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She's So ×××(改稿版)  作者: 青月クロエ
シーズ・ソー・ビューティフル
84/93

シーズ・ソービューティフル(16)

(1)

 

 館内に戻ったタイミングで下りていた緞帳がゆるゆると上がっていく。

 場を離れている間に生誕祭の劇は終わり、次の演目であるクリスマスコンサートの準備が整ったようだ。程なくして演奏が始まった。

 急いでチェスターの元へ向かうジルの後ろ姿を横目に、サスキアはその場に立ち尽くし、檀上を食い入るように見つめていた。自分はチェスターの傍には行かない方がいいと判断したのもある。それ以上に、演奏と観客の興奮が一体化する空気に、乾いた胸の奥が静かに熱を帯び始めたのだ。


 天井から光の結晶がきらきらと降り注ぎ、薄闇を輝かせている。

 音から輝きが生まれるなど実際にはありえない。ありえない筈なのに。

 あたかも今目の前で美しい結晶が舞い落ちてくるような気になり、胸の高鳴りが加速していく。

 ボーカルに合わせて歌を口ずさむ子供達、歓声を上げる大人達が見せる生き生きした表情につられ、自然と笑みが零れていた。


 客席じゃなくて舞台の上ではこの空気をどう感じるのだろうか。

 客側と演奏者側では音楽の楽しみ方は同じなのか全然違うのか。

 音楽なんて父から、音楽を生業ととする家の為に課せられた義務でしかなかったのに。

 知りたい。音楽の楽しみ方を、もっと知りたい――


「あ」

「終わったね」

 客電がつき、館内に明るさが戻ると共にサスキアの意識も現実に引き戻された。そして、いつからいたのか、サスキアの隣にはジルの姿があった。

「じゃあ、私はこれで……」

「待ちなよ」

 舞台に緞帳が下りていくのを名残惜し気に見送り、そそくさと立ち去ろうとしたが、再びジルに引き止められる。

「折角来たんだから、フレッド達に一言挨拶しに行ったら」

「え、でも」

 エイミーはともかく、フレッドやシャーロットは自分の顔なんて見たくないだろうに。

 サスキアの胸中など知ってか知らずか。もしかしたら、知った上でなのか。先程と同じくジルはサスキアの手首をさっと掴んだ。

「つべこべ言わずに行くよ」


 断る間もなく、というよりも、断る隙を一切与えないジルによって、サスキアは半ば強引に舞台裏へ引き摺られていく。

 入り口を出て体育館を囲む雨よけ屋根の下を半周すると、外壁に取り付けられた鉄扉の前にきた。早鐘を打つ心臓の痛みを無視しつつ、ノックをするべきか否か逡巡しているとドアノブにジルの手が伸びた。ノックもせずに開けるなんて、と唖然としていると、「こういう扉はノックの必要なんてない」と返され、容赦なく扉が開かれた。

 ステージを観終わったら黙って帰るつもりだったのに。どうしてこうなったのだろう。

 演奏者の身内だと、係員に名乗るジルに続いて舞台裏へ入った瞬間、異様に張り詰めた空気が肌に突き刺さってきた。自ずと高まる緊張感と共に先へ進むと、その理由を目の当たりにすることに。


 舞台袖には音響と照明卓が設置され、卓の前で担当者と思しき人物二人が進行を確認し合っている。音響卓とは反対側の壁際(厳密に言うと緞帳の一部)に固めたパイプ椅子の上にはエイミーがぐったりと横たわり、すぐ傍では険しい顔で楽譜の束を捲っているフレッドがいたからだ。


