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聖堂に向かう道沿いには、様々な屋台が並び、売り子の生徒たちがにぎやかしく、客との接待を楽しんでいる。
皆なんて、活き活きと生きる喜びに溢れた眩しい顔をしているのだろう。
彼らには悩みや苦しみなどは、無いのだろうか。それとも、この学園での生活が、そんな豊かな笑顔を作らせるのだろうか…
こんな学園生活をせめて一度だけでもいいから、遮那に味あわせてやりたかった。
私は邨長を継ぐ者であったにも関わらず、あの子に…いや、邨の者たちに、何かを与えようとか、生きる喜びを味あわせたいとさえ、思いつく事もなかった。
どんなに後悔しても、すべては終わった事だ。
今や何ひとつとして私に叶えられるものなどない…。
況や…
この地は私自身を否定するような現実で溢れかえっている。
私には、サマシティという街が、この学園が私を追い詰め、排除しようとしているとしか、思えない…。
それも私の卑屈な心根の所為か…
聖堂の中は、大勢の人々で溢れていたが、誰もが聖堂の美しさに、ただ魅了されている様が伺えた。
確かに素晴らしい内装だと感じた。
古い歴史的な意味のあるものばかりだろうが、私に詳しい事は知り得ない。
だが、他の欧州の国々の聖堂は、宗教的な押し付けがましさを感じるが、この聖堂は石で作られているにも関わらず、あちこちに黒檀や紫檀などの木材障壁が目立ち、なにやら柔らかい感じがする。何より聖人や聖母の像などはひとつとして存在しないことで、決まりきった宗教観を排している。しかし、モザイクや円形の魔方陣が意味の分からない数文字が至る処に存在し、何らかの魔力の存在が、思考を惑乱させる。
一番目立つ正面のステンドグラスは、無限ループのようなモザイク螺旋模様が様々な色ガラスに嵌め込まれ、虹色の光に輝いている。
光は大理石の床へと射し込み、そこに描かれた銀のラテン数文字を淡く揺らめきながら浮かび上がらせているのだ。
この聖堂の魔力の力強さは一体…どこから来るのだろう。
サマシティの街は時空の狭間だと聞いたことがある。もしそれが事実なら、この場所がその入り口であってもおかしくない。それ程の魔力が満ち溢れている。
…
アスタロト・レヴィ・クレメント…
もしかしたら、あの男は…時空を超えた者…
まさか?
…
馬鹿馬鹿しい。そんな者の存在など、聞いた事もない。
その時、傾いた夕暮れの陽が西側のステンドグラスに差し込み、聖堂の中を覆い尽くしたのだ。
あまりの神々しさに聖堂に集うすべての人々が、一声に感嘆の声をあげた。
私は思わず目を瞑り、顔を伏せた。
とてもじゃないが、この光を真面に受ける精神力など持ち合わせてはいない。
私は急ぎ足で聖堂を出た。
どうして…誰もあの光を怖れないのだろう。
どうして、私だけが光から愛されず、闇の中で生きなければならないのだろう…
私が望んだんじゃない。
私は…
私だって、「光」も「愛」も欲しい。
あの男に…
アーシュに…
愛されたい。
そう願うことさえ、許されないのだろうか。
聖堂を出て、目立たぬ柱の角に倒れる様に座り込んだ。
気分が悪い。
きっとあの光に打たれた所為だ。
吐きそうだ…
アーシュにも会えないまま、ここを去るしかないのか…
「君、どうかした?怪我?それとも、気分が悪い?医務室に案内しようか?」
「…」
おせっかい野郎…
煩わしいと思いつつ、見知らぬ声のする方を見上げた。
この地域では見慣れぬ…でも見慣れた東洋の顔立ちをした眼鏡を掛けた男だ。
「…誰?」
「僕はここの教師でスバルと言うんだけど…。君…え?」
「…」
「あ、ちょっと神也くん」
「なんだ?」
こんどは後ろに居た少年、これも東洋系の顔立ちだ。
「この人、気分が悪そうなんだ。悪いけど、あっちの出店であったかい飲み物かなにか、売ってたよね。買ってきてくれる?」
「…わかった」
その子はスバルとか言う教師にお金を貰うと、急ぐ様子もなく、出店の方へ向かった。
これ以上、ここの者たちに関わりたくないと思い、私は立ち上がろうとした。
だが、思わぬ眩暈に足元がおぼつかない。仕方なく私はその場にまた腰を下ろした。
「大丈夫だよ。何もしないから。…君、昨日、アーシュを殺そうとしたアサシン君だろ?え~と、確か、名前は理玖王」
「!」
「そんなに驚かないで。僕はアーシュに聞かされただけだよ。今日、ここに君が来るだろうから、相手してやってくれって…。まあ、なんというか、あいつはいつもそう。自分以外で事足りると思った事は、全部他の奴に押し付ける悪い癖があるんだ」
「…アーシュ…」
「アーシュに会いに来たんだね。でもアーシュは仕事で居ないよ。朝早く出てった。ああ見えて、色々と忙しないんだよ。ごめんね。とんだ場違いの僕で。でも、アーシュは君が東洋から来たことを知って僕にこの役目を回したと思うんだ。僕も、さっきの子、神也くんって言うんだけどね、彼もニッポン人なんだよ。僕はあちこちで暮らしていたんだけど、彼は純粋なニッポン生まれのニッポン育ちなんだ。気兼ねはしないでくれ」
「私は…アサシンだ。おまえ達の大事なアスタロトを殺しに来た殺し屋だ。それを親切にしてどうする」
「さあ、アーシュの考えてることは、僕にはわからない。ただね、アーシュは誰彼も、人には何かの役割があると言う。アーシュを殺しに来た君にも、大切な役目があるのかもしれない。それが君を許す理由」
「…」
眼鏡の奥の茶色い瞳に、翳りはない。この男の言葉は、真実だと判る。
「スバル、これ」
先程の少年、神也が紙コップと小袋をスバルに渡した。
「これは?」
「ココアを買ったら、おまけにクッキーをくれた」
「そっか、良かったね」
「うん」
ふたり見合わせた顔は、誰が見ても信頼と愛情に溢れ、ふたりだけの充足な空気が漂っている。そんな些細な事ですら、今の私の乾いた心には虚しさしか沸いてこないのだ。
醜い嫉妬でしかない。それを自覚することさえ、煩わしいのだ。
「熱いから気を付けて」
「そんなもの、いらないっ!」
目の前に差し出された紙コップを、私は思い切り振り払った。
「あっつ!」
ものの見事に熱いココアが、男の腕と顔に飛び散った。
それを見た私は、ワザとではないこの出来事に、少しだけ気分が晴れ晴れとしたことは事実だ。
「スバル、大丈夫か?」
「大丈夫だよ、大したことじゃないから」
慌てるふたりを横目で見届けながら、私は立ち上がり、門へ向かおうと急いだ。
その時、後ろから声が聞こえたのだ。
「待ってくれ、理玖王」
「…」
私はゆっくりと振り返った。彼らがどんな顔をして、私に怒りを向けるのかを、知りたかった。
神也と言う少年が、まっすぐに私を見ていた。
「心配しなくていい。スバルなら大丈夫だ。火傷もしてない」
「…」
「理玖王、おまえは何も悪くない。だから、おまえは、苦しむ必要などないのだ」
「……」
澄み切った少年の声が、私の汚れた擦りガラスの魂を、粉々に砕いた。
私は…醜い。自分の愚かさに反吐が出る。だが、そんな自分を捨てる事はできないんだ。
わかっていた。
ここは、私の居る場所ではない。
私はもう二度と振り向くことはしなかった。