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She's So ×××(改稿版)  作者: 青月クロエ
ネヴァー・イズ・ア・プロミス
56/93

ネヴァー・イズ・ア・プロミス(1)

(1)

 

 土曜日の夜はバブーシュカに最も客が多く入る日だ。

 常連客が来店するのは勿論、ライブに出演するアマチュアミュージシャン達、彼らのライブ目当ての観客が集まり、時には満席になることもあった。

 そんな時、ゲイリーは音響卓の調整に掛かりきりになり、エイミーは注文されたドリンクや軽食の用意に追われることになる。

 その夜も出演バンド数自体は三組と少ないものの、出演者の一組が若手のセミプロバンドだったためか、開店早々ほぼ満席に近い状態だった。


 一組目のバンドの演奏が終わり、二組目がセッティングする間の隙間時間を狙ってドリンクを注文しに数人の客がカウンターに並ぶ。

 大抵の客はビールかグラスワインのどちらかを注文する。

 ビールの場合は銘柄を確認し、ドリンク代と引き換えに蓋を開けたビール瓶を、グラスワインの場合は白か赤かを確認してグラスに注いだワインを客に受け渡していく。

 ちなみに今夜の客はビールとワイン、半々の割合で注文していく。


 最後尾に並ぶ客にギネスビールを受け渡そうとした時、エイミーは一瞬頬を引き攣らせそうになった。

 エイミーが差し出した手を瓶ごと両手でぎゅっと握りしめてきたからだ。

 うーん、またかぁ、と内心困惑するも平静を保ったまま、手を握っている客を見上げてみる。

 常連という訳ではないが、月に一度か二カ月に一度の頻度でここに訪れる客で、何度かライブにも出演してくれたことがあり、年齢はエイミーより少しだけ上、二十五、六といったところか。

 仕事が繁忙期だったらしく、ここに来るのも三カ月振りくらいだったような。


「エイミーちゃんさぁ、しばらく見ないうちに、なんていうか……、すっごい可愛くなったよなぁ?!ねぇねぇ、オレとLINE交換しない??」

「あはは、褒めてくれるのは嬉しいけど、それはダメですよー」

 冗談交じりに笑い返し、空いている方の手で軽くぺちっと客の手の甲を叩いて窘めれば、ちぇっと残念そうにしつつもすんなりと手を引っ込めてくれた。

「うちはそういうお店じゃないですからー」

「そうだぁ、ここは音楽を楽しむ場であってナンパするとこじゃないぞー??」

 カウンター席に座り、一部始終を目撃していた常連客が茶々を入れてくる。

「それとな、エイミーには彼氏がいるから諦めなぁー」

「ええぇぇー……。じゃあ、可愛くなったのも、彼氏ができた影響ってことか……」


 残念そうに肩を落とすと、エイミーを口説こうとした客はすごすごと尻尾を巻いて自分の席へと戻っていった。

 エイミーがしょぼくれる彼の背中から先程の常連客に視線を移し、こそりと小さく「ありがとう」と礼を述べると、彼は気にするな、と手振りで示した後、カウンター正面のステージをちらっと振り返った。

 ステージでは今夜の二組目のバンドが引き続きセッティングを行っている。

 ステージ中央奥ではドラムセットの椅子に腰掛けるエド、左側ではベースのチューニングをするリュシアン、中央ではマイクスタンドの前で適当にギターを鳴らして中音のバランスを確認するフレッドの姿があった。


「さっきの、気づいてないみたいで良かったな」

「あぁ……、えっと、そう、みたいねぇ……」


 常連客のにやっとした笑顔に、曖昧に笑って誤魔化す――、しかないだろう。

 セッティング中でそれどころじゃないかもしれないし、素知らぬ振りして案外目敏いのでもしかしたら気づいたかもしれない。

 確かにフレッドは神経質な人ではあるが、あの程度のことでいちいちあの客やエイミーに何か文句を言ったりとかはしない――、と思う。

 約三カ月前からフレッドとの交際が始まってからというもの、どうも周囲の人々が妙に気を回してくれている、気がしてならない。

 彼と付き合っていることを大々的に公言している訳じゃないが、それでも分かる人には分かってしまうものらしい。

 先程のようにちょっかい掛けてくる客がいようものなら、決まってその場にいる常連客の誰かが『エイミーには彼氏がいる』と牽制してくれるのは別段迷惑ではないし、むしろありがたいのだけれど――、正直気恥ずかしさは拭えない。


 気恥ずかしさを打ち消すべく、また、ドリンクの注文が一旦途切れた隙に、エイミーは酒棚から自分専用のウィスキーボトルを手に取るとグラスに並々と注ぎ、琥珀色の液体を口に含む。

