閑話休題 女王陛下の憂鬱(中編)
(1)
メアリを無事にアパートに送り届け、待たせていたタクシーの後部座席に乗り込むと、どちらからともなく溜め息が漏れた。
辛うじて運転手に行き先だけを告げた後、車内には重たい沈黙が降りる。
会話を避けるかのように車窓から流れる夜の街を眺めるフレッドに倣い、エドもまた暗闇に浮かぶネオンの光を眺めていた。
『メアリね……、ずっと付き合っていた年上の彼氏と、最近になって別れたのよ……』
これまでにもメアリは何人かの男性と交際しており、別れた直後でも「もう終わったことだし、次の出会いに期待よね」と、笑って語る余裕すら見せていたのに。
今回に限っては一言も話題に出さなければ、慣れないアルコールで酔い潰れてしまう失態まで犯している。
エドの知る限りだが、歴代の恋人の中でも一番長く交際していた相手でもしかしたら結婚も視野に入れていたかもしれないし、数か月前に『いずれはカフェを営業したいと思って資金も貯めてたけど、ひょっとしたら別の理由で使うことになるかも』と話していたことから、実際に具体的な結婚話も出ていたかもしれない。
面識はないけれどメアリやアンナの話から想像するに、そのメアリの恋人(今は元恋人になってしまったが)は彼女の理想通り、『彼女より身長が高くて、心身共に強く自立した大人の男性』のようだったから、その分別れの痛手が大きかったのかもしれない。
「美人は幸が薄いってやつかね」
「あ??何か言ったか??」
「んー??独り言」
「随分でかい独り言だな」
フレッドが車窓に向けていた視線を身体と共に正面に戻せば、エドも同じように車窓から視線を離して正面を向く。
しかし、ここから先の会話が続かない。
互いに沈黙に耐えられない間柄ではないが――、考えた末、以前もフレッドに持ち掛けた話を振ってみることにした。
「なぁ、フレッド。話は全然変わるんだけどさ……、また俺とバンドやらないか??」
「断る」
「即答だな、おい」
「もうかれこれ三年以上、たまにアコースティックギターを家で爪弾くくらいでまとも弾いていないし、エレキギターはあの時に売っちまったから練習しようもないし。というか、前も聞いてきたよな??何回も言うけど、他を当たってくれ」
「俺はお前とだからやりたいんだよ」
「…………」
フレッドは仕事以外では自室に籠って読書に没頭するか、好きなバンドのライブを観に行くか、たまに三人で飲みに行くかして過ごしている。
だが、エドは知っていた。
フレッドがライブハウスや一人で出向いたバーなどで、彼に声を掛けてくる女と手当たり次第に関係を持つ悪癖があることを。
フレッドと再びバンドを一緒にやりたい気持ちが一番強いが、音楽を再開することで彼を無為な生活から抜け出させることができれば、とも考えている。
フレッドも近頃は少しだけ迷いを見せ始めているので、あと、もう一押し――、だと思う。
「……そう言えば」
ふと、フレッドが思い出したようにエドに尋ねた。
「他のメンバーはもう決まっているのか??」
「ベースは決まってる。お前もよーく知る奴さ」
「誰だ??」
「リュシアン・コルネリウスだよ」
「そうか、ルーなのか」
「やる気になってくれたか??」
「…………」
フレッドは返事をせずに考え込んだ後、「少し考える時間をくれないか」とだけ答えて再び口を閉ざしてしまった。
(2)
その夜から数日後、『ギターを買って三年間弾いてなかった分の個人練習がしたいから、あと半年待ってくれ。それでも良ければ一緒にバンドをやろう』という返事がフレッドから返ってきた。
エドとリュシアンは彼が出した条件を快諾し、彼を半年待った後に三人で「ブラックシープ」というバンドを結成した。
