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 以上のつまらないやり取りで、私と徐曠との関係を大方察して頂ければ幸いである。


 私の方では狂犬のような小娘など取り合ってはいないが、むこうの方で何かと面倒で支離滅裂な因縁をつけてくるのだ。まったく、ヤクザと変わりない。極道少女である。


 それはそうと、王韙が疲れを覚えた事については、別に心当たりがあった。


 放っておけば黎明の頃まで続きそうなくだらない会議から抜け出して邸に戻る道で、一人の女に出会った。


 その女を見た瞬間、私の隣を闊歩していた王韙は夜道に怪物にでも行き遭った人のように、石像にでもされてしまったかのように固まった。


「ずいぶん、偉くなったものだわね。王韙ちゃん」


 私はその呼びかけにただならぬ悪意を感じた。


 普通、この国では本名(この場合は「韙」)は、親やごく親しい親族。かなり目上の人間しか使うことはない。それは、忌み名と言って、口に出して呼ぶのは不吉であるとされているからだ。


 なのに、女は「王韙」とさも自宅で飼っている犬でも呼ぶように軽々しく、いや、それにしては多量に棘を含んだニュアンスで呼んだ。

 それも、明らかに険のある口調、侮蔑と敵意の籠った台詞を前に置いて、だ。その結果、王韙は硬直状態である。


 以上から推測するに、妖しく微笑むこの女は、多分彼女の敵だろう。少なくとも味方ではない。


 年の頃は土俵際で三十歳を過ぎないように見える。


 妖艶な色香をまとっており、いろいろな場所がモリモリと刺激的であった。私を含め、見る者、特に男性にはなぜだか後ろめたい気持ちを抱かせる悪女感満載の風貌をしていた。


「な、なんのことじゃ?」


 ようやく振り絞った言葉はそれだけだった。


 普段饒舌な彼女は、今は間欠泉のように、歯切れが悪い。狼狽しているのが、傍目に痛々しくて、私はほんのわずかに悲しくなった。


「この間、重臣達の前で啖呵を切ったらしいじゃないの。荊州軍と戦うって息巻いてたって。正気の沙汰ではないわ。相手の軍事力は十倍以上っていうじゃない。ついにあなた、おかしくなってしまったのかと心配になったのよ。それって私のせい? て、ちょっとだけ後ろめたくなってしまったわ。でも、私の亭主は驚いていたわ。あんなに凛々しくなられたのだな、だって。褒めていたわ。愚かね」


 女はさも不快だ、と言う風に眉根に皺を作り、軽く頭を振った。そして、我が主様に向けて、汚い物でも見るような侮蔑の目を寄こした。


 こんな侮辱を受けて黙っている王韙ではなかったが、彼女はやはり射竦められたように動かない。それとも動けないのだろうか。


 どちらにしても、相手からの反撃がないので、女はガアガアと元気なアヒルのようにしゃべり続けた。

 元気ではあるが、どこか全体的に投げやりなしゃべり方だった。

 出てきた言葉を一旦手のひらに乗せて、相手に吐息と共に吹き替けるような。それに、いちいちプリプリと腰を振って艶めかしい。


「太守の意志も、もう降伏に決まっているわ。ただ、その後の自分の立場を考えて悩んだり、悩んだふりをしていたり。それだけよ。うちの亭主が直接本人に聞いたのだから絶対に間違いのない事だわ」


 それは、ありそうな話ではある。あの気の小さい大男は、意外にしたたかにその後の事を考えていそうである。

 どうなれば彼にとってよい未来となるだろう。


 まず、一番いいのは、万庶軍が侵攻を諦めてくれることだ。


 それにはいくつか方法が考えられる。


 例えば、地理的に彼の後背となる汝南郡の太守や陳留辺りにわだかまっている大盗賊団などに蜂起を促したり、荊州南部から揚州にかけての連合を作って対抗するなどだ。


 しかし、時間もないのと前提条件がシビアなので難しいだろう。


 万庶軍に裏切り工作を仕掛ける手もないではないが、伝もない上に、長沙方に靡かせる魅力など何もない。


 となると、開城、降伏となるのだが、ただ馬鹿みたいに門を開いたのでは威厳もへったくれもない。

 なので、一戦して成果を見せ、好条件での降伏を申し出るか。

 敵軍の腹心に渡りをつけて、万庶にいいように執り成してもらうか。


 これが一番可能性が高そうだ。


 いや、単身城を逃げ出す、なんてことも視野に入っているかもしれない。


 となると、今だ太守の座を去らないのは、亡命先を打診しているせいかもしれない。


「だから、あなたの生意気な主張なんて通らないし、なんの意味も無い戯言なのよ。王韙ちゃん」


 最後に私と王韙をせせら笑って彼女はじゃあね、といって去った。

 言いたいことだけを吐き出していった。


 その目には異常な光が宿っているように、私には感じられた。愛に狂った人の目のように。愛情に飢えた人のそれのように。

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