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14、
逃げるように、私は「天の王」からホテルへ全速力で帰りついた。
無駄に愛想を振りまくフロントから部屋の鍵を奪い取るようにして、部屋に戻り、ベッドに潜り込んだ。
震えが止まらなかった。
あの少年の一言が、己の人間としてのプライドを地に落としてくれた。
彼は心底、誠実で美しい。
そして私はああいうものを引き裂いて楽しむ性質なのだと、はっきり自覚した。
きっとアーシュは私の中に潜むそういうものをすべて見通した上で、私を拒んだのだろう。
私は正義を掲げて生きたいわけではない。だが、卑劣な人間になりたいと望んだことはない。
「真っ当な生き方を望むアサシンなど、この世にいるもんか」
アーシュの失笑が、私の耳に響くのだ。
おまえは私をただの子供と罵ったじゃないか。
そのひ弱な子供を助けようとはしないのか。
夜、私は弦十郎に長い手紙を書いた。
手紙など、この歳まで書いたことが無かった。ただ、弦十郎に対して、何の別れの言葉も残さずに去ってしまう事に、自分なりのケジメが欲しかった…いや、未練という感情がそうさせたのだろう。
未練…。
そうだ。まだ私は弦十郎と生きる道を選べるカードは手元にある。
だが、弦十郎を幸せにする未来が見えない。
手紙は弦十郎への感謝とお詫びに始まり、一緒に行けない自分勝手な我儘を吐き出した。アーシュへの歪んだ想いと、叶わぬと判っていて諦められぬ恋心、そして、決してアサシンを辞めることができない自分の運命を殴り書きで綴った。
感情剥き出しの愚痴などを、聞く輩などいまい。だが、弦十郎だけは、受け入れてくれなれけばならない。勝手な妄言だとわかっているけれど…
時間を掛けて書き終えた後、幾分気持ちが落ち着き、私はそのまま眠ってしまった。
次の朝早く、手紙をフロントに預け、私は独りホテルを後にした。
サマシティのセントラルステーションに向い、行く先も決めぬまま、最初に着いた列車に乗ろうとプラットホームで待つ。
柱の影に身を隠し、周りの様子を伺う。
朝の通勤の為か、ホームは思ったよりも混んでいる。誰もが足早に通り過ぎ、他人を気にする様子さえない。
皆、それぞれに目的を持って、列車を待っているのだろう。
私は…これからどこへ行けばいいのかさえ、わからない。
アーシュ…もう一度だけ会いたかった。
罵られてもいいから、もっとあの男に私の存在を知らしめたかった。
愛されないのなら、憎んで欲しい…なんて、思い上がりもいいとこ。
「やあ、おはよう、理玖王」
覚えのある声だった。
驚いて顔を上げたら、…目の前にアーシュがいる。
一昨日と同じように愛嬌のある笑みを浮かべ、黒縁の眼鏡と三つ揃いの地味なチェックのスーツを着こなしているが、妙に気取っているんだ。一見代わり映えしないはずなのに、明らかに、人離れした存在が目の前に居る。だが、誰もアーシュの存在には気づかない。
私はあまりの事に声も出ない。
想いが強すぎて、幻影でも見てるのではないかと、思わず手を伸ばした。
その手をためらいもなく握り返し、自分の方に引き寄せる力強さに、私は眩暈がした。
「あ…」
「おっと、倒れてくれるなよ。忙しい朝のラッシュ時に騒がれても困る」
「な…ぜ?」
「昨日、学園に来たって聞いてね。留守にして悪かった。お祭りはどうだった?馬鹿馬鹿しいと思っても、ああいう行事は、後になって案外と良い思い出になるんだぜ」
「…」
手を伸ばせばその透き通った白い頬にさえ届く距離なのに、私は目の前に魔王に見惚れてるだけだ。
「スバルも神也もおまえさんともっと話しかったってさ」
「…嘘を吐け」
「ホント。あいつら、珍客には目がない。神也なんか、友人になりたかった…なんてな」
「…」
「これは嘘。人は孤独でない限り、誰彼もと求めたりしない。神也にはスバルが居る」
やはりそうか。
あのふたりには、私が味わったことのない甘く緩やかな空気がまとわりついていた。
