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「早速だが、君の邨の事を仲間に調べさせたのだが…かなり辛い報告になるが、聞くかね?理玖王」
「お願いします」
私は約束通り、二か月ぶりに「灰色の魔術師」イスファール・ファルマーンの居る「ホーリー・スピリット・コミュニオン」を訪問した。
イスファールは以前と変わらない穏やかな表情で、自ら私を部屋へ案内した。
前の部屋とは違って、誰が見ても豪華なクラシックの応接間だった。
中央のソファとは別に窓際の机の向こう側に金髪の男が居た。
イスファールは、彼がこの組織の代表であるハールート・リダ・アズラエルだと紹介した。
彼を見たのは初めてだ。なるほど、噂通りの選ばれた者が持つカリスマが表に出過ぎるぐらいの見栄えの良い青年だ。
白人の持つ気品、金粉を撒き散らしたような豪奢な金髪とサファイア色の瞳、容易に他者を受け入れぬ自己顕示欲の塊さえ、彼に魅入られた者ならば、引力となるだろう。
だが私にはハールートに惹きつけられる魂の余白は、すでに持ち合わせてはいなかった。
紹介された当人も吾関せずと言った風情で、私の方を一度も振り向くことなく、外の景色に目をやっていたのだが…
イスファールは、私をソファに座らせ、お茶を勧めた。
一息つくと、邨を滅ぼした者たち、即ち父や兄達の事をひとつひとつ丁寧に詳しく私に説明してくれた。ほとんどの事柄については、私にはもう決着の付いた話だった。だが、すでに知り果せた情報だったと言え、イスファールの話を聞いているうちに、走馬灯のように思い出され、段々と胸が詰まり自然と涙があふれ出した。
心から同情するように自分のハンカチを私に差し出すイスファールを、ただ人好きのする優しい男とは思わなかったが、今度は差し出された行為を突き放すことはしなかった。
「君の父親の千寿王の事だが…君の母親と共に殺されたらしい。家諸共焼かれてしまったのだが…。長兄の遺体もまた同じ街のホテルで見つかった。こちらは毒殺だった。おそらく殺ったのは君の兄達だろう。身内の殺し合いなど、君には辛い話ばかりになるのだが…」
「…真実であるならば…認めなくてはなりませんね。龍泉王も、真蔓王も、私にとっては大事な兄です。彼らが邨を攻め、父達を殺したとは思いたくはないが、同時にアサシンである以上、ありえないことではないのだと…理解できる…のです…」
「なんとも…痛ましい事だと、同情するよ」
「自業自得…と、言えるかもしれないけれど…」
「それで、理玖王。君はこの先どうするつもりなのだ?」
「兄達と決着を付けなければならないと考えているけれど、今の私の力では、彼らに太刀打ちなどはできないだろう。彼らは百戦錬磨のプロフェッショナルだから。彼らを打ち負かす為には、もっと腕を…能力を向上させなければならないと考えている。だが、どこで修行すればいいのか…。所詮私は井の中の蛙でしかない…」
「赤羽理玖王。俺はおまえの真意を聞きたいんだが」
それまでただ黙って窓の外だけを見ていたハールートが、ゆっくりと立ち上がり私に近寄った。
「…真意とは?」
私は目の前に立ったままのハールートを見上げながら問うた。
「あの男、アスタロト・レヴィ・クレメントに会ったんだろ?それで、どうだった?奴はおまえに何をした?何を言った?奴はおまえを気に入ったか?おまえは奴に惚れたのか?心を奪われて、それからどうなった?」
「…」
「落ち着いてください、ハールート様。理玖王はまだ十五しかならない子供なんですよ」
「馬鹿だな、アイザック(ハールートはイスファールを必ずこう呼ぶ)、十五ならもう大人だよ。少なくとも俺は世界がくだらないことを知っていた。そして、あの男はくだらない世界を自分のおもちゃのように好き勝手に楽しんでいる。全くもって気に喰わないね」
「…あなたは、ア-シュ…アスタロトをどう思っているのですか?」
「俺か?俺は気に入らないだけだよ。奴が魔王であっても神であっても、そんなもんどっちでもいいさ。奴がこの星の者じゃない事だけが真実さ。そんな奴にこの星の運命を決めさせてたまるものか。戦っても勝てない相手な事ぐらい知っている。バケモノだからな。なら、奴と交わることなく対峙するしかない。奴の思い通りにさせない運命を作り上げるしかない」
「私は…アスタロトを…アーシュを殺したい。兄達の事なんか本当は大して気に留める事柄でもないんだ。私は…アーシュの心臓をこの手で、この魔斬で切り刻んでやりたいだけだ」
