閑話休題 女王陛下の憂鬱(前編)
メアリとリュシアン、エドとアンナがそれぞれパートナーに落ち着くまでの話。
時系列は本編の五、六年前に遡ります。
「おいメアリ、起きろ。帰るぞ」
「メーアーリ、置いてくぞー??」
三本のビール瓶、つまみ用のプレッツェルが僅かに残った大きめの木製ボウルが置かれた丸テーブルに突っ伏すメアリを、エドとフレッドが交互に呼びかける。
彼女の傍にあるビール瓶の中身はまだ三分の一も減っていない。
「まさか、ここまで酒に弱いなんて。フレッド、お前知ってたか??」
「いや……。確かに、今までも『私はお酒が弱いから絶対に飲まないけど、それでも良いなら』って俺達に付き合っていたが……、こういうことだったんだな……」
エドとフレッド二人掛かりで何度も呼びかけては肩を叩き揺すってみせるが、メアリは起きるどころか目を開きすらしない
「……完全に酔い潰れて寝落ちしてやがるぞ、こいつ」
まだメアリを起こそうと肩を揺すり続けるフレッドを尻目に、エドは彼女を起こすことを早々に諦めて肩を竦めてみせた。
社会に出て働き始めても三人の仲は変わることなく、定期的に集まってはパブに繰り出し、近況報告からくだらない馬鹿話に至るまでしばしば語り合っていた
男二人は酒に強かったが、メアリだけはいつも頑なに飲もうとせず一人だけジュースを飲んでいたのだけれど。
今日に限っては珍しく「一杯だけ飲む」と言い、比較的アルコール度数低めのビールを注文したのだが――
その結果、酔っ払ってひたすらボヤーーッと惚け出し、二人が話に夢中になっている間にすっかり寝落ちしてしまったのだ。
「いくら幼なじみったって、俺達は一応男だぞ??別に何かする気はサラサラないが、無防備にも程があるだろうよ。フレッド、俺がメアリを担いでいくから背中に乗せてくれ」
「ん、分かった」
フレッドは、胸には絶対触れないよう注意を払ってメアリの脇に腕を通し、後ろ抱きで椅子から担ぎ上げると、中腰に屈んだエドの背に預けた。
「こいつ、でかくてよく食う割に案外軽いのな」
「エド、それ、メアリが起きている時には絶対言うなよ」
「分かってるって。早死にしたくないし……、とか言って、タイミング良く目覚ましてないよな」
「恐ろしいこと言わないでくれ……」
恐る恐る背中を振り返れば、頭を叩かれる代わりに規則正しい寝息が返ってきてホッとする。
しかし、周囲の客から不審に満ちた視線が痛い程突き刺してきた。
傍から見れば、か弱い女性を泥酔させた上でお持ち帰りするように見えるのだろう。
視線の意味を素早く汲み取ったフレッドは『ふざけんな』と言いたげに仏頂面を下げていた。
「つーか、いちいち気にするなよ」
「お前はいいよな、呑気で。あれ見てみろよ」
「あれって??」
フレッドが横目で指し示したカウンターにちらりと視線を送る。
レジ台の前に立つ女性従業員達がひそひそと耳打ちし合っては二人の動向を盗み見ているではないか。
「うーわー、めんどくせー」
「エドが犯罪者面しているせいで疑いの目を持たれてるぞ」
「お前な、さりげなく貶した上で俺のせいにするんじゃねぇよ」
「しょうがないな、ちょっと俺と一緒にカウンターに来い」
店中の視線を一身に浴びながら、メアリを背負ってフレッドと共にカウンターへと進む。
その間に、女性従業員の内一人はカウンター席に座る客に話し掛けられたため、レジの前から離れていった。
「あの、すみません」
「はい??」
レジの前に一人残った従業員は、フレッドの呼びかけに目を合わせることなく無愛想に返事をした。
「この辺りでタクシーを拾える通りってどこですかね??連れが泥酔してしまって、送っていくにも地下鉄は使えないので」
「はぁ??歩いて帰れば……」
従業員は適当にあしらいかけたものの、少し困ったように愛想笑いするフレッドを視界の端に入れた途端、身体の向きを変えて媚びた笑顔を浮かべた。
「あ、タクシー!タクシーが通る道ならねぇ……」
