マイ・アイロン・ラング(4)
(1)
――時、同じ頃――
大学傍の大通りには学生や職員を対象にした飲食店やパブが数多くあり、女子学生に人気のお洒落なカフェも何件か軒を並べている。
その内の一軒、最近新しくできたカップケーキの専門店には今日も多くの若い女性客が訪れていた。
パステルピンクの壁紙、窓辺に置かれたアリスの登場人物を模した陶器人形、レジカウンターに置かれたドールハウス、背もたれがハートの形をした赤色の椅子、同じくハート形の天板のテーブル。
少女趣味な店内で女性客達が紅茶とカラフルで甘いカップケーキに舌鼓を打ち、おしゃべりに華を咲かせる中、一九〇㎝越えの大男のエドの存在は一際異彩を放っていた。
メアリという同席者がいなければ、終始気まずい思いで場違いな雰囲気に耐えるしかなかっただろう。
強面な外見に反し、エドは甘い物に目がない。
『野郎一人で入る勇気はない』と、奢るのを条件にメアリに頼み込み、こうして念願のカップケーキを味わえる。
持つべきものは気の置けない異性の幼なじみだな、と感謝しつつ、互いの近況報告等をぽつぽつと話していたのだが――
「えっ、嘘でしょ?!」
「ホントだって!嘘なんかついてどうするんだよ」
フレッドに最近恋人が出来た――と、告げた途端、メアリは驚きで深海色の瞳を見開き、素っ頓狂に叫んだ。
周囲の客の何人かが迷惑そうな、咎めるような目で二人を振り返る。
メアリは客達に殊勝に頭を下げて謝意を示した。
「あんなに女と付き合うのに興味なかったのが嘘かと思うくらい、必死に口説きに口説いててさぁ、傍から見ていて笑えたな。メアリにも見せてやりたかったよ」
「あのフレッドがねぇ……。全っ然、想像付かないわね……」
「まぁ、相手は年上のゴージャスな金髪美女、しかもうちの音楽学部所属っていったら大概は中位中流以上のお嬢様とくるわけだし??」
フレッドが何かに対して必死になる姿を二人は見たことがない。
勿論、他人にその姿を見せないだけで裏ではそれなりの努力をしているだろうが、彼はいつだって何食わぬ顔でさらりと物事を完璧にこなすからだ。
「あいつ、昔からモテるくせに特定の彼女とか作らなかったから、『もしかしたらゲイなんじゃ……』なんて疑惑を持っている奴らもいたんだよな」
「うーん、それはないんじゃない。しいて言うなら、女好きの女嫌いってとこでしょ??」
「何だそりゃ」
「彼女はいなくてもすることは平気でしてるみたいだったし」
甘いミルクティーに更に砂糖を追加しようと、銀製のシュガーボックスに伸ばしかけた手を思わず止める。
壊れかけのロボットのように酷くぎこちない動きでメアリに向き直る。
「なっ、おま……、何で知ってるんだよ?!」
「中学の時にフレッドと寝たとかいう先輩に絡まれたことあるもの。私が本命の彼女じゃないかって勝手に勘違いしてきて『彼と別れてよ!』って迫られたけど、『私はただの幼なじみで彼女なんかじゃありません』って、誤解解くのが大変だったのよねぇ」
エドの動揺など素知らぬ顔でメアリはカップケーキにスプーンを運び、掬い取った白バラのブーケを模したバタークリームをぱくり口に含む。
「食べないの??」と、エドのカップケーキに視線を送るが、たった今メアリの口から飛び出した衝撃発言に正直それどころじゃない
「……マジか。何で黙ってたんだよ」
「そんなこと、あんた達に話したところで嫌な気分にさせるだけでしょ??その場で解決したし、別に言う必要ないかなって」
「……お、おぉ、男前だな」
「それ、褒めてるの??貶してるの??」
「……褒めてるんだよ、バーカ」
「一言多い!」
メアリの目尻が跳ね上がり、エドから小さく悲鳴が漏れる。
「あ、待って待って、公衆の面前で手は出すな!」
「出さないわよ。私を何だと思ってるわけ??」
はぁ、と、わざと溜め息を大きく吐き出すメアリにホッと胸を撫で下ろす。
「お前ならやり兼ねないじゃねーか……ったく、まさか、彼氏にもそんなんじゃないだろうな……」
「あぁ、彼氏とはこの間別れたわ」
「……は?!」
今度はエドが叫ぶ番だった。
再び周囲から厳しい視線が飛ばされてきたが、気にするどころではなかった。
「ちょっと前から不審な行動が続いてたから、隙を見て携帯のメールチェックしたのよ」
「……そりゃプライバシーの侵害だぞ」
「普段はそんなことしないわよ??」
「当たり前だ」
「そしたら、私の他に付き合ってる子がいたの」
「…………」
「もう一人の彼女と会う日が私の休みと被ってて……、だから、その日は会うの断られたんだなって納得して」
「メアリ、辛かったら、程々で……」
「でも腹が立ったから、こっそり彼の後を尾行して浮気現場を抑えてやったの。彼ったら、すっかりパニックに陥っちゃって。『さよなら、お幸せにね』って、笑って一言、お別れの言葉を言ってあげたわ。速攻で携帯から連絡先消して貰ったものも全部処分しちゃった」
「……お、おぅ。な、なんつうか、その……、大変、だったな……」
どう反応していいのか、そうかと言って下手に慰めていいのかも分からず、月並みな返しをするので精いっぱいだ。
