シーズ・ソー・クール(9)
(1)
室内に入ると誕生会はすでに始まっていた。
部屋の真ん中にはケーキや料理が並んだテーブルがあり、参加者個々への椅子は並べていない。
右側に白い皮張りの広いソファーが二脚、間にガラス製のローテーブルを挟んで置かれている。
左側にシステムキッチンがあることから、リビングとキッチンが続きになった部屋だと分かった。
キッチン側の壁際に椅子数脚寄せられているのは、リビングまでテーブルだけを移動させたからだろう。
軽快なポップスのBGMが流れている。
リビング奥に置かれた飾り棚の上に小型のCDデッキがあった。
音楽に気を取られて二、三歩進むと、靴裏で何かを踏みつけてしまう。
そっと足を上げれば、リボンのような黄色の紙屑が。
よく見ると、フローリングの床の上に同じような細長い紙屑が落ちている。
「はい!ギャラガーさんもどうぞー」
チェスターから紐のついた三角の筒を手渡され、さっきの紙屑がクラッカーの中身だと気付く。
人が鳴らしているのは何度か見たが、自分が鳴らすのは初めてだ。
記憶を頼りに三角の底辺部を天井に――、照明器具やエアコンは避け、人が前を通り過ぎないのを良く確かめて紐を引っ張る。
パァン!と弾ける音、飛び出す色とりどりの紙吹雪。
「さ、今日は楽しんでくださいね!自分の家だと思って寛いで!」
実家で寛げたことなんてないけどね、と、心中で反発しかけて思い直す。
たまには素直になった方がいい――、かもしれない。
返事の代わりに、ほんの少し唇の端を引き上げ頷いてみせる。
車中でチェスターが言っていた通り、フレッドは本当に友達が少なかった。
この場に揃う者達で彼と同世代の子供はメアリとエドしかいない。
あとは大人ばかり、それも家族とチェスターの店の従業員くらいだった。
子供の誕生会はカフェやレストランを貸し切り、友達の他に近所の住民、親戚も集めて……、というジルの誕生会へのイメージとは違っている。
ある程度成長した年頃だから、こじんまりとしたものにしたのか。
フレッドの性格を考えれば、大々的に開くのは嫌がったかもしれない。
それとも――、余計な勘繰りは無粋だと、思考を遮断しかけた時、膝元辺りから好奇心と警戒心が入り混じった視線を感じた。
「にいちゃん、これ、だあれ」
フレッドの足に抱き付く小さな男の子が、ジルとフレッド交互に視線を巡らせて指を差してくる。
写真で目にした印象と変わらず、髪と目の色、顔立ちが父親とよく似ている。
フレッドは一瞬考える素振りを見せた後、「兄ちゃんの……、ともだち……??」と、微妙な顔で答えた。
薄灰の瞳がちら、とジルを見上げる。
子供ながら随分色気のある目付き、これは将来女泣かせになるに違いないとどうでもいいことを考えながら、膝を深く曲げる。
「はじめまして。ジルって言うわ。君のお兄ちゃんと仲良くさせてもらっているの」
「ふうん」
「お名前は??」
「マシュー、四歳だよ!」
「そう、マシュー君っていうの。よろしく」
「うん!」
無理矢理引き上げた唇の端や頬が、少し痛む。
今までの自己紹介で一番緊張したかもしれない。
「ほら、マシュー。もういいだろ??それよりもみんな食べているから、お前も行って来いよ」
「にいちゃんといっしょがいい!」
「わかったわかった、じゃ、一緒にケーキ食べよう」
「うん!」
マシューの背中をそっと押し、テーブルの方へ誘導していくフレッドの後ろ姿。
意外に面倒見が良いのか、と、目を瞠っていると後ろから肩をポンと叩かれた。
振り返ると、さっきまでテーブルの傍にいたチェスターの店の従業員達数名、ケーキや料理を乗せた小皿やワインのボトルを手に立っていた。
「どうも、初めましてー、この間フレッド君を店に連れて来てくれた方ですよね??」
「あ、はぁ……」
「ケーキ食べますー??」
「おいおい、モデルさんに高カロリーなもん薦めたらダメだろ?!せめて果物にしろって」
「お酒もありますよ、ビールよりワインの方がいいですか??」
誕生会に参加を決めたものの、ジルが密かに気掛かりだったこと――、『子供を手懐けてチェスターに近づき、あわよくば……』を狙っている、などと思われないか。
人にどう思われようが気にしない、どうでもいいと生きてきたのに。
