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「姫様の留守中にこんな物が届いていたのです」


 精緻な細工を施された小箱を小さな胸に抱いて徐曠が報告した。


 材質は銅で、赤く鈍い輝きを発している。

 蓋の部分以外は一枚の銅板を延べたもののようで、職人の技巧が凝らされているのが分かる。

 箱の上部が開くようになっていて、小さな取っ手には龍の彫像が彫り込まれているのが秀逸だ。

 一見して宝石箱のように見える。

 鍵などは付いておらず、細紐が一重に巻かれているだけのなんとも上品な品である。

 その姿は、いかにも開いて欲しそうな、見る者が開きたくなるような姿形をしている。


 私は嫌な予感がした。


 きっと碌でもない物が入っているに違いない。

 両手にすっぽりと収まるサイズなので、刃物が混入されていてもその殺傷能力は知れている。

 危険物として配慮するならば、その刃に毒が塗ってある可能性を考える。

 若しくは、毒蟲、毒液。二、三百年先ならば、爆発物も考慮に入るが、今は黒色火薬も存在しない。


「桂陽太守からの贈り物だそうですー」


 言われた王韙はまだ眠り足りないのか、ピッチリと正装してはいるが、手の甲でごしごし半開きの眼を擦っている。


「それは嫌がらせじゃ。捨て置いて構わん。いや、むしろ積極的に捨てて来るのじゃ」


 良い判断力である。容易に開けるべきではない。きっと後悔するだろう。


 なぜかは分からないが、虫の知らせというのだろうか、こめかみの辺りがピリリと痺れて危険を知らせる。


「えー、勿体ないですー。稚由が貰っちゃってもいいですかー。どう見てもこれはお値打ち物です」


 阿る仕草はやはり女性に限る。

 彼女のその姿を見ていると、女子高生などに簡単にころりと落とされるおじさまの気持ちが少し分かるような気がして、自分自身に叱咤したくなった。

 逆に男に可愛げに言い寄られても、何も買ってやりたくなどないし、嬉しくなんてさらにない。

 特殊な性癖の方を除くと、女性は女性に好意を持ち得るが、男性は男性に好意を持ちにくいようだ。


「別に構わんが、お主が期待するような物は決してそこには無いぞ? 酷く落胆するか、酷く後悔するか、酷く憤慨するかどれかじゃ。いいや、多分全部じゃ」


「箱だけ質に入れてもちょっとした小遣いにはなりますー。確かに拝領致しました。どうもありがとうございます。姫様」


 せっかくの忠告は、残念ながら物欲のバリアーに遮られて彼女には届いていなかった。思いがけない拾い物にはしゃぐ子供そのもののようで、了承の意を受け取ると、欣喜雀躍して、自室に戻ったようである。


「止めておけばよいのに。あ奴はセコ過ぎていかん。金や物では満たされぬ物が多々あるのだと気づかねばならんな」


 まっとうな意見だが、価値観は人それぞれなので、容易に首肯できるかといえばそうもいかない。

 徐曠の生い立ちを想えば、貧乏に泣いた経験も数多くあったのだろうし、そのプライドが傷つかない程度には金品をせしめる機会を逃すべきではないというのも正解であると思う。


 しかし、「桂陽太守からの送り物」と、徐曠は言った。


 桂陽とは、ここ長沙の隣、南方に位置する郡の名である。

 武功山脈と南嶺山脈という山地の一部をその地域に多く含んでいる為、住みにくく、その為人口は長沙郡の半分ほどであるが、経済的には最近景気がいいらしい。


 長沙太守の王粛ではなく、王韙宛てにあんな高価そうな物が贈られてくるのはどういう訳だろう。

 彼女との接点が気になるところだ。

 桂陽太守が好色丸出しのオヤジであるならばただのロリコンだと得心もいくだろうが、太守はこの中華でも珍しい女性であるし、まだ年若いそうだ。


「桂陽の太守とは知り合いなのか?」


「ああ、知り合いじゃ。二度ほど会うた。二度とも二年程前じゃった。奴の亡き父が長沙を訪ねた時にあ奴も一緒じゃったのじゃ。やけに妾に絡んできおってのう。何が楽しいのか知らんが、とてつもなくつまらん嫌がらせばかりしてきおった」


