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「どうも落ち着かないものじゃな。こうしているのも。妾も駆け出して、籠城の準備を手伝いたい気持ちで一杯じゃ。こう見えても、鏃を研ぐくらいはできるし、武具や鐙の手入れも嫌いではない。職人は夜を徹して金槌を振るっているのじゃろう? ぜひ彼らを慰問したい」


「そうだな、時間があれば城内を回ってもいいが、今日はもう遅いんだし、休んどけ。明日からは忙しくなる。休息ができていなければ、満足に働くことはできないぞ」


 それに、なにか嫌な予感がする。今は彼女に派手に動いて欲しくない。


「うむ、そうか。今日はくたびれたの」


 日本とは違って、中華の城は西欧などのような城塞都市である。


 本城を含んだ一般市民の住む市街地は方形の城壁と城門の内側にある。大きな街には城の外にも居住区があり、そのさらに外側に水田や田畑が広がっているのが普通である。


 長沙城外にも市民がいる。彼らを場内に収容するかどうかについてはかなり議論になった。


 城外の市民は敵軍が近づけば勝手に逃散する。間違って捕縛される者はあるかもしれないが、命まで取られはしないだろう。


 彼らの住んでいた城外は敵兵に蹂躙されている可能性が高い。

 住処を失った彼らはそのまま戻らないかもしれない。


 一方、場内に招き入れてしまうと、その分口が増える。


 食料が早く減る事になるのだ。必然、篭城できる日数が減る。


 しかし、デメリットばかりではない。戦中には人足として働かせる事ができるし、女子供でも飯炊きや雑用などには役に立ってくれる。


 そして戦後にはまた城外に住んでくれるだろうし、敵方に捕縛されて、情報を垂れ流す心配は減じる。

 また、相手方に人足などとして雇われるとさらに面白くないのだ。


 私と王韙は城内に招き入れる論者として論戦した。そして今、粛々と城内への受け入れが進んでいる。


 これで長期間の籠城は難しくなった。


 人が増えるということは、意見も増える。


 ひもじさや不安で城内に分裂が起こる可能性も増えたという事だ。


 元々、短期決戦を見込んでいたので、その点についてはあまり心配していなかったが、退路を断たれたような気分だった。


「早く休んだ方がいいぞ。報告では、明日の昼には敵さんも到着するらしい。それまでに最後の軍議をしておこう。明日も早い」


 ここ、長沙城主の執務室は、当然ではあるが、宿泊施設も整えてある。


 王粛はあまり城で寝泊まりせず、本城の外にある自邸でよく過ごした。自宅に帰る事もあるが、普通は城主なので城に住む。


 王韙に関して言うと、まだ枕が変わる事には抵抗があったが、いざという時に責任者不在でした、などという間抜けな事態を避ける為にも当面は城に寝泊まりするつもりでいた。


 本城の二階に位置している六畳間ほどの執務室には、城下を見渡せるテラスがあった。


 右手の扉を開けると太守の寝室になっており、左は控えの間へと通じる廊下、従僕達が休む部屋になっているのだが、数室あるので、我々が占有居室として使うことにしていた。

 今は私と王韙の二人しかいない。


「では、何か話をしてくれ。そうしたら、休むことにしよう。何か楽しい話を頼むぞ。面白くなければ、でこピンじゃ」


「嫌な振りをする奴だな。まあいいや。じゃあ、そうだな。始皇帝の事は勿論知っているな」


「知らない人間がこの中華にいるのかと聞きたいの」


 彼女は豪奢な椅子を引きずって前進すると、前のめりになり、足を組み替えた。


「まあそうだな。始皇帝は秦による中華統一を果たしてから、様々な事業や業績を残している。そして、不老不死を求めた方士徐福じょふくを仙人探しの旅に出した事は有名だな」


 徐福はその後日本に渡ったという伝承があるが、定かではない。


「不老不死のう。妾も欲しい。じゃが、不老はともかく、不死とはいかなるモノじゃろうの」


「そう、それだ。不死とは文字通り死なない事だ。だが、人間にとって死とは当たり前に来るものだ。血液の循環が止まる。呼吸が停止する。出血が多量になる。内臓が不全となるなどどれが起こっても人は普通死ぬ」


