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「ほら、あれがこの学園の中心に建つこの街で一番古い聖堂。その向こう側にこの街一番の巨大な図書館がある。まあ、サマシティはこの天の王学園を中心に栄えた街だから、いわばサマシティの縮図みたいなもんさ。年代物の宝庫だよ」
私の前を歩く男が、世を震わす稀代の魔術師、アスタロト・レヴィ・クレメント…。
この男を美少年だと豪語した弦十郎の記憶よりも、年嵩に見える。長兄とまでは言わないけれど、次兄と三兄ぐらいには見える。だが背丈は兄達よりも高い。
極上の布地に仕立ての良いコート、よく磨かれたブーツと赤いマフラー。
眼鏡を掛けて地味に見せているが、「普遍的な美」と言う造形に、私も異論はない。
彼は必要なだけの愛想を振りまきながら、私を案内する。
初めて会う私にも、緊張は見せてないし、何かを疑う気色は見当たらない。
「そんで右側が養護院と初等科。左が中等科に高等科。それぞれに学生用の寄宿舎と食堂と教員宿舎が整っている。ところで、君幾つ?」
「え?…十五」
「じゃあ、高等科志望だな」
「…」
「うち、結構、レベル高いから、沢山勉強しないと受からないよ。と、言っても学長である俺のコネがあれば、誰も文句は言わないけどね」
学校の事を聞かれても私にはわからない。
長の息子に生まれた者には、専門の家庭教師が居た。
沢山の知識を学んではいたが、孤独だった。
それを恨んだことは一度も無いけれど…
そんなことより、この学校の景色はどうだ。
建物や校内の広さと大きさにも圧倒されるが、何よりも清潔だ。
足元の石畳は、彼の言う聖堂へと一直線に伸び、両側に並んだ街路樹の黄金に紅葉した木々が、時折射す日差しにトパーズのように輝いている。
見惚れている私に気づいたのか、アスタロトは「気に入った?ここは魔力が強いから、木々も他よりも落葉が遅いらしい。季節に怯えないんだよ。だが誰もが自然には逆らえないもんさ。枯葉の寝床も充分に用意がある。お客様にはとっておきの場所を教えるよ。こちらの方が近道なんだよ」と、言いながら、石畳の道を離れて、林の方へと案内する。
生徒たちが残したであろう路を歩くアスタロトに、不審な所など見当たらない。
やはり彼は私を只の見学者と認識しているのだろう。
私はアスタロトの後ろを付かず離れずの距離を取って歩いた。
近づきすぎて私の考えを読まれでもしたら、元子も無いし、かといって、腰に隠した「魔斬」でいつでもこの男を殺せる距離にいたい。
「さっき、養護院って言ったけど、俺、赤ん坊の時この学園の門に捨てられたんだって。で、先の学長に拾われて、養護院で育ったんだ。ここは親を知らない子供も多い。君、親御さんは」
「…母はいません。父も…先日亡くなりました…」
「そう、兄弟は?」
「…」
「まあ、それぞれ色々な事情があるものさ。複雑な生い立ちほど、自分を助ける魔力は強かったりする者も多い。勿論使い方次第だけどね。そうそう、この『天の王』の養護院に世話になるには、それ相当の魔力が必要でね。俺は『天の王』始まって以来の天才魔術師だから文句なしの優等生なんだぜ。で、君は魔法は使えるのかい?」
「…多少は」
「そう。でもさ、まだまだ全然使いこなせてないね。『天の王』で本気で学びたいのならともかく、俺を殺しに来る腕前じゃあない…ぜ…」
「!」
私はアスタロトの言葉が終わる前に、「魔斬」の鞘を抜き、奴の喉元を目がけて飛びかかった。
私の正体を気づいた驚きよりも、暗殺者としての本能が動いたのだ。
足元の枯葉が木々の間に激しく舞い上がった。
私は身を低くして、次の姿勢を取る。
手ごたえはあった。
次に見るのは、首の無い奴の身体だけのはずだ。
「…ったく、これだから、出来の悪いガキは嫌いなんだよ。なんだってこう、乱暴者なんだろうかねえ~。躾がなってねえ」
「……」
私は顔を上げて、奴を見た。
アスタロトは、なんでもなかったように同じ場所に同じ姿でただ立っていた。
「折角のお気に入りのマフラーを台無しにしやがって。おい、赤羽理玖王、どうしてくれるんだ!」
「…」
赤いマフラーの切れ端が、奴の前に落ちている。
そ…そんなバカなことがあるのか?
