シーズ・ソー・ビューティフル(5)
(1)
「悪い悪い、ついお喋りが長引いちゃったよ。エイミーが二曲続けて演奏するなんて珍しい。この曲はアレだろ??27クラブの方のエイミーの曲だろ??」
弾き語りも二曲目のアウトロに差し掛かった頃、ようやくゲイリーが店内に戻ってきた。
ちなみにエイミーが一曲目に弾いていたのは他国の女性ボーカルバンドのバラード曲、二曲目は数年前に突然死した自国の女性R&B歌手の曲で、どちらのファーストネームも『エイミー』という共通点がある。一見の客などに好きなアーティストを聞かれると真っ先に名を挙げる二組でもある。
「まだ弾いてても構わないのに」
演奏を終えてステージを降りる。まだ聴きたそうなゲイリーに向かって曖昧に笑ってみせると、そそくさとカウンターへ戻った。
「どうせ客はいないんだし……って、言葉にするとやけに物悲しくなってくるよなぁ」
「まぁまぁ。まだ十九時半だし、これから来ますってば」
自らが口にした、自虐的な言葉に落ち込むゲイリーの肩を軽く叩く。少なくとも最低一人はこれから来店する予定な訳だし、と心中で付け加えて。
だが、エイミーもゲイリーを励ますつもりで自身をも励まし、不安を打ち消そうと必死だった。フレッドは未だバブーシュカに姿を見せていない。
図書館の終業時間、バブーシュカまでの移動時間を見積もったとしても少し遅い気がする。今日に限って残業が発生したのか、地下鉄のダイヤが大幅に乱れたのか。その両方か。
もしかしたら元恋人の呼び出しに応じる気に――、否、絶対に有り得ない、筈。有り得ないと信じたい。フレッド自身が有り得ないと断言していたし。
けれど、一度芽生えてしまった疑惑は頭から離れてくれない。浮上する度に何度も何度も否定し、打ち消すのに。
外の様子を硝子越しに確認する。車道を挟む形で等間隔に建つ街灯が夜闇の濃度を薄めている。人工的な白光の下、歩道を行き交うビジネスコートの人々の中に銀縁眼鏡を掛けた、冷たく整った細面の長身男性が紛れていないだろうか。数十秒程眺めた後、ふいと視線を逸らす。残念ながら、フレッドの姿はない。
やっぱり、あと一曲だけピアノを弾かせてもらおうか。ゲイリーに断りを入れようとした時、入り口の扉が開いた。
「いらっしゃい!」
フレッドがやっと来てくれた!
幾分はしゃいだ声音で出迎えたが、入り口の前に立っていたのは見たことのない女性だった。
フレッドじゃなかった――、内心酷く落胆し、先走ってはしゃいだ自分への気恥ずかしさが込み上げた。勿論、顔にも態度にも絶対出さないが。
「初めてのお客さん??お好きな席へどうぞ、注文する時はカウンターへ」
「……ありがと。コニャックを一杯いただける??」
「コニャックは……」
「なければスコッチか、本当は食後が望ましいけど、辛口のシェリー酒で何かない??」
「あぁ、スコッチなら……、ゲイリーさん!スコッチは……」
「スコッチなら酒棚じゃなくて裏の保存庫の方だわ」
すぐに取りに行ってくる、とゲイリーは再び裏に引き返した。
「今店主が取ってくるので少し待ってもらえます??」
「構わないわ。別に急いでないし。でも、先に支払いだけ済ませてもいいかしら?」
「ええ、どうぞ」
「じゃあ、それでいいわ。幾ら払えばいい??カードはどこの会社のものなら使える??」
「大抵のものならどこでも」
「そう、じゃあ、これで支払いを」
カウンターの前まできた女性から受け取ったクレジットカードを端末機に差し込む。暗証番号を打ち込む女性をさりげなく観察してみる。
訛りがほとんどない綺麗な言葉遣い、酒の嗜好。茶系で統一された服装は全体的に古臭く地味ではあるが、年代物のロングコート、膝下どころか踝まで隠すロングプリーツスカート、革が程良くくたびれた靴に至るまで、どれをとっても上質な素材が使われていた。
たまたま置いてあったから良かったものの、スコッチなんてバブーシュカの客層は滅多に注文しない。コニャックもシェリー酒も同様に。
バブーシュカには足を運ばない類の、上流の令嬢がなぜ??
