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弦十郎と共に、シュテーンの街からサマシティを目指していた頃になると、辺りの風景は秋から冬に変わりつつあった。
私もいつの間にか、成人となる十五歳を過ぎていた。
忍海の邨が未だ世に在ったならば、新しき邨の長の為に、きっと華やかな祭りで私を祝ってくれたのだろう。
二度と叶わぬ空事は、思うだけでも虚しさが募るものだ。
そう呟くと、弦十郎は私の想いを汲むように、私を抱き寄せてくれた。
「俺じゃ役不足だろうけど、嫌じゃないならずっと理玖の傍にいてやるよ。少しは寂しさも減るだろ?」
弦十郎の優しさに打たれながらも、私の心を占めるものは最早、あの男の事しかなかった。
きっと弦十郎にはわかるまい。
私には拠り所が必要だ。それがアスタロト・レヴィ・クレメントを殺すことなのだろう。
何故なのかはわからない。
何故こんなにも彼を求めてしまうのか…わからない。
私は会う前からすでに、彼に惹かれていた。
彼に会えば…
彼が私を受け止めてくれたら…
私は、今の私を変える事が出来るのだろうか。
パリという華やかな街で、弦十郎は私の為に冬物の服やコートと、革靴を揃えてくれた。
「さすが、俺の惚れた男だけのことはあるなあ。なんでも似合って選ぶのに悩むよ、理玖」
「こんなにしてもらう理由などないのだが…」
「遠慮するなって。理玖の誕生日プレゼントだ。まあ、おまえが金に困っていないのは知っているけどなあ。あんまり身だしなみに気を付けてないというか…。せっかく美形に生まれついてるんだから、もう少し恰好つけろよ」
「恰好を気にしても、意味がないだろう」
「馬鹿だね。人は最初の見た目から判断するの。汚いより綺麗な方が、好まれる。好きか嫌いっていうのは、人の感性だろうけど、美しさは意外と不変なものだからね。理玖の見た目は誰もが美しいと認めるよ」
「『美』が特になるとは一概に言えまい」
「屁理屈じゃねえの。俺が綺麗な理玖を見ていたいってえのっ!」
上機嫌であれやこれやと私のコートを選ぶ弦十郎を、私は嫌いではない。
私を愛してくれる者が傍に居る安らぎは、敵を討つためだけの宿命を背負わされた私の重荷を、軽くしてくれる。
「それにな、サマシティってところはさ、見た目重視の街だから、理玖が甞められない為にも、身だしなみは大事だぜ」
結局、私は弦十郎の勧めに従った。
新しいスーツやコートは慣れるまでは少々窮屈に感じたが、オーダーで作った皮の靴は、今までの物よりも数段に足に合うものだったから、素直に礼を言うと、弦十郎は破顔しながら喜んでいた。
サマシティに着いた夜は雪がちらついていたが、明け方には止んでいた。
雪は残っていなかったが、曇天の暗さが気持ちを沈ませた。
弦十郎は朝から商売の取引関係の客に挨拶に行くと、ホテルを出て行った。
午後からアスタロト・レヴィ・クレメントのいる「天の王」学園に一緒に出向こうという約束だったが、私は独りで行くことに決めていた。
店で地図を買って、街並を歩く。
私の知らない街。
何ひとつ縁も所縁もない、見知らぬ街。
忍海の邨とはまるで違う。
これまで旅した街とも、どこかが違う。
なんというか…足元の煉瓦の歩道も並木道を走る車も出店も、ゴミひとつない清潔さを纏い、歩く人々は緩やかに柔和な顔で語り合い、笑いあっているのだ。
こんなに安心しきった人の顔を、邨は勿論の事、他の街でも私は見た事が無い。
何より、どんよりとした空にも関わらず、街全体を清冽な空気が満たしている。
…
アスタロトの所為なのか?
魔王と崇められている奇談の魔術師のおかげなのだろうか…
彼の統治が、街の人々を安心に生かせているのだとしたら、彼は街の者にとっては良い魔術師なのだろう。
況や、力を持つ者とは、見る者にとって、正義にも邪悪にもなり得るものだ。
だが、私は哲学者でも夢想家でもない。
私にとって、アスタロト・レヴィ・クレメントは、殺す者…それだけなのだ。
目的である「天の王」の学校は、私が想像するよりずっと広大なものだった。
どこまでも続く赤レンガの塀に沿って歩いていく。
相当な距離を歩いてやっと正門が見えてきた。
締め切った門の中を覗いてみるが、高い建物があるぐらいで、先は果てが無い。
ひとつの学校が、忍海の邨など歯牙にもかけない巨大さに私は面食らってしまう。
一体どれだけの学生が、何の目的を持って、何の為に勉強をしているというのだろう。
頑丈な正門は重く閉ざされ、高さも見上げる程にあったが、中に入り込む術は私には容易いものだった。
だが、忍び込んだその先を、私が未だに想像できずにいた為、躊躇してしまう。
偽の受験生として学校の見学希望を示し、校内に入る手筈は弦十郎と決めていたのだが。
上手くあの男と出会うかどうかはわからないけれど、この中に入らなければ、私の望みは叶わない。
通用門にある呼び鈴を鳴らそうとした時、ふと後ろから声がした。
「『天の王』に、なにか用事?」
「は…はい。あ…の、一度この学校を見学したくて…」
「へえ~、今の時期に珍しいね。ま、いっか。じゃあさ、学長である俺が自ら案内してやるよ」
「…」
彼…アスタロト・レヴィ・クレメントは、運命の如く私の前に現われ、優美な笑みを私に投げかけ、そして、通用門の鍵を開け、私を門の中へと手招きする。
私は吸い込まれるように、狭い通用門を潜り、彼の元へとゆく。




