アバウト・ア・ガール(13)
(1)
広場に近づくにつれ、石畳の歩道沿いに並ぶ建物はコンクリートのビルから伝統的な赤や黄色の煉瓦造りのものへと変化していく。
どこか懐かしさと情緒を感じさせるこの区画では老舗のカフェやアンティークショップ等が軒を連ねており、その中の一軒には『安くて早くて旨い』と評判のベーグルショップがあった。
年季の入った手押しの扉を開けて入店すると、ガラス製のカウンター兼商品ケースの上にも中にも様々な種類のベーグルサンドやパン、ケーキが並んでいる。
カウンターに立つ女性店員が早口の下町訛で注文を伺ってきたので、「スモークサーモンとクリームチーズのベーグルサンドを二つ。テイクアウェーで」と言うが早いか、即座にガラスケースから注文の品を紙袋に突っ込んで合計金額を告げてきた。
店員の動きにつられて会計を手早く済ませると早々に退店、数軒先のコンビニエンスストアでミネラルウォーターのペットボトルを二本購入し、再び二人は広場に向かって歩き出す。
更に五分程歩くと、見上げる程の高さを誇るアーチ形の石門が見えてくる。
「どうした??」
石門の手前まで来たところでエイミーがふと足を止め、ある一点を注視していた。
立ち止まってエイミーの視線の先を辿ってみれば、ショッキングピンクの塗装にポップな字体で『ICE CREAM、COLD DRINK』と描かれた移動販売車が石門の左端に止まっていた。
「もしかして、アイスが食べたいとか」
「え、うん……。買ってくるからちょっと待っててくれない??……って、わっ!待って待って!!」
手を繋いでいるのをいいことに、エイミーを半ば引きずる形でアイスクリーム販売車の真ん前へと連れて行く。
「映画のチケット代とか払ってもらってるし、これはさすがに自分で払う……」
「いらっしゃい!どれにしますぅ??」
にこやかに頬笑む女性販売員が差し出してきたメニュー表を受け取り、「ん」とエイミーに手渡す。
エイミーはメニュー表に記されたアイスの種類をざっと確認すると、隣に立つフレッドに横目で『本当に、いいの。?』と言いたげな視線をちらと送った。
『何でもいいから、決まり次第さっさと注文しろよ』と一瞥すれば、色違いの目がもの言いたげに見つめてきたが、やがて観念(?)したのか、「じゃあ、ミントチョコで……」となぜか声を落として注文を告げる。
アイスクリームコーンを右手にエイミーはおずおずと礼を述べ、左手は変わらずフレッドの右手と繋いだままで石門を潜り、広場へ続いていく大階段をゆっくり下りていく。
暑さですぐ溶けてしまうからと、コーンの上に鎮座したミントグリーンのアイスをちろちろと舐めるエイミーの小さく赤い舌先や少し濡れた唇がやけに色っぽく見える。
普段は幼い印象が強いのに、と、思わぬ表情に内心戸惑いつつ、広場の中心に位置する噴水まで歩いていく。
五分程して辿り着いた噴水の周囲にはライオンや人魚、水瓶を模したブロンズ像が設置され、何人かの子供達が中に入って水遊びを楽しんでいる。
賑やかな声が曇り空に響く中、二人は噴水の縁に腰を下ろし、買ってきたベーグルを食べたり(エイミーはアイスを食べた後なのにベーグルもペロッと平らげたため、フレッドをひどく呆れさせた)、とりとめのないお喋りに興じていた。
「あの噴水は何時までなのかな」
「夜間は電飾が灯されるから、ひょっとしたら二十四時間ずっと、かもしれない」
「イルミネーションかぁ、一度見てみたいな」
「夜は行かない方がいいと思う。この辺は夜になると一気に治安が悪くなるし」
「そっかぁ。残念だけど仕方ないよね。最近は、爆破テロとか移民問題に関するデモとか物騒な事件も増えてきてるもんね……」
ブノワにストーキングされたあげく、部屋に侵入されかけたのも充分物騒ではないだろうか。
以前から疑問、というより、ひそかに気になっていることを尋ねてみる。
「地元に帰りたいとか思うことはないのか」
フレッドの何気ない質問にエイミーの笑顔がスッと消え失せた。
