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 夜になって、嘩蓮と二人でいた。


「まだ夜は冷えるよー。どこかから、上着を調達してこようか」


 彼女は私に何かと世話を焼きたがる。

 親子の関係であれば、過保護が成立するだろう。

 私に気を遣う前に自身の身形などに少しは頓着して欲しいものだ。


「いいよ。そんなに寒くない。それに、どこで調達するんだ? こんな深夜では店なんかとっくに閉まっているぞ」


「街の詰め所なんか襲えば簡単に手に入るよ。いっそ追い剥ぎしても構わないけど、ここらは夜に人通りはないみたいだしなー。それが駄目ならば、私の物をお貸ししまよー」


 今回は隠密行動であるので、さすがに彼女も銀の鎧には留守を預かって頂いたようだ。


 ギシギシガシャガシャと煩くて仕事にならない。なので、服のバリエーションの極めて少ない彼女の為に私が誂えてやったうちで、一番動きやすそうで人目に付きにくそうな短い青の単衣を着用している。


「これから一仕事しようってのに、寒いからっていたずらに御近所を騒がすなよ。あと、それを脱いじまったらお前、裸だろうが」


「失礼だなー。さすがに私だって下着ぐらいは着けているよ。上だけだけどねー」


「ノーパンツですか? なぜ下はノーガードなんだよ。お前は誰かに羞恥心を分けてもらった方がいいぞ」


「重ね重ね失礼だなー。ご主人様。私だって羞恥心ぐらい持ち合わせているんだよ。今はちょっと手持ちが少ないけども、夜が明けたらすぐに引き落としてくるよ」


「羞恥心を預金残高みたいに言うな。どこに預けたんだ。大切な羞恥心」


 お願いだから一刻も早く取り戻してくれ。彼女の保護者をもって自任する私としては、気が気ではない。


「それは、あなたの中に、だよ」


 両手を合わせて鉄砲のような形を作り、私を打ち抜く。


「やかましいわ。ズキュン、みたいな感じでやっても可愛くねえよ。それじゃあ、お前が羞恥心を無くしたのが私のせいみたいじゃないか」


「その通り。羞恥心のみならず、私の心はご主人様に首ったけなんだよ」


「やめとけ。恥ずかしい。やっぱり、私の中にお前の分の羞恥心があるのかもしれない。余計に恥ずかしいぞ」


 夜道は町中であっても、二千年後の未来、大阪の道頓堀界隈などを思うと閉ざされたような闇に覆われている。


 人家の灯りも消えてしまって、月と星のみが光源である。


 時刻は夜中の二時頃だろうか、人の往来はとっくに途絶えてしまった。風に木々がざわめく以外には物音もほとんど消え失せている。


「ご主人様。ここからは冗談ばかり言っていてはいけないんだよ。静かに移動しましょう」


「お前じゃなくて私だけが冗談ばかり言っているかのような言い草だな」


 月光はそれなりの明るさを提供してくれるが、足元を不足なく見通すには不十分である。事情が許さないので松明を照らす訳にもいかない。目的地に速やかに克、静やかに辿り着かねばならない。それには、嘩蓮の鋭敏な感覚に頼る他ない。


 人間の視界に映る光景は、全く同じ場所を捉えていても一人一人違った光景に見えているだろう。

 色彩感覚や光彩の取り方や明度、僅かな視点の違いも含め、取るに足りない誤差ではあっても、やはりその見え方は変わってくる。しかし、彼女の場合はそんなレベルではないところで、物の見え方が違う。