「剣や槍で刺しても平気でおるのじゃろうかの。まさか、刃物を通さない身体を手にしておるのじゃろうか」


「うーん、まあ、いろんなものが考えられるな。まず、槍や剣を通さない身体になるってのもそうだな。刺されて傷は負うが、すぐに再生してしまう身体ってのもある。あとは、普通の身体だが心臓が停止した時点で、すぐに復活するタイプ。意識だけが生き残り他者に憑依して生き続けるタイプ。そもそも、人型ではなく、意識が別の物に封入されて擬似不老不死となるタイプ。最悪なのは、身体はどんどんガタガタになっていくが、命だけは保たれるというタイプ。これは不死者というより死ねない者と言った方がいいな。いわゆるゾンビだ」


 これまでに読んだ物語や映画で観た記憶を掘り起こす。


「最後の方はほとんど人外じゃな。そうまでして生きていたくはない、という気もするが」


「ふむ。今はそう言っていられるだろうがな。人智を超える権勢を得た後にも果たしてそう言えるのかな?」


「それは天下統一を果たした時。という事か」


「そうだ。始皇帝のように位人臣を極めた時、さらに上を目指したくなるのが人間じゃないか。では、その上とはなんだ。そうだ。世界は広く、時は永遠だ。世界に冠たろうと思えば永遠の時を生きなければそれは成し得ないだろう。そこで、欲しくなるのが不老長寿、または不老不死じゃないか。まあ、そこまで極端な事は願わないにしても、志半ばで死に行こうとする時、目の前に不老不死の薬が転がっていたらどうする。口にしないと言い切れるのか?」


 かのアレクサンダーやナポレオン、テムジンでも無理だったのだ。


「うむ。知っての通り妾は強欲じゃ。否定はせん。出来うるならば、中華どころか世界を統一したいと思っておるほどじゃ」


「そりゃすげえ。引くぐらいすげえぞ。頑張れ」


 そんな人間とは早い段階で手を切っておいた方が賢明だと思うぞ、と我ながらに思う。


「よし、では不老不死の薬を探しに行くぞ」


「まあ、待て。早まるな」


「なんじゃ。止めるな。少年老い易く、学成り難しじゃ。はようせんと妾が年老いてしまうぞ。光陰矢の如し。明日にもシワシワになるかもしれん。お主はそれでよいのか? シワシワの妾でも愛してくれるとでもいうのか? この嘘つき」


 感情が入り過ぎて次第に鼻息の荒くなってくる彼女の背中をさすってやって、荒ぶる神を鎮める。


 ところで、私にとっては命題とも言える疑問を彼女は投げかけた。


 むろん、向こうにしてみれば何か含みがあって発した質問でもなかろうが、受け取った私としては、内心ハッとせざるをえなかった。


「どうどう。早まるなっての。また暴走しかけたぞ。それに人の事を勝手に嘘つき呼ばわりしやがって」


「む、済まん」


「ところで、私の知っている人物で、徳川家康という人物がいる。彼もある国の天下を握った。彼は健康に気を遣って、当時の平均年齢からしたら、かなりの長寿だった。老境に入っても鷹狩りなどを行って頑健だったんだ。その彼と始皇帝との違いはなんだと思う?」


「分からん」


「少しは考えろ。問題の出し甲斐が無いぞ。お前がどう答えてどう切り返すのか、考えて質問した私の心情を推し量れ」


「うるさいのう。焦らさずに教えよ」


「考えろっての。脳みそ熔けるぞ。そのうち。もういいや。家康は始皇帝よりかなり未来の人物だという事もあるが、不老不死が存在しない事を知っていたんだ。いや、存在しないというのは違うかな。人の身では成し得ない事を知っていたというべきだろうな」


 そうだ。そうなのだ。不老不死を得る者はすでに人ではないのだ。私もつい最近、それに気が付いたところだ。


「全く言っている意味が分からん。お主の脳の方が熔けているのでは?」


「くそう……。不老不死になるという事は人間ではいられなくなるという事だ。お前がさっきも言っていた事だが、不老不死になった時点でその人は人外になる。なぜなら、人間は年をとり、やがて死ぬからだ」


「なんだか、禅問答のようじゃのう。騙されたような気分じゃ。金かえせ」


 騙してないし、金もとってない。


「私が言いたいのは、不老不死を求めるよりも、健康長寿に生きる道を考えた方が現実的、というか、そうするしかないという事だ。始皇帝は不死を求めるあまり、怪しげな方士が煎じる毒に似た薬を飲んで死んだというしな」


「そうか。分かった。では、本物の不老不死の薬を探しに行こう」


「お約束過ぎるぞ」


 オチがついた。


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