ネヴァー・イズ・ア・プロミス(8)
(1)
抱え込んだピーナッツバターの大瓶にスプーンを突っ込み、ぎっしりと固まった大粒のピーナッツを零れ落ちそうな量掬い取って咥え込む。
ある映画のヒロインが劇中で食べていたのに憧れ、たまに真似して試してみるが、輸入物のピーナッツバターはエイミーの舌には甘すぎるし、三、四回繰り返したところで胸やけしてしまう。
実は甘いものがそんなに好きではないし(ミントチョコは別格)、自国の甘くないピーナッツバターをトーストに塗るとかして食べた方が格段に美味しい。
試す度にそう結論づける筈なのに、凝りもせずまた試してしまう辺り、我ながら学習能力が低すぎやしないか。
口直しのミネラルウォーターを飲みながら、きっと自分は疲れているんだと自嘲する。
今日は月曜日なのに。もうすぐ正午なのに。
フレッドが起床する気配は未だにない。
普段は二人で摂る食事を一人で摂るのは寂しく味気ないが、今のエイミーは自分から彼に話しかけられずにいた。
アナイスの目を正面から見据えて宣言したエイミーに気圧され、アナイスもフレッドも呆気に取られていた。
アナイスとは根本的に分かり合えない。分かり合える筈がないし、分かり合えると期待する方が間違っている。
理解できなくても全然構わないから。
せめて邪魔だけはしないで欲しい。
それだけはどうしても分かって欲しかった。
「……そう、そうまでして言い張るの。そこまで言うなら、私はもう何も言わないし、エイミーの好きにすればいいわ。でもね、これだけは言わせて。彼……、オールドマンさんと真剣にお付き合いしているなら、どうしてうちには挨拶にすら来ないの??彼の家にはよく訪ねているみたいなのに。まさかと思うけど……、黙って結婚するつもりじゃないでしょうね」
「ねぇ、アナイス。未成年ならともかく私も彼も大人なのよ??しかも私はとっくに家を出て自活している。実家の顔色窺っていちいち報告する必要なんてないと思うんだけど」
「……アナイスさんの指摘はご最もでしょう」
「アルフレッド」
エイミーの反論を遮るようにフレッドが重い口を開く。
アナイスに同調するかのような口ぶりにエイミーの心は更に波立ったが、口を噤んで言葉の続きを待った。
「貴女に指摘されたから、という訳ではありませんが……。エイミーさんとは半年近く交際していますし、同居も始めました。一度、ご両親の許へ挨拶に伺うべきだと僕自身は考えていました」
「そうでしたか。まぁ、普通はそう思いますよね。エイミーは自分のことをいい大人だと言ってますけど、私から見たらいつまでたっても反抗期の子供と言うか……、いつまでも子供っぽくて。だから余計に心配だったのです。想像していたよりもオールドマンさんが精神的にはしっかりした方で良かった!そうそう、うちに訪ねる時は私に一度連絡頂けませんか??私が二人と両親との間に入った方が円滑に話を進められるでしょうし」
何も言わないと言いながらも、アナイスは遠慮なく土足で踏み込んでくる。
自分を置き去りにして勝手に話を決めていくアナイスに怒りを再燃させていると、フレッドが再び口を開いた。
「アナイスさんのご厚意には感謝します。ですが、僕とエイミーさん、二人の問題ですから。二人で話し合って決めます」
「ですが……」
「エイミーさんは頼りない子供なんかじゃありません。自立した大人の女性です。昔の彼女がどうだったかは知りませんが、人は成長していくものです。家族だから案じる気持ちは理解しますが、家族だからこそ彼女の成長を認め、静かに見守る姿勢が大切じゃないでしょうか??」
「…………」
すぐさま反論しようとアナイスは口を開きかけ――、結局、反論する隙が見つからず、二、三度目を瞬かせた後唇を引き結び、押し黙った。
エイミーに反発され、途中まで同調してくれていた筈のフレッドにまで論破され、ショックを受けたらしい。
俯いて落胆する様子に先程までの優雅さ、自信に満ち溢れた姿は見る影もない。
さすがに気の毒に思い、慰めの言葉の一つや二つかけるべきだろうかと悩み始めた矢先、アナイスは音もなくソファーから立ち上がった。
「アナイス……」
「帰ります。突然お邪魔して申し訳ありませんでした」
アナイスはエイミーの呼び掛けには応えす、フレッドに向かって頭を下げると玄関へ足早に進んでいく。
エイミーは慌てて立ち上がり駆け寄ろうとしたが、アナイスが扉の外へ出ていく方がずっと早かった。
(2)
一週間前の出来事を思い返すだけでもう、どこまでも気持ちが沈んでしまう。
あの後――、アナイスが帰った後、エイミーが家族との繋がりを断とうとしていたこと、アナイスの不躾な発言の数々を、フレッドは特に責めたりはしなかった。責めたりはしなかったけれど――
「あんたの妹に言われたからじゃないが……、けじめはきちんとつけるべきだ」
つまり、エイミーの両親に会いたい、会って話をしたい、と――
エイミーはフレッドを両親に会わせたくない、否、両親にフレッドを会わせたくなかった。
両親――、特に母親はアナイス以上に階級意識が高く(本物の上流階級でもないのに、あくまで上位中流気取りの中位中流なのに!)、アナイス同様フレッドを必ずや見下すだろう。
あれでもアナイスは多少遠慮した上で発言(それでも充分失礼に値するが)していたが、母はもっと率直に不躾な発言をぶつけてくるに決まっているし、嫌味を意図的に繰り出すかもしれない。
かつて自分が受けていた言葉の暴力をフレッドにまで受けて欲しくない。
それに、両親は出来の悪い自分のことなどとっくに見放している。
交際相手の粗をちくちく突きつつ、許可も何も結婚するならするで勝手にすればいい、と、最終的には匙を投げるだろう。
だから、別に両親に会う必要なんてないし――
「実際にあんたの言う通りかもしれない。でも、俺は一度会って話をしたい」
「だけど……」
「どうして悪い方向にしか取らないんだ。あんたの妹だって一応は分かってくれたし、まぁ、渋々だろうが……、話せばちゃんと分かってくれるかもしれないじゃないか」
「そんなの」
会うだけ無駄、と続けようとしたが、言えなかった。
フレッドが纏う空気がスゥ―ッと冷たいものへと変化したからだ。
「俺を信用していないのか」
違う、そうじゃない!
即座に否定したかったのに、視線と声色の冷たさに背筋がぞくりと冷え、舌が凍りつき上手く動いてくれない。
フレッドは、テーブルに手を付いたまま硬直するエイミーに冷たい一瞥をくれると、「これ以上何も話すことはない」と、自室に引き籠ってしまった。
長年主張できずにいた想いをやっと言えた筈なのに。
意気消沈するアナイスの姿が、後悔まではしなくとも罪悪感を激しく駆り立ててくるし、フレッドとの関係がギクシャクとぎこちないものに変わってしまった。
リビングで一人、ジャンクな食事を摂っていると虚しさばかりが込み上げてくる。
キッチンからはあの時――、一人取り残された時にも聞いた、食洗機の洗浄終了を告げる音が響いてきた。