3
3、
あの日、私の目の前で起こった惨劇がどんなに私を壊しても、私は死ぬ事を許されなかった。
降り続ける雨の中、私は焼け残った家屋をひとつひとつ覗いて、生存する者を探した。
だが、生きている邨人など、ただひとりも見つけることが出来ず、見いだせたのは死者ばかりだった。
皆、愛する者同士、互いを庇うように抱き合ったまま、横たわっていた
私が守るはずの邨人の死は、悲しみよりも虚しさが募り、私は自分を責めた。
せめてもの償いにと、林の奥にある村の墓場に穴を掘り、ひとりひとりの死者を丁寧に埋葬した。
遮那の身体を沈める時、遮那の左手首の腕輪を自分のそれと交換した。
父が私と遮那にくれた家宝のひとつだった。
「己の身を守る護符として、大切にせよ」と、言った父の言葉は一体何の意味があったのだろう、と、それを握りしめ、父を恨んだ。
「遮那、ごめんね、一緒にいられなくて…ごめん」
何度も何度も私は遮那の遺体に繰り返し謝った。
返事は無かった…
全ての者たちの埋葬が終わったのは、あの日から五日を過ぎた頃だった。
生きる為の食料は焼け残った土蔵の床下に隠されていたし、畑の井戸で飲み水は充分に確保できていた。
このままこの邨に居て、仕事から帰らぬ邨人や兄たちを待つ事は可能だった。
帰り着いた彼らに事の詳細を話し、今後の行く末を相談するのが、残された私のするべき道だったのだろう。
だが、私は怖かった。
何もできずに、独り生き残った私を、彼らは決して許すまい。ならば、私はこの邨に居る事はできない。
いっそ死んだ者として、一刻も早くこの邨から去るべきではないのか。
どのみち無責任だと責められようと、私はこの邨を破壊した奴らと対峙しなければならない。
だが、私は自信が無かった。
この年までこの邨から一歩も外に出た事はないのだ。
世間に疎い私が、世の人々に紛れて生きることができるのだろうか。
「兄さま…」
私は首元のチョーカーを指で撫でた。
ひと月前、長兄の紀威王が私に授けたものだ。
紀威王は弟の龍泉王と真蔓王からの連絡を受け、急遽、彼らの仕事を助ける為に旅立つ事になった。
「思ったより事が難しい方へ向かうかもしれない。傾国の術は簡単にはいかない生業だ。すぐには戻れないかもしれないな。邨の事は理玖に任せることになるが、おまえももうすぐ成人なのだから大丈夫だな」
「はい、ご心配なく、兄上さま。どうぞ、心置きなく為されます様。御武運を」
長兄は私を見下ろした後、ポケットから何やら取り出し、私の首に結んだ。
「このチョーカーはESPを増大させるものだ。いずれ必要になると思い、理玖の成人祝いとして渡そうと思ったけれどね」
「私の能力は乏しくて、あまり役に立たないと兄達も宇奈沙も言います。これを頂いたところで、皆の期待に応えられるのか…自信がない」
「自惚れるよりいずれのコンプレックスを持った者の方が、生き残る確率は高いものさ。理玖は何があっても生き残って、この邨を守るのだよ。手を下すのは私達で十分さ」
「…」
紀威王は私を優しく見つめると「大丈夫だ」と、言うように肩を叩いた。
私は何だかひとり前の大人の気分で、旅立つ兄を邨の門前で見送ったのだ。
あれから、兄達の連絡は一度もないままだった。
今、どこに居るのか、何をしているのかさえ、私は知る由もない。
邨を守れなかった私を、紀威王はどんな目で見るのだろう…
そう考えると、私は居ても立ってもいられなかった。
遮那の墓に別れを告げ、陽が山陰に隠れると同時に、私は邨の門跡に深く頭を下げ、山を下りた。
兄からのチョーカーと遮那の腕輪、そして父から授かった魔切だけが、私の頼るものとなった。