私はふと目の前の男にもそういう相手がいるのだろうかと、「あんたにも…いるのか?」と、口に出してしまった。
殺したいと願う相手の恋愛事など、筋違いも甚だしいが、アーシュは気にする様子もなく「居るよ」と、答えた。
「遥か遠いところに居る永遠の恋人。いつだって、どこにいたって、お互いを想い、魂も身体も果てなく求めてやまない愛しい、愛しい人。今こうしていても、俺は彼に愛しているって語りかけているんだ。どう?うらやましいだろ?」
「…」
羨ましいどころじゃない。嫉妬で狂いそうだ。
私は握られた手を振り切り、アーシュを睨んだ。
アーシュは呆れたように両手を軽く上げ、鼻で嗤う。
「全くね。弦十郎と別れて、こんな朝からひとりで行く充ての旅に出るなんてさ。かわいい十五のガキを憐れむ輩も多い事だろうよ」
「憐みなんか…いるものか」
「俺は理玖王を憐れんでいないぜ。俺はおまえに役目を与えた。弦十郎と別れたのは、その意味がわかったからだろ?」
「…」
「俺を愛してやまないのだね」
アーシュの右手が私の頬を撫でる。
私の心と身体の細胞が、昂ぶり、その感触に喜び、喘いでいるのがわかる。
ああ、人を愛するとは、こんな風に熱狂すると言う事なのか…
「どのような愛かを示せと、俺は言った。おまえの運命は俺を殺す事らしい」
「よく…言う。私にできないことだとわかっているクセに」
「当たり前だ。おまえみたいなガキに殺られたんじゃ、世紀の魔王の名が廃るってね。俺の名は未来永劫、この星に語り続けられる運命なのさ」
「…」
「だが、おまえの運命が勝れば、俺を殺せるかもしれない。その時は、褒めてやる。なんなら抱きしめてキスをくれてやってもいいぞ。それまでせいぜい修行して立派なアサシンになるんだな」
私にはアーシュのもくろみが何なのか、理解できない。
私に殺されたいのか?
全く違う意味なのか…
ただ、私の運命がアーシュに繋がっていることだけは、理解できたし、それはこの上もなく喜びであったのは確かだ。
取り敢えず、無視されるよりは、ずっと良い選択だ。
「お別れにひとつ教えてやろう」と、言うと、アーシュは私の耳元に口唇を近づけ、思わぬ言葉を囁いた。
「おまえの両親、ウルデールという街にいるよ」
「え?両親って…。母も父も死んだんじゃないのか?」
私はにわかに信じがたい告白に、アーシュを凝視した。
彼の漆黒の瞳の無数の煌きに見惚れながら。
「親父の遺体を見たわけでもないだろ?ふたりは生きている。だが、まもなく殺されるだろう。誰が殺るのかは…おまえにもわかるだろ?」
「…」
彼の言うことが真実ならば(すでに私の心はアーシュの言葉を信用していた。)、生きていると言う父と母を殺すのは、三人の兄たちの誰かであろう。
そして両親が死のうが生きようが、忍宇海の邨を失った私にとって、それほど重要な事実ではない。そう思える自分に驚かざるを得ない。
「まあ、どうでもいいけどさ、ケジメを付けるのなら、急ぎたまえよ。じゃあ、バイバイ。アサシンの理玖王くん」
そう言うと、私の返事など聞く風もなく、アーシュは私の前から映像が消えるが如くに去ってしまった。
私は唖然としたが、周りは誰一人気に留める様子もない。
サマシティという街は、異次元に繋がり、魔術師の集まる地だと言うのであれば、目の前の人間がまたたく間に消え去っても、さして珍しいものでもないのだろうか。
だが、異能力を扱う私でさえ、どのような魔法を使えば、姿形を消し去る事が出来るのか、全く理解不能だった。
アーシュこそが、異次元の魔法使いなのだろう。
その男を私が殺す?
殺さなきゃならない…だと?
それが彼の望みならば、
それが私とアーシュを繋ぐ運命の糸であれば、
私はその糸を繋ぎとめる為に、すべてを犠牲にできる…。
一陣の風が舞い、到着を知らせるベルが鳴り、ホームに列車が滑るように入る。
急ぎ足で乗車する人並みと同様に、どこ行きかも知らぬ列車に、私はひとり乗り込んだのだ。