「フレッド。これは……、一体どういうことなの。エイミー、具合悪そうじゃない」

「……あ??」

 ジルの問いにフレッドは不機嫌も露わに応える。楽譜から目線のみ向けると、端正な顔に益々険が増した。

「なんでサスキアもいるんだよ」

 明らかに迷惑そうなフレッドの後方に佇むシャーロットも、もの言いたげにサスキアを睨みつけてくる。予想通りの反応とはいえ二人に怯み、サスキアは二、三歩後ずさった。

「エイミーがこの子を誘ったのよ。観たらすぐ帰るつもりのところを、顔くらい見せてやればって私が無理矢理連れてきた訳」

「……ったく、余計なこと」

「私はあんたじゃなくてエイミーに会わせるつもりで連れてきたんだけど」

「ああ、そうかよ。悪いが、エイミーも俺もそれどころじゃないし、時間がない。母さんと悠長に話している場合じゃないんだ」

「お母さん、あのね……」


 暗にこれ以上の会話を拒否するフレッドに代わり、シャーロットがフレッドの顔色をチラチラ伺いつつ事情を説明しだした。その間、サスキアの方は一切見ようとしなかった。

 粗方の説明を聞き終えると、ジルは床に片膝をつき、苦しげに小さく呻くエイミーからどのように調子悪いのか、そっと聞き出していた。


「フレッド」

「なんだよ」

「エイミーは今すぐ私が病院連れて行くから」

「……いいのか??」

「聖××××病院なら遅くまで診察しているし、学校からも割と近い。ライブ終わってすぐに駆けつけられるでしょ」

「……助かる、ありがとう」

「それと、エイミーの代打でキーボードをこの子に任せたら」

「……は??」

 間の抜けた声がサスキアの口から飛び出す。奇遇にもフレッドが発した声ときれいに重なった。

「エイミーから聞いたけど、知らない曲でも楽譜があればある程度弾けるんでしょ??」

「そう、だけど……」

「待てよ、何勝手に話進めてるんだ」

「そうだよ、お母さん!」

「フレッドとシャーロットは黙ってな。私はこの子に聞いてる」

「…………」


 薄青の双眸に挑むように見据えられ、サスキアは言葉を失う。

 一方で、先に行ったライブを観て、体感して、知りたいと思った答えを得るチャンスでもあった。


「……楽譜があるのなら……、私が代わりに弾いてもいいけど……」


 目線の置き場に悩み、ジルからフレッド、フレッドからシャーロット、と、無為に彷徨わせながら答える。


「ほら、やってくれるってさ」

「あのな……」

「二曲中一曲はピアノの音が必要なんだって??」

「ピアノの音がないならないで、ギターで適当にアレンジするだけだ」

「でも、あるに越したことないし、弾いてくれるって言ったんだから素直に厚意に甘えておけばいいんじゃない。この際、個人的な感情抜きにして一番優先すべきなのは何なのかを考えな」

「…………」


 反論の余地を失ったフレッドは不貞腐れた顔でぷいっとジルから顔を背けた。酷く子供じみた反応にサスキアの目が点になる。 

 三十一歳児と化したフレッドにシャーロットは派手に噴きだし、彼らの只ならぬ様子を遠巻きに見守っていたメンバーも苦笑を禁じ得ない。

 周囲の生温い視線にフレッドの機嫌と口角の角度は傾く一方だったが、遂に観念したらしい。


「……失敗は絶対許さないからな」


 厳しい言葉を添えて、サスキアに楽譜を手渡したのだった。







(2)


 舞台からサスキアにも聞き覚えのあるクリスマスソングが流れてくる。反戦や人類愛の願いを込めた歌詞に合わせて客席からも大合唱が湧き起こる。

 あの輪の混ざって口ずさみたい、と思いながら、サスキアはパイプ椅子に座っていた。つい先程までエイミーが使っていたので座面にはまだ温かみが残っている。

 フレッドに借りたスマートフォン片手に課題曲の動画と楽譜を見比べながら、脳内で鍵盤を浮かべてイメージトレーニングを行う。細かい音も聞き漏らさないよう、イヤホンの位置を微妙に調整し直す。

 イントロとアウトロはピアノが不可欠だが、途中でピアノが途切れる部分はどうしようか。歌や他の楽器の音との兼ね合いを考えて鳴らすには??限られた短い時間でアレンジを考えるために頭を絞るのが少し楽しい、気がする。


「一曲目が終わったのね」


 サスキアは席を立つと、拍手喝さいが止まぬ舞台へと突き進む。 

 新たなバンドメンバーの登場、一斉に期待と好奇心の目がサスキアに集中した。地灯りの眩しさも相まって思わず目を細める。

 大勢の前での演奏はピアノのコンクールで何度となく経験しているし、値踏みするような視線にも慣れている。それでもサスキアの脚は、指先は、緊張に震えていた。


「なんて顔してるんだよ」

 フレッドの横を通りすぎ様、呆れと叱責混じりの声色が背中に届いた。振り返って眼鏡越しに睨みつければ、フレッドはにやりと笑った。

「そこら辺のアマチュアや売れないプロなんかよりよっぽど弾けるんだろ」

 不意打ちの挑発、余裕綽々の態度にムッとしたが、即座に負けじと鼻先で笑い飛ばしてやる。

「当然だわ」

 精一杯の強がりなどお見通し、と含みを持たせた笑みを張り付けたままのフレッドを無視し、キーボードセットの前へ辿り着く。教えられた手順で機材調整を行い、準備が整ったところで手を上げて合図を送る。


 客電と共に沈黙が落ちる中、サスキアが奏でる音のみが場内に響き渡る。イントロのみで何の曲か気付いた観客から歓声が上がる。続いてフレッドのギター、ドラムが入って歌が始まった。

 始まりの僅か数小節弾いただけでサスキアの肌が興奮でぞわぞわと粟立つ。さっきまでの緊張が嘘のようだ。

 まるでサスキア自身がピアノの音となり、曲の一部として溶け込んでいくようで。音の波間を漂う。浮遊する。飲み込まれる。サスキア一人だけじゃない。演奏者も観客も皆一緒に。

 満ち足りていく――、初めて得たと言っていい充足感。物心ついた時から巣食っていた深い孤独感は音もなくスーッと消えていく。


 求めていたものは舞台の上(ここ)にあった。

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