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She's So ×××(改稿版)  作者: 青月クロエ
シーズ・ソー・クール
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シーズ・ソー・クール(3)

(1)


 天井のブラックライト、絶えず明滅するストロボライトが人工的に造り出された暗闇の意味を失わせている。

 安酒と煙草と耳障りなDJミュージック、その隙間を埋める仲間同士の騒がしい会話がさして広くもない箱型の空間に充満していた。

 連れの男――、世間的には恋人と呼ぶ仲なのだろうか――、は、彼の言うところの『友達』の姿を見つけると耳元に唇を寄せ、「ちょっとあいつらのところに顔出してくる」と叫んだ。

 そんな大声出さなくても聞こえるよ、と、口に出す代わりに眉を顰めたが、気付くことなく彼はジルを置いて仲間達の下へさっさと行ってしまった。

 ぴったりと張り付いていられるのも鬱陶しいし、強引に仲間に引き込まれるのも面倒。

 ジルの性分を理解した上で一人にしてくれたのは有難い。

 有り難いが――


(そもそも私はクラブなんかに出掛けたくなかったんだけど)


 出掛ける前にそれとなくは伝えてみたが、あえなく却下された。

 中学(セカンダリースクール)卒業と共に家を飛び出し、転がり込んできた自分を受け入れてくれた借りだけじゃない。

 半年近く過ぎても未だまともな職に付けず食べさせてもらっている以上、余り強く反抗はできない。

 家出した当初、ジルにしては珍しく感情が昂っており、つい後先考えない浅慮な行動に出たものだと、今となっては猛省している。


 だからと言って両親に謝罪し実家に戻る気などない。

 さりとて、いつまでも恋人への物理的な依存を続ける訳にもいかない。


 比較的人気の少ない壁際に寄り掛かり、はぁ、と息を吐き出す。

 恋人と仲間達の輪からはどっと爆笑が巻き起こった。

 アハハ、アハハとその場の享楽に溺れて生きられるくらい、お気楽な性格になりたいものだ。 


 覚えたての煙草に火を点ける。

 音楽がミディアムな曲調に変わったのに伴い、喧騒が幾らか落ち着いた、ように感じた。

 煙草を咥えて軽く顔を伏せれば、洗いざらしの亜麻色の髪が肩から滑り落ちていく。

 これなら顔が見えなくなるし、陰気な女だと思われて誰からも声を掛けられない筈、と思っていたら、早速誰かに肩を叩かれた。

 舌打ちしたいのを堪え、声の主を剣呑な眼差しで見返す。

 見た目こそ若々しく見えるが、声の質や肩に置かれた皺の目立つ手からは年齢が隠しきれていない。


「オバサンが私に何の用なの」

「煙草の火、貸してくれない??」


 オバサン呼ばわりされても女は特に気分を害さない。

 仕方なく嫌々ライターを手渡してやれば、「ありがと」と、すぐに煙草を咥えて火を点けた。

 貸したライターが戻り、これで自分から離れてくれるだろうと、期待していたのだが――


「貴女、綺麗な娘ねぇ……」

「……は??」

「色味は明るいのに、憂いを帯びた青い目にゾクッときちゃうわ」

「……何なの、きも……」

「冷たさそうなところがまたいいわねぇ」


 まさか、女、それも場違い極まる若作りの年増女にナンパされるとは。

 背筋に怖気が走り、女から二、三歩身を引く。

 しかし、ジルが身を引いた分だけ女は詰め寄ってくる。


「私、同性愛の趣味ないから他あたってくんない」


 引き攣った顔で断れば、女はきょとんと不思議そうにジルを見つめた。

 あどけない少女のようで一瞬可愛らしく見えたが、何を血迷ってるのかと思い直す。

 言われた意味が分かっていないのだろうか、年の割に頭が鈍いのだろうか。

 女に背を向けようとしたのと、「いやあねぇー、勘違いしちゃって!」と女が噴き出したのは同時だった。


「お嬢ちゃんを綺麗だと思ったのはホントよ。でも、色っぽいお誘いなんかじゃないわ」

「じゃあ、何なのよ」

「私が描く絵のモデルにならない??」

「……余計に怪しいわね」

 醒めた目で睨みつつ話を聞くくらいはしてやるかと向き直れば、女は水色の革ジャケットのポケットから名刺ケースを取り出した。

「はい、これでも国内ではそれなりに有名人なのよ、私」

 渡された名刺には、絵に疎いジルでさえ聞いたことのある画家の名前が記載されている。

「とりあえず、一応は考えてくれたら嬉しいわ。滅多にいかない場所に顔を出すのもたまにはいいわねぇ。うちのトイ・ボーイのお誘いさえなければ非会員制の安いクラブなんか行かないから」

 名刺の両端を両手で持ち、表の印刷面を食い入るように見つめるジルに女は余裕げに笑いかけた。



 この出会いがきっかけで、ジルは主にディータの絵のモデルを務める傍ら、彼女の伝手で他の画家やアートスクールのモデル、更にはショーモデルとしての道を歩み始めたのだった。









(2)


