ネヴァー・イズ・ア・プロミス(3)
(1)
その部屋は広さ8帖程、床の至る所が段ボール箱に占拠され、奥の壁際には学習机と本棚、キーボードセットが並んで置かれていた。
エイミーは山積みされた段ボールの中から、今必要な服を詰め込んだ箱を探し当て、上に乗っている分を降ろして目当ての箱を開封する。
コート、ニットワンピース、スカート、パンツ等、ハンガー付きの衣類はクローゼットへ、セーター、カーディガン、インナーカットソー等畳んだ衣類はクローゼット内の衣装ケースへ。
クリスマスも間近に迫り、雪もちらつく程度には何度か降っている。
新年を迎える頃には一段と寒さが厳しくなっていくだろう。
『少し前から、考えていたんだが……』
『いっそのこと、一緒に暮らさないか』
約一か月前のあの夜、フレッドから告げられた言葉に頷くやいなや、早速彼は自分のアパートの大家に二人で暮らせるよう相談を持ち掛けた。
このアパートは元々、最寄りの地下鉄の駅から一区間離れた大学の音楽学部生の下宿用だったが、壁と床が完全防音仕様なことから学生のみならず、アマチュアのバンドマンや楽器演奏が趣味の社会人なども居住していた。(もちろん、フレッドもその内の一人である)
間取りが2LDKなので大抵は二、三人でルームシェアする場合がほとんどなせいか、話はすんなりと進んだ――、らしい。
フレッドの迅速すぎる行動に驚く間もなく引っ越し準備はあれよあれよと進み、エイミーの方でも今まで住んでいたアパートを引き払い――、こうして今の状態に至る。
冬物衣類を粗方クローゼットに仕舞い、空になった段ボール箱の底にハサミで切込みを入れ、折り畳む。
他に片付けられそうなものは……、と、他の箱に手を付けようかどうしようか迷いながら学習机をちらりと振り返る。
「どう??繋がった??」
机上のノートパソコンに齧りつきのフレッドに呼びかけるが返事はない。
「ねぇ、聞いてる??」
二度目の呼び掛けにも反応しないので、傍に近づいて横顔を覗き込む。
普段よりも深く刻まれた眉間の皺、眼鏡の奥で目つきが険しくなっている。
「もしかして、まだ接続が」
「あと少し、もう少しで終わる」
画面に視線を向けたまま、ぶっきらぼうに言い放つフレッドに思わずムッとしたが、自分の代わりにインターネット接続等の各設定をしてくれるのだからと思い直す。
ちなみにこの後、クリスマス用品の買い出しで近くの大型スーパーマーケットに出掛ける予定だが、もうしばらく掛かりそうだ。
仕方ないので、待つ間に一旦中断した片付けを再開しようと、新たな段ボール箱に手を付けかけた時、ノックと共に扉が開く。
中に入ってきたのは、ヴィヴィアンを抱きかかえた一〇歳くらいの少女――、アパートに遊びに来ているフレッドの妹シャーロットだった。
「え、フレッド兄ってば、まだ設定終わってなかったの??」
シャーロットはパソコンと未だ格闘するフレッドを見るなり、薄青の瞳を見開き、驚きと呆れが入り混じった声で叫んだ。
ヴィヴィアンは素っ頓狂な叫び声に吃驚してシャーロットの腕の中から飛び出すと、エイミーの足元にすり寄って訴えるかのようににゃうにゃうと鳴いてみせた。
「ねえ、もうすぐ十五時になるけど。そろそろ出かけないとすぐ日が暮れるよ??」
「そんなことは分かっている」
「じゃあ早くしなよ、エイミーちゃんもずっと待ってるんだし」
「……シャーロット。何度も言うが、エイミーはお前より年上なんだから『ちゃん』呼びは失礼だぞ」
「別にいいじゃない。エイミーちゃん、可愛いし優しいし、あたしは親しみを込めて呼んでるつもりだけどな??ね??」
「うん、私も呼び方なんて特に気にしてないし、好きな風に呼んでくれればいいと思ってるよ??」
「ほら、エイミーちゃんの許可ちゃんともらったし!フレッド兄はさぁ、ちょっと頭固いんじゃない??」
その年頃の少女にしては背が高く、スラッと細長い手足や少しきつめの顔立ちのみならず、容赦なく言いたいことを口にするところまで母親似のシャーロットに、フレッドはすっかり閉口気味である。
