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She's So ×××(改稿版)  作者: 青月クロエ
シーズ・ソー・クール
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シーズ・ソー・クール(4)

(1)

 

 閉めきったカーテンの隙間から朝の光が差し込み、さして広くないワンルームを包む薄闇が徐々に薄れ始める。

 ベッドで柔軟ストレッチを一〇分程行った後、浴室へ。

 スリッパを引きずるように歩くフローリングの床の上には、シングルベッドの他にはベッドとセットで揃えた同じ素材の机、椅子、ドレッサー、あとはそれらよりも値段が張っただろう紫檀製の本棚が置かれているのみ。

 再生中だった机上のCDデッキの停止ボタンを押し、浴室の扉を開けて中へ消えていく。


 静まり返った室内にシャワーの水音だけが響く。

 水音が止み、一、二分後、今度はドライヤーの音が響く。

 だから、その二つの音に紛れて三つ目の音がひっきりなしに鳴っていたことを、浴室から出てくるまでジルは気付けずにいた。


 三つ目の音の正体――、CDデッキと共に机上に並ぶ電話の呼び出し音に、ジルはあからさまに嫌そうに顔を顰めてみせる。

 ナンバーディスプレイは出ずとも、この時間に電話をかけてくる相手に大方の予想がついている。


 またつまらない用でかけてきているんだ。

 無視しておけばいいじゃないか。

 どうせ呼び出し音は留守番電話に切り替わる前に切れてしまう。


 しかめっ面のままで呼び出し音と電話に背を向けて着替え始める。

 案の定、留守番電話の音声が流れだすなり電話は切れた。

 ホッとしながら着替えを済ませ、今日の仕事に出掛けるべくスリッパからスニーカーへと履きかえ、玄関へ出ようと――、して、再び電話が鳴り出す。

 また無視すれば良かったものを、手は条件反射的に受話器を握ってしまっていた。


「……もしもし、朝から何なのよ」

『あ、あのね、ジル……』

「私、今から仕事に行かなきゃいけないからお父さんの愚痴ならまた今度にして」

『ち、違うわよ……』

 違うと言いつつ、母は二の句をなかなか告げられないでいる。

「ごめん、用がないなら、もう」

『あ、あんたの、小さい頃の写真が出てきたから、うちに取りに来て欲しくて……!』

「悪いけどさ、最近忙しいから当分家には行けない」

『と、当分っていつまで……』

「わかんない、じゃ、切るね」


 受話器越しに母が何か言い続けるのを聞こえない振りで受話器を戻す。


 写真なんか、家に来させたいだけの口実じゃないか。

 誰がその手に乗るもんか。


 六年前にクラブでスカウトされた後、『後々のトラブル回避のため』と、家出したジルに代わってディータが間に入り両親を説得してくれたお蔭で、この仕事と独り暮らしを始めた。

 以来、時々、母は一方的にジルに連絡してくる。

 だが、それは娘に会いたい訳ではない。

 父と二人だけの生活に心底倦み、愚痴の相手をして欲しいだけ。

 気晴らしで外出するなり仕事でも始めるなりして、人を巻き込まずに自力で気分転換して欲しいものだ。

 昔ならいざ知らず、今の父ならおそらく文句すら言わないだろうに。

 年を経たせいか、父の性格も丸くなり近頃は暴力も異常な倹約ぶりもすっかりなりを潜めている。

 ただし、仕事も以前よりセーブし始めたので家にいることも増えてきているようだ。

 とっくに関係が破綻した夫婦が家で二人きりなんて、居心地悪い事この上ないのはよく分かる。 

 それなのに母は、『私は頭悪いし鈍くさいし学歴もないから、外で仕事するなんて絶対無理、周りに迷惑掛けそうで怖い』『今更新しい趣味なんて始めたところで何の役に立つって言うの』と、できない理由だけをあげては何もしようとしない。


 結局、母も母で「夫に虐げられ、娘に見捨てられた可哀相な自分」への自己憐憫に酔いしれたいのだ。

 夫に依存し娘を傷つけていることに気付けない、被害者面した加害者なのに。


 母も父同様、自分のことだけしか頭にない。


「……まあ、自分しか頭にないのは私も同じか……」


 思わず唇から自嘲が零れ、大きく息を吐き出す。

 それ以上は何も考えまい、と軽く頭を振ると、玄関の扉を開け放した。









(2)