「ここから上がろうかな」


 彼女は一度も迷いなく寂寞とした街を抜け、その館に到着した。


 その瞳には、この暗がりでもはっきりと物の造詣が像を結んでいるに違いない。片手で器用に高い塀に取りつくと簡単に登りきってしまった。


 そうして上から私に向かって手を差し伸べてくる。つま先立ちになっても届かないので、少し自力で貼り付いて、引き上げてもらった。


 彼女の腰に下がっている袋と目があった。それは、私が持たせた荷物で、昼間に調達した今回の任務の重要な小道具である。


 大きさは両手で捧げ持つのにちょうど良い大きさである。私が提げて行っても一向に差支えはなかったのだが、彼女が是非にと言うので持たせた。


 なので私は、着衣以外には短剣一本の身軽な出で立ちである。


 臨戦態勢下であるので、館にも門番はさすがに置いているようで、足元に続く石塀の延長上にある門前には篝火が燃えていた。

 門衛も二名立てている。内側にも一人。見回りもおそらく巡回しているだろう。


 しかし、これでも足りないとは思う。どうにも自覚が足りないようだが、この館の主は、こちら側の大将であるのだ。暗殺の危険性は極めて高い。


 離れのある中庭を風のようにすり抜けて、本館に辿り着く。


 警備の兵士以外はひっそりと寝静まっているようだ。


 この時代、まだ窓ガラスは無く、夜間、窓は板などで閉じてしまうしかない。


 明瞭に夜道を見通せる者にとってはセキュリティなど皆無に等しい。鉄製の粗末な錠前など、申し訳なく思える程簡単に外し難なく忍び込む。


 王粛の寝室の前には一人見張りがいた。


 だが、椅子に座り、目を閉じている。


 実質的にサボりであったが、眠りこんではいないようだ。廊下には明りが灯されていて見通しはいい。目が開いていれば、廊下の角に蹲る我々を見咎める事ができたかもしれない。


「行ってきまーす」


 彼我の距離はおよそ十メートル。彼女は残響のように小さく言い落すと動いた。


 音も成さずに見張りの男に滑り寄ると、まだこちらを視認していない首筋を一撃した。


 それだけで昏倒した男は、ゆっくりと身体を倒す。途中でふんわりと彼女に支えられ、地面に軟着陸を果たした。


 それを見届けた私は、王侯のように堂々と廊下を進み扉に達した。そうして彼女の顔を伺う。


「開けましょうね」


 短く告げると私を促すようにコクリと首を縦に振った。


 ここまで彼女におんぶにだっこで来たが、最後の仕上げまで任せるつもりはなかった。


 彼女には謂わば道案内を願っただけだ。道案内とは言ったが、彼女がこの館に精通している訳ではない。ただ、こういった仕事に慣れているだけである。


 室内にもいくつかの蝋燭が灯を踊らせていた。とはいえ、広い室内は全体としては薄暗く、眠りに就くには最適の空間明度だと言えるだろう。


 机や棚には物が多かったが、それらは意外にも整然と並べられており、娘との性格の違いを見せつけていた。


 室内奥の中央には天蓋付きのベッドが置かれており、そこにターゲットはいるようだった。

 気絶した見張りを引きずりこんで、部屋の隅に転がしておいた。

 そして、一緒に入って来ようとする嘩蓮を押しとどめて見張りに残し、一人ベッドに向かう。

 彼女に運んでもらっていた荷物はここで預かった。


 王粛が一人であることに安堵した。


 女でも一緒に寝ていたら、始末する手間が増えていたところだ。


 私は他者を殺す事に躊躇いは無い。


 いや、さすがにそう率直に言い捨ててしまっては冷血人間だとの誹りは免れないので、少し弁解しておく。


 人間の価値は平等ではない。もしくは人の価値は等しく平等だ。


 ふむ。どちらも正解だと思う。平等であり、平等ではない。

 神の如き視点を持てば、人間は全て平等だが、人の身としてはそうはいかない。その相手の人間に対する情の深さによってその価値は変動する。

 

 神様という者が実在するなら、彼からしたら、人間は等しく人間であり、それ以上でもそれ以下でもないだろう。もしかすると、人間と他の生物ともそこに差異はないのかもしれない。

 私が唯一知る神である狼神様もそういった振る舞いをしていた。


 さて、一方の人間であるが、これは実に相対的な考え方しかできない生き物である。


 人間にかかわらず、生き物は一個体では成り立たないので、仕方のない事ではある。だが、これこそが、不平等を生じさせる。


 相手と己との関係性でしか物事を測れないのだ。自分が大切にしているものは、他者にとっては取るに足りない物であるし、己の好きな人は誰かにとって憎む相手である。そこには平等などという言葉は存在し得ない。ここまではいいだろうか。