幸い、矢継ぎ早に話しかけてくる、彼ら彼女らのジルを見る目は好意に満ちており、ただの杞憂だったと内心ホッとする。
「ケーキもお酒もちょっとだけなら平気です。折角なので頂きます」
「それなら良かった!じゃ、どうぞ」
副店長と呼ばれていた女性が、ケーキの小皿とワインのグラスを差し出してくれた。
表面を青、緑、黄色のマジパンとアラザンでコーティングされた三段のスポンジケーキ。
スポンジを重ね合わせた間には、ブルーベリー、ラズベリー、生クリームがたっぷり挟んである。
他の人のケーキと比べ、大きさは三分の一小さく切り取ってあるが、少量とはいえワインも飲むから今日は夕食抜き、ストレッチは普段の倍の時間行おう。
胸焼けしそうに甘ったるいケーキをワインで流し込む。
さっぱりしたフルーツが食べたい。
テーブルに視線を巡らせ、フルーツを盛り合わせた大皿を見つける。
「取りましょうか??」
エリザが気を利かせ、ジルに尋ねた。
結構です、と断ろうとして、ふと思い止まる。
「……じゃあ、オレンジとグレープフルーツを少し」
「分かったわ」
微笑むエリザに遠慮がちに小皿を渡す。
「お母さん!私がやりたい!!」
横から急に入ってきたメアリが母の手から皿を奪い、フルーツ皿の脇に置いたトングを握りしめる。
「あの子ったら……、ごめんなさいね」
「いえ、元気な娘さんですね」
「元気というかお転婆すぎて……、誰に似たのやら」
ため息をつくエリザの横顔、呆れてはいても娘に向ける眼差しは温かい。
メアリも愛されて育っている――、微笑ましくもあり羨ましさも禁じ得ない。
当のメアリはなぜか嬉しそう顔で、フルーツを盛りつけた小皿をジルに返してくれた。
無邪気な笑顔を前に、自然とジルの笑顔は引き出されていた。
(2)
「チェスター、私と賭けをしない??」
「賭けとはナニかな、エリザさーん??」
「この勝負に私が勝ったら……、一つだけ言うことを聞いて」
「はぁ??」
「出張仕事に他の従業員を同行させて欲しい」
「や、俺、一人で充分だし……」
「後進を育てるのは大事よ。現状、あなた一人だけが仕事をやたらと抱え込んでる。もっと私達を頼って欲しいのよ」
「えー、店の方はちゃんと任せてるじゃないっすか。ちゃんと頼りにしてますよー」
ローテーブルを挟み、対面のソファーに腰掛けてチェスターとエリザが睨み合っている。
それぞれの手にはトランプのカードが数枚。
二人の周囲を子供達と従業員が囲む。
元々は全員でトランプゲームに興じていた。
ジルが最初、フレッドとマシューのペアが二番目に勝ち上がり、次いで他の者が一人二人と勝ち上がっては抜けていく中、最終的にチェスターとエリザの一騎打ちと相成ったのだ。
「どっちが勝つか、あたしらも賭けようよ!あたし、エリザさんに5ペンス!」
「オレ、エリザさんに5ポンド!」
「私もエリザさんに10ペンス!!」
「俺もエリザ小母さんに8ペンス」
「ちょっと、なんでエリザさんばっかりに賭けるのよ!私もエリザさんに賭けようと思うのに」
「ちょっとちょっとちょっとー!君らねぇ!!何で誰も俺に賭けないのよ?!って、フレッド、お前はまだ子供なんだから賭け事禁止!!メアリとエドもだからね!!」
「はいはい、子供は引っ込んでるよっと。結果が分かり切ったオールドメイドなんて見てても面白くないし、二階でマシューを昼寝させてくる」
フレッドはつまらなさそうに肩を竦めると、傍らで眠そうに目を擦るマシューの手を引き、騒がしい輪の中から抜け出す。
「で、ギャラガーさん、どうするの??」
「何が??」
扉の前で立ち止まったフレッドに問われ、ジルは首を傾げた。
察しが悪いと言いたげにフレッドは眉を寄せたが、再びジルに問う。
「父さんかエリザ小母さん、どっちに賭けるの??」
「端から参加する気ゼロだけど」
「ふーん」
「え、ジルちゃんも参加しようよ!!」
短時間の間に、若く気さくな従業員達からはすっかりファーストネーム呼びされている。
照れ臭くはあるが、決して不快さは感じない。
「ギャラガーさん、父さんには絶対賭けない方がいいですよ」
「だから、私はやらないって」
ドアノブに掛けた手を回しながら、フレッドは珍しく笑ってみせた。
彼の言葉と笑顔の意味――、ジルは後々深く理解することになる。
オールドメイドは日本でいうババ抜きのことです。