「黒羊」は隠語で「放蕩息子」と言う意味もあり、「二十五にもなってフラフラしている俺達にピッタリだと思う」とフレッドが名付けたのだ。
「いや、フラフラしてんのはお前だけだ」
「あ??お前だって……」
「悲しいことに俺はここのところずっとフリーだし」
「いや、お前がはっきりしないからじゃ」
「何のことだよ、つーか、お前が遊び過ぎなんだよ」
幼なじみの二人のやり取りをリュシアンは苦笑を浮かべながら黙って見ている。
ブラックシープメンバーの日常的な光景になりつつあった。
「ルーも大変ねぇ。あの二人と一緒だと、色々と気苦労多いんじゃない??」
カウンター席に集まった三人が頼んだグラスをそれぞれに受け渡しながら、メアリが気の毒そうにリュシアンに話しかけてきた。
バンド練習後のミーティングは、メアリと三人の大学時代の友人ゲイリーが共同経営するカフェ兼ライブバー、バブーシュカでいつも行っている。
フレッドがバンド活動再開した一方、メアリもまた自分の店を持つという長年の夢に着手し始めた。
奇しくも、ライブバー経営の夢を持つゲイリーとエドから紹介され、共同経営という形であるものの、夢を叶えたメアリは以前にも増して仕事に打ち込んでいる。
勿論、新しい恋人がいる気配も全く感じられない。
今は恋愛云々よりも仕事が楽しくて楽しくて仕方ないようだった。
仕事が楽しくて仕方ない、と言えばアンナもそうだ。
部署は違えど偶然にもエドの父が経営するアパレル会社、つまり、エドが働いている会社のデザイナーとして日々仕事に奮闘している。
社内で恋人に近い相手はいるにはいるようだが、時々、エドと二人でスイーツ巡りや飲みに出かけるくらいだから正式に交際している訳でもないらしい。
『私さー、結婚とか全然興味ないんだよねぇ。うちの両親がすごく仲悪い癖になぜか絶対別れなくて、家庭内別居状態なのを見て育ってきたからかもしれないけど。だから、万が一、どうしても一緒にいたい、って思える相手ができたとしても、わざわざ籍入れなくたって事実婚で充分だと思う』
いつだったか、パブでビール瓶片手に酔っ払ったアンナが、仕事の愚痴ついでに語っていた話が脳裏を過る。
エドもエドで、親族を巻き込んでの大騒動に発展した両親の結婚、それによって命を縮めた母を目の当たりにしてきたせいか、結婚に対して懐疑的でアンナの考えは概ね理解できた。
今の時代、結婚や恋愛以外にも自分なりの幸せな道など無数に広がっているし、人の幸福など人の数だけ違ってくる訳で。
ただ、あの夜のメアリを思い出す度に良い出会いがあればいいのにと願うのは、余計なお世話でしかないのだろうか。
メアリは少々口煩いきらいはあれど気立てが良く、誰に対しても平等な態度で接するし気もよく利く。
美人だし、客観的に見ても良い女の部類な筈なのに、一体何がいけないのか。
「エド、スマートフォンが鳴ってる」
「え、あ、おぉ……」
話し合いから雑談に切り替わったせいか、適当に相槌打ちつつボーッとしていたエドは、フレッドの声と机上で震えるスマートフォンの音で現実に引き戻された。
二人に断りを入れてから画面をタップし、LINEを開けばアンナからメッセージが入っていた。
「悪いけど、ちょっと野暮用できたから先帰る。重要な話し合いは終わったからいいだろ??」
「うん、僕は構わないけど」
「俺も。好きにしろよ」
「んじゃ、遠慮なく帰らせてもらうわ」
おつかれー、と笑顔で手を振るリュシアンに軽く手を振り返し、早く行けよと追い払う仕草をするフレッドは無視して、エドはバブーシュカから退店した。
エドが帰った後のバブーシュカの面々
ゲイリー「女だな」(にやり)
フレッド「女だろ」(ためいき)
メアリ「相手も大体想像つくわね」(にやり)
リュシアン「君らね……、そっとしといてあげようよ」




