シーズ・ソー・クール(22)
(1)
薄く焚かれたスモークで舞台側と観客側との間が隔たれ、控えめな光量で点灯されたバックライトとの相乗効果で客席から舞台は茫洋としか見えない。
BGMの音量も徐々に落とされていき、薄闇に包まれた会場内は完全なる静寂に支配され、舞台上部に設置された巨大デジタル時計がタイマーに切り替わり、120、119、118……とカウントを取り始めた。
これから一体何が起こるのか――、観客の間で期待と不安が入り混じった空気が流れだす。
カウント数は60を切り、59、58、57……と、淡々と進み続ける。
10、9、8、7、6、5――、4、3、2、1――、00――
『00』の表示と同時に各照明が一斉に点灯、各所から銀テープが飛ばされていく。
新たなBGMが流れ出し、未だスモークが立ち込める舞台へとモデル達が躍り出る。
曲の複雑なシンコペーションに乗って踊り続ける者、リズムに合わせて手を叩く者、舞台上を軽やかに歩き回る者。
最終ステージでは特に指定された動きはなく、各々が自由に動けばいい。
一見簡単そうだが、アドリブ要素を求められる――、ほとんどが素人のモデル達には中々に困難な課題であったが、皆楽しそうに歌い、踊っている。
BGMが次のトラックに進む頃には煙幕はほとんど立ち消え、頭上から色とりどりのペーパーシャワーが降り注いだ。
疾走感のあるドラムンベースからミディアムテンポの落ち着いたBGMに切り替わると、照明の光量はやや落とされ、踊り続けるモデル達の輪の中からたった一人だけ――、ジルが花道へとゆっくり進み出ていく。
前方からは観客の期待に満ちた視線、後方からはモデル達の緊張を帯びた視線を受けながら、あえて冷ややかな無表情で一歩、また一歩と歩いていく。
最前まで進んだところで動きをぴたりと止め、足を交差させて腰に手を宛がう。
数秒間微動だにせず、マネキンのように、ただ、ポーズも無表情もそのままで固定させる。
照明はジルに当てられたピンスポットのみの暗闇、BGMも聴こえるか聴こえないか、ギリギリまで絞られた。
会場内の期待と緊張は、最高潮に達した――、肌で、空気でそう感じた瞬間、ジルは両手を高く掲げた――
二度目の銀テープが飛ばされていく。
頭上から真っ白なフェザーシャワーが、ひらひら、はらはらと舞い落ちる。
手は掲げたまま、ここで初めてジルは笑顔を浮かべた。
他のモデルを差し置いて、最終ステージにおける重要な役に何故自分が任されたのか。
当初は重荷にすら感じていたのが嘘のように、ジルは晴れがましい気持ちで笑っていた。
やれることは全てやりきった。
『自分が誇れる自分の姿』をジルはようやく手に入れた。
(2)
舞台の幕が下り、ショーは成功と共に終わりを迎えた。
舞台裏では興奮冷めやらぬ様子で抱き合う者、感極まって泣き出す者、冷静に撤収を行う者など、人の数だけ多くの人間ドラマと最後の戦場が繰り広げられている。
ジルは挨拶もそこそこに一人大急ぎで舞台裏から抜け出して控室へと駆け込み、誰も戻ってきていない控室に入るなり、洗面台に向かってメイクを落とし始めた。
毛先に大粒のラメが付いたつけ睫毛を端の方から力任せに引き剥がす。
自分の睫毛は抜けるし瞼にも良くないし、間違った外し方なのは重々承知している。
洗面台横に置かれた舞台用のメイク落としで、これまた力任せにゴシゴシと洗い流す。
他のモデル達が見たら唖然とされてしまうだろうが知ったことではない。
どうせ誰も見ていないのだし。
舞台メイクから見慣れた素顔に戻ると、今度は衣装を脱ぎ捨てていく。
さすがに借りものの衣装は雑に扱えないので慎重に脱ぎ、衣装ラックのハンガーに掛け戻す。
ブーツはラックの隣に置き返しておいた。
自分の荷物を入れたロッカーの扉を勢い良く開き、手早く下着と衣服を身に付ける。
着慣れたシンプルなニットカットソー、細身のジーンズの着心地、履き慣れたアドミラルにホッとしつつ、複雑に編み込まれた髪だけはそのままに控室を飛び出す。
『関係者以外立ち入り禁止』の札が張られたドアを開き、廊下を通り抜けてロビーに出ていく。
ロビーの椅子には座っていない、じゃあ、もう少し先にある自販機の傍は??