ひどく醒めきった眼差しでサンダルからはみ出た爪先を、オレンジ色のペティギュアを見つめながら静かに、はっきりと答える。
「それは一切思わないかな」
「…………」
吐き捨てるような口調に、一瞬背中に寒いものが通り抜けていく感覚を覚える。
「この街には私にとって大事な場所や大事な人達が、そんなに沢山ではないけど確かに存在するけど、地元に私の居場所なんて一つもないし会いたい人も別にいないから……って、ごめん、こんな話つまらないからやめ……」
「つまらなくなんてないし、むしろ続けて欲しい」
途中でふと我に返り、無理矢理唇の端を引き上げて話を中断したエイミーを遮ってフレッドは話の続きを促す。
予想外の反応だったらしく、顔を上げたエイミーはフレッドの顔を穴が空きそうな勢いで凝視した。
「話したくないなら無理にとは言わないが……、聞かせてくれないか」
(2)
はしゃぐ子供達の大声にかき消されかけながら、エイミーは地元からこの街に移り住むに至った経緯を訥々と語り始めた。
地元の総合病院に勤務する内科医の家に生まれたこと。
上位中流家庭への羨望の思いから(エイミーの家は中位中流)、服装から家具調度品、庭作り等身の回り全てを上位中流風に揃えるだけに飽きたらず、上位中流の人々と率先して交流する母親の意に添うよう、双子の妹共々養育されてきたこと。
服装から言葉遣い、マナー、習い事だけに留まらず、あえて上位中流の子達が集う学校へ通わされたこと。
「前もちょっと話したけど……、妹は勉強もスポーツもできるし美人で順応性も高いから、本来なら私達には場違いな学校の中でも上手くやれてた。でも、私は妹みたいにはなれなかった……」
母は妹を溺愛する一方で、エイミーについては何かと妹と比較しては叱るか嘆くかするばかりだった。
エイミーの赤毛を『みっともない』、色違いの目も『犬や猫みたいで気持ち悪い』と詰り、『貴女はアナイスと違って見た目が悪いのだから、せめて勉強とか他のことでカバーしなきゃいけないのに、どうして何もかもがアナイスより劣るのよ!』と――
親に否定され続け、自分に自信が持てない子供が場違いな場所で上手く馴染める筈もなく――、中学校に上がる頃には登校拒否に陥ってしまったのだ。
「辛うじて中学卒業して、職業訓練校にも何とか通ってタイピングの資格を取得したけど……、中位中流なら大学進学は当たり前なのにそれすらできなかったから、失望した両親にはほぼ無視されているような状態で。妹だけは普通に接してくれたけど……、自分も周りも何もかもが嫌で嫌で仕方なかったし、もう自分の好きなように生きてみようと思って地元からこの街に出てきたのよ。もちろん、辛いこともうまくいかないことも沢山あったけど、地元にいた頃の鬱屈しきった生活よりも今の方が比べ物にならないくらいにマシ……、え、なに?!」
突然、フレッドに頭をポンと撫でられ、エイミーの目が驚きでまん丸に見開かれる。
フレッドは何度もエイミーの頭を撫で、慈しむように薄灰の双眸を細めてみせた。
「だから、あんたの笑顔はきれいなんだな」
「…………」
「笑顔の裏で、折れず腐らず、ここまで必死に積み重ねてきたものがあるから」
「…………」
エイミーの唇がかすかにわななき始めた。
潤んだ瞳、紅潮する頬――、くしゃりと歪めた顔は今にも泣き出しそうだ。
奇しくも上空を覆う雲の色が一気に暗くなり始め、空模様まで今にも泣き出しそうになっているのを二人は気付いていなかった。
エイミーが泣き出すのが先か、空が泣き出すのが先か――、すると、フレッドの鼻先や唇にポツ、ポツと冷たい滴が落ちてきた。
エイミーの顔にも滴が落ちてきて、空の様子を窺うべく仰ぎ見ている。
本降りになる前に、噴水よりも更に奥まった場所にある、神殿に似た外観の美術館へ避難しよう、と、エイミーの手を再び取って縁から立ち上がった時だった。
ザアァァァ――――
満杯のバケツをひっくり返したように、雨は勢いと激しさを急激に増して二人の上に降り注いだ。




