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その日、揺りかごに揺られる私は嘩蓮の子守歌を聴いていた。
揺りかごは彼女の手製で、ことさら不格好なのは、彼女が戦場に出て成果を上げる事以外には向かない性質である事を物語っていた。
そして、唄もお世辞にもうまいとは言えないので、却って睡眠の妨げになるくらいのものだったが、彼女が真から好意で行っている事なので、どうしてそのような指摘ができるだろうか。
静かに歯を食いしばって寝たふりをする以外に途はなかった。世にも珍しい歯ぎしりをする赤子である。
まだ上下合わせて四本しかない。
王韙は忙しく、私の面倒は専ら嘩蓮が見てくれる。
どちらも子育てなどまともにできそうな性格ではないが、その甲斐甲斐しさから、どちらか選ぶならば、嘩蓮に軍配を上げる事になるだろう。
ちなみに、王韙邸の召使いなどは丸ごと城内に移住してきていたが、彼等のような男共に世話をされるつもりは私には微塵も無い。
まだしも、あのどこか恐ろしいストーカーにあやしてもらう方がましなくらいである。
「私も横になっていいかな? 眠たくなって来たよ」
そう言うと、狭い木製の揺り篭内に侵入しようとして来る。
「おいおい、こん中でかよ。お前が寝返りうったら、私は圧死してしまうぞ。というか、せめて金属鎧は脱げ」
「大丈夫だよ。私は寝返りなんて打たないんだよ。だって、そのように生まれてきたんだから。それにね、ご主人様。この鎧はご主人様が作ってくれた大事な大事な物なんだよ。簡単に脱ぐことなんてできないよ」
嘩蓮は前回の周回時、つまり二週目の終りに私が作り上げた。
彼女が人造人間、すなわちアンドロイドである事は述べたが、西暦二千三百年ごろには人型ロボットは廃れ始め、人工生命体としての人造人間の製造開発が持て囃されるようになった。
純粋に遺伝子を持たず、一からデザイナーベビーを作り上げる事ができるのだ。
自分の好きなように遺伝子を操作できるので、それは機械のプログラムのように正確ではないが、環境次第で概ね望むような人格が出来上がる。
人道的に踏み込む事が長く躊躇われていた分野であったが、私にはそのような拘束は無意味だったので、躊躇なく学び、惜しみなく時間をかけて、湯水のごとく資金を遣い作り上げたのが彼女であった。
あの日の私は、自分が何者か分からず、ただ悠久の記憶を持ち何の目的も無く生き続けるという不安と孤独を抱えていた。
不老である彼女を半永久的なパートナーとして誕生させたのだ。
あらゆる環境に耐える為に出来うる限り強靭な肉体と装備、及び堅固な生命維持装置を与えて土中に埋めたが、人類滅亡の折とともに離れ離れとなった。
結局、地表の塵と化し消えて亡くなったと思っていた。
「失礼」
じいっと目を瞑っていると、さすがに眠気が差してきた私は、誰かが枕元に立った事に気づけなかった。
「ああ、英江殿。危ないんだよ。気配を消してご主人様に近づくなんて。曲者かと思って斬りそうになってしまったんだよ」
さっきまで空手だった嘩蓮は、どこから取り出したのか、長剣を手にし、私の隣に寝ころんだままその切っ先を英江の首筋に当てていた。
「邪魔。急いでいるから」
しかし、彼女はそんなことは物ともせずに睨み返した。
それにしても人見知りの彼女が、堂々と姿を現すなんて、何事が起こったのだろう。
「なんですと? 邪魔とは何だよ。邪魔とは。いくらなんでも許せないんだから。ご主人様、斬り捨て御免なさい」
戦場で振るった幅広の大剣に比すれば威力も威圧感も半減以下であるが、その殺傷能力は薄っぺらな英江を両断するには十分である。
「蛮人」
その嘩蓮にピタリと人差し指を向けた英江の表情は鉄のように変わりはなかったが、そのこめかみは微かに血管を浮かせていた。
「誰が蛮人なんだよ。もう泣いても駄目なんだよ。あなたに決闘を申し込むんだから」
バタバタと四肢を動かして、怒りを表現してはいるが、剣の切っ先だけは寸分も動かないのが、流石である。
「断る。私が死ぬから」