私の「魔斬」が狙ったものを外さないわけがない…。
「そんなびっくりした顔しなさんなって。君を見た時からわかっていたよ。だって、殺すオーラ出まくりだもん」
「ど、どうして私の名を?」
「どうしてって…。あのな、俺を見縊ってもらっちゃあ困るんだよ。一応ね。この世界で一番のスーパー魔術師なんですよ。つうか、よく弦十郎は君みたいな危ないガキに惚れたもんだなあ。あの頃は金髪を毛嫌いしてたクセして、結局金髪の美少年に入れ込むんだからさあ。これだからショタ好きのおっさんは信用ならない。まあ、俺も君みたいな綺麗な子は嫌いではないんだがねえ~」
「……」
私は自分の力をどこかで過信していた自身を詰った。
父親や兄達をいつか越えていけるのだと信じていた。
私は頂点に立つ者だと自惚れていた。
だが、どうだ。
今の私は、散らばった枯葉に跪き、魔切を持った右手は冷汗に濡れ、左手は恐怖に震えている。
アスタロトが枯葉を踏みしめながら、這いつくばった私にゆっくりと近づいてくる。
私は身動き一つ出来ないままでいた。
遥かに凌ぐ者の存在に慄いていたのだ。
彼は身動きできない私の眼前に腰を下ろし、眼鏡を外して、私を見下ろした。
「悪いが結界を張らせてもらったよ。校内で刀を振り回してもらっちゃ困る。運悪く見つかったら、生徒たちの格好のネタになるし、保護者も五月蠅いしね。君が思い通り動けないのも、俺の魔法の所為だよ。まあ、なんつうかさあ、俺を殺したいっていう理由が知りたいんだが…」
「…」
「全く見当たらない。君の邨を襲ったのは俺じゃないし、君の不幸も俺の所為じゃない。まあ、兄貴たちには幾らか恩があるけどね」
「兄…を何故知ってる?」
「三人とも俺を殺しに来たよ。次男と三男は一緒だった。その後、長兄がやってきた。先に来たふたりの方はマジに殺る気だったけど、色々諭したら、納得して帰っちゃった。長兄の方は…殺しより、お悩み相談だな。自分の生き方を迷っていた。ありゃ、アサシン稼業より、学者向きだね。そう言ったら、お礼を言って帰ったよ」
「…」
「なんつうかさあ、金で雇われた殺し屋に、俺が殺れるわけないんだよね。だって憎しみも愛情もない殺意など、到底意志を全うできるわけがないじゃない。彼らは人の優しさを求めている」
「ち…がう」
「いや、違わないさ。君もそうだ。ホントはアサシンなんてやりたくない。殺し屋稼業の邨を憎んでいる。邨ごと無くなって、長の重圧も無くなって、ホッとしてるってのが本音。でも死んだ者たちを報いる為に、嫌々敵を探してる。誰だっていいんだ。自分を納得させてくれる強い者なら、誰が敵であろうとも構わない。…という、とてもいい加減な目的で俺を殺しに来たところで、そんなもん成就するわけねえし」
「…」
私は彼の顔を凝視した。いや、させられたのだ。
人の子とは思えない美貌に、魂が震えた。彼の瞳の黒い宇宙に見える銀河に私は投げ込まれた気分で、眩暈がする。
それでも私の眼は、彼から逃れられない。
彼の手が、私の頬を包み、彼の指が、私の口唇を撫でた。
「俺を殺したいなら、本気におなり。憎しみだけでも呪いだけでも、俺は殺せないよ」
「わ、私は…」
私の言葉を遮り、彼は私の口唇に、接吻をした…。
彼は私に笑いかける。
「残念だが、君は不合格。『天の王』に中途半端なアサシンを入学させられない。君さあ、余計なお世話だけど、さっさと殺し屋なんぞ辞めて、弦十郎と仲よく幸せに暮らした方が良い人生になると思うぜ」
身体の中の力と言う力が抜けていく。
私には自分を支える腕も足もない。
ただ、彼の足もとに這いつくばるだけの無能な子供でしかないのか…
枯葉の音と共に、彼は私の目の前で立ち上がった。
しかし、今の私には、彼を見上げる力はなかった。
「それでも、俺を殺したいと望むなら…君にチャンスをやろう。いいかい?俺は『愛』でしか殺せない。よおく意味を考えるんだよ。アサシンの赤羽理玖王くん」
彼の言葉が遠く響いた気がしたが、私はそれ以上意識を留めることができなかった。