シーズ・ソー・クール(14)
(1)
ディータの仕事は大抵数日間の泊まり込みに加え、日数を延長されることもしばしばなので、彼女から仕事を依頼された場合、最初に指定された日数より三日〜一週間は多めに予定を空けている。
事実、今回も指定された日数から更に二日も延長された。
一度言い出したら人の言うことを聞かない性分だと、長年の付き合いでジルは把握しているし、ディータもジルが従ってくれるのを見越している。
「じゃあ、また貴女を描きたくなった時にでもまた、お願いするわね」
ジルを見送るために玄関先まで出てきたディータは、ジルの髪を一房そっと掴んだ。
「うん、地毛の色に戻して正解ね。ピンク色も悪くなかったけど、亜麻色の方が貴女の目の色に合うわ」
「そう??当分あのままでも良かったけど、次の仕事に差し障るかと思ってね」
「あぁ、例の、クリエイターズショーに出演するからでしょ??」
絵画モデルだけで生計立てるには少々心許ない。
雑誌や地元のちょっとしたショーのモデルを一般募集があれば、ジルはよく応募していた。
今回は、この街出身のクリエイター達数人で企画する合同ファッションショーで、先日、オーディションに合格したのだ。
そこそこ規模の大きいショーでオーディション参加者の数も多く、募集年齢も一〇代後半から二十代前半とジルの年齢からすると微妙だったので結果は余り期待していなかったが。
このところ、ジルは自身の今後について人知れず悩んでいた。
モデル業だけで生きていくにはそろそろ限界が近づきつつあるのでは――、と。
絵画モデルに関しては、ディータからの依頼はなくならないかもしれない。
けれど、モデルと言っても世界中を又にかけて活躍するでもなく、メディアに頻繁に出演するでもない、所詮は素人に毛が生えたのとさして変わらない訳で。
言ってみれば、若さと人より少しだけ容姿が優れているだけが取り柄の有象無象の存在。
消費期限と同じく、新しい(若い)ものがより好まれるので、もって後一、二年、それ以降は下り坂の一方だろう。
そうかと言って、他に仕事など――、学歴もなければ資格もない自分にできる仕事など限られている。
別に贅沢な生活をしたい訳ではないが、どうせ方向転換するなら生涯続けられるような――、生きがいとなる仕事がしたい。
それが何なのか――、残念ながら、今のジルにはまだ全く思いつけないでいた。
ポーチに立ち、笑顔で見送るディータを背に、色とりどりの花々が互いに競うように咲き誇る広い庭園――、艶やかなイングリッシュローズ、可憐なチューリップ、素朴さが魅力のデイジーなどを横目に入り口の鉄門へと進み、邸宅を後にする。
「……さてと」
今までならば、画家や美術学校での仕事の後は真っ直ぐにアパートの自室に戻っていたが、ここ数ヶ月は違う。
画家のアトリエ(もしくは邸宅)や美術学校がある場所は街の中心部や一等地の場合が多く、下町では中々手に入らない高級な品物を売る店の多くが軒を並べている。
そういう場所での仕事帰り、ジルは必ずオールドマン家への贈り物――、大抵は紅茶の茶葉、珈琲豆、菓子類だが――、を買うのが習慣になっていた。
『いつでも家に遊びに来てくれればいい』
チェスターやアガサからそう告げられたものの、特に用もないのに他人の家に上がり込むのも……と、しばらくの間ジルがオールドマン家に訪れることはなかった。
間を空ければ空ける程、顔を出す機会は失われていくとは思いつつ、さりとて遊びに行く口実も思いつかず。
どうしたものかと、頭の片隅では常に気にしてはいたが、意外な場面で機会が巡ってきた。
(2)
――フレッドの誕生日会から、三週間程経ったある日――
久し振りに図書館の玄関ホールに足を踏み入れると、吹き抜けの天井から降り注ぐ七色の陽射しが出迎えてくれた。
天窓のステンドグラスを見上げるが、余りに光が眩くて目を瞬かせる。
微かに鼻腔を掠める古い紙と木造の臭いに、早く中に入れと呼ばれている気がして玄関ホールの角を右に曲がる。
広い廊下を挟み、両側の壁面にある金属製の手摺は近年設置されたもので、年配者や障がい者への配慮だ。
ジルは手摺は使わず、柔らかい絨毯の床をさっさと歩いていく。
廊下を抜け、カウンターも通り過ぎ、本棚の森へと入り込む。
ここの図書館の蔵書は新刊が少なく、古い蔵書が多く保管されている。
ジルは古い作品を読むのも好きだし、特に今日はそんな気分だ。
新刊コーナーの棚を通り過ぎ、児童書の棚を通り過ぎようとした時、児童書の棚の影から見覚えのある少年がひょいと顔を覗かせた。
「あれ、ジルさんじゃん??」
ライオンみたいなアッシュブロンドの髪に鋭い目付き、背はジルと同じ高さはありそうなのに、まだ変声期前の幼さの残る声。
「エド、ワード……くん??」
「あー、よかったぁ!俺のこと、覚えててくれたんだぁ!!」
「シッ、声が大きいよ……」
体格も大きければ声も大きいのか、そこまではしゃいでいる訳でもないのにエドの声は静かな館内でよく響いた。
ジルに窘められたエドは慌てて両手で自分の口を塞ぐ。