 人間は豚や牛などの家畜を屠して食卓に饗する。


 これは自らの生命維持の為であり、自然界に生きる者の当然の権利であり摂理である。


 テーブルに並べられた豚や牛に対して、美味しそう、という感想は生まれても、可哀想だと涙する者は希であろう。


 人間をここに挙げた家畜と同列に論じるつもりはないが、私が殺人を是とする理屈は同じだ。

 自らの生と自己防衛、己の利益と発展の為の殺人、これはやむを得ないのではないだろうか。


 無闇に殺す事はもちろん禁じるべきであるし、厳重に慎むべきだ。その生は誰かにとっては大切なものなのだから。


 誰しも好きな者は守りたいし、憎むべき相手は排除したい。


 直截的にそれを行わないのは、それぞれの価値観、道徳観とその時代その時代、その国、その国によるルールに縛られるからだ。


 要は、他者を生かすも殺すも全て、人間自身に委ねられているという事だ。


 戦争だから人を殺していいはずなどないし、平時であるから、殺人が大罪だなんて誰が決められるというのだろうか。


 全ては各自の倫理観だけがそれを決定するのだ。


 長くなったが、私は人殺しが好きな訳では決して無い。


 しかし、その対象にもよるが、殺人を犯したからと言って、深い自己嫌悪に陥る事も無い。


 ただ、己の判断に従うのみなのである。それだけ分かって頂ければ十分である。


「ふがふがふががっ」


 誰だお前は、とでも呻いているのだろうか。


 自身の枕で口を封じられた男は恐怖に目を見開いている。


「大きな声を出すな。間違えれば命は無い」


 なるべく感情を乗せず冷淡に、手にした短剣の刃を見せつけながら脅し文句を吐き出した。


 性に合わない嫌な役回りである。


 これに関しては王韙を恨む。私がこうしなければならなかった理由は彼女にあるのだから。


 意外にも太守は、闖入者に対して異常に取り乱すことは無かった。冷静に私の言に従い、無駄な抵抗も錯乱した態度も見せなかったのである。


「貴様は誰の手の者だ?」


「それを明かすとでも?」


 壁際の小さな明かりは、ここまでは届かない。私の正体は分からないようだ。


 だが、知れたところでさほど困ることはない。なので、用意はしてきたが、別段、覆面などもしていない。


「心配するな、こちらの要求を呑めば、悪いようにはしないつもりだ」


 これは本音だった。出来る事ならばここは穏便に済ませたい。


「それを聞いて安心できると思うか? 私の命は五分の先にあるのだぞ」


 五分とは、私の持つ得物と彼の首の頚動脈との距離を言っているのだろう。そのような洒落た言い回しができるのかと、少し見直した。


 これまで私は、彼の臆病で優柔不断な部分しか見て来なかったのだ。動揺して逆にまともになったのだろうか。


 いくらか緊張していたが、私の思考にもいくぶん余裕が出てきた。


 そして、ふと不快な考えが頭をよぎってしまった。


 男二人がベッドで組合って、声を潜めて語り合う光景。


 これを傍から見ている。という悪趣味な想像だ。会話の内容もようく反芻してみると、それっぽい。

 すなわち、夜這いに来た私が、脅して無理に手篭めにしようとしている経緯とも取れなくはない。


「お前の要求はなんだ? 私の身体が目当てなのか?」


 自らの恐るべき雑念に黙り込んでしまった私に太守が尋ねる。


 この期に及んでなんという質問をしてくれるのだ。それとも私の思考を読みでもしたのだろうか。


 いや、またしても私は思ったことを口に出してしまっていたのだろうか。これは念の為に確認しておいたほうがよいだろうか。


「ま、待て、その前に、私は何か変な事を口走っていたか?」


「変な事とはどういう事だ?」


「男二人が組合ってどうこう、とかいう事だ」


「なんだそれは、気持ちの悪い。お前そんな事を考えていたのか。やはり私の身体が目当てだったのだな。不潔な。お前、もしかして、王韙の相談役の男か? そういえば男色だとの噂があったな」


 墓穴を掘った。そして、素性までバレかけている。


 それにしても、私の男色がここまで有名だとは恐れ入る。


 しかし、仮に私が男色だったとしても、こんなオッサンを相手に選んだりはきっとしない。


 茄子のくせにどうしてこんなに自意識過剰になれるのか不思議である。彼の過去にそんな事があったのだろうか。一切知りたくはない。


「うるさい。そんな事はどうでもいい」


 こうなると、私が何者であるかは絶対に知られたくはない。私は手短に用事を済ませるようにした。やはり荒事は私の性には合わないのである。


 翌日、この寝室には首と、それを失った身体が一体転がることになった。


 王粛には恨みはない。だが、私は彼を闇へ葬った。これは私のエゴである。


娘に実の父親を殺させたくないという、実はたったそれだけの発想から出た行為だった。


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