「面白いな。それは憎しみか?それとも…愛か?」
「…両方だと思う。多分…いや、私も本当はわかっていないのだ。こんなにも心を突き動かすこの衝動の実態が何なのかを…」
「ふ~ん」
ハールートは白い顔を少しだけ紅潮させ、私を睨んだ。
「それならば、我が組織の一員になるのが、一番手っ取り早いな」
「ハールート様。この子はまだ子供ですよ」
「馬鹿者。この男は充分に大人の男だよ。すべてを失い、憎しみも愛する事も知っている。自分の運命もな。そんな男に力を貸すのは、当然の事だろ?アイザック」
「…」
「必要なものを彼に与え、十分な修行ができるよう面倒を見てやれよ」
「了解しました」
「赤羽理玖王。このホーリー・スピリット・コミュニオンは自らの目的を為す為に、自らを鍛える場所でもある。まずは何をしたいのかを決めて、精進しろ」
「私は…私の『呪い』で、アーシュを殺す。私の『呪い』は『愛』だ。アーシュはそれを求めている…」
ハールートは今度は声を上げて笑った。それは嘲弄ではなく、純粋な好奇心だと私は理解した。
「これから楽しくなるな。理玖王、期待しているよ」
「…」
私は返事をしなかった。この男を満足させるために、目的を果たす義務など微塵もない。
だが、今は彼らの力に頼るしかない現実は充分承知していた。
私は「よろしくお願いします」と、ふたりに深く頭を下げた。
部屋を出ようとする私に、ハールートは声を掛けた。
「ああ、忘れるところだったよ。おまえに手紙を預かっていたんだ。アイザック、渡してやれ」
「わかりました」
イスファールはハールートから手紙を受け取ると、私に差し出した。
「十日前、熊川弦十郎が君に渡してくれと、うちの受付に置いて行ったそうだ」
「弦十郎が?」
「君は何も言わずに、彼と別れたのだね。弦十郎は君が必ずここを訪れるだろうと言ってたらしいよ。君は存外…幸せ者なのかもしれないね」
私は手に取った白い封筒が、何故か怖くて、でも、大切な、誰にも触れられたくない宝物のように思えて仕方なかった。
係りの者から宿泊する部屋を与えられた私は、部屋に閉じこもり、すぐに弦十郎からの手紙を読んだ。
文字を追いながら、私は自分を責めずにはいられなかった。
もう戻る事の出来ない自分の運命を嘆いた。
「弦十郎、弦十郎…」
二度と会えぬ、愛しい人の名を繰り返す。
今夜は、選びそこなった運命をどんなにか悔いる事だろう。
私は一番大切なものを、自分で捨てたのだから。
理玖
おまえの事だから、俺がホテルに戻った時、きっともう居ないんだろうと予測してた。
でも、まあ…悲しかったよ。
俺には懐いてくれてたから、ひょっとして俺と一緒にってさ…期待してたんだ。
だが、おまえにとっての運命の男ってのは、やっぱりアーシュだったんだな。
アーシュの事をおまえに話したりしなきゃ、こんな事にはならなかったのか?って、自分の馬鹿さ加減にウンザリしたものだが、でも な、まあ、俺が話さなくても、きっとおまえはアーシュに繋がっていたんだろうって、思うよ。
勘違いするなよ。
俺だってアーシュは好きだ。大好きだ。でも、そんなもん理玖と比べ物になるかってえの。
俺にとっちゃ、おまえが一番なの。
甘えるのが下手なくせに、寂しがり屋の世間知らずのお坊ちゃん。たまんねえぐらい可愛くて、どんな宝石より大事に扱いたいし、 ずっと…ずっとさ、おまえの傍にいて、おまえを守りたかった。ホント、マジでそう思ってる。
アーシュを殺ろうなんて、おまえには絶対無理なんだから、さっさと俺のとこに戻ってこい!
おまえの顔を見たら、俺は説教するだろう。そんでおまえは俺の言う事なんか聞く耳を持たない。
それの繰り返し。だから、おまえは俺から逃げた。
そう、青春はいつだって青臭いもんさ。
なあ、おまえの居る場所は生きやすいか?
今更そんなもん望んでないって言うのか?
でもいつか…いつかな、俺が恋しくなったら…ならねえか。
じゃあ、アサシン業に飽きたなら、俺のところに戻ってきな。
いつまでも、俺はおまえを待ってるからさ。
だから、な、理玖。
絶対に死ぬなよ。
死ぬんじゃないよ、理玖。
苦しかったら俺を呼ぶんだぜ。
わかったな、理玖。
それまで、しばらく世間の荒波に揉まれてきな。
じゃあな。また、会う時まで、元気でな。
過保護の弦十郎より
ありがとう、弦十郎。
いつかの春に、あんたとニッポンで、サクラを観たかったよ。
本当に、観たかったんだ…
assassin 終