 そろそろブラックシープの演奏も始まるだろう。

 演奏中にドリンクを注文する客は余りいないし、一息つけるかな、と二口目を口に含むとグラスの氷をカラカラと回す。

 少しだけ前屈みになってシンクに凭れかかると、ちょうど店内の照明が落とされ、そう広くはないステージの上をピンスポットライトが照らしていた。






(2)


 トリを飾るセミプロバンドの演奏が終了すると、時刻はラストオーダー時間の二十二時半を過ぎていた。

 普段であれば、ライブ終了後は出演者及び客達がオープンマイクで遊び始めるのだが、今日はライブの開始時間自体が遅く、また、各バンドの持ち時間も転換込み四十五分と通常よりも長かったためだ。

 閉店時間が迫る中、雑談もそこそこに一人、また一人と退店していき、壁時計の秒針が二十三時を指す頃には一人を除いて全員が退店していた。


「お、エイミー待ちか」

 各テーブルに残されたグラスや空瓶を片付けていたゲイリーが、ギターケースを片手に入り口扉の前に佇むフレッドに向かって揶揄い口調で話しかけた。

「片付けの邪魔になってはいけないし、外に出るから待っていてもいいか??」

「待つのは全然構わないが……、別に中にいても大丈夫だぞ??」

「待ち時間の間は煙草吸ってやり過ごすさ」

「でも、外は寒いし……」

「いや……」

「アルフレッド、一本だけだからね。一本吸い終わったら中に戻ってきて」


 シンクに集められたグラスや皿を洗いながら、エイミーはさりげなくフレッドに釘を刺した。

 放っておいたらきっと、エイミーがタイムカードを押して外に出るまでの間、ずっと煙草を吸い続けるだろう。

 十一月も後半に差し掛かった今は朝晩の冷え込みが厳しいし、一〇日程前には初霜が降りたという。

 店のガラスがうっすら曇っているのは夜霧と冷気の影響によるもので、屋外の気温の低さを証明している。

 例えそう長い間でなくとも、寒い屋外で待たせるのはかなり忍びない。

 あとは――、彼の健康のためにも煙草の本数を減らして欲しいから。

 フレッドはやや不満げに口角を引き下げてみせたものの、「……ん、わかった」と素直に応じて一旦外へ出て行った。

 洗い終わったグラスを、キュッキュッと小気味いい音を立てて手早くかつ、丁寧に磨いていく。

 必要最低限の電気照明しか点けていない、薄暗い店の中で、磨かれたばかりのグラスは鈍く輝いている。


「しかしまぁ……、あいつも変わったもんだ。エイミーの言うことなら大人しく聞くようになるなんて」

 エイミーと共にグラスを磨き始めたゲイリーの視線の先――、ガラス板の向こう側にいるフレッドの背中があった。

「うーん、いつもとは限らないですよ??」

 実を言うと、煙草の本数を減らす減らさないの問題で喧嘩に発展したこともあるし、黙って言う事を聞いてくれるようになったのだって、まだつい最近の話だ。

「まぁ、そりゃあそうだろうけど……。特に煙草に関しちゃ、メアリやエドにも本数減らせと言われても憎まれ口叩くだけで絶対聞く耳持たなかったんだよなぁ」

「あは……、その時の様子が目に浮かぶような……」

「あと、まさか本名呼びを許すなんてね」


 しまった。

 二人の関係を如実に示してしまうのを避けるため、バブーシュカではあえて『フレッドさん』と呼んでいたのに。

 ゲイリー以外の者がいなくなり、つい気が緩んでしまったみたいだ。


 羞恥と自己嫌悪に駆られ、グラス磨きに集中する振りで押し黙る。

 エイミーの気まずい心中を見抜いたのか、たまたま動いただけなのか。

 ゲイリーはカウンター内の端、酒棚の横に立て掛けてあるモップを手にすると、カウンターから離れて床掃除を始めた。


 グラスを磨く音とモップが床に擦れる音のみが静かな店内でやけに響く。


 残る最後のグラスを磨き上げると、カウンター上部のグラス置き場に引っ掛ける。

 磨いたばかりのぴかぴかと光るグラスがずらり、頭上に並ぶ様はなかなかに壮観だ。

「床のモップ掛けも終わったし中のブラインドとシャッターは俺が閉めるから、あとはシンクのゴミだけ裏のゴミ箱に捨ててくれば上がっていいぞ。ちょうど、フレッドも戻ってきたし」


 寒さに身を縮め、猫背気味の姿勢で店内に戻ってきた途端に名を呼ばれたフレッドは、案の定、不審げに眉根をわずかに寄せたのだった。

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