ついさっきまでの無愛想さは何だったんだ、と呆れたくなる程の態度の急変ぶりに苦笑いが込み上げてくる。
キャッキャッと浮かれた様子で、従業員はフレッドの質問に丁寧に答えていく。
「でもぉ、より確実なのはタクシー会社に直接電話して呼び出すことよねー、何だったら電話してあげる!」
「あぁ、本当ですか!それは非常に助かります、ありがとう」
ここぞとばかりに一発爽やかに笑いかけるフレッドに対しても、こいつもよくやるよ……、と、呆れを通し越して感心すらしてしまう。
とはいえ、彼のお蔭であらぬ疑いが払拭できそうなだけでなく、わざわざ通りに立って乗車拒否も想定しながらタクシーを捕まえる必要はなくなった。
電話を掛けるために従業員がカウンターの奥へ入っていくやいなや、元の醒めた顔つきに戻ったフレッドをまじまじと見返す。
「顔が良いのは得だよな」
「使えるものを有効活用したまでだ。……言っておくが、この顔自体は嫌いなんだが」
「おう、分かってるよ。てか、外に出てタクシー待とうぜ」
フレッドの表情に陰りが差したのに気付かない振りをして、玄関の木製扉を片手で押して店外に出て行く。
相変わらず、メアリはエドの背中で眠り続けている。
外に一歩足を踏み出した瞬間、夜の冷たく乾いた外気が肌を刺し、ぶるりと身を震わせた。
隣に立つフレッドも首に巻いたストールを口元まで引き上げている。
「とりあえず、アンナさんに電話入れておくわ」
メアリが背中からずり落ちないよう上手くバランス取りながら、パンツの前ポケットからスマートフォンを取り出し、片手で操作する。
「ん??何だよ??メアリのルームメイトだし、連絡入れるの当然だろ??」
「何でエドがアンナさんの番号知ってるんだよ」
「え??だって、俺とスイーツ友達だし??たまに俺のスイーツ巡りにも付き合ってくれるし」
「エド、それって」
「お、繋がった、ハロー??」
フレッドの言いたいことは何となく予測できるため無視したところで、『ハロー??』と、アンナのおっとりとした声が聞こえてきた。
「ひょっとして寝てた??」
『ううん、起きてたけど。どうしたのよ??今夜はメアリとフレッド君と、恒例の飲み会じゃなかったっけ??』
「んー、それがさー……」
気まずい思いで電話をかけた理由を話していく内に、電話の向こう側の空気がピリピリと尖っていくのがひしひしと感じられた。
あー、これはヤバいぞ、と覚悟を決めたタイミングで、『なに、それじゃ、君達はメアリが酔い潰れるまで飲ませた訳なの?!信じらんない!!何考えているの!!』と怒りの叫びがドドドッと押し寄せてくる。
キーンという耳鳴りが鼓膜を突き抜け、思わずスマートフォンを耳元から離した。
フレッドにも聞こえたらしく、初めて知るアンナの意外な一面に驚いて固まっていた。
それもその筈、一見するとアンナは物腰柔らかで優しげな美人のようで、その実言いたいことをはっきり口にする、メアリとよく似たタイプの女性なのだ。
「ち、違うって!誤解しないでくれよ!!」
類は友を呼ぶ、のか……、と、呆然と呟くフレッドを、シッ!と黙らせ、慌ててエドはアンナに弁解し始めた。
更には、フレッドにも電話を代わってもらい、エドの弁解を補足する形で事情を説明してようやく、『そういうことなら仕方ないわね』と怒りを収めて納得してくれたのだった。
「メアリはちゃんと、二人で丁重に送り届けるから」
『当然でしょ。でも、いつもは飲まないのにどうして今日に限って飲んだのかしらね』
「さぁ、そればっかりは俺もフレッドもさっぱりで」
『……もしかしたらさぁ』
「え、なに」
ここでアンナは不自然に数秒間沈黙した。
『んーん、何でもない……』
「えー、言いかけたなら最後まで言ってくれよ、気になるじゃん」
「エド、タクシー来たぞ」
二人が待つ歩道のすぐ脇に一台の旧式ブラックキャブが停車したので、「タクシー到着したから切るわ、また後で」と、通話を切りかけた時、遠慮がちにアンナが告げた言葉に耳を疑った。




