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 どうして、こんな事をしてしまったんだろう。

 いや、こんな台詞を吐いてはいけない。自分が犯してしまった罪から目を背ける逃げ口上だ。アタシはそう思う。アタシは計画的に奴に鉄槌を下したのだ。言い逃れなど出来ない。

 そんなアタシが頼ったのは担任の教師だった。でっかくて、柔道部の顧問も務めている、誰よりも頼りになる人だ。

 あの男と取り巻きに追いかけられ、宿直室に匿ってもらった事は何度もある。

 その日も先生はそこにいたが、鼻血で染まったアタシの顔を見て、ただならぬ事態なのは把握してくれたらしい。

 アタシは先生に付き添って警察へ自首したが、それは意味がなかった。大抵の犯罪は被害者が存在しなければ成立しないからだ。身内の恥を徹底的に隠す。我がお家の恥ずべき点は多い。

 ただ、忘れてはならないのは、身内の恥であるのはあの男だけではなく、アタシ自身もその恥であるということだ。父はきっとアタシをとっ捕まえて幽閉でもしたいだろう。

 その罰は甘んじて受けたい。でも、アタシはもう家には戻れない。家に戻ると想像しただけで、足がすくみ、恐怖で体が動かなくなってしまう。流行りのPTSDというやつか。自ら計画し、自ら犯行に及び、自ら心に傷を負った。最低な人生だ。

 家も、家族も、制服も、教科書もない今のアタシは、一体どういう存在に成り下がってしまったんだろう。誰もそれに答えてはくれない。

 ただ毎日、先生の家にある勉強道具を借りて勉強し、小学校低学年の息子にゲームを教わり、残った時間は先生の家のソファに座っている他なかった。


「思い詰めるな」


 困ったことがあると、黙り込んでしまう事がアタシの癖らしい。

 そんな時は必ず、先生の大きな手が、アタシの頭に乗っかる。それだけで安心してしまう。

 アタシはこの先生をゴリラと呼んでいた。アタシに限らず、クラスの皆も。寛容なのか鈍感なのか、先生はそれを一切咎める事なんて無かった。

 でも、先生の奥さんはアタシの頭を撫でる行為をよく思っていなかった。


「また子供扱いする!」


 そう言ってアタシの頭から手をどけてしまう。そういえば、奥さんも元教師だって言ってたっけ。きっと生徒を一人の大人として扱う良い先生だったのだろう。

 残念ながら、アタシはまだガキなんだけどな。

 奥さんは先生の前ではそんな風に言うが、アタシのことは猫可愛がりしてくれていた。

 アタシは先生の奥さんがいなかったら、夜も眠れなかった。あの男が毎晩やって来るからだ。

 目を閉じると、足首を掴まれ、ぐいぐいと引っ張られる。その時は先生の奥さんに縋り付いて難を逃れるしかなかった。正義と思った鉄槌を下した事で、悪夢に苛まれるとは思ってもみなかった。


「こんばんはぁ。おーい! 靴脱ぐから大皿とケーキ受け取ってくれぇ」


 よく先生の家へ出入りする大学生の声だ。先生の息子を呼びつけないと靴も脱げない荷物ってなんだろう。

 まぁ、今日もご飯を集りに来たのは分かるのだが。

 この大学生の存在はありがたかった。

 頻繁にやってくるお陰で、アタシは先生の家族にご飯をいただく罪悪感が和らぐからだ。


「大声で言わないで!」


 奥さんと息子が大急ぎで玄関に殺到する。

 大学生がケーキを買ってきたからなんなんだろうか。

 そもそもそのケーキにアタシが口をつけて良いのかも分からない。三食食べさせてもらって、ずっと外にも出られない、ただの穀潰しが。



「ふぅ」


 お腹も気持もいっぱいで、眠れなかった。そんな時は、いつも外の街灯で適度に明るいリビングのソファに座り続ける。

 アタシ一人だけのために誕生日を祝われたのは、初めてだった。

 アタシにとっての誕生日は、母が何か欲しい物を買ってくれる日に過ぎなかったからだ。我が家は『序列』をしっかり付けているので、


「眠れないのか?」


 先生が隣に座る。誰も見ていないことを良い事に、その体に縋り付いた。

 呆れたように先生が頭に手を置いてくれる。


「ここで眠るんじゃないぞ。教師の家で生徒に風邪を引かせたくはないからな」

「どーせ眠れねーし」


 夜は、アタシにとって恐怖でしかなかった。

 あの男を殴りつけた手の感触が戻ってきて、鼻の奥から血の臭いが立ち込める。

 頭を優しく撫でられると、その恐怖は一気に消えていく。体の芯の部分が、少しずつだが、確実に熱くなる。その感覚を、アタシは嫌悪していた。

 この大きな手と大きな体に、抱いてはならない気持を抱いている。

 もう、お茶を一杯飲んだら寝ると告げると、先生は二階の書斎へと戻って行った。先生の本来のベッドはアタシのせいで使えない。


「おい、JK」

「は、はぁ? 何その呼び方?」


 そうだった。あの大学生が酔い潰れて、リビングに布団を敷いて寝ていたんだった。全く眼中に無かった。暗くなったリビングの中、上半身だけ起き上がった大学生が、アタシを睨んでいた。


「うるさい。お前は淫乱JKだ」


 反論の余地も無かった。


「お前の境遇には同情する。だが、あんな目で先生を見るな」


 そんな言い方しなくたって良いじゃないか。

 この大学生は先生におんぶにだっこのアタシを嫌っている。一応、教育実習生としてアタシのクラスに赴任することが決まっているらしいが、学校へ行けないアタシには関係のない事だった。


「……お前、俺のいる下宿へ来い。二週間で引き払うが、そのうちにちゃんと家に帰れるようになれ。金は俺が払う」

「は……?」


 大学生の目は怒りに燃えていた。

 嫌いな人間と生活するなんて、この大学生も自己犠牲精神に溢れ過ぎだ。先生から学んだのかな。ただ、非嫡出とはいえ、名家の長女を匿っているのは先生の一家の行く末に関わりかねない。この提案は渡りに船だ。

 問題は、眠れるかどうか。しかしそれは、アタシだけの問題だ。


「下宿のババアには明日聞く。どうせボケてるから俺のイトコとかいえば通る」


 ずんぐりして、顔はまぁ、普通という風体の男とアタシに顔の共通点は見つからない。一応お金も預金口座が止められていなければ、しばらく払えるくらいはあったはずだ。


「だ、大丈夫、かな?」

「知らん。ダメでも連れて行く。今日ここに来る時も、やたら家を見ている奴がいた。お前の関係者だな」


 もちろんアタシも気付いていた。だからアタシはこの家の迷惑になる前に出なくてはならなかったのだ。

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