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She's So ×××(改稿版)  作者: 青月クロエ
アバウト・ア・ガール
41/93

アバウト・ア・ガール(4)

(1)


「んじゃ、また改めてー、しくよろーっす」

「……」


 二杯目のグラスをゲイリーから受け取った横から、ブノワは中身が三分の一程減ったビールジョッキを押し当て、勝手に乾杯してきた。

 ガラスとガラスがぶつかり合う、冷たく硬質な音がやけに大きく響き、フレッドの機嫌を益々傾けさせる。

 フレッドの不機嫌さを知ってか知らずか、もしくは知った上でわざとやっているのか。

 残り三分の二をぐいぐい飲み干すと、ブノワはダンッ!と勢い良くジョッキの底を叩きつけるようにカウンターに置いて席を立った。


「ゲイリーさーん、また来ますー」

「あれ、もう帰るのかよ?!」

「えぇ、まぁ、今日はちょっと顔出したかっただけなんでー」

「帰る前に一曲弾いてかないか??」

「へへ、今日はちょっと、やめときますわぁ。僕の超絶スーパーギターテクは今度来た時に披露しますからぁ」


 名残惜しげなゲイリーに飲み代とチップを、「あと、赤毛のエイミーさんの♪」と彼女の分のチップを置いて、「また来まっす」と言って、ブノワは雨の中へと消えていった。

 ブノワがいなくなったのを見計らうかのように、エイミーが厨房からそろそろと顔を出し、カウンターに戻ってくる


「エイミー、これ、さっきの客から」

「私に……??何にもしてないから受け取れないわ。ゲイリーさんどうぞ」 


 チップをゲイリーが手渡そうとするのをエイミーはやんわりと断り、差し出された紙幣を彼の腕ごとそっと押し返す。

 ゲイリーは怪訝な顔をしたものの、特に何も言わずに紙幣をズボンのポケットに押し込む。

 二人の応酬を眺めていたフレッドの中で、エイミーへのある疑惑が浮上する。

 けれど、それは彼女と二人きりにでもならない限りは口に出すのが憚られる内容だったし、いざ聞くにしても慎重に言葉を選ばなければならない。

 ゲイリーがほんの少しでもこの場から離れる機会を窺ってみるが、そういう時に限ってチャンスは全く巡ってこない。


 時間ばかりが刻一刻と過ぎ、雨は未だ降り続けている。


「あーあ、この分だと今夜はもう客は来ないかもしれないなぁ」


 壁時計の秒針はもうすぐ一〇時一五分を指そうとしていた。

 ブノワが来て以降、新しい客は誰も来ない。

 いくら週初めの雨降りの夜とはいえ、バブーシュカにこれだけ客が来ない日も珍しかった。


「エイミー、今日はもう上がっていいぞ。この分なら俺一人で片付けしてもすぐに終わるから」

「え、でも」

「タイムカードは俺が押しておくし、メアリにも明日俺の方から説明しておくから」

「いいんですか??」

「まぁ、何とかなるだろ」

 エイミーはうーん、と小さく唸ってしばらく考え込んでいたが、やがて「ん、わかったわ……」と首肯した。

「俺もそろそろ帰るか」


 飲みかけだった四杯目のグラスを一気に煽り、空いたグラスと共にエイミーへのチップを置いて席を立ち、支払いを済ませる。

 エイミーから話を聞き出すのはまた今度、別に今日じゃなくてもいいだろう。

 店の外に出て雨量を確かめれば、細かい霧雨が髪に、鼻先にポツポツ、ポツポツと落ちてくる。

 帰る前に一服、と、店の軒下でジャケットの内ポケットから煙草の箱を取り出し、一本咥える。

 煙草と共に箱から出したライターで点火――、しようとするが、何度試しても上手く点火してくれない。

 イライラと煙草を軽く噛んでは何度も点火を試みていると、突然、ボッと炎が上がった。

 炎は煙草には着火せず、ほんの一部分だけだが前髪を焦がした。

 雨降り独特の埃っぽい臭いに加えて、焦げ臭くて嫌な臭いがフレッドの周辺を漂う。

 焦げて白く縮んだ毛先を指で撮み、咥えていた煙草に再び火を点けることなく灰皿スタンドに放り込んだ時だった。


 バブーシュカの裏口に当たる場所――、雑居ビル一階の非常扉付近で、エイミーのかすかな悲鳴が耳に飛び込んできたのだ。







(2)