怒るなり悲しむなり何らかの分かり易い態度であればまだ対処しようがあるけれど、当のメアリは特に落ち込んだ様子もなく、平気な顔してカップケーキをぱくぱく食べている。
「次に付き合う人はもう少し誠実だと期待したいところよね。まぁ、私のはもう終わった話だからどうでもいいとして……、フレッドの方が気になるわね。ちゃんと彼女と上手くいってるのかしら」
「さぁ、どうだろう??」
「なに、その曖昧な言い方」
メアリはスプーンを動かすのを止めてエドを軽く睨む。
エドはメアリの視線を避けるかのように、チョコスプレーがかかった赤×ピンク×紫のマーブル模様のバタークリームをケーキのスポンジごと掬い取り、スプーンを咥え込む。
「最近、あいつと会ってないし」
「え、でも、バンド一緒にやってるじゃない」
「いや……、それが」
「はっきり言いなよ」
うーん、と軽く唸った後、エドは少しだけ面倒臭そうに口を開く。
「何か……、彼女の知り合いのバンド紹介されて加入したみたいでさ。新しいバンドがどうもプロ志向らしくてそっちの活動優先したいってことで、俺とルーとでやってるバンドは今休止中なんだ」
バンドが休止になったところでフレッドとの仲が悪くなったわけではない。
彼とリュシアンと一緒に音を合わせるのは、他のどのバンドと合わせるよりも楽しくはあったけれど。
「そっか……。でもさ、『音楽はあくまで趣味』って言い切ってたフレッドがプロ志向のバンドでやっていけるのかしら……」
「俺もちょっと気掛かりで……、彼女が『貴方には才能がある、プロを目指すべき』だとしきりに発破を掛けてて、フレッドは彼女の期待を裏切りたくないだけなんじゃないかって。あいつ、ナンシーさんと付き合い始めてから、『彼女に見合う男になりたい』とか言うようになったし……、それだけ本気で好きなのかもしれないけど」
「彼女の理想に合わせようと無理しているんじゃないかってこと……??」
返事をする代わりに無言で頷いてみせる。
メアリも神妙に黙り込んでいる辺り、自分と似たようなことを考えているのかもしれない。
だが、エドもメアリも互いの考えを確かめ合うことなくあえて黙っていた。
「あれ、メアリだよね??」
二人の間に訪れた沈黙は、突然頭上から降ってきた声によって破られた。
顔を上げると、濃い栗色の長い髪、シンプルなシャツの首元にショールを巻いた女性がメアリの傍に立っていた。
「アンナ??どうしてここに」
「んー、本当は彼と二人で行く予定だったけど……、まぁ色々あって一人で来ちゃったのよ。そしたら、メアリを見掛けて。何、新しい彼氏??」
「違うってば。ほら、前に話した幼なじみの一人」
「あぁ、噂の……!」
噂って何だよ、と内心で舌打ちしつつ、「誰??メアリの知り合い??」と尋ねた。
「あのね、エド。彼女、私の職業訓練校時代の先輩で友達なの」
「はじめまして、アンナ・ベタニ―です。メアリとは仲良くさせてもらっているわ」
「はじめまして。僕はエドワード・モリスンです」
アンナのおっとりと落ち着いた笑顔に合わせて、エドも余所行きの笑顔と言葉遣いで挨拶をする。
メアリが『僕だなんて……、よく言うわよ』と言いたげな顔をしているが知ったことではない。
その後、メアリの頼みでアンナが二人の席に加わった為、フレッドとナンシーの話題は自然と打ち切りとなった。
(2)
ジルの問いに対し、フレッドはなかなか口を開こうとしなかった、否、できないでいた。
それでも辛抱強く黙って待つこと、数分。
フレッドは重たい口をこじ開けるように、ゆっくりと開いた。
相談内容を要約すると――
今、付き合っている女性がいること。
もうすぐ彼女の誕生日なので贈り物がしたいが、自分よりも出身階級が上の女性が喜びそうなものが何なのか、よく分からない。
仕事柄、ファッションにも詳しく階級が上の女性達との関りが多いジルなら分かるかもしれない、と、恥を忍んで相談してみた――、と。
「……まぁ、彼女が好むブランドのアクセサリーとかが一番良いのかもしれないけど、あんた、まだ学生でしょ。聞いた感じだとあんたが買うには高値だし、ちょっと高価なハンカチとかくらいの方がいいんじゃない」
「でも、やっぱりアクセサリーの方が喜ばれるかもしれない。金は短期間のバイトでもして用意するよ」
「そういうのは……、値段よりも気持ちの問題だと思うけど」
「少しでも彼女に見合う男になりたいんだよ。母さんだってさ、父さんに見合う女になりたくて頑張ってたじゃないか」
「自分を高めるための努力と、無理して背伸びするのは全然違う……」
「別に無理もしてないし背伸びしてもいないよ。……俺、初めて人を好きになって、益々アビゲイルは底抜けの馬鹿だったと思うようになったんだ。本当にあの男が好きだったら、あの男に見合うよう自分を変える努力をすれば良かったんだ。そうすれば、誰も傷つけることなく後ろ指差されるような真似なんかせずに済んだのに」
「…………」
「俺は、あの女とは違う」
ジルを真っ直ぐに見据えているのに、フレッドの薄灰の双眸に彼女は映し出されていない。
だから、ジルの凍り付いた表情にも気付いてすらいなかった。




