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目も虚ろに空腹を抱え、彼女に降伏を訴えかける。鼻水と滂沱を垂らし足元に縋り付いて情けなく助けを乞う。そんな姿に出会える事を待望していたのであろう。
しかし、彼女の思いは、またも裏切られ空振りに終わった。
「おう、懲りもせず来たか」
「な、なんですって? 生意気っ」
そこには、少し痩せてしまったが、前回よりも覇気の篭った少女がいたのだ。甘備はその炯々たる瞳に会ってやや怖気づいたようだった。
「用向きはなんじゃ?」
同じ言葉を発していても、その鋭さが違った。
彼女は彼女なりに、もう過去のしがらみとは決別しようとしているのだろう。茨のように絡みついて血を流すそれを振り切ろうと足掻いているのが見て取れた。
「今回は無用ではないの。ちゃんと用事があって来たのよ。正式な使者なのよ。私。まあ、実際の使者は夫の方で、私はおまけなんだけどね」
そう言って、ちらと後ろの旦那にウインクする。相手の方では気づかない振りで王韙の方を見据えている。その様子に妻は眉を顰める。
「さっさと話せ」
「ふん、いつまで偉そうにしているつもりかしら。あなたが私に逆らって、今まで良いことなんてあったのかしら。まずは、これを見なさいよ。お土産よ」
そう言って、後ろに控えさせていた従者二人を合図で前に進ませる。
二人は大きな麻の袋を重たそうに担いでいた。
袋はボロボロで、汚れていない場所を探す方が楽だったし、ほつれていない箇所を数えるのは手間だった。
とても中に楽しいものが入っているとは想像しにくい。
「稚由っ」
袋から乱雑に転がり出たのは徐曠だった。
彼女はピクリとも動かない。
身体の至る所に傷や痣が、まだ出来たてのものから数日経ったものまで多種多様に刻まれていた。
繰り返し暴行を受けた事は誰の目にも明らかで、今は意識を失っているのか少しも動かなかった。
「うっふふふふふふふ。優しいでしょう。あなたのお友達をわざわざ届けに来てあげたのよ。感謝しなさい。多分、まだ息はしていると思うわ。多分ね。仮に死んじゃってても、私を恨まないでね。だって、こんな山の上に立て篭っているあんた達が悪いのよ。何度も落っことしちゃうじゃない。それで怪我しちゃっても、死んじゃってもしょうがないわよね」
私は急いで彼女を回収し、嘩蓮に診るように指示した。二人は別室に下がっていった。
見ると、王韙の顔が青くなっていた。怒りの色ではない。怖れの青だ。
徐曠の姿にかつての自分を重ねたのかもしれない。
そして、歯を食いしばって乗り越えようとした壁から突き落とされたのだ。甘備に対する恐怖心は、一朝でぬぐい去れるほど浅くはなかったのだ。
彼女はまた、何も語れない石像に戻ろうとしていた。
「さて、そろそろ降伏する気になったかしら? あんた達をこれで説得できたら、私達、長沙を任される事になってるの。勿論、暫くは監察付きだけどね。それでも、私の長年の願いが叶うんだから構わないわ。どうなの。さっさと降伏したら?」
王韙は座っていた椅子から歩みでて、甘夫妻の前に跪いた。
もう、我慢の限界だった。
大股に足を運びつつ腰に挿していた剣を抜き放つ。
私の気迫に一歩下がった甘備を無視して押しのけると、背後の人物を下から袈裟懸けにした。派手に上がった鮮血をまともに浴びた。
振り返ると、甘備が大仰な悲鳴を上げていたので、その手首を掴んで引き倒した。そのまま斬り殺してやろうかとも考えたが、残念な事にまだ私は冷静であった。
「この女を地下牢に連れていけ」
この時の私は今世紀で一番、邪悪な顔をしていただろう。