「エド、誰と話してるの??……って、あれ??」
エドに続き、サラサラと流れるブルネットの長い髪と人形のような少女の顔が棚の影から、そっと現れた。
「メアリちゃん」
「あっ、ジルさん。お久しぶりです」
声こそ潜めているものの、メアリの深海色の瞳に見る見る喜色が満ちていく。
「あんた達がここに揃っているってことは」
「もちろん、フレッドも来てますよ。窓際の閲覧席にいますけど、会ってきます??」
無邪気な笑顔で尋ねるメアリに対し、ジルは返答に窮した。
少なからずフレッドとは気まずい状態にあるし、彼はきっと自分に会いたくないかもしれない。
「いや、今日はやめ……」
「よっしゃ、ジルさん、一緒に行こうよ。あいつをビックリさせてやろうぜ」
断りかけたところでエドの声が被さり、背後から肩をがっちりと掴まれた。
続きを言う間も逃げる隙もなく、エドに背中を押されながら棚と棚の間を通り抜け、閲覧席まで強引に連れ出していく。
メアリがエドに何やら文句を言い募っていたが、内心慌てふためくジルの耳には何を言っていたのかは分からない。
一分かかるか、かからないかの僅かな距離間を、子供達に背中を押されて移動する成人女性はさぞ滑稽な光景だろう。
平日の夕方の時間帯のお蔭で人は少なく、目撃者はいないのが幸いだ。
「なぁなぁ、フレッドー」
天井の高い格子窓には庭園に植樹された樹々の緑陰が映し出され、枝葉の隙間から差す木漏れ日が窓枠や窓辺に並ぶ四脚の長机を明るく照らしている。
その内の一脚――、端の席でフレッドは背中を窓枠に凭れかけ、辞書並みに分厚い書籍を読み耽っていた――、が。
エドに呼びかけられると、渋々といった風に本の頁から視線を上げた。
「おい、声がデカいぞ。職員さんに注意され……」
眉間に皺を寄せてエドに文句を言い掛けるも、彼やメアリの傍にジルがいるのを認めると、薄灰の目を大きく見開いて口を閉ざした。
「あのね、フレッド。私達、偶然にもジルさんと会ったの」
「で、折角だから、フレッドにも会わせてやろうかなって」
「久しぶり」
「…………」
ひそひそと声を落としていても楽しそうな二人とは対照的に、フレッドは笑うどころか憮然と黙っている。
やはり、自分とは会いたくなかったに違いない。
更に深まる眉間の皺、固く引き結ばれた唇が何よりの証拠だろう。
「ちょっと、ちゃんと挨拶くらい返しなよ。ジルさんに失礼じゃない」
フレッドの態度を不審に思ったらしく、腰に両手を当てながらメアリが咎める。
「それに、アガサおばあちゃんから頼まれてることあったでしょ」
「アガサさんから??」
思わぬ名前が飛び出し、メアリとフレッドの顔を交互に見比べる。
フレッドは舌打ちしてメアリを睨む。
「メアリ、余計なこと言うな」
「フレッドが何も言わないから悪いんでしょ」
「フレッド、メアリ怒らせない方がいいぞー」
「エドは黙ってて」
キッとメアリにきつく睨み上げられ、エドはひぃっと小さく悲鳴を上げた。
フレッドの口角は益々引き下がっていく。
二人して綺麗かつ冷たい顔立ちなせいか、不機嫌さ丸出しの表情だと妙な迫力が増す――、不穏な空気を醸し出す子供達に大いに戸惑っていると。
「……祖母ちゃんがさ、ギャラガーさんに渡したいものがあるらしいって。だから、いつでも都合の良い時に家に寄って欲しい、らしいです」
「え」
遂に観念したのか、面倒臭くなってきたのか。
聞き漏らしてしまいそうな程の小声で、フレッドがぽつり、呟いた。
「腐るようなものでもないから、別にすぐじゃなくてもいいらしいし、仕事の都合もあるだろうし、本当はどっちでもいいかもしれないけど??ただ、もしも図書館でギャラガーさんにばったり会うことがあったら、一応伝えて欲しいって言ってました……」
「そう、アガサさんが……。伝えてくれてありがとう」
「別に」
アガサからの伝言を言い終えると同時に、フレッドは徐に顔の前で本を掲げ、読書を再開し始めた。
あからさま過ぎる態度にメアリもエドも呆れ果てジルも苦笑するより他がない。
しかし、フレッドの言葉がきっかけになり、ジルは数日後には再びオールドマン家に訪れていた。
用が済み次第帰ろうと思っていたのに、アガサの「いいのよ、ゆっくりしていきなさいな。うちはいつも誰かしら遊びに来るし夜は大所帯になる家だし、かまわないわ」と押し切られ、その日も結局夜まで滞在、チェスターに帰りを送ってもらった。
施されてばかりというのも気が引けるため、仕事帰りに下町では手に入りづらい高級な菓子を彼等への贈り物として購入、それを渡しにオールドマン家に立ち寄れば、また後日、お礼がしたいと呼び出しを受ける。
ここ数ヶ月、ジルとオールドマン家の人々とでそんなやり取りを繰り返している。
最近では、ジルはオールドマン家の人々や店の従業員達の好みを考えながら、贈り物を選ぶのが楽しみだった。
どうすれば、より皆の喜ぶ顔が見られるか。
想像すると、自然と心が浮足立つ。
ほんの些細なこととはいえ、他人が喜ぶ姿に自分も喜びを見いだせるなんて、少し前の自分ならば有り得ない感情であった。