 出がけにつまづいたせいか、今日はついていない日かもしれない。


 整備された歩道の上から街路樹の葉がはらはら舞っては落ちていく。

 緑豊かに生い茂る環境は人の心も豊かにさせるという。

 この辺りの木々は自生しているものではなく、全て人の手で植樹された人工的な自然ではあるが。

 枝葉が風に揺れ、木々から光が零れ、目に優しい緑が現代的な建物群を囲む様は疲れた心を癒して――、などはくれない。


 今日の仕事自体は昼過ぎに終わった。

 あとは自由に過ごせるというのに、ジルはすでに疲れ果てていた。

 長時間同じ姿勢(ポーズ)を取り続けるのも、人前で裸になるのも慣れ切っている。

 アートスクールの大勢が集まる講義室の檀上であったとしても。


 肉体的な疲れもない訳ではない。

 今回に限っては精神的な疲れが大きかった。


 ディータを始めプロの画家相手では決して発生しない。

 少なくとも、これまでジルがモデルを務めた画家に限っては。

 他のアートスクールでも余り発生はしなかった。

 大勢の中で数人程度ならいたかもしれないが、気になる程ではなかったが、まさかデッサンに集まった生徒の大半が講義中にそういう目で見てくるなんて。

 講師も覇気がなさそうだったし、きっとあの学校自体ろくでもないところなのかもしれない。

 次に依頼がきたとしたら――、どうしようか。


 無駄に目立った凹凸のない歩道を歩くのは左程苦にならないのに、ジルの足取りは重たい。

 件のアートスクールの他に小学校、中学校が集まる区域なので最寄りの地下鉄、バス停までもそう遠くない筈なのに。

 靄がかかったように茫洋とする意識の中に子供達のはしゃぎ声が流れてくる。

 義務的に動かしていた足を止め、声の方向を無意識的に振り返った。


 ジルの立つ歩道から車道を挟んだ向かい側――、黒い鉄柵に囲われた場所から声は聴こえてくる。

 柵の奥には赤煉瓦造りの平屋建て校舎、校舎玄関前、一階の各教室の軒下には幾つものプランタが置かれ、花々が古い建屋に色を添えていた。

 校庭には様々な遊具で生徒達が遊んでいて、小さいけれどサッカーコートも設置され、男の子達がそれぞれチームを作りボールを奪い合っている。


 ジルが通っていた場所とは違うけれど、ふと懐かしさが込み上げた。

 さっきまでの疲れよりも懐かしさが勝ち、走行する車がないことを確かめて車道を渡る。

 正門前には警備員が立っているので、彼らから離れた場所で鉄柵の間から校庭の様子をじっと眺めた。

 思えば、自分は友達と遊んだ記憶がなく、教室の片隅で本ばかり読む子供だった。

 学校の図書館は大した本が置いてなかったから、放課後は蔵書が充実した街の図書館に入り浸って。

 人とつるむよりも一人の方が楽しかったし、後悔はないけれど。

 あんな風に誰かと笑い合って、はしゃぎあってもみたかった、気もしないではない。


(……やっぱり、今日は疲れているかもね)


 警備員がちらちらと不審げな視線をジルに送り始めている。

 不審者と怪しまれ、声を掛けられたくはないのでそろそろ行こう。

 校庭から視線を外し、背を向けようとした、その時だった。


「もういちど言ってみなさいよ!ただじゃおかないわ!!」


 空気を裂くような、鋭さを帯びた甲高い叫び声。

 何事かと鉄柵を振り返り、叫び声の方向を探る。

 声の主は、ジルから見て校庭の中央左側――、サッカーコートの裏側ら辺に立っていた。


 自慢じゃないが、ジルの視力はかなり良い。

 だから、声の主――、その年頃の割にすらっとした体格の長い髪をした少女と、彼女が背に庇う小柄な少年、少女の怒声に怯みながらも一定の距離を開けて睨み合う大柄な少年達の姿がはっきり見て取れた。

 特に、少女と少年は遠目から見ても肌の白さとブルネットの髪の艶やかさが目立っていて一瞬姉弟かと思う程に整った雰囲気が似通っている。

 少女と少年の容姿と比べるせいか、品性の貧しさが出ているのか、対峙する少年達は色んな意味で見劣りしていた。


「な、何度でも言ってやるよ!なぁ、アルフレッド!」


 揶揄い口調で『アルフレッド』と呼ばれた瞬間、少年は無表情から一転、徐に眉間と鼻先に皺を寄せ、唇の両端を下げた。


「ママに捨てられたくせに生意気なんだよ!そのママだって男好きのヤリ……、ぎゃっ!!」

 少年達の中でも一番体格の良い少年が下品なFワードを言い切るより早く、少女の拳がニキビ面に深くめり込んでいた。

「うわぁ!ブラッディ・メアリがキレたぁ!!」

「先生―!!」

 殴られた少年が鼻血を出して倒れると、他の少年達は三々五々、散り散りにその場から逃げ出していく。

「メアリ、それ以上はやめろって」

「だって……!フレッドだけじゃなくて」

「また反省文書かされるぞ??」


 尚も倒れた少年を足蹴にしようとするメアリを、少年はため息混じりに止め立て、言葉を遮った。

 メアリは地面に横たわる少年を忌々しそうに見下ろし、フレッドを睨む。

 メアリの視線を意に介すことなく、フレッドは少年の頭の近くにしゃがむと、静かに告げた。


「違うよ。彼女はとても純粋で自分に嘘がつけない、可愛い人なだけだ」








(3)



 教師や他の生徒がサッカーコートの裏へ集まり始めたのを背に、ジルは足早に車道を渡ろうとして、クラクションを鳴らされ足を止める。

 校庭での騒動に気を取られ過ぎていて、安全確認が甘かったらしい。

 車が目の前を走り去った後、改めて左右をよく確認して元いた歩道へと戻る。


 余りに両親に似ていないせいで、逆に記憶に残っていたチェスターの長男の、遠目からでも分かるくらいに昏く醒めた眼差し。

 幼い頃の自分もあんな目をしていただろうか――、否、彼は自分よりももっと深淵を見ているような、気がする。


(それが、一体、何だって言うのよ。私には関係ない)


 今日は本当についてない日だ。

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