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She's So ×××(改稿版)  作者: 青月クロエ
マイ・アイロン・ラング
35/93

マイ・アイロン・ラング(8)

時系列が大学生から現在のフレッド(30歳)に進みまして、プロローグの続きになります。

(1)

 

 デスクランプが放つ光を頼りに衣服を身に着ける。

 ベッドサイドに置かれたそれは闇に染まる狭い室内をくまなく、そう、ベッドの乱れまでも――、つい二〇分程前まで自分達が過ごした痕跡をも薄く照らしていた。


「帰るの??」

 浴室の扉が開き、この部屋の住人(シエナ)が濡れた髪を拭きながら出てきた。

 フレッドは問いに答えず、黙ってズボンにベルトを通している。

「明日は休館日でしょ??泊まっていけばいいのに」

 この問いにもフレッドは答えない。

 沈黙で拒否を示す彼に、シエナは呆れて髪を拭く手を止める。

「するだけしたらさっさと帰るとか、相変わらず冷たいわねぇ」

「線引きは大事だろ??恋人ごっこを期待するなら他を当たってくれ」


 壁に掛けてあるツイードのテーラードジャケットをハンガーから外し、さっと腕を通すと、肩を竦めて苦笑するシエナの横を擦り抜け、玄関に向かう。

 みしり、古いフローリングの床が軋んだ音を立てる。


「あぁ、そういえばね」

 玄関扉のドアノブに手を掛けようとした時だった。

 何を思い出したのか、シエナの声が僅かに高くなる。

「何だよ」

 声の調子につられて振り返ってしまったフレッドに、シエナはしてやったりと言いたげに笑う。

 含みのある笑顔に嫌な予感がする。

「ブノワが帰ってきたわ」


 見る見るうちにフレッドの眉間に深い皺が刻まれていく。

 分かり易すぎる反応に、堪え切れずシエナは盛大に吹き出した。


「何、その顔!あいつが相当嫌いなのねぇー!」


 反応を試されたこと、深夜三時過ぎにも関わらず、けらけら大笑いするシエナの非常識さ。

 フレッドの眉間の皺は更に数を増やしていく。

 この女のこういう部分がいけすかないが、それ以上に、ブノワという男はもっといけすかなかった。


 大学卒業後、フレッドは街の公設図書館の職員となり、仕事に慣れて生活が落ち着き始めた五年程前からエドたちとのバンド活動を再開した。

 あくまで仕事や生活優先、趣味の範囲での活動ではあったが、それなりに人気がありファンもついている。

 ブノワという男はアコースティックギターのインスト曲を弾いている男で、バンド活動を通して知り合ったのだが――、彼は、音楽に対しては真面目でストイックな反面、フレッド以上に女癖が異常なまでに悪く、手を出すのは決まって音楽仲間内の女性と、それが原因で周囲に迷惑を掛けることもしばしばだった。

 しかも、メアリがリュシアンと、アンナがエドと付き合っているのを知りつつ、しつこくちょっかいを掛けてきたり(当然、二人共歯牙にもかけなかったが)、あげくの果てにはフレッド達のバンドのファンに強引に手を出して妊娠させたのだ。