カードを返しがてら気付かれない程度に首を捻る。
それから、この女性客、誰かに似ている様な……??
「ごめんなさいね、もう少しで持ってくると思うから」
「えぇ、構わないわ」
女性は酷薄そうな薄い唇の両端を引き上げ、微かに微笑む。頭上のグラス置き場で輝くグラス類同様、彼女が掛けている黒縁眼鏡が照度類の光を反射している。レンズの奥の目はちっとも笑っていない。
反射する光を受けエイミーは目を瞬かせたが、女性が誰に似ていたか気付いた途端、言葉を失った。
店内で流しているBGMが耳をするすると通り抜けていく。歌詞もメロディも頭に全く入ってこない。
対する女性は満足そうに目を細めていた。肩で切り揃えた髪や瞳の色こそ栗色だが、唇以外にも切れ長の双眸、すっきりと通った鼻筋を見せつけるように、徐に眼鏡を外してみせる。
「驚かせてごめんなさいね。私、そんなに貴女のご主人に似ているかしら」
返す言葉がなく硬直するエイミーの視界の端で、再び入り口の扉が開く気配がした。
(2)
「噂をすれば。まさに呼ぶより謗れね。貴方、アルフレッド・オールドマンでしょ??」
「あぁ、そうだが??そういうあんたは一体誰なんだ」
入店するやいなや注目されたフレッドは胡乱な目つきでカウンターを見返した。
出迎える言葉すらまともに出せないエイミー、次いで、自分とよく似た面差しの若い女へと視線を移すなり、フレッドの顔から見る見るうちに色が失われていく。
「そんなに驚かないで。仮にも血の繋がった実の妹だもの。面差しが似ていたところで別におかしくはないでしょう??もう少し感動的な初対面になるかと思ったけど、現実はそうでもないみたい」
『実の妹』と名乗った女性はつまらなさそうに鼻を鳴らす。皮肉気な物言いに、いつもなら更なる皮肉を即座に切り返すのに言葉が出てこない。余りの衝撃に呆然とするより他がない。
しかし、呆然としながらも、長い間、頭の片隅で眠らせていた遠い記憶がふつふつと蘇りだしていた。
あの女が家を出て行ってから一年以上が経過した頃だった。あの女とあの男の間に娘が生まれていた――、とチェスターから知らされたのだ。
チェスターと膝を突き合わせ、改まった状態で聞かされた訳ではない。全く関係ない別の話を先にしていて、そのついでのような形で聞かされたのだ。
それこそミュージシャンやサッカー選手の噂話をするような、ともすれば聞き流してしまいそうな程、さらりと何気なく。
当時のフレッド自身も完全なる他人事としか捉えず、『ふーん、あっそ、で??』程度の薄い反応を示しただけだったような。
「……あんた、何が目的で、今更俺の前に現れた」
「あんたじゃないわ、サスキア。私の名前はサスキア・マクダウェル。よく覚えておいて、お兄様」
警戒と不審、嫌悪を露骨に剥きだし、銀縁眼鏡越しにサスキアを睨みつける。威嚇じみた視線にもサスキアは全く動じない。外していた黒縁眼鏡を優雅な手つきで掛け直すと、フレッドに冷然と笑いかけた。
クラブ27とは、27歳で死亡したミュージシャン、俳優等の一覧を示す造語です。類稀な才能を発揮する反面、薬物やアルコール依存症、精神疾患を患い、オーバードーズや自殺、事故が原因でなぜか27歳で亡くなる方が多いのですよね……。(勿論、他の理由もなくはないですが)