急いで降りたものの、港街までは二時間もかからなかった。
こんなに近場ならば、今までにいくらでも来る機会はあったものだと、少し悔やみはしたが、同時に人々の騒々しさは慣れない所為か、勘に触るものだった。
繁華街の通りには屋台が並び、夕食の時間の為か、大勢の人が飲み食いを楽しんでいる。
饅頭屋で饅頭を一つ買うと、店主が訝しげに私を観る。
「珍しい顔をしてなさるな。どこから来なさった?」
「…」
私は急いで外套のフードで頭を隠した。
自分が見えてないので、忘れがちになるが、金髪で白い肌の私の姿はこの地域では異人に見えるのだろう。
繁華街を足早に抜けて海の見える港へ向かった。
海の姿は邨の崖の上から、覗くことはできたが、こんなに近くで本物を見るのは初めてのものだから、少し胸が騒いだ。
波音は静かに私の耳に届き、慣れぬ潮の香りに何故か涙が出た。
もう、邨に戻る事はできまい…。
この海を渡って、どこかに行かなくてはならない。
守り役の宇奈沙は、この世界の事を様々な様式を持った国が沢山あるのだと教えてくれた。
幼い頃、邨の暗殺者たちの仕事ぶりを、宇奈沙は物語を読むように私に語った。
一度たりともしくじることもなく、暗殺者たちは完璧な仕事を熟してきた。この忍宇海の邨は永遠に語り継がれるものとなる…と、何度も言った。
しかし、旅から戻った邨人にこっそり世間の話を聞いたりすると、世界はこの邨と比べようもない程に発達し、目が回る程の速さと支離滅裂に彩られていると言う。
よく理解出来なかったが、彼らの話を聞く度に、邨を出て旅をするその日が待ち遠しくなったものだ。 皮肉なことに、こんな風に邨を離れることは望んではいなかったものに…
宇奈沙が井戸の中の蛙を知らないとは思わない。
彼は自分たちの仕事を肯定したかっただけではないのか…と、思う事もある。
金で請け負う暗殺者など、誰がどう見てもロクでもない商売だ。
だが私は忍宇海の邨を、邨人達を愛していた。
彼らの望む強いアサシンになりたかったのは、事実だ。
「こんなところで迷い子かな?」
不意に肩を叩かれ、振り向くと、初老の男が立っていた。
「親御さんは?…まさか、独りなのかい?」
優しげな顔をしたその男だ。
「あの船はどこに行くのか、知っているのか?」
港に接岸する船舶のひとつを指差して尋ねてみた。
「ああ、手前の船はインド洋を回って、ペルシア行だ。向こうの奴は日本海を横断してロシアに行く船だな」
「…」
インド洋、日本海、ロシア…。私には耳慣れない言葉だった。
「あの船は貨客船だな。おまえさん、船に乗って外国にでも行くつもりなのかい?」
「そのつもりだ」
「旅券は?旅券を持ってないと、外国船には乗れないんだよ」
「…」
「うむ、仕方がないね。あんた、金はあるかい?」
「一応持っている」
「少し高くつくが、すぐにパスポートを作る手立てはあるよ。正式に申請するとなると、一週間はかかるがね。どうするかい?」
「出来るなら明日にでも、ここを出たいんだ」
「じゃあ、決まりだな。儂に付いてきな。巧い偽造屋を教えるよ。ついでに今晩の宿屋も紹介しよう。なあに、大したサービスはできないが、腹が膨れるもんぐらいは出るさ」
私は何も言わず、頷いた。
男は嬉しそうに笑って、手招きをする。
闇に消えそうな港の向こう、狭い路地裏に向かう男の足取りは軽い。
私は澱んだ足取りで、その背中を追った。
路地裏の入り口には、化粧の濃い女が煙草を吸いながら立っていた。
女は私を見ると、何の興味もない様に後ろを向いた。
「こっちじゃよ」
再び男が愛想笑いで手招きをする。
通りの端の錆びた赤いカンテラが、潮風に揺れていた。