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「あの晩、私は王粛を殺さなかった。彼を城外に逃がし、桂陽に送った」


「なぜそんな余計な事をしたんじゃ? 妾は奴を殺すつもりじゃった。妾自身の手でな」


 両拳を握りしめ、悔しそうに歯を見せている。

 長沙への道中、私は王韙の背におぶわれながら語ってやっていた。

 馬に乗っているので、舌を噛んだが、まだ歯が生えていないので痛くはない。


「それが嫌だから。そうしたんだよ。私が手を下しても、結局お前の差金である事に変わりはないからな。子が親を殺す事が許せない。その逆もだがな。ただ、それだけだ」


 天涯孤独の身の上としては、近しい者がそういった行為を躊躇わずに成すという事を受け入れられなかった。

 例え仮初めであっても、一時的なものであったとしても親子関係というものに過剰に幻想を抱いている。期待をしている。そう言われるだろうか。

 それでもいい。そんな事はどうでもいい。ただただ、彼女が親を殺すという事が嫌だった。


 でも、王粛が兵を率いて戦場に現れるなどという筋書きは用意していなかったので、驚いた。


 しかも、さらに以外だったのは、彼が戦巧者であったという事だ。

 錐行の陣形で敵中に潜り、そこから鶴翼に展開する。接敵面を広くすることで少勢である不利を消去したのだ。

 これは、言葉で言う程に簡単なことではない。


「しかし、妾は……」


 彼女は何かを必死に隠したい者の逡巡を見せている。


「お前と王粛の血が繋がっていない事は知っている。お前の実の父に会って確かめたのだから、間違いない」


 そして、その者を殺した。


 王粛の身代わりにするのに丁度いい容貌だったからだが、奴は王韙のネタで王粛をゆすっていた形跡があった。

 その口封じも殺害目的のひとつである。


 ごろつきだった奴が、河北の生まれであった王韙の母を拉致して連れて来たのが長沙だった。

 彼女は自由のほとんど無い暮らしをさせられていたらしい。子が出来ていたにも関わらず娼館でも働かされた。そこで出会ったのが王粛だった。


 嘩蓮と館に忍び込んだあの時、王粛の死を偽装したあの時、持っていったのはあの男の頭部だけだった。

 胴体は寝室の衛兵の物を流用した。


 だが、そこまでは彼女が知る必要はないだろう。


「やはりそうか。どこかに違和感があったのじゃ。妾が王粛を殺そうとしたのも、実は親子では無いのではないかと疑っていたし、それを語られるのが怖かったからなのじゃ。お主には偉そうな事を言っておったが、妾は結局この程度の人間じゃ。今なら見限ってもらって構わん」


 疎まれていたと勘違いしてはいたのだが、なぜあそこまで自分の父親を忌み嫌う事ができるのだろうと勘ぐってはいた。

 血縁の無い事でいくらか納得できたのは、私が血の結びつきというものを過大に評価しているせいだったのかもしれない。


 だが、彼女は思い違いをしている。


 王粛は公人としては全く駄目で、彼女からのどん底とも言える評価も止む終えないものであったが、私人、つまり、父親、義父としてはそれなりに愛情を持っていた。いや、愛情深かった。


 王韙の母に対しての愛は本物だったろうし、その娘も当然嫌いにはなれなかったろう。


 結局は他人の子である王韙に接触を控えたのは、接し方が分からなかったからであろうし、彼女の方で望まない事を察したからでもあろうし、彼女が錯乱した男に虜にされた時の奇妙な行動は彼女を助けたい一心からでもあったからだろう。


 その他、彼の行動は全て、彼女に不利益な方向には動いていない。これはいつか伝えなければいけないだろう。


「馬鹿な。あれだけ強引に仲間に引き入れておいて何を今さら。お前が卑怯で情けなくて子供で弱くて泣き虫で意地っ張りで強情なのはとっくに知っている」


「言い過ぎであろう?」


 顔を歪ませて抗議する。


「そうだな、褒めすぎたか」


「ひとつも褒めとらん。それとも、それがお前なりの愛情表現なのか? 不器用な奴じゃ。好きなら好きと言えばよいものを」


「そうだな。好きだ」


「そうか、好きか。当然じゃ……な?」


「好きだぞ。王韙」


「って、え、え?」


 彼女の眼が大きく開かれる。


 流石の王韙も怯んだようだ。これには口にした私も大いに戸惑っているのだから、無理もない。


「……な、な、なな、ななんじゃ。本当に言う奴があるかっ」


「本当に好きだからそう言った。何が悪い?」


 一度口を離れた言葉は戻せはしない。これはもう言い切るしかない。「冗談だ」と言ってやってもいいが、今はそうしたくない気分だった。


「ふん。気持ちが悪い」


 なんと可愛げのない奴だろう。


 自分でも気持ちが悪い。ハッキリ断言しておく。これは、男女の愛などという甘美な睦言では無いのだろう。

 きっとこれは、好きとか嫌いとか言う恋愛的なそれではなく、もっと別の私自身でも表現しがたい何かであるからなのだろう。

 ひょっとすると、王粛の持った感情とも似ているのかもしれない。

 そう自分を誤魔化した末に出たのはやっぱり、


「ばーか、冗談だよ」


 後頭部で頭突きを食らった。大泉門が御開帳するかと思った。

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