しかし、互いに言い合えるのはそれだけ信頼関係が築けている証拠でもあり――、少なくとも、エイミーの場合、双子の妹アナイスに対して本音をぶつけることなど皆無だった。
アナイスは常に正しいことしかしない、言わない、間違わない。
非の打ちどころがなく完璧な彼女の言動・行動に対し、例え、密かに首を捻ることがあったとしても、それをエイミーが口にすることは一度もなかった。
だから、正直なところ、二人の関係が少しだけ羨ましい。
「……よし、終わった」
ようやく接続を完了させると、フレッドは指を交互に組んで大きく伸びをした。
「ありがとう、疲れたでしょ」
「目が少しショボショボする」
電源を落とすと同時に眼鏡を外し、フレッドは首を左右に傾けて捻ったり、肩を交互に回して凝り固まった筋肉をほぐしていたが、五分も経たない内に「そろそろ出かけようか」と二人に呼び掛けた。
(2)
クリスマスまであと一週間弱、スーパーマーケットはいつにも増して買い物客で賑わっていた。
年末は店ばかりか出張仕事も激増する多忙な両親や弟に代わり、フレッドとシャーロットで毎年クリスマス用品の買い出しに出掛けるという。
ターキー、クリスマス・プティング、パネトーネの各陳列棚を順番に見て回り、予め決めているメーカーのを探しだしてカートに放り込んでいく。
オールドマン家のクリスマスディナーに今年はエイミーも招待されているので、ターキーとクリスマス・プティングは例年より少し大きめのサイズのものが選ばれ、皆で送り合うために用意するパネトーネの数も多かった。
「今年もエドワードさん達とばったり出くわしたりして。そしたらまた、いつものセリフ言われるかな」
「いつものセリフ??」
率先してカートを引くシャーロットの背中に尋ねれば、エイミーの隣ですかさずフレッドが「シャーロット、余計な話はするな」と窘める。
「あのね」
シャーロットは一旦立ち止まってエイミー達を振り返った。
振返りざま、頭の左右の高い位置で結んだ蜂蜜色の髪がふわっと揺れる。
シャーロットは渋面を浮かべるフレッドと、首を傾げるエイミーに向けてにやりと微笑む。
「エドワードさん、あたしとフレッド兄が一緒にいる時に会うと必ず、『お前、いつの間に子供作ったんだ??』ってフレッド兄を揶揄うの」
「……シャーロット……」
はぁ、と短く嘆息し、横目で反応を窺ってくるフレッドにエイミーは困ったように笑ってみせる。
「あ、うん、エドさんなら言いそう……、というか、その光景が目に浮かぶようだわ」
「でしょ??」
シャーロットはにやにや笑いながら、エイミーの耳元に唇を近づける。
小柄なエイミーと長身のシャーロットではほとんど身長が変わらないので、互いの目線の位置はかなり近い。
「クリスマスに家に来た時、またフレッド兄の色んな話教えてあげるね」
「…………」
「……話が丸聞こえなんだが……」
「もう、フレッド兄は地獄耳なんだから」
「あのなぁ……」
最早窘める気にもなれないと黙り込んだフレッドだったが、シャーロットの興味の対象は別の事柄へと移りかけている。
今いるターキーの陳列棚から周囲の買い物客、他の陳列棚の様子をきょろきょろと見回していたが、突然、「あ!」と思い出したように叫ぶ。
「ねぇ、あたし、ラッピング用品見に行きたいからあっちの棚に行ってきてもいいかなぁ??エイミーちゃんも一緒に行こ。フレッド兄はしばらく一人で買い物しててよ」
「おい、勝手に……」
「じゃ、エイミーちゃんと行ってくるから。何かあったら、プレゼント用品コーナーまで来てね」
「へ??あ、ちょっと、シャーロットちゃん?!」
言うが早いか、シャーロットはカートをフレッドに押し付けると半ば強引にエイミーの手を取った。
シャーロットに引っ張られるままエイミーはターキーの陳列棚から離れ、買い物客で混雑する通路を抜けてプレゼント用品の陳列棚へと移動させられていく。