 考えるよりも先に身体が動き出す。

 急いで店を回り込んだフレッドの目に信じ難い光景が――


 エイミーの傘は開いたまま歩道に転がっていた。

 黒い傘を差した男が、非常扉の前でエイミーの腕をがっちりと掴んでは自らの方に引き寄せようとしている。

 エイミーも引っ張られまいと腰を低く落として踏ん張り、尚且つ必死に腕を振り払おうとするが、男の力相手ではびくともしない。


「嫌っ!離して!!」

「ダーメダメ!オッケーって言ってくれるまでー、離さなーい」


 男の声を聞いた途端、カッと頭に血が、それも全身の血が物凄い勢いで上っていく。


「私はもう、好きでも何でもないんだから……、付きまとわないで!!」

「お前さぁ、オレにそんな口利いていいわけぇ??アレ、バラしちゃうぜ……って、うわ、いてててて!!!!」

「エイミーから手を離せ、今すぐにだ!」


 男――、ブノワの背後から、傘を差している方の腕を思いきり捻り上げる。

 投げ出された黒い傘が歩道に転がり落ちていく。

 フレッドに一喝されても尚、ブノワはふへへへ……と、にやけていたが、栗色の双眸には彼への畏れが強く滲みでていた。


 ブノワは素直にエイミーの腕を離し、フレッドもまた捩じり上げていた腕を乱暴に放り出す。

 バランスを崩して濡れた歩道に尻餅をつくブノワに構わず、フレッドは青褪めた顔でぶるぶる震えるエイミーとの間に割り入る。

 これ以上、エイミーをブノワの歪んだ視線に晒したくなどなかった。


「なんだよ、エイミー。もしかしてさぁ、こいつとデキてんのぉー??」

「え、ちが」

「なるほどねぇー、だったら、オレなんかもう、どうでもいいよなぁー」

「だから、ちが」

「でも、こいつも相当遊んでるぜ??」


 拗ねたように唇を尖らせ、フレッドをこいつ呼ばわりしてくる厚顔さには最早怒りを通り越し、呆れ果てるより他がない。

 投げかける言葉が見つからない代わりにわざと大きく舌打ちすれば、エイミーの肩がびくりと跳ねる。

 しまった、怯えさせてしまったと後悔する傍で、ブノワは素知らぬ顔でさっと立ち上がった。


「げ、くっそ、パンツまで濡れちまったじゃん!ま、いーや。邪魔者は退散しますよっとー」

 ブノワは濡れた尻を抑えて傘を拾い上げると、くるっと二人に背を向ける。

「おい、待て」

「イヤですよ、ま、せーぜー仲良くすればぁ??」

「だから、待てって……!」

「あ、そうだ!エイミーの初めての男、僕なんでー」


 勝ち誇った顔でこちらを振り返っての捨て台詞は、フレッドがエイミーに抱いていた疑惑――、『エイミーのトラウマの元となった恋人=ブノワでは??』を、証明してしまった。  

 否、ブノワだけじゃない。

 フレッドの背後でも、エイミーが顔だけでなく耳や首筋までをも熟れた林檎のように真っ赤にさせ、両手で顔を覆って何度も頭を振っていた。


『三年も前にちょっと付き合っただけの女に今更未練たらたらになってて!!連絡したけど無視されたあげく、SNSで速攻ブロックされたんだって!!』


 昨夜、シエナが面白可笑しく語っていた話がふと脳裏を過ぎり、心がしんと冷えていく。

 さりげなく逃げ出すブノワを追い掛けなくてはと思うのに、それ以上に恐怖と羞恥に打ちのめされたエイミーを放っておくことができなかった。


「フレッド、一体何が……」

「……今頃気づいたのかよ……」

 非常扉の重たい扉が開き、心配そうに扉の影から顔を出したゲイリーについ毒づいてしまう。

 彼を責めるのは筋違いも甚だしいと分かっているが、もう一足早く来てくれれば、ブノワをこの場に留め置けられたのに。

「ゲイリー、片付けている最中悪いんだが……、エイミーと俺を店に入れてくれないか。少し、話がある」

「あぁ……、それは構わないけど」

 エイミーの傘を拾い上げ、閉じ直してから彼女に差し出せば、色違いの目がおどおどと見上げてくる。

「……言いたくないことは無理して言わなくてもいいけど」

「…………」

「付き纏われて困ってることは正直に話した方がいいと思う」

「…………うん…………」

「とりあえず店に戻ろう。話はそれからだ」


 差し出した傘をエイミーがおずおずと受け取ると、フレッドは空いている方の手を取って入口へと引っ張っていく。

 よくよく考えれば男への恐怖心に駆られる女性に対して軽率且つ、無神経だったかもしれないが、この時のフレッドに他意は一切なく、ほぼ無意識のうちに行動していた。

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