 屋敷の玄関先で待っていたディータに案内された部屋の扉を開けると、長身の男の後ろ姿が目に入った。

 男は扉が開いた瞬間、こちらを振り返る。

 振り返った際、白いシャツの背中を流れる蜂蜜色の髪がサラサラと揺れた。


「おはようございまーす!ギャラガーさん!」

「……おはようございます、」

「今日はよろしくお願いしますねー、ま、三〇分足らずの短い時間ですけどぉ」

 インターホン越しの会話及び、この部屋に入る直前までディータから喜々として聞かされた諸々の話の前に、どんな顔して会えばいいのか。

 少しだけ気にしていたこちらの気持ちなど、渦中の人物の一点の曇りもない笑顔と明るい声で一瞬にして掻き消された。

「じゃ、あとはよろしくね、チェスター君」

「はいはーい、任せて下さーい!」


 手を振り合うチェスターとディータに白けながらジルは黙って室内に入った。

 八帖程の広さの部屋には窓がなく、ドレッサー、クローゼット、小さめのカトラリー、四人掛け程度のソファーが置かれているのみ。

 白い陶製のドレッサーは、ジルの部屋にあるものと比べて縦にも横にも倍は大きさがあり、鏡部分はハートの形を模した些か少女趣味なものだ。


「僕の方はもう準備万端ですから、ギャラガーさんさえ良ければいつでも始められますからねー」

「わかりました」

 返事するやいなや、脱いだジャケットと鞄をソファーに放り投げ、ドレッサーの椅子に腰掛ける。

 さっさと始めろと行動で表すと、チェスターもメイク道具を乗せたカトラリーを引き、ジルの傍へと歩み寄った。

「じゃ、早速始めちゃいますか!」

「お願いします」


 チェスターの大きな掌がジルの額、頬、鼻の上を滑り、下地をそっと叩き込む。

 刷毛を使ってファンデーションを重ね、チークやフェイスシャドウで陰影を形作る。

 グレーや黒の濃いアイカラーを瞼に塗り重ね、くっきりとしたラインを瞼の際、下瞼や目尻まで引いていく。

 薄いブラウンのリップカラーを筆で丁寧に唇に塗っていく。

 手を動かしている間、普段と打って変わり、チェスターは一言も無駄口を叩かない。

 他愛のないおしゃべりが嫌いなジルに合わせてくれているのだ。

 過去に二回程度担当しただけなのに。

 ジルの気難しさを知りながら、それでもべらべらと喋りかける他のメイクアップアーティストにはない対応。

 正直軽薄そうな態度は苦手だが、この気遣いに関しては有難かった。

 手際も良さも手伝い、さくさくとメイクは終っていき、大きな掌は肌から髪へと移行していく。


 だが、ここで沈黙が破られることになった。


「アビー、新品の艶出しスプレー取ってくれ」


 中身が切れたスプレー缶をカラカラ振りながら、チェスターは後ろ手に手を伸ばして確かに、言った。

『はい!』

 無邪気に微笑んで彼にスプレー缶を差し出す小柄な女の姿は、当然、ない。


 ジルは軽く目を見開き、チェスターを振り返りそうになるのを堪えた。

 だから彼がどんな顔をしていたかは分からない。

 さっきまで心地良かった沈黙が息苦しいものへと変わる。

 会話が得意であれば良かった、などと、柄にもなく悔やんでいると。


「あ、そうだ、ギャラガーさん。このカラーですけど、地毛の伸び具合からすると染めてからまだ二カ月も経ってないですよね??」

「あぁ……、以前に美容雑誌の撮影でカットモデルした時のだから、もうすぐ二カ月目に入るか入らないかくらい、です」

 何の脈絡もなく唐突に振られた話題に大いに戸惑いつつ、答える。

「その時の雑誌、何となく目を通した記憶があって。いえ、店や美容師に問題ないんですよ。ただ、使用した薬剤がですねー……、染めた直後の発色は良くとも、退色が激しくて通常の薬剤より速く色が焼けやすいんです。アフターフォロー込みの仕事でした??」

「いえ、そんな話は全く」

「じゃあ、遠慮なく言わせてもらいます。ギャラガーさんさえ良ければ、うちの店で染め直しませんか??」


 やられた。

 さっきのが素での行動だったとしても、まさかここで営業トークを持ち込んでくるとは。


 ちょっとでも深刻に考えてしまった自分がとてつもなく馬鹿みたいだ。

 鏡越しに薄茶の双眸と視線が合えば、やたらと爽やかな笑顔で返された。

 ハーフアップに結った蜂蜜色の長髪に精悍さを湛えた端正な顔立ち。

 他の女ならば頬を赤く染めるかもしれないが、ジルは鼻白む一方でしかない。


「…………考えておきます」


 その後、髪型が完成するまでジルが一言も発しなかったのは言うまでもなかった。


「はい、終わりましたよー、お疲れ様でしたー!!」

「……ありがとうございました」


 濃いメイクにあちこち跳ねた毛先。

 あとはディータのアトリエで服を脱ぎ、裸になるだけ。

 椅子から立ち上がり、各道具を片付けているチェスターの横を通り過ぎようとして、絨毯の上に何か落ちていた。


 ガラス張りの建物の前で、栗色の長い髪を耳の下で二つに結ぶ、赤縁眼鏡の女性が、幼い少年二人の肩を抱くように立っている写真。


「あちゃー、すみませんっ!大事なもの落としてました!手帳に挟んでいたのになぁ」

 写真を拾い上げたジルに気付き、チェスターが片付けの手を止めて飛んでくる。

 掛ける言葉が見つからずおずおすと手渡すジルに、チェスターは嬉しそうに笑った。

「僕の息子達なんです!上が一〇歳で下がもうすぐ四歳!!上の子は年の割に落ち着きのあるしっかり者、下の子は元気いっぱいの病気知らずでしてー、って、親馬鹿丸出しですね!」


 ハハハ、という笑い声が妙に胸に突き刺さってくるのは何故なのか。


 そして、明らかに父親似の次男に対し、長男は両親のどちらにも全く似ていなかった。

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