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She's So ×××(改稿版)  作者: 青月クロエ
マイ・アイロン・ラング
33/93

マイ・アイロン・ラング(6)

今回短いです。

(1)


 蛇口から水を流したままで黒大理石の洗面台に両手をつく。

 洗面台正面の鏡は照明の光を反射し、光沢を放つ黒大理石に伏せた顔が映し出された。

 顔を上げ鏡と向き合えば、普段よりもずっと疲れた顔をしている。

 飲み慣れないのを差し引いたとしても、シャンパンはどうも自分の体質には合わないようだ。

 加えて、高級ホテルのレストランで親族との食事会という状況に緊張を強いられ、少なからずエドを疲弊させていた。


『酒に酔って気分が悪い』と席を外したが、傍から見ても顔色の悪さは一目瞭然だったため、父も兄もエドを特に咎めはしなかった。

 実際、嘘でも何でもなく本当に気分が悪いのだから仕方がない。

 酒や食事の匂いは気分の悪さに拍車をかけ、あちこちから聞こえてくる歓談の声は鈍い頭痛を悪化させる。


 エドは親族の食事会が大の苦手だ。

 食事作法から何気ない所作、言葉遣いの端々に至るまで、彼らはエドの些細な失態を見逃すまいとさりげなく彼を観察してくる。

 一挙手一投足見られていると思うと会が終わるまで一切気を抜けない。

 今頃は中座した自分について、父や兄に気付かれない程度に批難しているだろうし、ここ(ホテルのトイレ)に長居すればする程に悪意もひそかに増長していくだろう。

 彼らの中でのエドへの認識――、二回り以上も年上の社長に女の色香を駆使して後妻の座を得た、労働者階級出身の社長秘書の息子――、は、きっとこれからもついて回るに違いない。

 事実を多分に歪めているのが非常に気に入らないけれど。


 母と父が出会った時には先妻(兄の実母でもある)はすでに他界しており、決して不倫関係ではなかったし、母と同僚だった兄も二人の仲を認めていた――にも関わらず、親族達は階級の違いだけで二人の結婚に猛反対していた。

 母は子供(エド)ができると同時に会社を辞めて一旦は父の下から姿を消し、一人で彼を出産した。

 エドは労働者階級や低位中流階級の住民が暮らす地域で幼少期を過ごしていたが、小学校(プライマリースクール)に上がる直前になって母の行方を探し当てた父が現れ、更なる紆余曲折を経て一年後、晴れて両親は結婚、エドもモリスン家の次男として迎え入れられた――、が。

 結婚までの苦労が祟ったせいか、僅か二年後に母は突発的な若年性心筋梗塞で逝去してしまった。


『死人に口なし』とばかりに母を悪し様に言われるのは許せないが、人の口に戸は立てられない。

 母の評判を落とすような真似だけはしまいと気をつけているが、隙あらば揚げ足を取る気満々の親族との関わりはいつまでたっても慣れないものだ。 


「…………めんどくせー…………」


 いっそのこと、吐くものを吐いた方がスッキリするのに、幸か不幸か、嘔吐する程吐き気は酷くない。

 フレッドやメアリと共に、くだらない馬鹿話を肴にパブでビールを二、三杯飲んでもここまで悪酔いはしたことはない。


(……そういえば、あいつ、大丈夫なのか??)


 先日、大学構内で擦れ違った時のフレッドの表情をふと思い出す。

 元々細面ではあったが、更に頬はこけ、顎が細くなっていた。

 多忙な日々を送る中で司書講習に向けての勉強にも励んでいるからか、それにしては窶れすぎているような気がした。

 互いに次の講義の移動中だったため、言葉を交わさなかったことが悔やまれる。

 お節介かもしれないが、折を見て近々電話かメールでもしてみるか。


 意識が他事に回ったからか、気分の悪さが緩和された、気がする。

 いい加減戻らなければならないし、戻らないでいたとしても、兄が心配して様子を見にくるかもしれない。

 遂に観念したエドは入り口のドアノブを握り、扉を開けようとしたところ――、扉の外、廊下側から扉が開いた。

 邪魔にならないよう壁際に寄ったエドは、中に入ってきた人物を見た途端、ハッと息を飲んだ。






(2)


 フレッドを思い出していたせいなのか、はたまた悪酔いのせいなのか。

 一瞬、フレッドが入ってきたのかと錯覚し、危うく声を掛けそうになった。


 切れ長の薄灰の双眸、スッと通った鼻筋、酷薄そうな薄い唇、細身の体格――、件の人物の顔立ちは生き写しと言っていい程、フレッドと似ていたが、よくよく見れば、ブルネットの髪に白いものが混じっている。

 明らかにフレッドではない、と、理解したものの、つい()を目で追ってしまう。

 じっと見つめてくるエドに対し、不審も露わにぎゅっと眉を寄せた顔など特にそっくりで――、まさか――


 この考えに到達した瞬間、エドは徐にこの人物から目を逸らし、飛び出すように扉の外へと出て行った。


 トイレのタイル張りの固く冷たい床から、廊下に敷かれた毛足の長い絨毯を踏みしめる。

 男子トイレと、男子トイレと間隔を空けて並ぶ女子トイレとの間の壁沿いに沿って、アンティーク風のウィンザーチェアが三脚並べてあった。


 三脚あるウィンザーチェアの内の真ん中に腰掛け、肩で大きく息をつく。

 鈍い頭痛も吐き気も倦怠感も、今起きた出来事により全て吹き飛んでしまった。

 人は本当に驚くと声ひとつまともに出せなくなるのか、と、妙な実感を得た気になってくる。

 同時に、フレッドが自身の顔を嫌う理由がよく分かったし、分かった以上、さっきの男がトイレから出てくるより先にこの場を去りたくなった。


 急いで椅子から立ち上がろうとするも、焦りと僅かに残る酔いのせいで足がふらつく、上手く立てない。

 一刻も早く、と、追い立てられる割に、思い通りに動いてくれない身体に苛立っていると、女子トイレの扉が静かに開いた。


「……は??」


 目にしたものの衝撃の割に、口から洩れたのは間の抜けた呟きだった。

 女子トイレから出てきた人物はエドと軽く面識がある筈なのに、彼を覚えていないのか(確かに、何カ月も前に一、二度、社交辞令的な会話を交わした程度ではあるが)、俯きがちに椅子に座っているから気付いていないのか、何にせよ彼の前を平然と素通りし、男子トイレの扉前で立ち止まった。

 程なくして扉が開くと、中から出てきたさっきの男性と扉前で待っていた女性は互いに腕を絡ませ、ホテルの受付ロビーがある方へと向かっていく。


 エドは呆然と目を見開いたまま、男性の痩せた背中と、女性の艶々と輝く黄金の髪が揺れる様を、成す術もなく見送るより他がなかった。

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