「断らないんだよ。あなたが死ぬ事は当然織り込み済みなんだから。断る理由にはならないんだよ。よーし、では、場所はここで、時刻は今から、ルールは無用。制限時間はあなたが死ぬまででいいよね」
なんと手前勝手な条件だろう。それも丸腰の相手にである。それは決闘でもなんでもない、ただの殺人と言う。
「こらこら。もうその辺で止めておけ。それでも、少しは使える奴なんだ」
二人の仲の悪さは犬猿と言ってもよいぐらいだろう。
方や付きっきりの新米ベビーシッターで、方や元ストーカーのスパイ。
お互い私の衛星とも言えるほど直近にいて、相反する性分の持ち主なのだ。そのそりの合無わなさは、反発する事同極の磁石のごとしである。
「ご報告。冀州鉅鹿の張角という男が天下太平を訴えて反乱を起こした」
「そうか。もう始まったのか。思っていたより早い。やはり、前回と全く同じようにはならないんだな」
「反乱について、既にご存じだったの?」
立ち上がった嘩蓮は、私を腕に抱いている。私はこの数日で少し離れた場所なら聞き取れるぐらいの声を出せる程に成長していた。
「そうだな。知っていた。でも、あと数年先に起こると思っていたんだ」
「なぜー?」
「お前なら分かるだろうが、私は既に人の世を三度経験している。前回、前々回はもっと後で起こる出来事だったんだよ。張角の決起する黄布の乱は。これでまた、出てくる役者もその後の展開も少しは変わってくるかもしれないな」
私の知る限り、人類は二度滅亡している。いずれも同じ結末で同じような時期に、である。
私はその光景をつぶさに眺めて来たのだ。
推定であるが、私の年齢は百六十万歳ほどである。
一度目は驚きを持って、二度目は悲しみを持って。
滅亡の過程については、思い返したくもないので、この場では語ることは止めにする。
時期としては、人類が紙という媒体を書記目的に使用しなくなった頃だとだけ伝えておく。
それはしかし、避けようもなく訪れるので、誰かが知ったところで落胆する以外に出来る事はないのだけれど。
およそ八十万年で一周回る。
人類滅亡後数十万年は前時代の遺物を自然に還す事に費やされる。
そうやって地上は動植物達の天国となるのである。最初の霊長類が数千万年前に出現し、そこから派生して淘汰され、勝ち残るのがホモサピエンスであるのだが、それらの手順をすっ飛ばして、その原初となる新人類が現れる。これが人類滅亡後およそ六十万年後頃だ。
最初の人類発生の時、その紀元前一万年頃に私が出現したので、そこを起点に考えると今は三週目の始まりごろになる。
しかし、ややこしいので、生まれて始めの人類滅亡までを一週目とする。そうすると、今は三週目の終わりごろ、という事になる。
繰り返す歴史には、少しずつ差異が認められるのだが、それはもちろん、大陸プレートの移動にも関係しているだろう。
巨大なユーラシアプレート上にある中華にはあまり大きな影響はないが、日本などは既にオーストラリア大陸に併呑されつつあり、この中華にも接近中であるし、インド半島も小さくなってヒマラヤ山脈の標高をさらに引き上げている。
この変化は当然ループする歴史全体にもいくらかの影響をもたらしている。
それでも、今のところ歴史に大きな変化は認められない。
それはなぜか、何かが無くなれば別の何かがそれを補完するからである。
例えば、歴史上の大発明をした科学者を私が暗殺したとする。
そうすると、別の科学者が同様の研究で同様の成果を挙げるのだ。
支流がいくら変化しても歴史という名の本流は何の支障も無く流れて行くのである。
実際に試した事なのでこれに間違いはない。
この周回運動に何の意味があるのかは分からないし、意味なんて元々無いのかもしれない。
これらの事象を観測できるのが私に限られるとするならば、私に対する何者かのメッセージだと、そう解釈するのは傲慢過ぎるだろうか。
「以上」
「それだけか?」
「それだけ」
それだけの為に彼女が人前に姿を現すのが不自然だと思ったが、もしかすると彼女はただ、嘩蓮の行動を阻止したかっただけなのかもしれないと思ったが、そんなものは揣摩憶測でしかなかった。