自販機近辺にもいない。
玄関の自動扉で待ち伏せてみる??
有り難いことに自動扉を潜っていく客達は、ラフな服装にノーメイクのジルを見ても出演者だとは気付いてすらいない。
帰途につく客達の邪魔にならないよう、少し離れた位置から自動扉に向かう者をさりげなく注視し続ける。
五分、十分……と、時間は過ぎるが、待ち人である両親の姿は一向に現れない。
ショーが終了するなり早々に席を立って帰ってしまったか――、もしくは――、慣れない場所、雰囲気に疲れて途中で帰ってしまったのか――
途中で抜けた可能性が脳裏を過ると、勇姿を見てもらえなかったかもしれないと気分が沈みかけた。
でも、もう少し、あと少しだけ、待ってみよう――、と、気持ちを切り替えた時だった。
「……ギャラガーさん??」
思いがけない人物の声―― まだ変声期前の、幼さが残る少年の声。
ジルから少し距離を離した斜め正面ら辺で凝視する、薄灰の双眸に釘付けになった。
「……フレッド君……」
「…………」
「一人でここに来たの??」
「……違いますよ、父さんの……、付き添い??というか……、暇だから付いてきただけ。人の多さに疲れたからちょっと外出ようとしたら……、ギャラガーさんを見掛けて……」
しばらく会わない内に少しだけ背が伸びた気はしたが、むっつりと不貞腐れた態度も、素っ気ない物言いも相変わらずだ。
「……で、私に何の用??」
「…………」
フレッドは益々難しい顔付きになって黙り込む。
怒っている、というよりも、ジルの質問に答えるのを躊躇っているように見えた。
さっきは穴が空きそうな程ジルを見つめていた癖に、今はわざと視線を外している。
用件を中々言い出さない様子に痺れを切らしそうになったところで、ようやくフレッドはぽつり、ぽつり、途切れがちな小さな声で話し始めた。
「……ここ数ヶ月、ギャラガーさんが家に来ないから、皆が会いたがってる……。特に、マシューが寂しがってるんだ……、勿論、祖母ちゃんも……。……俺も……、ちょっとだけ……、寂しい、かも……??」
たった今、フレッドが口にした言葉にジルは我が耳を疑う。
「フレッド君……、私の事、嫌いなんじゃないの……??」
「……俺がギャラガーさんを嫌いって、はっきり言ったことあります??」
フレッドの眉間の皺が一層深くなる。
「……ない、と、思う」
「もしも俺がギャラガーさんが嫌いだったら……、父さんや祖母ちゃんに家に上げるな、って頼み込むし??」
フレッドはふん、と鼻を鳴らし、ジルから思いっ切り顔を背けた。
腕を組んで偉ぶっているのに、子供っぽく拗ねる姿のギャップについ吹き出しかけるのを横目で睨まれる。
「……俺のことはどうだっていいだろ?!」
「……そこで何故怒るのよ……」
「じゃあ、笑うなよ!それはともかく!……ギャラガーさんが家に来なくなってから、父さんに元気がないような気がするんです……」
「……まさか、気のせいじゃないかしら」
「……本当は分かっている癖に」
「……何が??」
フレッドはそこまで言うと、「……自分で考えれば??」とジルを一瞥し、さっと背中を向けて自動扉の方へ行ってしまった。
結局、彼は自分に何を伝えたかったのか。
ジルには理解できず、小さな背中が会場から去っていくのを成す術もなく見送るしかなかったーー、が。
「あれ??もう着替えたのかい??随分と早いね」
次から次へと、今度は一体誰――??
少々うんざりしながら振り返ると、(ディータが描いた絵の)ジルのファンだと公言したデザイナーと、チェスターが並んで立っていた。
「うん、丁度良かった!君に話したいことがあってね」
「話したいこと……、ですか??」
「まずは大役ご苦労様!やっぱり君に任せて正解だったよ!!」
「はぁ……」
「それでねぇ、今チェスター君ともちらっと話していたんだけど」
「……オールドマンさんと??」
訝しげに、デザイナー氏とチェスターを交互に見返す。
デザイナー氏はニコニコと、邪気のない満面の笑みを浮かべ、チェスターは少し複雑そうに微笑んでいる。
「単刀直入に言うね。ギャラガーさん、是非とも、うちのブランドの専属モデルになりませんか??」