 記憶をまさぐっているのだろう、嫌いな虫でも探すように視線をうろうろさせている。


「嫌がらせというと、どんな?」


「それはそれは地味な嫌がらせじゃ。初対面の時は挨拶もせんうちに無言で足をぐいぐい踏んできおったんで、仕返しに膝の裏を蹴り上げてやったわ。すっころんでおったぞ」


「なんだそれ。本当につまらんな。そんなのばっかりか?」


「うむ。概ねそんなもんじゃ。その後は、急に背後から脇をこそばされたり、尻を触られたりしたな。いや、触るなどという生やさしいものではなくて、揉み上げられたという感じじゃった。二度目に会うた時は、花冠に棘のある植物を仕込んでおった。妾の食事にだけこっそり大量の岩塩を混入したりもした。あとは乳を揉まれたり、頬を吸われたりした。それきり会うことはないが、あ奴が太守になってからも妙な贈品を送ってきおるんじゃ。本当に気持ちの悪い奴じゃ」


 への字に口を曲げて酸っぱい物でも食べた顔である。無理もない。


「何がしたいんだ。一体。誰かに相手して欲しくてちょっかいかけてる寂しい奴なのか?」


「妾が知るか。そんな事。まあ、こちらとしてもやられてばかりではない。当然、逐一やり返してやっておる」


 功績を誉めて貰いたがっている人の得意そうな顔で王韙は話す。

 聞いて欲しそうなプレッシャーが私に絡み付いてくるので、仕方なく私は質問していた。まあ、私から話題を振ったので、聞くのが礼儀でもあるだろう。


「どんな仕返しをしたんだ?」


「あ奴の嫌いなカエルを袋いっぱいに送りつけてやったこともあるし、呪いの人形を枕元に投げ込ませた事もある。最新の意趣返しは、妾が履き古した靴を送りつけてやったんじゃ。しかも半年間洗わず履き続けた部屋履きじゃ。死んだ魚のような臭いが奴の部屋中に漂ったことじゃろう。奴の苦々しげな顔が目に浮かぶようじゃ」


 ……いや、いいんだけど。


「その告白は、お前の足の臭いが魚の腐臭だと明言している訳だが。それはいいんだな?」


「構わん。妾は、己の揺るがぬ正義と同様、己から滲み出る体臭や体液をも愛して止まないのじゃ。妾は妾を肯定する。妾は妾を肯定する者を愛する。天地が真逆になろうともじゃ」


 どんだけ自分好きなんだ。ナルキッソスもビックリしてるだろうさ。


「まあ、好きにしたらいい」


 しばらくすると、いそいそと徐曠が消えた扉の向こうから、金切り声が響いた。


 箱の中身は蟷螂の卵嚢だったらしい。


 いくつもいくつも、これでもかというほどに詰め込まれていたそうで、開封と同時に室内に幾千も散じたという。


 仕方がないので救援に向かう私は非常に優しいと思う。

 仰天して情けない姿を晒している童女を引き起こすと、贈り物を検めてみた。


 箱に篭められていたのは卵と幼生ばかりではなかった。


 それらを苦労して取り除くと、底から一枚の紙切れがヒラリと舞った。そこには『諾』と、一文字だけ大書されていた。


 この意味を模索していると、王韙は何事か閃いたようで、すでに夕刻であるにも関わらず父、王粛に合いに行く事を表明した。


 徐曠は付いてゆくと駄々をこねたが、留守番に残され、私だけが彼女に伴った。


 このご時世である。道程でホームレスや食い詰め者にすれ違うことなど気にも留めなかったが、彼らの中に混じっていた男は、きっと我々の後をつけて来ていたのだろう。


「太守。妾を桂陽へ遣わしてくれ。さすれば、直ちに同盟を取り付け、援軍を約束させよう。明後日には早馬で吉報を報せよう」


 王粛に面会した開口一番、頼まれもしないのにそんな事を約束した。


 突然の娘の来訪に困惑している太守が答えに窮しているところに、風体の怪しい男が王韙を捕縛したのである。



 そして、ようやく物語の冒頭にたどり着く。


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