 これにはさすがのフレッド達も彼を許さず責任を取るか、堕胎費用を払えと迫ったが、ブノワは知らぬ存ぜぬを押し通し、突如「大陸を渡る」と姿をくらまし――、現在に至る。


「音楽修行の旅とかで西の大陸横断中じゃなかったのか??」

「大方資金が底を尽きたか、向こうの人達に相手されなかったか。多分両方じゃなーい??ま、この国出てから二年近く経ったし、飽きたか寂しくなってきたのもあるかも」

「どうでもいいが、あんた、なんでそんなに詳しいんだ」

「だって、顔本からメッセージが来たのよ。帰国直後で人恋しかったみたい。遠回しに二人で会わないかって誘われたわ」

「会いたきゃ会えばいいだろ」

「えぇ、つい昨日会ったわよ。寝たりはしなかったけど」

「別にあいつとあんたが寝ようが寝まいが、俺には関係ないんだが」

「だって、嫌いな男と兄弟になるの、貴方嫌がりそうだし??」

「別に??俺とあんたは付き合っている訳じゃないから気にもならないな」

「ホント、とことんつれない男!ま、だから気楽にこういう関係続けられるのよね」

「お喋りはこれで終わりか。いい加減、俺は帰るぞ」

「あぁ、待ってよ!ここからが本題!」

「まだあるのかよ」


 うんざりして思い切り顔を顰めてみせる。

 ドアノブを握ったままで会話を続けているせいか、少しだけ右手に痺れを感じ始め、金属の冷たい感触も温くなっていた。


「まぁ、そう言わないの。ブノワってば、相当寂しくてどうも手当たり次第、知り合いの女に声掛けて慰めて欲しがってて、知り合いだけじゃなくて元恋人とかにも片っ端から連絡してるみたい。で、笑っちゃうのがさー、特に、三年も前にちょっと付き合っただけの女に今更未練たらたらになってて!!連絡したけど無視されたあげく、SNSで速攻ブロックされたんだって!!あいつ、マジ半泣きで『大陸にいた時、やたらとあの子のことを思い出して……、本当イイ子だったんすよー。なのに、当時の僕がガキだったからー、嫌がってるのに無理矢理拝み倒してヤッちゃったせいでー、ギクシャクしちゃってー。今思うと僕が百バー悪かったのにー、うわ、やっぱ処女ってめんどくせーって思って一方的に振っちゃったんすよねー、そのことも謝りたくてー』って……、ちょっと、まだ話に続きが」

「くだらん。馬鹿馬鹿しいにも程がある」


 ちらりと冷たい一瞥を送ると、フレッドは今度こそ玄関を開けてシエナの部屋を後にした。









(2)

 

 帰り道を辿る歩道の敷石の冷たさが靴底から足裏へ、足裏から全身へと伝わってきた。

 春の盛りとはいえ、真夜中ともなれば気温は冬並みにぐっと下がる。

 冷たく乾いた空気が痩せた頬や首筋を撫で、マフラーをしてこなかったことを今更ながら後悔した。

 白い息を吐きながら空を見上げる。

 濃灰の雲に覆われた生憎の空模様のせいで月も、月を取り巻く星々も見えやしない。

 光のない暗闇で無機質な安アパート群が見下ろすのみの景観は、男であっても不安を掻き立てられるものがあった。

 雨が降っていないだけ随分とマシだが、空に架かる雲のようにフレッドの心に蟠る靄もまた拡がっていく。


 ブノワが弄んだとかいう見ず知らずの女に対し、フレッドは珍しくほんの少しだけ同情の念を覚えると共にに、他人事だからと面白可笑しくぺらぺら喋るシエナに酷く苛立った。

 ただし、それは優しさでも何でもなく、かつて自分が唯一の恋人に密かにされていた仕打ちを思い出したからに過ぎない。


『彼女、子供の頃から師事するピアノ講師と、大学編入後あたりから不倫関係だったらしいのよ。彼が奥さんと別れてくれないって、よく仲間内に嘆いていたわ。でもね、講堂での定期ライブで貴方を見掛けた後、『先生と同じ顔と匹敵する才能を持つあの子なら、きっと彼の代わりになってくれるかもしれない』って凄く喜んでいたの。でも、付き合ったら付き合ったで、『あの子、堅実過ぎて正直物足りない。あの子がもっと強い上昇志向を持って才能を発揮する姿を見れば、また私の気持ちも変わってくるかしら??』って、貴方への不満をよく漏らしていた。いいえ、それだけじゃないわ。貴方と付き合う一方でピアノ講師とも同時に交際していたの。その講師は彼女に貴方と言う恋人がいることも知っていたらしいわ。さすがに貴方の素性までは知らないみたいだけど』


 ナンシーと別れてからしばらく後、彼女と仲が良かった後輩という音楽学部の女性から聞かされた話。

 どうやらその女性、ナンシーと交際中からフレッドに気が合ったらしく、二人が別れただけでなく、ナンシーが大学卒業したのを見計らってフレッドに近づき、聞きもしないのに勝手に語ってくれたのだ。

 あえてナンシーの悪口や彼への裏切りを吹き込み、傷心に陥ったところを慰めてあわよくば……を狙ったのだろうが、フレッドが引っ掛かる筈もなく、更なる女性への不信感を与えただけだった。

 何より、誇張や嘘も混じっているかもしれないにしろ、ナンシー自身の口から聞かされた言葉を照らし合わせても辻褄が合ってしまうことが心の奥深くまでを抉り取った。


 抉り取られた部位は再生することなく、未だ欠けたまま。

 時折、腫れ上がっては熱を持ち、じくじくと膿み、痛む。

 誤魔化すべく人肌を求め、ごく一時的な快楽で忘れた気になってもまた痛みだす。


 この一〇年――、否、アビゲイルが出て行った時から考えれば、二〇年近いかもしれない――、傷が痛む回数は減っているのに痛み自体は年を追うごとに強まってきている。



 どうすれば治るのか??


 そんなことは知らない。


 知る気もないし、今となってはもう、どうでもよかった。

これにてマイ・アイロン・ラングの章は終わります。

アビー視点の閑話(二話)挟んで、新章「アバウト・ア・ガール」が始まります。

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