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私の正体について、はっきりさせる時がきたようである。
それでなければ、王韙復活についての説明ができないし、前の章の不自然さは抜群に過ぎる。
はっきり、と言っても、私は自分という生き物について、明確な答えを有してはいない。
誰かに教えてもらった訳でもないし、ましてや学術的に研究された訳でもない。
それどころか、王韙救出の段になって初めておぼろげにこうだという事が分かった訳なのだが、まあお聞きいただこう。
皆さんもお気づきだろうが、どうも私は人間ではないようなのだ。
その証明に、私は死なない。
殴られても切られても刺されても撃たれても爆破されても死なない。
そして老いない。
所謂、不老不死のようである。
いや、正確には死なないのではない、死んでもすぐに再生するのだ。
私自身もその過程は知りようがないので詳しく語ることができないのが残念なのだが、左のような証言があるので紹介しよう。
「妾が心臓を突いたので、たくさんの血を吐いて、お前は倒れた。暫くは動かなかったの。数分待つと。お主の身体は火に包まれた。始めは足の方から、そして身体全体に。赤っぽい色じゃったが、それだけではなかった。金色に輝く翼を広げた鳥ような火の粉を上げる炎。妾はお主に言われた通り、お主から流れる血を飲んで、肉をついばんだ。そして発する炎に焼かれた。不思議と苦しさや痛みは消えて癒されていくような気分じゃった。そうして意識がなくなって、次に気づいた時には、身体は元通りじゃった。そして、赤子が隣で寝ていたのじゃ」
王韙は私が死んだ時の事をこう語ってくれた。言うまでも無いが、あの古城で彼女が血だまりの中に死と踊ろうとしていた時の事だ。
こうなると、不死でも不老でもないような気がする。
一度死んでから、炎の中から蘇る。そして蘇っても赤子である。
赤子が赤子のままに存在することはできないので、いずれ大人になって、人間では二十歳ごろに成長の限界になる。
そこからは晴れて不老となるようだ。
ちなみに、この成長の過程は自覚の範疇内だ。
それにしてもこれは、どこかの伝承で読んだアレに似ている。そう、あれだ。あれ?
私ともあろう者が、ど忘れしてしまった。なんだったろうか。
とにかく、かれこれ地球が勃興して生物が海で誕生して大気圏形成によって宇宙線が弱まり陸に上った生物が数度絶滅を経験し、やがて人類が発祥し長い進化を遂げて現今の人類種になった。
私が存在し始めたのもその頃だろう。
太古の人々は永遠不滅の生物、または幻獣、妖怪が存在すると信じた。
そこには憧憬や畏怖、または崇拝などの想いが籠められていただろう。それらの感情が私を生み出した。
これは、犬神との対話の中で分かった事だ。彼もそうであったように、私もまたその同じ理の中で存在しているのだろう。
私が人外の生き物に出会ったのは自分以外では彼が始めてだったのだ。
彼の言からは色々と学ぶところがあった。それまでの私は己をどう定義してよいのかその術を持たなかった。
いや、敢えてその事に目を瞑り、耳を塞いで頭から追い払い、それを考えようとしなかったというのが正確だ。
自分が他者と違うなどという事がおいそれと自覚できるだろうか。人間が死んですぐに生き返った例を見たことが無いからといって、それだけで私を人外と見なす材料になるだろうか。
中にはそんな人間もいるかもしれないじゃないか。永遠の時を生きる人間がいないなんて誰が言えるだろう。
言えないはずだ。そうだろう。だって、永遠に生きた事もないくせに。
……済まない。熱くなった。
結局私は認めたくなかっただけなのかもしれない。自分がいつまでも消えないという事を。死なないという事を。
人間では無いという事を。
人とは違う生き物だ、という事を。
そうだな。逆に聞いてみたい。これをお読みの諸君は認知できるだろうか。
どうやら自分は人では無く、別の生き物だという事を。
世界に類は無く。ただ一人、人語を解する異種族であると。
そしてその時、どう思うのか。胸に手を当て目を瞑りしばし想像して頂ければ、私のそれと似た感情を多少の少、程度には共有して頂けるかもしれない。
話を戻そう。
犬神の場合は地域も限定的で少数認知、さらに、曖昧な定義づけによって不安定な存在であったので、簡単に最期を迎えたのであったが、私の場合はそうはいかない。
なにしろ、前提からして不死なのだ。
存在を消し去る事は不可能だろう。
宇宙の終わりを見届けてからようやく消えて無くなる事になると推測されるが、これすらも希望的観測かもしれず、その先のなんだか分からないところまで消滅を許されない身体なのかもしれない。
私の生存権は人間の思いこみの強さに依拠しているので、始末が悪い。自分ではどうすることもできないのだ。
当然、自殺もできないという事だ。これから先の歴史に、不死の生き物など存在し得ないのだ、と触れ込んで回っても無駄な話だろう。
なぜなら、既に私の存在する根幹に不死が黒々と横たわっているからだ。
過去に私をそう定義づけした時点で、私はどこまで行っても不死から逃れる術は無い。不死では無い私は存在すらも許されていないのだ。だって、不死鳥なんだもん。
……って、やっと思い出せた。そう、不死鳥、フェニックスだ。それが私なのだろう。
不死鳥についての説明が情報過多の現代を生きる皆様にとって必要とは思えないが、私自身が落ち着かないので、一応簡単に済ませておこう。
不死鳥とは言っても、本当に不死では無い。寿命は極めて長く、どれくらいの寿命なのか、私自身が天寿を全うした事はほとんど無いので忘れてしまったほどだ。
少なくとも、今の周回になってからは記憶になくて、大抵は病気や事故、他殺などで死んだ。
そして、生き返る。結果的に生き続ける事になるのだ。姿は黄金色の羽で尾っぽは青、そして、それに薔薇色が混じるど派手な格好だった。かと思うと、青鷺の頭と鷲の翼という地味で単に化け物じみたものだったり、ぼんやりと光り輝く姿だったりと様々で定まらない。
実際の私の容姿については、先の王韙の言もあるし、その美しさに返って吐き気を催す程のものだとして、秘しておく事にしよう。
とにかく、人型を採っているが元は鳥だったのだろう。地球の黎明期や人類の滅亡後には、火の鳥として元気に飛び回っていたと思われる。
その時の記憶は欠落しているので語りようがない。鳥は脳みそも鳥だったせいなのか、生き死にを繰り返す進化の過程で記憶消去してしまったのかは今となっては分からない。
しかし、今の外見は人型をしている。なぜだろう。
それは、そういうものだから、としか述べようがない。人々が信じる形に、私はなるのである。
王韙には多分、不老不死を与えた。
多分、ということだったがそれは、誰かが私の血をすすった事もなければ、私自身にも確証のある事ではないからなのでそう言うしかない。
彼女を殺してみて試す訳にもいかない。
だが、伝承の多くは私の血肉はそれを与えると記す。なので、きっとそうなのだ、と思った。
実際に彼女もあそこで死ななかったので、それをほぼ確かな事だと思って構わないだろう。
実食した始めての人間になった彼女は、まだその事を知らない。私も問われるまでは語る気はない。
というよりも、語るのが怖い。誰か代わりに伝えてくれないだろうか。
王韙、徐曠、嘩蓮、そして彼女達に三顧の礼で迎えられた私。
我々はこの後、広い中華、いやそれだけに留まらず、世界とその歴史に轟く活躍を見せる事になるのだが、それはここで伝えたい主旨とは異なるので、またの機会に譲ろう。




