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山の中腹辺りに聳える古城の北側はなだらかな斜面になっており、広い裾野をもつ草原が広がっている。
自然、南側は上り坂になっており、そこからはハイキング気分で登るには少しきつい程度の傾斜がついている。
城自体は人が永続的に住むように考慮されてはいない、城塞としての用途のみを与えられていたに過ぎないので、さほど大きくは無い。
精々二百数十メートル四方で、最大収容人員はせいぜい一万人程度だろう。
過去には水源も近く、長沙防衛の最終砦であったのだろうが、うち捨てられて久しいようで、嘩蓮達が入城してから急ピッチで兵舎や本城、塀や堀を修復してくれていたらしい。
とにかく時間が足りなかったようで、最低限必要な箇所にしか手は入れていない。
私が今歩く地下の廊下なども、数百年の歴史を余すところ無く感じさせる味わいがあった。すなわち、ボロだった。
蝋燭の明かりが無ければ昼間でも暗い城の地下のとある広間に私はいた。
どれほど急ぎの用事でも、彼女はなるべく人目を避けようとするので、私は城の誰も見向きもしないような裏寂しい暗がりを求めて、彼女を呼び出す必要があった。
面倒な女である。
狭い城の中は忙しく動き回る人足や馬番などの雑役夫、飯炊き女や兵や士官で溢れており、なかなか一人になれないので、こんな深部まで潜らねばならなかった。
「呼んだ?」
「うわっ、怖っ。……。ああ、間違いなく呼んだ。お前を呼ぶためでもなけりゃ、こんな陰気な所に一人で来たりはしない」
彼女はいつも地味な黒っぽい服を好んで着ている。髪も長い黒。それで顔の半ばまで隠している。
黒づくめの女が闇からスウっと現れて、私は腰を抜かしそうになった。
しかもここは城の霊安所のようだった。
古く、手入れもされていない柩がいくつも並べられていた。
ここが西欧の古城ならば中からドラキュラでも這い出してきそうである。
いくつかは盗賊にでも荒らされたのだろう、壊れたり蓋が開いていたりした。それ以外はきっと中身は空なのだろうと、そう信じた。だって、入っていたら怖いではないか。
光源は私が手にしたランタンだけだ。それが消えてしまえば、私はチビってしまうかもしれない。
彼女に報告を急かした。
「城内は昨日のうちに降伏派に制圧。ほとんどの将兵は捕らえられるか討ち死に。そして、朝には万庶軍が入城した」
彼女の報告はいつでも簡素でありのままだけを伝える。個人の憶測などは皆無なのだ。
間者のありようとしては、褒められるべき美徳だ。だが、それは職務に徹する故ではなく、単に彼女のパーソナリティなのである。
「降伏派の指導者は誰だった?」
「甘悸」
「ん? そいつは入牢していたはずだが」
「すぐに逃げ出していた。誰かが逃がしたみたい。クーデターの後、甘悸は王韙を血眼になって探させていた」
「そうか。では、西門の攻防はどうなった?」
「城門は最後まで太守派に死守されたけど、早朝には壊滅した」
「そうか」
彼らの生死を尋ねても彼女は答えを持っていないだろうが、おそらくは全員あの場で果てたのだろう。惜しい事をした。
四刻、二時間ほど守ってから逃げるように指示しておけばよかったと後悔するが、彼らがそれを聞き入れたとは考えにくい。
「王韙邸は?」
「使用人は変が起きてすぐ全員逃げた。うち何名かは捕まった」
彼女の館に住まう使用人達は皆、王韙の志に賛同して集まった者達である。彼女はそういう者以外は身辺に置こうとはしなかったからであるが、全員それなりの武芸達者であるので無事であることを祈ろう。
「徐曠は?」
「分からない」
心配には及ばないだろう。人殺しには向いていないが、彼女程の能力があれば、むざむざ捕まったりはしないだろう。どこかで息を潜めてでもいるのかもしれない。
「万庶軍の動きはどうなっている?」
「甘悸に迎えられて、長沙に入場した。まずは、腰を落ち着けて桂陽郡と零陵郡に使者を出した。降伏を勧めるみたい。この小城については、甘悸が攻め取るように強く促していたけど、万庶は問題にしていないようだった。暫くは捨て置くみたい」
当然、間者は万庶軍にも放っている。
彼らが見聞きした情報を英江は私に届けているのだ。
彼女自身は隠密や格闘、演技や暗殺術などの特別な能力は何も持ち合わせていない。
ただ、恐ろしく地味で人よりも他者に気付かれにくい。さらに気配を完全に消せるという特性を持っている。
「そうか、ありがとう。あと、この封書を桂陽に届けさせてくれ。また呼ぶ。今日はもう蝋燭がチビてきたので終わりにしよう」
そう伝えると、彼女は別れも告げず、あたかも闇から生まれたかのように闇に溶けてなくなってしまった。彼女の事がちょっと本気で怖くなってきた。
後に残されたのは、私とこの広い空間だけである。
昔に読んだ本とかでは、こういう場所には城外に抜ける隠し穴があるが、ひょっとしたらここにもあるのかもしれない。光の届かない暗がりを眺めながらそんな事を考えたが、一人であることを思い出してチビリそうになったので早々に抜け出した。




