と違い、フレッドは大してショックを受けもしなければ傷つきもしない。どうせ右から左へ聞き流すしてろくに聞いちゃいないだろう。マクダウェル氏ではなくサスキアに聞かせたかったし。


「サスキア」

「心配しないで。自分の問題は自分で解決するから」

「…………」


 サスキアの表情は全く窺い知れない。しかし、先程までの頼りなげな雰囲気ではなく穏やかながら力強い語調、遠ざかっていく背中は真っ直ぐに伸びて毅然としていた。

 サスキアは本気で家族問題に立ち向かう覚悟を決めたのかもしれない。無理矢理そう結論付けると、釈然としないながらもフレッドはエイミーが待つ病室へ向かった。



 





(2)


 広い車内も黒革張りのシートも暖房の効き具合も、全て馴染みあるものの筈なのに。沈黙もいつものことなのに。見ず知らずの他人の車に乗っているようでそわそわと膝が落ち着かない。狭い空間、布張りのシート、暖房の効き具合もいまいちだった兄の車の方が、物理的な乗り心地はともかく状況的にはマシだった。


 隣に座るナンシーをなるべく視界から外し、助手席の父のまっしろな後頭部へと一心に視線を注ぐ。

 兄に指摘されなくとも、この人が自分を愛していないことくらいとうに知っている。知っていたが――、エイミーやジル、兄からの、時にお節介とも言える優しさを知ったせいだ。音楽を楽しむことを覚えたせいだ。居場所と呼べるものを見つけたせいだ。膝に乗せた両手に力がこもる。


「お父様」

「何かしら、サスキアさん」

 呼びかけてみてもマクダウェル氏は正面を向いたまま、サスキアを見ようとしなければ答えようともしない。父の代わりに応じるナンシーではなく、あくまで視線は父の後頭部に注ぎながらサスキアは告げた。

「今度のクリスマスディナーにアレンさんも招待して、三人でどうかしら」


 まあ!と、口許に両の指先を宛がい、ナンシーは驚きと歓喜の声を漏らした。マクダウェル氏は、若干の怯えを含ませ気味悪そうにサスキアを見返すと、再び前に向き直る。予想通りの反応に最早怒りや悲しみすらも感じない。

 二人はきっと、サスキアがようやく歩み寄ろうとしている、と思っただろう。だが、違う。

 これは歩み寄るための一歩なんかじゃない。決別のために踏み出した一歩だった。

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