食料品の陳列棚程ではないが、プレゼント用品コーナーもそこそこ込み合っている。
様々な種類の包装紙、リボン、タグ、ボックス、缶などを眺める内、次第に購買意欲がそそられていく。
(人込みに乗じての子供の連れ去り防止で)繋いだ手と手をきつく握り合い、気になるラッピング用品を空いている方の手に取ってはどれにしようか、各々思い悩んだ。
「今年のラッピングはグリーン系が流行りなんだって」
「へぇー、通りで包装紙もリボンもグリーン系が多い訳ね」
「どうしようかなー、あ、このミントグリーンと白のストライプ柄の包装紙いいな!エイミーちゃんは??」
「私??うーん……、包装紙はシンプルなブラウンペーパーにして、リボンとかタグを柄物にするつもり」
幅×長さごとに並ぶリボンテープの中から、エイミーは紺色地に白いレース模様のリボンに手を伸ばす。
偶然、隣にいた女性も同じものを取ろうとしたらしく、互いの指先が触れ合った。
「あら、失礼」
「いえ、こちらこそ……」
『こちらこそごめんなさい』と謝りかけて女性と目が合った瞬間、エイミーの舌が凍りつく。
石のように固まってしまったエイミーとは反対に、どこか余所余所しかった女性の態度が親しげなものへと変貌した。
「もしかして、貴女、モートンさん??アナイスの双子のお姉さんのエイミー・モートンさんでしょ?!わたしのこと、覚えてない??ほら、中学校で同じクラスだった……」
「……ジョーンズさん、カミラ・ジョーンズさん、ですよ、ね……??」
辛うじて、振り絞った小さな声でおずおずと確認すれば、エイミーの倍は大きな声で「えぇ、そうよ!」と返ってくる。
「モートンさんってば、途中から学校来なくなったから忘れてるかも、って思ったけど、ちゃんと覚えていてくれたのね!!ところでアナイスは元気??大学準備課程までは一緒だったけど、卒業してからは一度も会ってなくて。あの頃の友達とおしゃべりすると絶対アナイスの話題が出てくるのよ。アナイスは今どうしてるのかなって。そうだわ、ねぇ、モートンさん。再会したついでにアナイスの連絡先教えてくれないかしら」
「…………」
「ほら、中学の時、アナイスとわたし達のグループは特に仲良かったでしょ??実は、そのグループで今も定期的にお茶会開いているからアナイスにも是非参加して欲しいのよ。お願い。あ、ここだと他のお客さんの邪魔になるから棚の端にでも移動しましょう??」
「…………」
「ねぇ、モートンさんってば、聞いてる??」
「……ごめんなさい、スマートフォンを家に置いてきてしまったから、アナイスの電話番号分からないんです……」
「えっ……」
感情が伴わない平坦な声で告げれば、ジョーンズ嬢は「そうなの、残念だわ」と落胆すると共にエイミーに興味を失くし、何事もなかったかのように再び陳列棚の商品に向き合い始めた。
ジョーンズ嬢のあからさまな態度に事の成り行きを見守っていたシャーロットは眉を潜めたが、エイミーを慮ってか、あえて黙っていた。
子供らしからぬ気遣いに感謝しつつ、一方でエイミーはジョーンズ嬢から解放されてただただホッとするのみだ。
これ以上話を長引かせるのは他の客に迷惑なだけだし、そもそもジョーンズ嬢とは話すことなど何一つない訳で――、スマートフォンを忘れたというのも嘘だ。
ジョーンズ嬢にアナイスの連絡先を教えたくないというより、教えることでアナイスへの連絡を余儀なくされるのが嫌だったから。
エイミーの現在の生活を知ったら、アナイスは間違いなく両親に報告するだろう。
『エイミーのことが心配なの』と言いながら独善的な判断を下し、エイミーなりに必死で考え、築き上げてきた生活に土足で踏み込んでこられたら堪ったものではない。
いつだったかフレッドに『アナイスは自慢の妹』と語ったが、それも大きな嘘。
アナイスだけじゃない、両親も元クラスメイトも――、エイミーはこの街で暮らす前、地元で関わったほとんどの人間が――、大嫌いだ。